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  • 260
  •  
  • 2006/06/02(金) 12:29:43
>>251
自由主義の社会においては、
そもそも「体育」を強要されることが無いので、
誰が運動が苦手であるかなど、わからない。
そもそも、「体育」という授業が存在し、
誰もが「体育」の授業を受けなければならないからこそ、
それが人間を区別する基準になってしまっているわけだ。
体育に興味がある人しか体育をしなくなった場合、
それが基準になることなど無いだろう。
そこまで徹底した自由こそが、真の「自由」であり、
集団主義に対する個人主義などは、単なる「対義語」として「自由」
という言葉が用いられているに過ぎない。
これらは、まるで異なるものである。
いくら個人主義であるとはいえ、カリキュラムや学級が固定されていれば、
問題が生じるのは当然のことだ。
そんなのは、本当の自由とはいえない。
だから、俺はその程度の自由であるならば好ましいとは思わないが、
本質的な自由の導入に関しては、>>249同様大歓迎だな。
現時点で、体育など廃止している国も有る。
自由に科目や学校を選べる国も有る。
日本は、そこまで徹底せず、中途半端な教育を「自由」として
でっち上げるから、問題なのだ。
なお、戦争に関しては反対。
北に問題がある勢力がいるのは確かだが、
大半の国民は、そいつらの被害者だ。
しかし、技術を駆使した戦争を行う場合、どうしても
そういう無関係な人間にまで、被害が及んでしまう。
そうなった場合、死んでしまうのは、
結局運動音痴や貧民ばかりだろう。
だから、国家全体を相手にした戦争には反対だ。

ここまで見た

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