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  • 2014/09/20(土) 20:43:51
>>244
おお、一気に来ましたね。沙羅英慕を愛してくださってありがとうございます。
1.沙羅英慕だと思います。私が覚えている限り、80年代当時は沙羅英慕は一種のブランドだったので、
沙羅英慕の名前を外すことはなかったと思います。
2.沙羅英慕から貴族の森に転換できた店はないと思います。沙羅英慕の全盛期が90年代初頭、
一般的な店舗の寿命が5年と言われていますので、もと沙羅英慕だった敷地に建った可能性はあります。
3,沙羅英慕はフランチャイズとは言いながらも、同じオーナー以外の店とは横の繋がりはまったくありません。
伊勢崎の本社が経営している店は数えるほどしかなく、その他に数店持っている方がいて、その方は伊勢崎の本社と
袂を別っていたはずです。おそらく太田や足利のお店で廃墟になったり後腐れがよくないのはその方経営かもしれません。
4.5,沙羅英慕高駒線・高崎店についてはわかりません。
6.2000年頃までは何回か行ったことがあります。コンビニ→美容室→中古車屋、と、ゴロゴロ変わっているところだと思います。私も数年ぶりに行った時、どこにあるかわからなくなっていました。
7.珈琲哲学は伊勢崎本社の社長さんが沙羅英慕の次にフランチャイズ化を目指したものだったはずです。
8.もう一つの風景店は、本社直営だったと思うので伊勢崎ではないかと。
9.「沙羅英慕・○○○○」とサブ店名がついたお店は90年代に入ってからなので、そのころはあんなふうなお店が乱立していましたのでわかりません。
10.沙羅英慕・華蔵寺公園店は華蔵寺公園の北だったと思います。
11.上尾の店のことはわかりません。すみません。
12.ろんどべるのことはよく覚えています。あの店ができたのは90年代初頭で、まだ景気がよかった時代だったのに立地が悪く売り上げに繋がらなかったようです。その頃は沙羅英慕の名前を小さくし、遊都琲婀として営業していたので、沙羅英慕だという認識はありませんでした。
13.珈琲院についてはわかりません。すみません。

伊勢崎の本社をやっていた方は、後に珈琲哲学を興し、トンカツ屋のチェーン店展開をしようとして失敗し、
貴族の森で巻き返したと聞いています。
うちは沙羅英慕の名前を冠しながら、初期のメニューと盛りつけだけは本社の監修を受け、その後は独自でやっていました。
珈琲の豆も本社の焙煎ではなく、大和屋(高崎)から特別に焙煎したものを仕入れていました。

ここまで見た

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