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  • 2008/11/14(金) 03:29:10
俺は日の丸が大嫌いだからどうでもいいんだが
>>935
>薩摩の勢力化にあることを示すために使われたと考えるのが自然。
これはありえない。

徳川幕府が対馬の宗氏→朝鮮→明、あるいは琉球を介して日明貿易の復活を目論んでいたことは良く知られている。
幕府は日明貿易復活を何度も打診するも、明にことごとく無視されている。
そこで急浮上したのが琉球であり、これは薩摩の琉球侵略とも大きく関わっている。
まず、1610年(薩摩の琉球侵略後)、幕府は対明交渉の使者として琉球人の池城安頼を使者として派遣したが、
明帝神宗は「尚寧王(薩摩に軟禁中であった)を琉球に帰国させれば、これまで通り琉球の往来を許可する」と返答した。
翌年、尚寧王が帰国したことを知らせる使者を明に送ったが「琉球は薩摩に侵略され疲弊しているので2年1貢から10年1貢に改める」と通告された。
これは、琉球にとっても島津にとっても幕府にとっても誤算であった。
実は、「琉球が疲弊しているため」というのは表向きの理由で、本当の理由は、日明貿易の再開をあせった幕府が、
琉球の進貢船に日本の物品を多数積み込んでおり、明は倭人が琉球の進貢船に乗って中国に入ってくることを警戒したからだ。
そこで幕府は、琉球が日本にとって異国であることを強調するため中国風を強制したり、大和風の名字をつけることを禁止した。

1631年に明の市場調査のため琉球の進貢船に乗った薩摩の伊地知心税は、
わざわざ琉球人のヘアスタイルである「カタカシラ」を結って渡明している。

仮に、日章旗が日本の船舶旗であると中国が認識していたならば、日章旗を掲げる琉球の進貢船を中国側が受け入れるはずがない。

でも、日の丸はしょぼいから日本にあげる。

ここまで見た

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