【太平洋戦争・沖縄戦について語ろう 〜8〜】 [machi](★0)
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- 2008/10/31(金) 23:17:46
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我が国は満州も朝鮮半島も台湾も
日本本土と同じように開発しようとした。
当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。
我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。
満州帝國は、成立当初の
1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、
1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。
満州の人口は何故爆発的に増えたのか。
それは満州が豊かで治安が良かったからである。
侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。
農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、
わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。
朝鮮半島も日本統治下の35年間で
1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。
日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。
戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、
日本軍によって破壊されたかのように言われている。
しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、
現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
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- 2008/10/31(金) 23:18:31
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我が国は
満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。
道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。
また
1924年には朝鮮に京城帝国大学、
1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。
日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、
京城帝国大学は6番目、
台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が
1931年の大阪帝国大学、9番目が
1939年の名古屋帝国大学という順である。
なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。
また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。
戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。
この人は陸軍士官学校26期生で、
硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。
またその1期後輩には金キン錫源ソグォン大佐がいる。
日中戦争の時、中国で大隊長であった。
日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた
元宗主国の中国軍を蹴散らした。
その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。
もちろん創氏改名などしていない。
中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し
新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。
1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽カオウキンもいる。
李王朝の最後の殿下である李垠イウン殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。
李垠イウン殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。
しかし
日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、
殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。
陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。
この李垠イウン殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子まさこ妃殿下である。
この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。
もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような
高貴な方を李垠イウン殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。
因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。
現在の赤坂プリンスホテル別館である。
また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった
溥儀フギ殿下の弟君である溥フ傑ケツ殿下のもとに嫁がれたのは、
日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
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- 2008/10/31(金) 23:18:53
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これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると
日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、
列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。
イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。
インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。
もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。
これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。
一方日本は
第2次大戦前から5族協和を唱え大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の
各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。
人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。
第1次大戦後のパリ講和会議において、
日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、
イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。
現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
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- 2008/10/31(金) 23:19:07
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時間は遡るが、清国は
1900年の義和団事件の事後処理を迫られ
1901年に我が国を含む11カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は
清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。
また1915年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、
中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。
これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、
この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、
それほどおかしなものとは思わない。
中国も一度は完全に承諾し批准した。
しかし4年後の
1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、
アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。
それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである
「日本史から見た日本人・昭和編(渡部昇一、祥伝社)」。
また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。
常に中国側の承認の下に軍を進めている。
1901年から置かれることになった北京の日本軍は、
36年後の廬溝橋事件の時でさえ5600名にしかなっていない
「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。
このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。
幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが
我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
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- 2008/10/31(金) 23:19:35
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さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、
遂に日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、
日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。
しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、
アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。
実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。
ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。
米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。
膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福
井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。
ヴェノナファイルとは、
コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。
アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。
当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。
そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943年から解読作業を開始した。
そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の
1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。
その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。
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- 2008/10/31(金) 23:20:00
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これによれば
1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には
300人のコミンテルンのスパイがいたという。
その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは
日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。
彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じて
ルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。
当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。
彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、
戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、
日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。
真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸において
アメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、
日米戦争を開始するには
どうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。
日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば
一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。
しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、
当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、
アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。
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- 2008/10/31(金) 23:20:14
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結果として現在に生きる私たちは
白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。
文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。
しかし人類の歴史の中で
支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。
戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
さて大東亜戦争の後、
多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。
人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。
もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、
現在のような人種平等の世界が来るのが
あと百年、2百年遅れていたかもしれない。
そういう意味で私たちは日本の国のために戦った
先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。
そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
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- 2008/10/31(金) 23:20:29
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一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。
戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。
当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。
やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。
亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。
日米安保条約に基づき
アメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。
これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。
ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。
竹島も韓国の実行支配が続いている。
東京裁判は
あの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。
そしてそのマインドコントロールは
戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。
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- 2008/10/31(金) 23:20:43
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日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから
自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。
自衛隊は
領域の警備も出来ない、
集団的自衛権も行使出来ない、
武器の使用も極めて制約が多い、また
攻撃的兵器の保有も禁止されている。
諸外国の軍と比べれば
自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。
このマインドコントロールから解放されない限り
我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。
アメリカに守ってもらうしかない。
アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。
日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法も
アメリカのシステムに近づいていく。
改革のオンパレードで
我が国の伝統文化が壊されていく。
日本ではいま 文化大革命が進行中 なのではないか。
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- 2008/10/31(金) 23:21:02
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日本国民は
20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。
日本は良い国に向かっているのだろうか。
私は日米同盟を否定しているわけではない。
アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。
但し日米関係は必要なときに助け合う良好な
親子関係のようなものであることが望ましい。
子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は
改善の必要があると思っている。
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- 2008/10/31(金) 23:21:18
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自分の国を自分で守る体制を整えることは、
我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。
諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが
我が国においては国民に理解が行き届かない。
今なお大東亜戦争で
我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。
しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を
肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。
タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、
大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。
そして
日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、
日本軍を直接見ていない人たちが
日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。
日本軍の軍紀が
他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。
我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。
日本というのは
古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。
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- 2008/10/31(金) 23:21:35
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私たちは
日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。
人は特別な思想を注入されない限りは
自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。
日本の場合は
歴史的事実を丹念に見ていくだけで
この国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。
嘘やねつ造は全く必要がない。
個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。
それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。
私たちは
輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。
歴史を抹殺された国家は
衰退の一途を辿るのみである。
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- 2008/10/31(金) 23:26:08
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長くて読む気しないけど、
日本が亜細亜を開放したのは世界中が認めてるし、
島んちゅの中でも俺は認めてる。
岩波裁判も、隊長個人が命令したかどうかに絞れば負ける裁判じゃないのに、
軍命にしちゃうと流れとしてあったとしか言い様がなくなっちゃうよね。
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- 776
- 2008/10/31(金) 23:30:43
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ただ今爆サイにおいても同内容を議論中
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- 2008/10/31(金) 23:47:17
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>日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している
その筆頭が「KY」朝日新聞
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- 778
- 2008/10/31(金) 23:58:03
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直接見た人たちは傷ついた日本兵を撲殺している。そうしない地域は集団自決を強制された。今後の教訓である。
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- 779
- 2008/11/01(土) 01:33:54
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原告全面敗訴
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- 2008/11/01(土) 07:02:47
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判決に基づき直ちに原告を、天皇陛下と国家への反逆罪で市中引き回しのうえ獄門打ち首にして、臓器移植に供すべき。
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- 2008/11/01(土) 09:23:30
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そうやって日本人になりすますから日本人からも韓国人からも嫌われるんだよ。在日。
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- 2008/11/01(土) 09:42:44
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これで来春の教科書に
「日本軍による住民強制集団自決」が記載されるな。
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- 783
- 2008/11/01(土) 09:54:16
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されないでしょ。
推測されるだけで証拠ないんだし。
判決と事実は別物だよw
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- 784
- 2008/11/01(土) 10:05:05
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証拠は判決だよ。強制集団自決ではなくて猟奇的住民虐殺として記載だな。
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- 785
- 2008/11/01(土) 10:39:40
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小説や劇が歴史的証拠になったあの国の人には言われたくない。
電文435号(笑)
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- 786
- 2008/11/01(土) 11:17:55
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東朝鮮日本国の古事記や日本書紀を言っているのか。歴史的価値が考古学的に証明されつつある。
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- 787
- 2008/11/01(土) 12:27:48
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朝鮮王妃を韓国公使の日本人が殺し遺体を辱めたという「歴史的事実」の根拠が「電文435号」だと主張しているが、
「皇太子拉致事件」という小説中の創作である上、そもそも電文は第141号までしか実在しない。
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- 788
- 2008/11/01(土) 13:27:04
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- 789
- 2008/11/01(土) 13:58:28
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朝刊みて驚いた…高裁判決に「(集団自決の)戦隊長命令説は
戦後間もないころから学会の通説である」と真実相当性を認めた。
判決骨子は「日本軍は『軍官民共生共死の一体化』の大方針で「集団自決」に深くかかわった」
凄いためになった……
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- 790
- まん
- 2008/11/01(土) 15:15:31
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新聞に載っていた判決の主旨を読んでみましたが、、、
「積極的な判断」を下した様な感じはしませんでした。
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- 791
- 2008/11/01(土) 15:28:25
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それは貴様の主観。
そんなものに用はない。
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- 792
- 2008/11/01(土) 15:49:19
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>>784
証拠が判決って、ごめんだけどワロタw
裁判がなんたるかを体験した事がないのを、容易に伺い知れるお言葉ですね。
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- 793
- 2008/11/01(土) 15:59:39
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>>792
韓国の裁判は証拠が要らないのかもね。
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- 794
- 2008/11/01(土) 16:05:33
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東朝鮮人のうるさいスレだな。
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- 795
- 2008/11/01(土) 17:52:46
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>>794
国旗が属国の証の韓国が、日本を属国扱いするとは笑止
大清属国高麗国旗
http://www.chosunonline.com/article/20040126000072
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- 796
- 2008/11/01(土) 18:12:01
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東朝鮮が南朝鮮を笑う。まさに目くそ鼻くそを笑う。
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- 797
- 2008/11/01(土) 18:19:58
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>>796
北のほうでしたか。これは失礼。
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- 798
- 2008/11/01(土) 18:21:44
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大韓帝国船を救助した小浜市民の恩を拉致という仇で返した北朝鮮
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- 799
- 2008/11/01(土) 21:35:30
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えっ? 上告したのぉ〜?
梅チャン隊長?
ばかだなぁーw
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- 800
- 琉球土人代表
- 2008/11/01(土) 22:13:44
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何はともあれ、「大東亜戦争」と「支那」を復活さようぜ。
でないとあの戦争の是非や悲願、悲劇語れんぜ、多分。
「太平洋戦争」や「中国」という呼称自体、米国の陰謀なんだから。
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- 801
- 2008/11/01(土) 22:50:44
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>>794
裁判の事わからないんだから、引っ込んだ方が赤っ恥かかんハズよw
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- 802
- 2008/11/01(土) 22:58:54
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>>794
[ softbank221068173045.bbtec.net ]←これまずは検索してみw
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- 803
- 2008/11/02(日) 04:07:29
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>>800
黙れうちなんちゅなりすましの負け犬ジャップ。氏ね、近寄るな臭い日本軍。 沖縄を助けてくれてありがとうアメリカ軍!!
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- 804
- 2008/11/02(日) 04:26:34
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戦争中に、沈没した日本の船から命からがら南方の島に泳ぎ着いた日本軍人に対して、現地住民は、その日本軍人が精魂つきはてて動けないのを確認して、撲殺したと証言していた。
中には、アメリカ軍に引き渡した方が金になると、殺されずに済んだ幸運の日本軍人もいた。
そんな、話を聞くと、日本は特に南方諸島の人々には嫌われていた訳で、日本の南方支配が好意的に受け取られていたとは考え難い。
そんな意味では、航空自衛官の幕僚長の論文では、この現地人の行動どは矛盾していると思う。
結局、事実を総合的に勘案したというより、自分の思想や戦争観に都合の良い情報だけを表明しているに過ぎないように感じる。
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- 805
- 2008/11/02(日) 10:52:52
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>>804
親族から聞いたことがあります。
終戦間近のフィリピンのおいて米軍の再上陸後
一部の入植日本人家族や軍人が
現地のひとから追い立てられ
「素行の良くなかった」日本人の「一部のひと」は
「搾取への反感からか」虐待されたのを見たそうです。
米軍が再占領をして
日本人が隔離され強制送還させられるまで
散発的に起こっていたそうです。
しかし
多くの日本人は現地の方々とのトラブルを起こすことなく
苦労の末に開墾した入植先を取り上げられ
日本へ強制送還させられたそうです。
その時に「日本人と名乗ると虐待されるのでは」との恐怖から
日本籍を名乗らず、そのまま現地に居住し、うやむやになり
日本政府の戦後処理の記録から消えたひとも大勢いたようです。
フィリピンの戦後は商業で支那人華僑が支配し現在も拡大中。
教育では米国の基地経済を維持するため米国式教育を拡充。
後に基地負担に相応の経済支援を要求して米国が拒否
ベトナム敗退と自然災害の理由で米国基地は撤退。
経済困窮したフィリピンに対して
戦後復興に成功した日本によるODAなどの経済支援で
産業基盤が整備された。現在も続く。
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- 806
- 自主憲法推進協議会
- 2008/11/03(月) 08:05:28
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沖縄は聖地。横柄で鼻持ちならない東朝鮮人は立入禁止。南北の方はいらっしゃい。沖縄日本原住民と南北朝鮮で連帯して東朝鮮人を教育しよう。
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- 807
- 2008/11/03(月) 08:43:09
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10月31日の午後。
大阪司法記者クラブの一室。「集団自決訴訟」原告代理人の徳永信一弁護士は、
約50人の報道関係者を前に何度も「不当判決だ」と顔を赤らめたが、同席しなかった
原告の梅澤裕元戦隊長について質問が出ると、やおら身を乗り出して梅澤氏の言葉を紹介した。
「裁判を起こしたことで教科書が変わり、子供達が『間違った歴史』を学ぶことがなくなった。
裁判を起こしてよかった。」
「集団自決」訴訟の大阪高裁判決は、一審判決をなぞる形で原告の訴えを退けた。
原告側が控訴審で提出した新証言は「虚言」とはねつけ、これらを引用した報道や陳述書も証拠にならないと断じた。
さらには、「戦隊長による直接命令の有無」について「証するに的確な証拠はない」と
被告側の主張を退けはしたが、原告側主張についても「『直接命令』がなかったと断言できるかといえば、それもできない」
と、わざわざ否定してみせた。
原告側にとって、一審以上の完敗だった。
それでも、原告側の論理は変わらない。弁護団は「(隊長命令説の)真実性は揺らいだ」と
胸を張り、原告支援団体はホームページに「二度の裁判で自決命令があったという証明を被告側はできなかった」
「中身はすでに勝っているのです」と掲載した。
琉球大学の山口剛史准教授は今秋、保守論調の月刊誌で発表された論文のうち、沖縄戦の通説を否定する
論文の掲載数を調査したところ、2000年秋以降に少なくとも約130編あり、
うち約90編は07年9月の県民大会以降に発表されていた。
これらの論調は「『集団自決』は住民の意思」と位置づけ、原告側が裁判に提出した証言、証拠を根拠としたものが目立つ。
06年度の教科書検定意見も、裁判での元戦隊長の主張などを根拠として、「集団自決」の記述から軍の強制性を削除させた。
沖縄国際大学の安仁屋政昭名誉教授は、この「居直りの論理」こそ、原告やその支援者達の目的だったと考える。
「彼等は軍と住民の関係という繊細な問題を、『戦隊長が言った、言わない』という水掛け論に置き換えた。その姿勢は芝居じみて
すら見えた」安仁屋教授は「しかし、文部科学省はこのバカバカしい論に乗っかった」と
憤る。「『集団自決』の問題の本質は、軍とは、戦争とは何かを明らかにすること。それが抜け落ちたこの検定意見は、決して放置できない。
撤回がない限り、真の勝利とはいえない」以上、沖縄タイムスの記事。
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- 808
- 自主憲法推進協議会
- 2008/11/03(月) 12:13:36
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憲法9条に新しい項目を設けて、日本軍は猟奇的に日本国民を殺害してはならないと、記載すべき。当たり前と思うかも知れないが書かないとやるのが日本人。
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- 809
- 2008/11/03(月) 12:38:46
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>>808
あんた、またやってるのか。
精神状態大丈夫やみ?
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- 810
- 2008/11/03(月) 14:46:39
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softbank221068173045.bbtec.net
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
地球外フリムヌ生命体??????
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- 811
- 2008/11/03(月) 14:48:04
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>809
お前も大してかわらん
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- 812
- 2008/11/03(月) 14:52:45
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>>811
以下同文。
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- 813
- 戦艦オチョキン ◆
- 2008/11/05(水) 01:05:38
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>>808
君は日本国憲法9条の内容を知らないようだな。
9条では現在「日本軍」は存在しないことになっている。
それともあの国のように事後立法で旧日本軍の子孫を罪人にするつもりかね?
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