栃木県芳賀郡の唐桶溜・唐桶宗山公園について語ろう [machi](★0)
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- 36
- 2017/02/21(火) 21:33:46
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>>35
情報ありがとうございます。
おっしゃる通りで、地元の学校出身の方なら、唐桶溜にあった少年自然の家を
利用した可能性が高く、キャンプ自習として屋外炊事炉を利用した際に
???のいづれかの記憶が残っている可能性が最も高い方々です。
ただ、僕自身がフェイスブックにあまり詳しくないので、どうやってその方々に
直接連絡をとるのかちょっとイメージしきれていません。
35さんからいただいた情報を調べながらも、現在このスレッドを中心として
ネットで情報を収集していこうと考えています。
このスレッドに清原中を卒業された方が気がついてくれれば良いのですが・・・
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- 37
- 2017/02/22(水) 08:34:53
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探偵ナイトスクープにいらいしてみたら?
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- 38
- 2017/02/22(水) 11:08:37
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探偵ナイトスクープじゃなくて探偵で事足りる
その前にこいつが現地に行けば済む話
いくら情報や探偵の報告があっても、じゃあ私の言うテントガー
じゃあ私の言う窪地ガーでラチがあかないのだから
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- 39
- 2017/02/22(水) 11:16:11
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探偵ナイトスクープは企画としておもしろければ無料
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- 40
- 2017/02/22(水) 14:37:33
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なんだかいつまでたっても、これだ!とならないのだから、自分で一度行ってみるしかないんじゃないの。
でも例え行ったとしても恐らく確信がもてないだろうから、あなたがここに間違いないと思い込んで、みんなに伝えればいいんでないの?
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- 41
- 2017/02/22(水) 16:15:16
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>>40
アドバイスありがとうございます。
今の方法で最終的に有力な情報がなければ、直接行くかもしくは
推測レベルの現在のままを伝えるかを判断しなければいけないでしょう。
ただ、黄色いテント小屋はあったような気がするといった情報は少しですがあるので、
もう少しがんばってみようと思います。
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- 42
- 2017/02/22(水) 18:40:07
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郷土資料館とか、歴史博物館的なとこには行かれましたか?
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- 43
- 2017/02/22(水) 20:36:37
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>>42
資料館等には直接いってはおりませんが、その資料館を管理している役所の方に、
くわしい事情を話して調べていただいたので、おそらく私の質問を資料館で調べても
、役所の方の調査結果とあまりかわらないと思われます。
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- 44
- 2017/02/23(木) 08:39:14
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以前唐桶溜にあった少年自然の家を利用したことのある方おりませんでしょうか?
少年自然の家ではキャンプ自習として屋外炊事場に煮炊きをしたそうです。
その屋外炊事場を利用する際受付した場所が、私が推定する?なのです。
また屋外炊事場の背後には?の黄色いテント小屋があったとしたら見えたはずです。
そして屋外炊事場から西側には?の窪地があって、そこの谷間にはチョロチョロと
水の流れがあったと思います。
どなたか記憶にあるかたはおりませんか?
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- 45
- 2017/02/23(木) 08:51:18
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おります
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- 46
- 2017/02/23(木) 23:24:06
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地元出身者です。
唐桶溜には屋外炊事場が有りましたが、
キャンプ場ではありません。
受付した場所と推測されている
みささ館は90年台後半以降の建築であり、
それ以前は空き地となっていました 。
少年自然の家の建物の記憶が無いとの事ですが、
80年台当時でも溜め池側からも背後の坂道からも
露出していて気付かない訳が無かったように思います。
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- 47
- 2017/02/24(金) 07:36:07
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>>34
>お知り合いの方は覚えているということでしょうか?
知り合い、難破と呼ばれていた人物だけど、難破とは卒業以来あっていません。
私は地元に残りましたが、難破は地元(仙台近郊)に帰らず、都内就職を選択しましたから。
学生時代の会話として、唐桶溜にバイトに行ったことが出ました。難破は、ボーイスカウト系各種資格を持っていた関係で、青少年相手のバイトに比較的頻繁にいっていました。
難破の在学期間は、1984-1988の4年間です。
私の家が、123号線沿線にあるため、宇都宮-自宅間の通学は123を使用、気分で他の道を使っていました。
しかし、唐桶溜近辺につきましては、道が狭い(道幅5m道路で転落事故を頻繁に起こしている)ので車での走行を避けていました。
当時、飲み屋に行く前に集まっていた時に、唐桶溜のバイトについて話題になりまして
この時の内容を私が覚えているだけです。
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- 48
- 2017/02/24(金) 08:28:16
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>>46 返信大変感謝いたします。
>キャンプ場ではありません
これは私の書き方が雑でした すみません。
1981年当時、少年自然の家が宿泊する所であり、そこの宿泊者が
キャンプ自習ではなく自炊自習のような形で屋外炊事炉を使っていたということです。
キャンプ実習というと、テントを張って自炊するイメージとなってしまいますね。
大変失礼いたしました。
>みささ館は90年台後半以降の建築であり、それ以前は空き地となっていました 。
これは?の屋外炊事炉の受付小屋と推定される建物があった場所の事ですね。
私の書き方がまぎらわしかったと思いますが、1981年にはみさき館は
建っていなくてそこは木々が生い茂った林の斜面になっていたと思います。
(これは1984年撮影の航空写真で確認いたしました)
私が記憶している?の小屋はその斜面の林に、屋外炊事炉へと下っていく山道があって
その斜面の山道の途中(現在のみさき館の上辺り)に?の小屋があったと記憶しているという事です。
>80年台当時でも溜め池側からも背後の坂道からも露出していて気付かない訳が無かったように思います。
これは2年前に私が唐桶溜を調べ始めた時に自分で疑問に思いました。
そしてその後芳賀町役場に電話で問い合わせた時に、担当者にその事を聞いてみました。
そうしたらその方の見解では、「1981年当時、屋外炊事炉側から少年自然の家を見ても、
少年自然の家の建物が記憶に残ってないのは不思議ではありません。
なぜなら当時は、自然の家の周囲は建物を取り囲むようにかなりの密度で高い木を植えていました。
これらの木々が邪魔をして屋外炊事炉からは建物は見えにくかったでしょう。
それらの木々は、平成に入り公園として整備する際に見通しを良くするために大半を伐採してしまいました。」
という事でした。 私自身も1984年撮影の航空写真で確認したところ、建物の周囲を取り囲むように
かなりの密度で木々が植林されているのを確認して、納得いたしました。
ところで46さんは地元出身という事ですが、屋外炊事炉を昔使用した事はありませんでしたか?
その時に???のいずれかがあった記憶はないでしょうか?
もし少しでも覚えている事がありましたら教えてください。
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- 49
- 2017/02/24(金) 08:32:48
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>>47
そういう事でしたか。
わざわざお返事ありがとうございます。
難波さんという方とはお会いしていないという事ですが、
もしその方とお会いする事があったり、また昔唐桶溜に言った事がある方と
会われるような際には、もし出来れば私の質問をお聞きしていただけたら幸いです。
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- 51
- 2017/02/24(金) 20:39:39
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>>50 返信ありがとうございます
>参考までにお聞きしますけど何県ですか? お住まいは?
私自身は東京出身ですが、現在は仕事の関係で福岡の博多にいます。
>前日と翌日に泊まった所は覚えてるの?
前日は日光ユースホステルに泊まり、翌日は茨城県阿字ヶ浦の民宿に泊まりました。
>?には小屋があったような気がするけど…。
貴重な情報ありがとうございます!
お聞きしたいのは、小屋のあった場所です。
参考までに下記にて?の小屋の推定される場所の説明図をアップしました。
背景となっている地図は現在のものですのでお気をつけください。
赤線のコースで山道がありました。
山道の途中で矢印の場所に?の山小屋風の小屋がありました。
その小屋の脇に屋外炊事炉で使用する木の枝が大量に山積みされていました。
この説明図を参考にして、記憶に残っている?の小屋がどのへんにあったか
教えていただけますか?
http://fast-uploader.com/file/7043491186792/
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- 52
- 2017/02/24(金) 20:48:17
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>>50
たびたびすみません
上記でアップした説明図での赤線の山道と、?の小屋の位置関係が
少し間違っていました。
修正してこちらにアップしましたのでこちらを参考にしてください。
http://fast-uploader.com/file/7043492305888/
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- 53
- 2017/02/24(金) 23:32:48
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46です。
私自身も屋外炊事場を利用した事が有りますが、
少年自然の家に宿泊する小中学生か、
子供会の行事での炊事で利用する程度でした。
言い換えれば少年自然の家での宿泊以外は想定しておらず、
宿泊用テントの設備は存在しなかったと言う事です。
当然ですが、受付は町役場が窓口ですので
現地に係員が配置される筈が有りません。
(飯盒やバーベキュー用鉄板等の保管用倉庫は有りましたが、
人が常駐する様な建物ではありません)
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- 54
- 2017/02/24(金) 23:57:48
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説明図を再度確認致しました。
屋外炊事場の位置ですが、
少年自然の家の側(赤字で 現在 と書かれた位置のすぐ上辺り)
に有りました。
放火を防ぐ意味合いが有ったのでしょう。
屋外炊事場で使用する木の枝は事前に用意されているのではなく
自分達で拾い集める方式でした。
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- 55
- 2017/02/25(土) 08:14:37
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>>46 ご丁寧に返信していただき大変感謝いたします。
>言い換えれば少年自然の家での宿泊以外は想定しておらず、宿泊用テントの設備は存在しなかったと言う事です。
おっしゃる通りでして、私が以前芳賀町役場に電話し時に、担当者の方がそうおっしゃっていました。
ただその担当者の方が、「1981年ごろはは現在に比べてのんびりした時代で、サイクリングに来た中学生を
特別に(断ったら他に泊まる場所がないので)本来は宿泊用ではないテント小屋に泊めさせてあげるということは
あったかもしれない」という見解でした。
>受付は町役場が窓口ですので現地に係員が配置される筈が有りません
役場の方の見解では「1981年頃の少年自然の家の宿泊に関しての受付は現地(唐桶溜)ではしていなかったが、
屋外炊事炉を使用するにあたっての受付や器具の貸し出しをする場所は唐桶溜にありました。(少年自然の家本館ではない)
割と最近まではかつてはがの杜(52でアップした地図の老人ホームはがの杜の場所)で使っていた建物を
屋外炊事炉の受付につかっていました。
ただし1981年では、はがの杜の建物は老人ホームとして使われていたので、
その時どの場所に炊事炉の受付があったのかは調査しましたがわかりませんでした。
ただしその当時、少年自然の家本館とは別棟で炊事炉の受付小屋があったことは間違いありません」との事でした。
>屋外炊事場の位置ですが、少年自然の家の側(赤字で 現在 と書かれた位置のすぐ上辺り)に有りました。
前述の芳賀町役場の担当の話では、現在の屋外炊事炉(52でアップした地図の炊事炉の場所)と
同じ位置に1981年も屋外炊事炉があったそうです。 木の枝の事も聞きましたが、
山積みされた場所があったかは不明だけど、1981年ごろは緩い時代だったので、あったとしても不思議ではないとの事でした。
以上ですが、決して46さんに反論しているのではなくて、以前私自身が役場に問い合わせた時の事を
参考までに申し上げました。 また、他に気が付いた点がございましたら教えてください。
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- 56
- 2017/02/26(日) 07:24:09
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55です
ツイ ッター でも唐桶溜の情報を集めております
地図や写真などはそちらの方が見やすいと思います
ツィ ッター にて 「唐桶溜 宗崎」と入力して検索してみてください
よろしくお願いいたします
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- 57
- がんばろう日本人
- 2017/02/26(日) 08:55:12
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1982か1983年 子供会の保護者として、今のみささ館のところで活動しました。
薪が積んであった記憶が…。
昨日、別な人に聞いてみたら、確かにあったと。
黄色いテントは記憶にないと。
北側からかろけに入ったとすると、確かに少年自然の家は気が付かないかも。
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- 58
- 2017/02/26(日) 10:30:14
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民宿やYHは大半が私が予約したのですが、その池の黄色いテント小屋は友人のA氏が手配していました。
当時、サイクリング旅行の際、私が予約した宿へ向かう際には、私が事前に全員に宿の所在地を知らせ、
さらに道中、いったん皆で止まって地図を見て確認しながら進んでいった為、皆比較的経路や宿の場所の記憶が残っていました。
ふ〜ん
(予想)唐桶溜の次に泊まった民宿やYHは、お前さんが予約してるっぽいよな〜
(予想)唐桶溜までの経路は覚えてなくてもさ〜
(予想)唐桶溜から次の民宿やYHまでの経路はお前さんが道案内したんだろ〜?
(予想)唐桶溜以外の経路を、お前さんの記憶で逆に辿ればわかるんじゃね〜の?w
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- 59
- がんばろう日本人
- 2017/02/26(日) 11:21:34
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特養老人ホームはがの杜ができたのは2012年。
1984年ごろの航空写真で確認すると、今のはがの杜に少年自然の家があったようだ。
今のみささ館のある東は 今更地になっているが、当時は老人施設芳寿荘の建物があった。
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- 60
- 2017/02/26(日) 11:28:02
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>>57 非常に有力な情報に出会えてものすごく感激しています。大変感謝いたします。
1982か1983年頃ということは、みさき館の建物自体はまだ無かった頃の情報ですね。
私にとって大変貴重な情報ですので。もう少し質問させていただいてよろしいですか? お時間が許せばお答えくださいませ。
質問1 >>52でアップした地図はご覧になってい頂けたと思いますが、
地図内の 赤線の山道 ?の小屋 薪が積んであった場所 屋外炊事炉 ?の窪地 いずれかの箇所で
57さんが1982〜1983年に唐桶溜を訪れた際の記憶の中で位置をおぼえているものがございましたら
どれとどれが>>52にアップした地図の位置と合っているのか具体的に教えていただけますか?
質問2 薪が積んであった場所と積んであった状況が、私の記憶とあっているかについてもう少し確認させてください。
下記の私の記憶と57さんの記憶と合っている部分があったらくわしく教えてください。
私の記憶では、>>52でアップした地図の赤線の山道は、人が3人通れるぐらいの幅の山道で、
現在のみさき館がたっている斜面の中腹あたりを通る道筋でした。
その斜面には背の高い木々が生い茂っていました。だから見通しが悪かったです。
薪は?の山小屋風の小屋のすぐ近くの山道の両端に綺麗に積まれていました。
?の小屋の中にいた20代の男性が「君達、この薪を使って自炊していいからね」といって
薪を手渡してくれたので覚えていたのです。
そして薪が積んでいる場所から屋外炊事炉までは急な坂を下りていく形になっていました。
坂をおりた場所に?の黄色いテント小屋がありました。
その黄色いテント小屋を通りすぎて、池のほとりの現在とほぼ同じ場所に屋外炊事炉がありました。
以上の私の記憶と57さんの記憶で合っている箇所がありましたら具体的に教えてください。
補足 ?の黄色いテント小屋に関してですが、以前芳賀町役場に電話をして問い合わせた際に、
事前に先方にメールで送っっておいた当時撮影した?の小屋を見て担当者の方が、
「小屋の形状から推測すると、道具などを臨時に格納する小屋のようで、テント小屋の土台も
常設する為の土台になっていないので、数ヶ月程度でこの?の小屋が撤去されてしまった可能性
もありますね」
とおっしゃっていました。 もしそうだとすると地元周辺の方で、その頃唐桶溜を訪れた方でも
?の黄色いテント小屋を目にしていない可能性は高いとおっしゃっていました。
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- 61
- 2017/02/26(日) 11:41:25
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>>58
返信ありがとうございます。
>(予想)唐桶溜から次の民宿やYHまでの経路はお前さんが道案内したんだろ〜?
(予想)唐桶溜以外の経路を、お前さんの記憶で逆に辿ればわかるんじゃね〜の?w
おっしゃる通りですが、私自身が当時チェックしていたのは宇都宮市から益子へ抜ける
国道123号線です。 問題の溜池への道筋に関しては、宇都宮市から鬼怒川を渡った所で
A氏にバトンタッチしました。 そして溜池での1泊の翌日、溜池から123号に戻った時点で
翌日の宿泊地茨城県の阿字ヶ浦の民宿を目指して私が道案内しました。
勿論その経路ははっきり記憶しています。しかしA氏にバトンタッチした123号から溜池の道筋が
私の記憶ではほとんど覚えていないのです。
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- 62
- がんばろう日本人
- 2017/02/26(日) 11:49:05
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57 59とレスした者です。
52の地図は大体合っています。赤線の歩道は今もあります。
?の窪地については ストリートビューをご覧ください。
碑のある北側です。今は水は流れていませんが、
奥にある囲いのある建造物ではモーター音がしています。
別な人の話では、以前はもっとモサモサ草が生えていたそうです。
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- 63
- がんばろう日本人
- 2017/02/26(日) 11:56:57
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62です。
その友達はよく少年自然の家を見つけられましたね。
その経緯に興味があります。
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- 65
- 2017/02/26(日) 12:55:36
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>>62
64を書き込んでいたら63の投稿をされていたようで、ちぐはぐなタイミングになってしまい
すみませんでした。
地図と大体合っているということですが、薪の置いてあった位置と
?の小屋に対してのご記憶があるのかどうかをおきかせいただけませんか?
特に?の小屋の記憶があるようでしたら具体的にお聞きしたいのですが・・・
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- 66
- がんばろう日本人
- 2017/02/26(日) 14:06:40
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1982年撮影真ん中より少し下の右端寄り 白く小さく映る小屋らしき屋根の影
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=192837&isDetail=true
木造の受付台の窓があるような?
どこかよそのものと勘違いしてるかも
小屋の西側に薪?
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- 67
- 2017/02/26(日) 14:22:58
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>>63
>>62の方ですよね 貴重な情報ありがとうございます。 65の方も出来ればお願いいたします。
62に関してですが、まずA氏に以前どのくらい記憶があるのか聞いたところ???の記憶はあるが、
溜池の名前や自分がどういう予約を取ったのかといった事は覚えていないとの事でした。
1981年に宇都宮市から123号で鬼怒川を越えた所で私はA氏にバトンタッチしました。
その後123号のどの辺りでどの方向に曲がったのかを覚えていれば良かったのですが、残念ながら記憶にありません。
しかしA氏が溜池までの道中、いろいろ人に道を聞いたりして苦戦していたのを覚えています。
そうなると、63さんはA氏が悪戦苦闘しているなら、私も含めてみんなで協力して地図をみて探したろうから
その記憶を覚えていないのはおかしいと思われると思います。
しかし、溜池へ泊まるその日の前泊は日光YHだったので、走行距離的にすごく余裕があり時間もたっぷりあったので
A氏が道案内にもたもたしていても全く他の私達に焦りや緊迫感はありませんでした。
私が溜池への道のりで唯一覚えている記憶は、道中に砂利道があったことです。 割とその溜池に近い場所だったと思います。
その砂利道は車が通れるくらいの幅があって平坦な道でしたが、パンクするのを恐れた私達は
自転車を押して歩きました。その砂利道の周囲には民家と林が点在する道で、
砂利道の進行方向右側に大きな森があり、その森の手前でA氏が地図を見ながら
「おかしいなぁ この森の奥に池があるはずなんだけどなぁ」って森の先に手を指しながらつぶやいていたのは
記憶しています。(この記憶はA氏に聞いた所記憶にないとの事でした)
次に私の記憶は次のシーンとなります。
溜池の赤線の山道の登りを自転車を押して歩いていき、?の小屋の所でA氏が小屋の中に
入っていき、なにやら中の人(20代の男性と50〜60代の女性)と話していました。
しばらくして中から20代の男性が出てきて、山道の両脇に積んでいた薪を手にして
「君達、この薪を使っていいからね」と薪を渡してくれました。
そして下り坂を降りていって黄色いテント小屋の前に自転車を止めて、すぐ近くの炊事炉で
もらった薪に火をつけて飯ごうで食事を作りました。
食事が済んだ後周囲を見渡すと?の窪地を見つけ、近づいていくと草ぼうぼうの斜面でした。
その窪地の谷間に水が流れているのを見つけ、どこから流れているのか興味をもったので草の生えた
窪地の斜面を登っていくと、その水はどこか一箇所から湧き出しているのではなくて、
斜面全体の水分が谷間に集まって流れているような感じでした。 以上が私の記憶です。
63さん どうか65に対して覚えている事がありましたらどうか詳しく教えてください。
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- 68
- 2017/02/26(日) 14:31:22
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少しでも違ってたら死ぬの?
仲間内で詳細に覚えてるやついないんだろ
ここっぽいよね
懐かしいね
キャハハウフフでいいだろ
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- 69
- がんばろう日本人
- 2017/02/26(日) 15:26:36
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多分123号線から、鐺山十字路を4キロほど北上して、
旧道場宿交差点を右に折れ、旧県道64号線を2キロほど走ってまた右折し、
1キロほど走ってかろけに着いたんでは?
>砂利道の進行方向右側に大きな森があり ということであれば
最後の1キロの道です。今は舗装です。
https://www.youtube.com/watch?v=e0Vy_xyQxb0
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- 70
- がんばろう日本人
- 2017/02/26(日) 15:41:48
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ユーチューブでは、沼の東を走っていますが、西側にも行けます。
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- 71
- 2017/02/26(日) 16:32:41
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>>69
わざわざ情報ありがとうございます。
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- 72
- 2017/02/26(日) 20:33:15
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>>66
わざわざ写真のアップありがとうございます。
ただ、アップした写真は航空写真のようで、説明コメントと違うような気がするのですが・・・
もしかして別の写真があるのでしょうか? 詳しく教えてください。
?の山小屋風の小屋と、山積みされていた薪と、?の窪地に関する情報をお待ちしています。
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- 73
- 2017/02/26(日) 20:49:29
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>>66
アップされた写真を注意してみた所、1982年の唐桶溜ですね
池に水が無いように見えるのですがこれは水抜きされているのでしょうか?
この写真をもう少し分析してみます。
ありがとうございました
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- 74
- がんばろう日本人
- 2017/02/27(月) 09:29:35
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>木造の受付台の窓があるような?
>どこかよそのものと勘違いしてるかも
>小屋の西側に薪?
上記は私の記憶。写真の説明ではありません。
唐桶(地元ではかろけという)は
いつだったか忘れましたが改良工事か浚渫工事が行われていたことがあります。
今の公園はすっきりとした感じですが、その頃は山の中のイメージでした。
写真の白く折れ曲がった屋根に見えるのは芳寿荘。
その左に見える白い小さい四角が 小屋でしょう。記憶の場所です。
その南、森の中にあるのが少年自然の家。
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- 75
- 2017/02/27(月) 14:26:32
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>>74
写真の情報大変感謝致します 本当に参考になりました!
確かにこの1982年の写真では、?(私が記憶している位置)の箇所に四角い建物が写っています。
この四角い建物は1984年撮影の航空写真にも写っていますね。
また、周囲の民家の大きさと比較すると小さい大きさのようで、大きさ的に小屋という表現がぴったりな大きさに見えます。
この四角い建物が私が記憶している?だとすると、この建物のすぐ横に薪が山積みされていたということになります。
?の窪地も木々か草で生い茂っている様子がよくわかりますね。
?の黄色いテント小屋があったとされる場所には何も写っていません。(もしかして1981年に早々と撤去されたのかもしれません)
この写真で新たに確認できたのは、少年自然の家は建物すべてが林に囲まれた場所に建っていて、
私達が?や?の位置にいても少年自然の家の建物が見えるはずがないということですね。
この写真を見て改めてもう少し確かめたい事があります。
まず、屋外炊事炉の位置です。私の記憶が正しければ、1982年の写真の白い四角い建物の直ぐ下の
池のほとりの遊歩道が大きく曲がる曲がり角の場所にあるはずなんです。
そのあたりを拡大してみるとボヤーと黒いものが見えなくはないけど、ハッキリとはうつっていません。
もう一つは、白い四角い小屋は1982年・1984年共に写っていることから、
当時屋外炊事炉を使用した人には目の前にその建物が目に入ったと思うんですね。
そこでこの当時に屋外炊事炉を使った経験のある方には次の事を聞いてみたいです。
屋外炊事炉が私が記憶している場所にあったのか?
航空写真に写っている白い四角い小屋が屋外炊事炉から見えなかったか?
その白い小屋は何の建物だったのか?
白い小屋の脇に薪が山積みされていなかったか?
もちろん?の黄色いテント小屋・?の窪地の谷間の水の流れについての情報もお聞きしたいです。
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- 76
- 2017/02/27(月) 15:12:16
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スレ主の疑問はいつまでたっても解決しないねえ
丁寧な文なんだけと、毎回イラっとするのは自分だけでしょうか?
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- 77
- 2017/02/27(月) 17:26:41
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>>76
これ以上は実際に行って見るしか無い、という至極簡単な答えを本人が頑なに受け入れないから。
その上で、無駄な情報ばかり集めようとしてるから、イラッとするのよな。
当時、123号沿いにそういう施設は唐桶溜以外に無かったと、いう事実だけ考えてもわかるはずなんだが。
極度の馬鹿だからさ…しゃあない。
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- 78
- 2017/02/27(月) 17:29:33
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百聞は一見に如かず、だな
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- 79
- 2017/02/27(月) 17:32:58
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黄色のテントガー
窪地ガー
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- 80
- 2017/02/27(月) 18:08:36
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Twitterのいいね一覧見たら怖くなった
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- 81
- 2017/02/28(火) 08:08:38
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>>77
>当時、123号沿いにそういう施設は唐桶溜以外に無かったと、いう事実だけ考えてもわかるはずなんだが。
はたしてどうかネェwww
このこのオッさんたちはチャリで動いてたんだろ
だったら井の頭県民公園だって123沿いっていえるよなぁ
伊許山キャンプ場にもチャリならいけるし少し歩けば池があるよなぁ
他にもあんじゃネ〜のwww
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- 82
- 2017/02/28(火) 08:41:27
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久々にひどい自演を見た!
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- 83
- 2017/02/28(火) 08:43:41
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>>81
豹変ワロタw
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- 84
- がんばろう日本人
- 2017/02/28(火) 10:55:46
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これまで何度か返信したものです。
今までのレスを見、地形など推測すると、ほぼ唐桶と思われます。
地形などはそう変わるものではありません。
16、17歳のころ、たまたま通った道が、
5歳のころ父の自転車の荷台に乗せられて通った道だということが一瞬でわかりました。
左に土手のようなもの、右に床屋さん。懐かしさ満杯。
一年生の時の本校から分校への徒歩遠足。
ずっと前に廃校になっていたのは知っていたけれど、それはどこだったのだろう?
それから50年近くなって、比較的近所に住む妹が教えてくれました。
大きな木立の形状はそのまま。謎が解けた感じです。
確かに 百聞は一見に如かず。
懐かしい旅になることをお祈りいたします。
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- 85
- 2017/02/28(火) 11:30:56
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>>81
uqwimax.jpさんは何で急にキャラ変えたの?
何で自分の事をこのオッサン呼ばわりしたの?
いくら情報あげても、黄色のテント!窪地!水の流れ()!
しまいには、他にもあんじゃネ〜のwww ってさ
だったら自分で行けばとしか
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