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  • 2009/11/29(日) 14:50:13
いわゆるチョい悪オヤジのほうが「好い人」だとされるのは、
まじめ一筋の人とは違う面をも歩んできたから。
それが、
≒力を抜いて多少の蛇行ぐらい って気持ちの方が まっすぐ進める事
ちょっとした間違いもまぁ良いやという余裕も持っていることも。

対して、余りにまじめな人だと、何かの言葉を受け入れるにも、
そのまじめさ=言葉に忠実でありたいために、時にその文言に
書かれていないことを除くこともあり得ること。(これも副作用)
与えられた文言しか対処しないのと変わらないこともあり得る。
また、まじめさはどこの誰でもみんなしてきた間違いでも気にかかる。
でもチョい悪オヤジのような人はそこらへんに対してストライクゾーンが広い。
文言に忠実すぎる人と文言を上手く役立てる人とはそこが違う。
物事は何も文言通りにいかないことが多いけど、そこが両者の間に違いが出る。

その人の直感というのも、それだけ体で覚えてきた数だけ
精度の高さ、選択度の広さとして身についていくものらしいので、
まじめ一辺倒の人のほうが優れているとはいえないのだとか。
あと、こういう面も
たとえチョい悪オヤジの人でも数が集うと、
それだけお互いに欠けた認識の部分を自然と誰となく補えることにつながる。
でもまじめ一辺倒な人が集うと、時により忠実性を重んじて文言とか
良いと定義された言葉(の額面)にこだわり、言葉にない部分は
欠けたまま進むということも出来てしまう。(皆同じ目線しかないことから)

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