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  • 2007/03/08(木) 12:13:40
他の科目の教師だが、現代文だけは絶対に教える自信がない

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  • 2007/10/11(木) 10:18:17
論説文、説明文には正しい正解があると思うな。
読み手に自分の主張を伝えたり、何かを詳しく説明するための文なのだから、
丁寧に読めば模範的というか一般的な解答は存在する。
逆に、物語文や詩などは読み手の感じ方に依存して書かれることが多いし、
作者もそれでよし(むしろそうして欲しい)としているところもある。
つまり読み手の数だけ解答があると言っても過言ではないわけだ。
俺は国語は得意な方だったけど、それでも小説にはある種の博打性はあると今でも
思ってるな。センター試験の時も小説(物語)はある程度博打だと思ってた。


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  • 2007/10/20(土) 21:10:00
現代文の授業はほとんど聞いていないけど、意味はあると思うよ

例えば有名な文学作品読んだりとか普通に生活してたらあんまりしないし
教科書に載ってる詩とか文章がきっかけで本に興味持ったり世界広がるってこともあるし
それに、その作品のできた背景や一般常識としての語彙を豊富にするためだったら必要じゃないか?
純粋に知識欲や興味を持つ心なんかを刺激する教科じゃないか?

たぶん多くの人が言っている試験問題に応用できない、とかっていうのはそこからくるんだと思う
現代文は入試対策の授業じゃないんだよ、今の高校の授業はほとんどが入試のための授業だろ?
まぁそのため教科担任によって教科そのものへの評価が大きく分かれてしまうわけだがな


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  • 頑張れ受験生
  • 2007/10/22(月) 01:56:57
物語の構成は基本起承転結。で、題名、人物の出来事や場面の変化とセットでついてる行動や言動の原因とその結果生じた心情(気持ち)、情景と、このあたりを文中から集めたら作者の構成意図&主題が掴めるようになってます。

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  • 2007/10/22(月) 02:05:33
文系でも国公立はいいのだが私立の文系は、猿並の低知能がいくところ。

そもそも2科目や3科目、鼻糞暗記していけるような私立は

大学の名に値しない家畜養成所。

私立の文系行くくらいなら死んだ方がマシ。



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  • 2007/10/22(月) 02:38:55
教師は文系のサル知能がなる職業。
理系は教師なんつー変態のエロい
職業にはつかない罠。
教育学部の数学系や理科系は
理系とは呼べないヨw

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  • 2007/10/22(月) 08:45:19
>>74
俺ウンコ、まで読んだ。

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それで 現代文なんて科目は今も生き残っているのか?

わかんない奴はわかんないんだよ、算数も理科も何もかも。

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  • 2007/10/28(日) 01:54:21
そう言ってしまえば学校いらねえじゃんw

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  • あふぉりずむ
  • 2007/10/28(日) 19:16:03
学校だろうが 家だろうが 会社だろうが 軍隊だろうが 国会だろうが
わかんない奴はわかんないんだよ!w

77もいらねえじゃんw

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  • 2007/10/29(月) 01:11:35
日本人なのに日本語もロクに理解できない猿どもが氾濫しとる今だから、現代文も必要じゃねえの?
まあ、俺も人の事言えんけど。

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  • 2007/10/30(火) 20:29:04
猿たちには日本語で話しかけてはいるが、語調に反応するだけらしい。
そんな猿たちには「現代文」という教科は不必要であることは当然だ。
かわいい猿もいるのだが、撫でたりすると病気が心配だから触れない。
バナナを食わせて喜ばせている香具師がいるがバナナだけならいいの
だが、心配だ。

それで、きみのところの現代文は何やってるの?


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  • 2007/11/06(火) 22:32:10
宮崎産の高級マンゴー食ってるよ

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  • 2008/01/07(月) 01:20:40
他教科は授業で習ったことが入試にも使えるが、今の現代文という授業は如何せん無意味なことをやってるように見受けられる。
確かに入試の為に授業があるわけではないが、入試に活用できない授業というのも困る。
高校では小論文の書き方や生徒が受け身にならないような読書を進めるべきだと思う。
大学に入ってから論文の書き方を学ぶのは少々遅いかと。


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  • 2008/02/28(木) 19:47:13
国語の授業なんぞ辞めて、その時間に
論理的な文章の書き方をきっちり教えて
テーマ決めて作文させたほうが、よっぽど将来の役に立つだろう。

入試の問題の形態も疑問。
国語なんぞ学問じゃないなく、日常言語を扱う以上、定義が曖昧なのに、答えが一通りに定まるとは思えないし、
また、一つの答えを求めさせるなんて何の意味があるのか分からん。


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  • 2008/03/10(月) 01:05:03
現在学校で教えられている国語教育の難しさっていうのは、
伝統的日本語(古文って意味じゃなく)と近代以降の日本語とが混在してるところにあると思う。
「論理的な文章」っていうのはそもそも日本にはなかったものだけど、
入試問題の答えがひとつに定まるのは「論理的に書かれた文」を「論理的に考える」から。
そうじゃないって言う人もいるけど、入試問題の多くはその答えひとつに限定されるものだよ。
違う答えを導いたとしたら、考える過程で論理的な誤りがあったというのが殆ど。
だから、>>83の言うことはとても重要な矛盾を含んでいると思う。
「論理」を重視した国語教育をすれば解釈がひとつに定まり明快な論文も書けるかもしれないけど、
論理を内包しない文章に対してそんなことして意味があるのかって。

論理的に考え表現できる力ってのは必要だし、きちんと教えられるべきだと思うけど、
一方で将来に目に見える利益は産めなくても、感覚的に名文に触れるっていうのも絶対必要だと思うんだ。

ということで、個人的には教科を分ける事を提案したいな。
論理性はむしろ英語教師あたりに教えてもらうのが筋な気もするし。

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  • 2008/04/27(日) 05:40:32
学校の現代文の授業ほど意味の無いものはない

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  • 2008/05/01(木) 02:39:58
言語科と文学鑑賞科に分割してはどうか

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  • 2008/06/12(木) 19:45:40
生徒に読ませて特定の価値観を押し付けるだけじゃん

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  • 2008/07/07(月) 14:46:58
現代文の授業は意味ない
俺も高一まではそう思ってたな…
高二の教師は神懸かってたから有意義な授業を受けれたけど

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  • 2008/07/09(水) 00:15:01
現代文って寝てたってテスト何とかなるもんな。ノート書き写しなど
無意味。疲れるだけ

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  • 2008/11/04(火) 15:00:25
現代文は教科書の作品の解説のみ
国語の教師は、頭がちょっとという人が多かった

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  • 2008/11/05(水) 10:31:28
ビデオ君の国語力じゃあね。

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  • 2009/01/26(月) 23:52:52
ビデオって誰だよ

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  • 2009/02/20(金) 08:54:13
現国は教える先生にもよるよ
例えば「こころ」の授業ひとつでもきっちりやってくれる先生はとことんやってくれるんだけど、
友人のクラス担当のもう一人の先生は「退屈だけど頑張って読めよー」とか言ったらしい…

知識を得ようと思わないで(得た方がいいんだろうけど)、頭を使う事を目的にやれば有意義になるんじゃないかって思うんだけどなー…

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  • 2009/05/04(月) 17:27:47
現代文は重要だ

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  • 2009/05/19(火) 02:06:08
>>86
そのとおりだと思うけど、言語運用自体が時代の文芸表現で刻々と変わっていく。
つまり、冗談ではなく、今の女子高生らのワケのわからんメール文法(小文字活用とか顔文字とか)
が、将来そのうち一般的言語運用に入ってくるということだ。

ほんとーに、このスレタイは意義深い!w



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  • 2009/09/02(水) 03:18:23
現代文は難しすぎて教員もよく分からないことがあるよな。
受験で言えば東大の現代文の解答は各予備校でてんでバラバラ。赤本に至っては明らかな誤答。
間違いだらけの教え方も流布してるし、一体これからの現代文教育は……

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  • 2009/09/02(水) 03:31:36
そもそも国語科で文学を教える必要があるのか
文学は芸術というくくりに含めることができるから、国語科で教えるべきでないと思う

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  • 2009/09/02(水) 04:16:38
小説の授業はお通夜状態

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  • 2009/09/02(水) 05:19:08
>>97
私も同意見だ。
美術の鑑賞をさせてその感想に正解をつくって当てさせているのに近い感覚。

現代文が古文と対応した科目であるならば、現在の文法や活用、読解方法、現代文学史に重点を置くべきだと思う。

答が憶測、推測の域をでないからである。
入試などに使うならば、私見や絶対性に欠けるものは好ましくない。やはり文法等にすべきかと思う。

ただ、日本文学を美術として鑑賞する科目は必要だと思う。
最近は説明能力だけを求めた文章や英語的な表現方法が持て囃される傾向にあるが、元来の日本語は察する文化から発達している美しい言語である。
そういった美術的側面の文学鑑賞能力育成を図る教科も必要だろう。


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  • 2009/10/10(土) 10:21:24
>>99
小中高で、芸術教育は必要ないってのが、今の風潮じゃないの?

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  • 101
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  • 2009/10/15(木) 19:24:36
現代国語の授業はためになった
短歌をやってはいけない―――結核になる
私小説をやってはいけない――自殺しちゃう  など

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  • 2009/10/17(土) 11:23:04
>>97 >>99

スレタイからは想像してなかった深い内容に感動したんでカキコ
といっても俺はまだ社会に出てない若造なんですけど

やっぱり現代文の授業は入試問題と文学とで分けたほうがいい気がするなぁ

浪人して予備校行ったときの現代文の授業はすげータメになったけど
それは大学入試問題を解くのにタメになったってだけで
高校んときのただ教師が好きなことくっちゃべってる授業もそれなりに楽しかったし背景知識とかはタメになった
特に『こころ』の授業は読まず嫌いしてた夏目漱石も読めることがわかって
近代文学作品を読むことへの抵抗が多少減ったよ
まぁ、どっちも教師によるとは思うけど

というか、日本語って面白くて奥深い言語なんじゃないかって俺は思ってる(他言語をあまり知らないだけかもしれないが)
オノマトペとか小学校でやったけど、留学生がイミフイミフって言うほど奥深いみたいだし
理系なのに新聞のコラムとかによくある日本語研究系の文をつい読んでしまうのは俺だけではない・・・はず?

まぁ要は、日本語の美しさや面白さを教える現代文と
論理を使って論説文を読解したり、逆に他人に説明したりする訓練をする現代文とを完全に分けて教えれば
今のなんだかよくわからないフワフワした授業よりためになるんじゃないかって

正直、センターとか二次の小説なんてテクニックでしか解けない。当たり前だけど自分の感情は殺して読まないといけない
俺はそれが芸術に対して解釈を強要されてるみたいに感じ、現代文の小説の授業が大嫌いだった
でもそれは、すべてが現代文で一括りにされていたからであって、
受験小説の読み方と芸術鑑賞的な小説の読み方(そんなもん人それぞれだろうが)をちゃんと別物扱いして、
「お前がそう思っても、入試問題解くときは書いてないこと想像しちゃだめなの!だから対応箇所とかを絞ってみて、置き換え可能な選択肢をry」
みたいに、きちんと『問題を解くためのテクニック』として授業すれば真面目に受ける奴も増えるはず。受験に直結するわけだし・・・

ってずーっと思ってました。浪人してる間に考えてたことをこのスレで再考できてよかったです。スレ主と多数のマジレスに感謝

長レスですみませんm(_ _)m

ここまで見た
  • 103
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  • 2009/10/17(土) 15:25:10
現場の先生方に聞きたいんだけど、

高校あるいは義務教育における国語って
やっぱり鑑賞に重きを置くべき、あるいは置きたいと思って授業をしているんですか?
自分の昔読んだ志賀直哉の感動を伝えたい(←俺はこいつ嫌いw)とか。
国語教師になりたいと思った理由で皆さんよくおっしゃいますよね。

また、入試問題の個別具体的解法(=答えの導き方)を学校授業で行うのは
邪道だとお考えですか?

ご意見をお聞かせ願えれば幸いです。一部外者より

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  • 104
  •  
  • 2009/10/17(土) 22:24:56
>>102
大学入ってからも「教科としての」現文について考えてるなんてすごいね。理系かな?
君のような人が本当は現文教師になるべきなんだが、まずは学業がんばれよ。

俺の↑にレスつくまで(つくのか?w)俺の見解でも述べておくよ。
>自分の感情は殺して読まないといけない
君の考えはある意味は当たっているかもしれない。でも俺は思うんだが、
君や諸氏の言うところの「文学鑑賞」って、やっぱり自分の好き勝手で読んで
自己流解釈を加えてはいけないんじゃないかな。
鑑賞のベースになるのは何をおいてもまず「正しく読む」これに尽きると思う。
誰が読んでもここまでは異論がない。そこまでは誰でも踏まえるべき。
どこまでがこの文章の正しい読みなのか?はあるが、悪文じゃなければある程度は定まると思う。
で…その上で揺らぐ部分が「鑑賞」の領域になると思うんだ(抽象的ですまそ)。
ある程度読みの不正確さが許容されるのは小学までじゃないかな。
この読みはありえないぞ!なんて言ってたら、子供は文章嫌いになっちゃうからね。
中学以降は徐々に正しさを加えていって、高校では前述の読みが出来るのがベストだね。

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  • 105
  •  
  • 2009/10/17(土) 22:27:06
そう考えると、教科として完全に分けてしまうのはどうかと思う。
鑑賞担当の先生が文章の読みを離れて「君の解釈は独創的だ!」ってのはあっちゃいけない。
かといって読解担当の先生が「感情を押し殺せ!」ってのもないと思うしな。
入試などに自分の文章を使われるのを嫌っている某著作権団体の作家先生方は
「正しい読みなど存在しない、あるのは個々の読者の新しい解釈だ、それによってこそ
私の作品が生きるのだ!」と思ってるかも知らんけどな。
文章ってのはまず他人に読まれる以上、ある程度の共通認識=文章のルールの範疇に
成り立っているってのを自覚して欲しい。「芸術家」としてはそこを逸脱したいんだろうがな。

俺何が言いたいんだっけ?w
だから、区別しちゃいけないってのが今の俺の見解。分けるという視点は面白いけどね。
立脚すべき立ち位置を先生方が意識してない、子供達に自分が何を伝えて
何を出来るようになって欲しいのかを明確に現場が持っていないってのが
今の日本の国語教育の問題点だと思うんだが…どうかな?
もちろん鑑賞はあっていいよ。ただそれを唯一無二の目標にしてしまっては
誰も母国語=日本語を自在に操れる事など出来なくなってしまう。
だって、解釈は全くもって読み手の自由、ってことになってしまうからね。
君はこれをYesと書いたが、俺はNoと受け取った、それは俺の独自の解釈だとか言われてみ?
コミュニケーション自体が成り立たんよね。

長々失礼。先生方、諸先輩方の意見をぜひ聞きたいな。2ちゃんだけどwww

ここまで見た
  • 106
  •  
  • 2009/10/18(日) 21:05:03
おれは文学作品を読む必要はないと考えてる。
むしろ、新聞の三面記事とか、どっかの会社の日報とか、借金の申し込みとか、
どっかのマニフェストとか、署名のお願いとか、ラブレターとか、
そういうモノから、事実をキッチリと読み取る、キッチリと表現するというよ
うな、「こと」に対して過不足なき表現ってのを学ぶべきだと思う。



ここまで見た
  • 107
  •  
  • 2009/10/19(月) 20:37:25
DQNが書いた文章を読んでそういうモノから、事実をキッチリ読み取る、キッチリと表現するというよ
うな、「こと」に対して過不足なき表現ってのを学ぶべきだと思う。



ここまで見た
  • 108
  •  
  • 2009/11/13(金) 17:27:45
age

ここまで見た
  • 109
  •  
  • 2009/11/14(土) 02:54:13
解答に納得いかないという現象が起こるのは確かに現代文だけだ
このあたりの解決策があればいいけど

ここまで見た
  • 110
  •  
  • 2010/02/27(土) 11:50:19
保守

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  • 111
  •  
  • 2010/11/20(土) 13:23:48
入試における小説

景色の描写と心情がリンクする、とかただの受験の中の決まりごとじゃないか、と思う。
全く意味が無くないか?
学校教育におけるどんな教科にも意味があると思ってるし、
現代文の授業にしても、例えば、高校で羅生門、山月記、舞姫、こころ
といった名作の解説を聞くことは非常にためになるとは思うんだけど、
入試に小説の問題出すのってどうなのか。

音楽や美術の作品を見聞きさせて、普遍的な解釈を述べよ、とか無理だよね。

あえて入試に出すなら、羅生門や舞姫の解釈を普遍的なもの(文科省あたりで解釈を決めてしまう)として教えて
それを知識問題で出す(要は学校の定期テストを全国レベルで行う)、という方が
まともだと思うんだよね。

人それぞれ解釈するから意味無い
→いや、それは感想であって、解釈は一義的に決まる
という意見があるのは知ってるけど、
でも(感想以前の)解釈もやっぱり人それぞれなんじゃないのかねえ、小説、物語の場合。

ここまで見た
  • 112
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  • 2010/11/20(土) 13:27:59
あと、>>9が国語教師はみんな100点取れる、って言ってるけど、
是非とも全国的に統計取って欲しいと思う。

面白い結果になると思うよ(もちろん、国語教師は100点取れないと思う。)

国語の授業は別に今のままでいいと思ってるけどね。


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  • 113
  •  
  • 2010/11/20(土) 13:29:58
あまりスレ読まずに書き込んでしまったけど
>>102さんには全面的に同意しますね。

ここまで見た
  • 114
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  • 2010/11/20(土) 13:40:14
>>104
>誰が読んでもここまでは異論がない。そこまでは誰でも踏まえるべき。
>どこまでがこの文章の正しい読みなのか?はあるが、悪文じゃなければある程度は定まると思う。

これもよく聞く話だよね。
ああ、そうか、って最初は思ったけど…。
じゃあ具体的な入試問題と照らし合わせたときに、ほんとにそういう問題になってんのかな?
一番槍玉に挙げられるのはセンター試験だと思うんだけど、
特に2000年以降の問題なんて、選択肢の微妙な言い回しで点数差がついてるんじゃないですかねえ。

>>102だけでなく>>97>>99にも同意します。

連続レスで消費してしまってすみませんm(_ _)m。

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  • 115
  •  
  • 2010/11/27(土) 00:03:55
小説(センターを中心に考えると)は、
あくまで客観的事実しか問われない。
それに文句言う奴は、自分ができないだけ。

まあそれでもセンター小説には悪い点があって
9割方はちゃんとした問題なのに
まれに悪問が出る。
すなわち「出題文中に根拠が無い問題」で
「選択肢の傷の大きさ」で正解が決まる問題が出る。
選択肢の傷の大きさに客観的基準はないし、
そんなもんはプロの予備校講師とかしか分からない。
そんな問題は不適切だし、高校生に解かせるべき問題でもない。
そういう問題を数年に1回くらい出してしまうのがセンター。
1年に1回しか作らなくて済む問題で、なぜそんなものを出題してしまうのか。

例→2001年小説の問題(「水辺」)。
娘が母親の気持ちを「直感的」にくみ取って、配管工をなじるという選択肢。
根拠はどこにもない。

そういう問題さえ排除すれば、小説を入試に取り入れることに問題は無い。

ここまで見た
  • 116
  •  
  • 2010/11/29(月) 20:05:28
論理的現代文の「論の展開の仕方」を明快に説明したり、
小説のテーマや登場人物の性格をさまざまな角度から解釈したりと、
面白い授業は出来るはずだが、教員にその力量がないような気がする。

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  • 117
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  • 2010/12/03(金) 00:00:18
>>116
>論理的現代文の「論の展開の仕方」を明快に説明したり、

国語学専攻の先生なら余裕

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国語を勉強する本当の目的は「本を読んで楽しむことです」という意見をなにかの冊子で目にしたことがある。

ここまで見た
  • 119
  •  
  • 2011/01/22(土) 17:03:55
俺偏差値60ちょっとくらいだけど国語系だけは得意で偏差値75はあった
でも授業はずっと寝てたし本もあまり読まなかった
保育所くらいの時に絵本を読んでたくらい
そんな俺でも高得点だったんだから
現文の授業なんて必要ないんじゃないかと思う


ここまで見た
  • 120
  •  
  • 2011/03/05(土) 15:41:04.12
現代文

フリック回転寿司
フリックラーニング
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