facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


  • 111
  •  
  • 2009/11/25(水) 19:23:08
>>107
 さすがに詳しいですね。昔のあの界隈の光景が目に浮かぶようです。
 私が日の丸食堂に入ったのは8年前が最後でした。その時は既におばさん一人で
やってました。昭和55年に当時としても破格の180円で僕らがゴムそばと呼んでいた
ソース焼きそばはその時350円になっていましたがまだまだ安かった。
ただ、同じく一個25円だった今川焼の方はもうやめていました。
 日の丸の今川焼きの思い出と言えば・・・
高校時代、部活が終わって帰りの電車を待つ間、よくここで空腹を紛らわすのに今川焼
を食べたものでした。外の寒風を避けて3つしかない店内のテーブル一つを占領して
今川焼きを友達と頬張っていましたが、ある日、いつものように店のテーブルで今川焼が
焼けるのを待ちながら店の平凡パンチを見ていると、普段は愛想のいいおばさんが今川焼
を我々の前に置くと、そそくさと店の奥に消えていき、そして間髪いれず店のオヤジが
出てきて「そのテーブルは今川焼き用じゃないんだ!他に頼まないんだったら出てって
くれ!」と顔を真っ赤にしてプルプルしながらはき捨てるように言うと、同じように
店の奥に逃げるように引っ込んでしまいました。
「そんならそうと最初から言えばいいのにバッカじゃねぇの?いっつも俺たち以外に
客なんかいたことねーじゃねーか」みたいな捨て台詞を残してすぐさま店を出たのを
憶えてます。でも、あの頃の水戸のお店ってどこもこんな感じだったような気がします。

ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード