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  • 2024/07/13(土) 23:12:23
30年か40年以上前だったかに、中国残留日本人孤児の帰国事業で受け皿となったのが公営団地だったと思う。
その当事者本人だけではなく、家族がいる場合は、一家丸ごと来日したから。
気の毒なのは、本人でさえ日本語は忘れて話せたかどうかなのに、その家族は全く日本語がわからず、
向こうでは普通に働いて暮らせていたのに、来日後何ヶ月間か教わったところで、働くレベルの会話力が身につかず、
来日したばっかりに、底辺に落伍する例もあって、そういう家族の2世や3世だと、地域に溶け込めないという悲劇が。

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