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  • 77
  •  
  • 2024/06/05(水) 20:36:49
>>76
ありがとう。

元々は稲荷山を迂回して稲荷駅から山科南部を通って大津へ向かってた旧東海道線だけど、長いトンネルが掘れるようになって大正10年東山・新逢坂山トンネルが開通して今のルートになって、京都―稲荷―(新線)―桃山間が奈良線に編入されて、廃線跡が今の近鉄京都線(京都駅―丹波橋付近)と名神高速道路(藤森付近―京津線大谷駅付近)になったんだよね。
旧奈良線の伏見駅―桃山駅は昭和3年までは貨物支線として残ってたけど。

知ってる人もいるだろうけど、京阪は昭和初期に宇治線の六地蔵から北へ分岐して旧東海道線廃線跡を活用して山科東部を通り、当時は子会社だった新京阪(今の阪急京都線)の西向日あたりからも分岐して山科の大宅付近で合流、
大津を経て名古屋へ向かう計画があったけど、世界恐慌で頓挫してしまった。
六地蔵―醍醐―大宅付近まで(京阪六地蔵線計画)は線路用地まで取得してたけど、計画が頓挫したのでその用地は新奈良街道に転用された。

京阪バスの大宅車庫は西向日からの線路と六地蔵からの線路が合流する「駅」の用地だったのを転用されたものだそうだ。

ここまで見た

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