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  • 2009/10/26(月) 20:49:23
講師切りにあった人たちなどは、
県教委に、いいように使われて、いいように捨てられて、
それでも 「お前は努力が足らない」「試験に受かってないからだ」
「能力がない」と、自己責任論でたたかれ、批判すれば実名を晒される。
このようなことを続けてきた教育委員会は
もはや“人間をつぶしていく委員会”ではないかと感じている。
憲法25条には「生存権」という規定があるが、
兵庫県教育委員会には臨時講師が「生存権」を主張するなんて想定外、
いや、おこがましいとさえ考えているようだ。
彼らにとって臨時講師の任用は、あくまで学校を円滑に運営し、
正規教諭の負担を軽減し、その待遇を維持するための
効率優先であり、ダメな奴は捨てればいい、使えない奴は放り出せばいい、
そうやって、どんどん使い捨てしていけば、効率的だ、
との考えに基づいている。

しかし、最近の掲示板を見ていると、その考え方、
じつは現実には非効率な考え方ではないかと思っている。
というのもこの考え方は「人間の生存コスト、教員の成立コスト」を忘れているからだ。
大事なことは、人間はモノじゃないので、
捨てられた人たちも、その後生きていくという問題だ。

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