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  • 2024/06/04(火) 23:48:16
>>64
京都市が六地蔵の地名を残さなかった理由は分からないけど、一つは明治天皇陵が桃山丘陵に造られたのも関係あるかもしれんね。

古くは木幡山と呼ばれた桃山丘陵だけど、JR奈良線の前身の奈良鉄道が敷設する時に、当初予定がなかったこの地に駅を設けるにあたり、ここに別荘があった西本願寺の法主が多大な寄付をするから駅名は「桃山」にしてほしいと、「堀内駅」を主張する地元を押し切って桃山駅が明治28年に開業したとのことなので、以後「桃山」という名称が定着しつつあったのに加えて天皇陵が出来たので、京都市編入の時堀内村の六地蔵民もあまりこだわらなかったのかもしれないね。

ちなみに京阪伏見桃山駅は明治43年に「伏見駅」として開業、大正に入って天皇陵が造られた後に伏見桃山駅に改称されてる。
(京阪宇治線は大正2年開業で六地蔵駅も同日開業。桃山南口駅は昭和24年までは「御陵前駅」)

昭和3年、近鉄京都線の前身の奈良電気鉄道が開業時に今の近鉄丹波橋駅を「堀内駅」としたけど、京阪と直通運転するため奈良電の列車は全て京阪の丹波橋駅に乗り入れる形に統合されて堀内駅は一旦貨物側線になった。昭和6年に堀内村伏見市醍醐村山科町などが京都市に編入、伏見区が新設された。

ゴメン、丹波橋や伏見桃山はスレ違いだね…

ここまで見た

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