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  • 732
  • 2008/10/29(水) 14:48:05
保守政権にも野党勢力にも「共通認識している歴史」だけを
教えたほうがいいのでは?変にどちらかの政治色が付くよりも。

「鳴くよ(794)うぐいす平安京」
「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」
個人的には近代もこの程度でいいと思います。

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  • 733
  •  
  • 2008/10/29(水) 14:56:37
>>732
山川出版社
詳説日本史B
1185年、
頼朝は諸国に守護・地頭という役人を任命する権利などを獲得。
東国が中心だった支配権が西国にも及び

武家政権としての鎌倉幕府が成立

「イイハコつくろう鎌倉幕府」

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  • 734
  • 2008/10/29(水) 15:34:23
最近は色々と変わっているようですね。
聖徳太子の言い方とか・・・。

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  • 735
  •  
  • 2008/10/29(水) 17:24:13
教育は何のためのするのか?
一般教養を持てばよいということなのか?

おいドンは 歴史=年表の記憶 など糞食らえだと思っておるね。

年表を覚えて クイズ番組でも出るのか?
入社試験に合格するために勉強(記憶)させるのか?

馬鹿馬鹿しい限りだ。

こんな事だから、いっこうに指導者に指導力がつかないんだよ。

今の沖縄で腹のある政治家が居ると思うか?

昨年の教科書問題の議会決議は あれは何だ?

全ての市町村議会が全会一致だ。(東大東村だけがはじめ否決したが)

歴史教育は、それぞれの時代に活きた人物の生き様を教えるべきだとおいドンは思うね。

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  • 736
  •  
  • 2008/10/29(水) 17:38:36
強者や覇者の歴史を学んで庶民知らず。
小泉の息子は政治的力量に関係なく国会議員。
金を稼ぐ苦労を知らぬものが親の跡を継ぎ金が金を生む。
声の大きい者が勝つ。

あの戦争は美しかった。
犠牲者はみんな英霊だ。
もう一回我々は大儀の為に命を捨てよう。
あの戦争で負けたのは、ミッドウエイで米空母を叩けなかったからだ。
もう一回やろう。そうすれば勝てる。
日本が勝てば素晴らしい世界になる。

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  • 737
  •  
  • 2008/10/29(水) 18:39:04
あんたのような人が イザ有事となると言論統制や戦意高揚運動の先頭に立ち、
負けたら、軍部が悪かった、俺たちは逆らえなかったと言い出すんだよ きっと。

もっと立体的に考えな。

おうどんは現在のようなデッチアゲが検証もされず、(させないが本当だが)何年も同じ
ように 被害者ぶらせる世論をつくっていることが問題だと言っているんだよ。

世の中は一辺倒じゃないぞ!
いろんな意見があって当然じゃないのか?

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  • 738
  •  
  • 2008/10/29(水) 18:57:15
http://www.okinawa-senshi.com/tuken.htm
津堅島の戦闘 つけんしまのせんとう
4月5日〜25日

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  • 739
  •  
  • 2008/10/29(水) 18:59:16
>>737
そうだな。「被害者面を糾弾する」奴も必要だろう。

>世の中は一辺倒じゃないぞ!
>いろんな意見があって当然じゃないのか?

偉い。まさにその通り。その気持ちさえ捨てなければ、君は
(県内の教育委員会・青少年健全育成協議会・沖狂組・高狂組ような方々)
ともうまくやっていけるだろう。

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  • 740
  •  
  • 2008/10/29(水) 19:58:29
このスレッドは太平洋戦争・沖縄戦についてたかろう、まちがった語ろう、
なので、その当時の聞いた話をします。

現在うるま市のとある部落では、終戦直後、部落入り口に見張りが立っていて、外国人らしき
人が部落に侵入すると、鐘を打ち鳴らし、その人を皆でぼこぼこにしてたそうだ。

終戦直後は、よっぽど外国人にひどい目にあってたのね〜。

これはそれを見たという人から聞いた話です。

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  • 741
  •  
  • 2008/10/29(水) 23:00:59
別のスレに数年前に書き込んだ記事なんですけど、まあ沖縄戦に関係することですのでここにコピペします。

コピー1
今を遡ることン十年前、小学生だった私は、よく南部の某ゴルフ場に忍び込んで遊んでいた。
ある日、茂みの中で手榴弾を発見した。友人と数人で手榴弾をいじっているうちに突然、手榴弾はシューッと言う音をたてて白煙を吹きはじめた。
あわてて手榴弾をフェアウェイ方面に投げるつけ逃げた、背中のほうからボムッと音が下のをおぼえている。
次の日、朝刊に某ゴルフ場で不発弾が爆発したとの記事がでていた。
犠牲者はいなかったようだ。某ゴルフ場の経営者の方々、ごめんなさい
けど、もう時効だよね

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  • 742
  •  
  • 2008/10/29(水) 23:01:48
コピー2
今を遡ることン十年前、小学校5年生であった私は授業でピテカントロプスやら北京原人について学んだ。放課後友人のKが言った。
『おれ、ピテカントロプスがいるところしっているさ』
これは世界的大発見になると判断した私は、友人の案内でXX城趾のなかの茂みに向かった。ピテカントロプスは茂みの奥の崖の穴の中にあった。確かに教科書に載っていた写真に良く似ている。私はランドセルから教科書を出してピテカントロプスを詰め込んだ。
『世界的大発見』に心はウキウキ、ピテカントロプスとともに帰宅した。
そして、晩酌中の父親にピテカントロプスを見せたところ、父親の表情は凍り付いた。
父親に思いきりぶん殴られた私
ピテカントロプスはピテカントロプスではなく、沖縄戦の犠牲者の遺骨だった。

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  • 743
  •  
  • 2008/10/30(木) 00:16:52
たま

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  • 744
  •  
  • 2008/10/31(金) 07:47:51
>>728

オバアに伝えて下さい。

沖縄に靖国神社の分社にあたる神社があるという事を。

そこに行けば靖国に詣でたと同じように、お世話になった兵隊さんと会うことが出来るはずです。

その神社は 沖縄県護国神社です。
ここには祖国の為に殉じた沖縄県出身者の御霊や沖縄戦に参じた全ての英霊が祀られています。

先日の秋の例大祭には靖国神社の宮司も参列されました。
今上陛下をはじめ皇室からの供え物も幾度も賜っていると聞いています。

現在の宮司は明治神宮に奉職されたかたで、
退職後余生を沖縄の戦跡を巡り慰霊をする為に移住されてた方です。

その後神社庁の要請で現職についた方です。

オバアが元気になったら 護国神社の本殿参拝をされれば、
神職がお世話になった海軍の兵隊さんの御霊を招魂して下さると思いますので
その旨、社務所に申し出ればよいのではないでしょうか?

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>>744
那覇の護国神社って、「県内一」初詣客が多いんですよね。。。

そのニュースを観ると、「新聞で取り上げられるような県民感情」が
本当にあるのかどうか不思議な気がします。

・・・それとも英霊とかその手の話はとりあえず「置いといて」、
ご利益さえあれば「何でもいい」というような行動なのでしょうかね???

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  • 746
  • 助 ◆
  • 2008/10/31(金) 10:13:11
そうです。

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  • 747
  •  
  • 2008/10/31(金) 10:37:23
>>745
赤旗新聞だけを購読されている方でも、記事の内容と現実とのギャップに気づくことがあるんですね。これからは県内紙や全国紙も購読されてみてはどうですか?

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  • 748
  •  
  • 2008/10/31(金) 11:29:17
>>746
県内大手のR紙を購読していての感想ですけど。

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  • 749
  •  
  • 2008/10/31(金) 13:45:16
我々東朝鮮日本国民としては、天皇陛下の旗のもと南北東一体となってもう一回太平洋戦争をやるべきである。南北が東の植民地ではなくて真に南北東一体になれば間違いなく勝てる。

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  • 750
  • ウン子 ペーチン ◆
  • 2008/10/31(金) 16:08:29
えーー>>749よぉ
あんたひとり浮いてるの知らんばぁー?

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  • 751
  •  
  • 2008/10/31(金) 16:16:19
[ softbank221068173045.bbtec.net ]w

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  • 752
  •  
  • 2008/10/31(金) 16:34:50
>>737
今日だろ判決。どうなった?

ここまで見た
  • 753
  •  
  • 2008/10/31(金) 18:04:11
>>737
一審の判決と同じか。だけど君の言うとおり、

「世の中は一辺倒じゃないぞ!
 いろんな意見があって当然じゃないのか?」

今日の判決も「色んな意見」の一つだ。
否定するのではなく「色んな意見を尊重しようではないか」

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  • 754
  •  
  • 2008/10/31(金) 18:23:34
やっぱりそうか。あれは日本軍の猟奇殺人事件だったんだ。それを謝罪するどころか無罪を主張するなんて人間じゃないな。

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  • 755
  •  
  • 2008/10/31(金) 19:08:59
ば〜か たれ。

判決文を読めんのか あ ふぉ。

玉砕を日本軍が命じたなんてどこにも書かれていないぞ!

関与を否定できないから名誉毀損にはならないというのであって、

関与の定義には触れていない。判事がブサヨのバッシングから逃れるために下した逃げ以外にない。

不当というより、理不尽な判決だよ。

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  • 756
  •  
  • 2008/10/31(金) 21:22:46
しかし本人が死んでしまったのは残念。天皇と日も丸に対する反逆罪で市中引き回しの上死刑にして臓器移植に使うべきだった。

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  • 757
  •  
  • 2008/10/31(金) 21:28:52
ひいるな あんたが先ず提供すべきだが どうか?

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  • 758
  •  
  • 2008/10/31(金) 21:37:35
祝!勝訴w

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  • 759
  •  
  • 2008/10/31(金) 21:48:16
>>749
在日朝鮮人だけで勝手にサイバー戦争でもやって下さい(>>673>>692)

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  • 760
  •  
  • 2008/10/31(金) 23:16:48
アメリカ合衆国軍隊は
日米安全保障条約により日本国内に駐留している。
これをアメリカによる日本侵略とは言わない。
二国間で合意された条約に基づいているからである。
我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、
実は日本軍のこれらの国に対する駐留も
条約に基づいたものであることは意外に知られていない。
日本は19世紀の後半以降、
朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが
相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。
現在の中国政府から
「日本の侵略」を執拗に追求されるが、
我が国は日清戦争、日露戦争などによって
国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、
これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。
これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから
条約そのものが無効だという人もいるが、
昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

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  • 761
  •  
  • 2008/10/31(金) 23:17:09
この日本軍に対し
蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。
邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。
これは現在日本に存在する米軍の
横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、
米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、
とても許容できるものではない。
これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、
その都度蒋介石に裏切られるのである。
実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。
1936年の第2次国共合作により
コミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが
国民党内に多数入り込んでいた。
コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、
最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって
1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は
「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って
南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」
と言う声明を発表した。
我が国は蒋介石により
日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

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  • 762
  •  
  • 2008/10/31(金) 23:17:30
1928年の張作霖列車爆破事件も
関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、
近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、
少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。
「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、
「黄文雄の大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)」及び
「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、
最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。
日中戦争の開始直前の
1937年7月7日の廬溝橋事件についても、
これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。
しかし今では、
東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で
「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」
と証言していたことがわかっている
「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。
もし日本が侵略国家であったというのならば、
当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。
よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、
日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

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  • 763
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  • 2008/10/31(金) 23:17:46
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も
日本本土と同じように開発しようとした。
当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。
我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。
満州帝國は、成立当初の
1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、
1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。
満州の人口は何故爆発的に増えたのか。
それは満州が豊かで治安が良かったからである。
侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。
農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、
わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。
朝鮮半島も日本統治下の35年間で
1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。
日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。
戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、
日本軍によって破壊されたかのように言われている。
しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、
現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

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  • 764
  •  
  • 2008/10/31(金) 23:18:31
我が国は
満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。
道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。
また
1924年には朝鮮に京城帝国大学、
1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。
日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、
京城帝国大学は6番目、
台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が
1931年の大阪帝国大学、9番目が
1939年の名古屋帝国大学という順である。
なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。
また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。
戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。
この人は陸軍士官学校26期生で、
硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。
またその1期後輩には金キン錫源ソグォン大佐がいる。
日中戦争の時、中国で大隊長であった。
日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた
元宗主国の中国軍を蹴散らした。
その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。
もちろん創氏改名などしていない。
中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し
新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。
1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽カオウキンもいる。
李王朝の最後の殿下である李垠イウン殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。
李垠イウン殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。
しかし
日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、
殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。
陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。
この李垠イウン殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子まさこ妃殿下である。
この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。
もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような
高貴な方を李垠イウン殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。
因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。
現在の赤坂プリンスホテル別館である。
また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった
溥儀フギ殿下の弟君である溥フ傑ケツ殿下のもとに嫁がれたのは、
日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

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  • 765
  •  
  • 2008/10/31(金) 23:18:53
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると
日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、
列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。
イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。
インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。
もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。
これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。

一方日本は
第2次大戦前から5族協和を唱え大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の
各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。
人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。
第1次大戦後のパリ講和会議において、
日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、
イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。
現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

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  • 766
  •  
  • 2008/10/31(金) 23:19:07
時間は遡るが、清国は
1900年の義和団事件の事後処理を迫られ
1901年に我が国を含む11カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は
清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。
また1915年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、
中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。
これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、
この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、
それほどおかしなものとは思わない。
中国も一度は完全に承諾し批准した。
しかし4年後の
1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、
アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。
それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである
「日本史から見た日本人・昭和編(渡部昇一、祥伝社)」。
また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。
常に中国側の承認の下に軍を進めている。
1901年から置かれることになった北京の日本軍は、
36年後の廬溝橋事件の時でさえ5600名にしかなっていない
「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。
このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。
幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが
我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

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  • 767
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  • 2008/10/31(金) 23:19:35
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、
遂に日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、
日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。
しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、
アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。
実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。
ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。
米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。
膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福
井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。
ヴェノナファイルとは、
コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。
アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。
当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。
そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943年から解読作業を開始した。
そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の
1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。
その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。

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  • 768
  •  
  • 2008/10/31(金) 23:20:00
これによれば
1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には
300人のコミンテルンのスパイがいたという。
その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは
日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。
彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じて
ルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。
当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。
彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、
戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、
日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。
真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸において
アメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、
日米戦争を開始するには
どうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。
日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば
一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。
しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、
当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、
アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。

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  • 769
  •  
  • 2008/10/31(金) 23:20:14
結果として現在に生きる私たちは
白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。
文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。
しかし人類の歴史の中で
支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。
戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
さて大東亜戦争の後、
多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。
人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。
もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、
現在のような人種平等の世界が来るのが
あと百年、2百年遅れていたかもしれない。
そういう意味で私たちは日本の国のために戦った
先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。

そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

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  • 770
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  • 2008/10/31(金) 23:20:29
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。
戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。
当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。
やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。
亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。
日米安保条約に基づき
アメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。
これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。
ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。
竹島も韓国の実行支配が続いている。
東京裁判は
あの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。
そしてそのマインドコントロールは
戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。

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  • 771
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  • 2008/10/31(金) 23:20:43
日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから
自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。
自衛隊は
領域の警備も出来ない、
集団的自衛権も行使出来ない、
武器の使用も極めて制約が多い、また
攻撃的兵器の保有も禁止されている。
諸外国の軍と比べれば
自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。
このマインドコントロールから解放されない限り
我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。
アメリカに守ってもらうしかない。
アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。
日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法も
アメリカのシステムに近づいていく。
改革のオンパレードで
我が国の伝統文化が壊されていく。
日本ではいま 文化大革命が進行中 なのではないか。

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  • 2008/10/31(金) 23:21:02
日本国民は
20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。
日本は良い国に向かっているのだろうか。
私は日米同盟を否定しているわけではない。
アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。
但し日米関係は必要なときに助け合う良好な
親子関係のようなものであることが望ましい。
子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は
改善の必要があると思っている。

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  • 773
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  • 2008/10/31(金) 23:21:18
自分の国を自分で守る体制を整えることは、
我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。
諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが
我が国においては国民に理解が行き届かない。
今なお大東亜戦争で
我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。
しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を
肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。
タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、
大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。
そして
日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、
日本軍を直接見ていない人たちが
日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。
日本軍の軍紀が
他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。
我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。
日本というのは
古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。

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  • 774
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  • 2008/10/31(金) 23:21:35
私たちは
日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。
人は特別な思想を注入されない限りは
自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。
日本の場合は
歴史的事実を丹念に見ていくだけで
この国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。
嘘やねつ造は全く必要がない。
個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。
それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。
私たちは
輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。
歴史を抹殺された国家は
衰退の一途を辿るのみである。

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  • 775
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  • 2008/10/31(金) 23:26:08
長くて読む気しないけど、
日本が亜細亜を開放したのは世界中が認めてるし、
島んちゅの中でも俺は認めてる。

岩波裁判も、隊長個人が命令したかどうかに絞れば負ける裁判じゃないのに、
軍命にしちゃうと流れとしてあったとしか言い様がなくなっちゃうよね。

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  • 776
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  • 2008/10/31(金) 23:30:43
ただ今爆サイにおいても同内容を議論中

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  • 777
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  • 2008/10/31(金) 23:47:17
>日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している
その筆頭が「KY」朝日新聞

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  • 778
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  • 2008/10/31(金) 23:58:03
直接見た人たちは傷ついた日本兵を撲殺している。そうしない地域は集団自決を強制された。今後の教訓である。

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  • 779
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  • 2008/11/01(土) 01:33:54
原告全面敗訴

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  • 780
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  • 2008/11/01(土) 07:02:47
判決に基づき直ちに原告を、天皇陛下と国家への反逆罪で市中引き回しのうえ獄門打ち首にして、臓器移植に供すべき。

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  • 781
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  • 2008/11/01(土) 09:23:30
そうやって日本人になりすますから日本人からも韓国人からも嫌われるんだよ。在日。

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  • 782
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  • 2008/11/01(土) 09:42:44
これで来春の教科書に
「日本軍による住民強制集団自決」が記載されるな。

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