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  • 2017/02/26(日) 11:28:02
>>57 非常に有力な情報に出会えてものすごく感激しています。大変感謝いたします。
1982か1983年頃ということは、みさき館の建物自体はまだ無かった頃の情報ですね。
私にとって大変貴重な情報ですので。もう少し質問させていただいてよろしいですか? お時間が許せばお答えくださいませ。

質問1 >>52でアップした地図はご覧になってい頂けたと思いますが、
地図内の 赤線の山道 ?の小屋 薪が積んであった場所 屋外炊事炉 ?の窪地 いずれかの箇所で
57さんが1982〜1983年に唐桶溜を訪れた際の記憶の中で位置をおぼえているものがございましたら
どれとどれが>>52にアップした地図の位置と合っているのか具体的に教えていただけますか?

質問2 薪が積んであった場所と積んであった状況が、私の記憶とあっているかについてもう少し確認させてください。
下記の私の記憶と57さんの記憶と合っている部分があったらくわしく教えてください。
私の記憶では、>>52でアップした地図の赤線の山道は、人が3人通れるぐらいの幅の山道で、
現在のみさき館がたっている斜面の中腹あたりを通る道筋でした。
その斜面には背の高い木々が生い茂っていました。だから見通しが悪かったです。
薪は?の山小屋風の小屋のすぐ近くの山道の両端に綺麗に積まれていました。
?の小屋の中にいた20代の男性が「君達、この薪を使って自炊していいからね」といって
薪を手渡してくれたので覚えていたのです。
そして薪が積んでいる場所から屋外炊事炉までは急な坂を下りていく形になっていました。
坂をおりた場所に?の黄色いテント小屋がありました。
その黄色いテント小屋を通りすぎて、池のほとりの現在とほぼ同じ場所に屋外炊事炉がありました。
以上の私の記憶と57さんの記憶で合っている箇所がありましたら具体的に教えてください。

補足 ?の黄色いテント小屋に関してですが、以前芳賀町役場に電話をして問い合わせた際に、
事前に先方にメールで送っっておいた当時撮影した?の小屋を見て担当者の方が、
「小屋の形状から推測すると、道具などを臨時に格納する小屋のようで、テント小屋の土台も
常設する為の土台になっていないので、数ヶ月程度でこの?の小屋が撤去されてしまった可能性
もありますね」
とおっしゃっていました。 もしそうだとすると地元周辺の方で、その頃唐桶溜を訪れた方でも
?の黄色いテント小屋を目にしていない可能性は高いとおっしゃっていました。

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