水戸の歴史 Part 7 [machi](★0)
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- 2010/06/07(月) 21:56:43
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今日は踏み切りは越えずに茨城日産日野ヂーゼルから大通りを渡って反対側を歩いてみましょう。
日野ヂーゼルの建物は昭和50年代中頃に一時ゲームセンターになっていたような気がしますが果たして
確かな記憶かどうか。大通りを渡るには歩道橋があったように思いますが手元住宅図にはそれらしい記載はありません。
通りを反対側に渡り終えると「東屋旅館」があります。現在の三の丸ホテルの所です。本当に小さい頃の散歩の記憶では
確かに旅館があったことを憶えています。住宅図によると東屋旅館は食堂や魚屋さんも併設していたようです。
続いて2軒ほどの会社と駐車場。その先が「リッカーミシン」。続いて1軒挟んで「茨城交通車庫・観光課」。
私の記憶が残っている昭和40年代後半には既にこのあたりは既に三高下〜一高下〜下市方面のバイパスが通っているのですが
昭和42年にはまだだったようです。茨城交通の土地を中心に付近の土地を買収してバイパスを通したのでしょう。
その先が「石岡屋タバコ店」「ラッキーボール千滝園」。ラッキーボールって何なのでしょう。
前スレでどなたかがこの場所が後に「三の丸インベーダーハウス」になったと教えてくださいましたが、確かに私の記憶でも
昭和50年代中頃ここにゲームセンターがあったことを憶えています。
続いて「十銭屋支店」「ひらのや食堂」(現在でも建物はある)「正鮨」「福島相互銀行」。銀行の建物は色々転用されて現在でも
残っていると思います。十銭屋支店も10年位前まではまだ営業されていた筈です。
そしてまたしても「茨城交通車庫」が現れます。さらに「国民金融公庫」「香取屋旅館」旅館は今でも営業されていますね。
「荒木釣具店」から細い道を越えて塗料屋さんがあり「そば新月」「照山酒店」。反対側の照山さんとは別の店です。子供の頃ここのお店の方にもとてもよくしていただきました。
最後に「小林歯科」で水郡線の踏み切り。左側の坂を上ると一高方面となります。
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