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  • 2017/02/12(日) 07:16:00


そしてそれから二年たった現在、そのサイクリング仲間達で、走行した道を正確にたどりながら15泊した宿泊地を見て回ろうという
企画があがりました。(もちろん自転車ではなく車でですが)
そこで問題となったのがこの唐桶溜です。
他の宿泊地は確定しているのですが、この唐桶溜だけはどうしても確信がもてません。
せっかく皆でもう一度サイクリングコースを回るなら、唐桶溜で確定なのかどうかをはっきりさせて回りたい。
また、私がこの池に固執するもうひとつの理由が、その池での楽しい思い出です。
その池の周りにあった林は全くの手付かずの自然のような場所で、色々な虫がいました。
炊事炉で木の枝に着火させて飯ごうで炊いた白米に、カレーをかけて食べた味は今でも覚えています、
そのカレーを食べたあと、炊事炉の奥に?の窪地があるのを見つけました。
草が生い茂った斜面に何かひかれるものを感じ、斜面を上がっていくと、谷の中央に水の流れを発見したのです。
水の流れを発見した私たちは、土で堤防を作って水のせき止めようという遊びを始めました。(アップした水の流れの写真)
たわいもないことですが、あの楽しい思い出の池が唐桶溜なのかどうかどうしても確かめたい。
そういう気持ちもあり、今回私はこうして栃木周辺のスレに質問を出して、1981年ごろに唐桶溜に行ったことのある方を探してみよう
とかんがえました。
私の質問を見た方で、???すべて、もしくはどれかの記憶があるという証言が得られれば、唐桶溜であると断定できると考えました。
以上が今回私が質問をするにいたった経緯です。

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  • 2017/02/12(日) 07:20:58
5

私が質問している???の位置と説明図と、黄色いビニールテント小屋と水の流れの写真はこちらにアップしております。

http://fast-uploader.com/file/7042103802277/

アップした地図に記した???の位置は、以前問い合わせた役所の方の資料や、航空写真などをもとにして、それらがあたっとしたら
この場所に違いないと思われる位置を記したものです。
アップした写真に関してですが、黄色いビニールテント小屋の写真は小屋だけでなく背後の風景も見てください。
水の流れの写真に関しては、水の流れ部分よりも、その周囲の草に注目して下さい。
写真に写っている草が、窪地にびっしりと生い茂っていたのです。

そして、昔唐桶溜に行かれたことのある方、特に当時あった少年自然の家を利用されたことのある方は、ほぼ全員炊事炉を使っていたそうです。
(この話は役所の方に聞きました)
炊事炉を使った際に???の存在を覚えている可能性が高いです。
少しでもその記憶がおありでしたら、私がアップした地図で???の位置と、ご記憶の位置が同じかどうか確認してみてください。
清央小という小学校は、30年ほど前に4年生になると、唐桶溜の少年自然の家を利用していたという情報もございます。
またアップした写真の方も、ご記憶されているものに近いか確認してみてください。
そして、ご記憶と同じと思われる方(もちろん、ちょっと違うかもという方も含めて)は、このスレにてお知らせいただきたいのです。
そちらのお知らせを私が見た際に、いろいろさらに詳しくお尋するとおもいますが、何卒ご協力お願いいたします。

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  • 2017/02/12(日) 07:54:43
6

また、???の記憶とは別に、1980年代の唐桶溜の風景写真をお持ちの方で、私に見せても構わないという写真をお持ちの方が
おりましたら、そちらも是非お知らせお願いいたします。
それらの写真から???の存在に関する何かがつかめる可能性があります。
また、それらの風景写真と、わたしの記憶に残る風景とが一致した場合、
唐桶溜であると私が判断できる可能性があるので、是非ご協力お願いいたします。
私にお見せいただける写真があった場合、どうやって私に見せるかの手段についてですが、普通にアップロードしたほうが良いのか、それとも
私のフリーメールアドレスに送っていただくのかは、写真に関するお知らせがあったあと、いっしょに決めていきたいと思います。

最後に?の窪地の水の流れについてですが、現在の唐桶宗山公園には?の位置から南へ60mほど行った箇所に水路があります。
この水路は公園として整備された際に、人工的に造られた水路で、公園として整備される以前にはなかったものです。
(これは役所の方からお聞きしました)
したがって、現在あるその水路は、私が訪ねている?の水路ではないので、先に確認させていただきます。

非常に長い文で申し訳ないですが、何卒よろしくお願いいたします。

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  • 2017/02/12(日) 15:01:29
>>14
わざわざリンクまで貼っていただきありがとうございました。
このサイトからの航空写真は二年前に閲覧しました。
唐桶溜の航空写真は1984年と1974年の二枚ほどあったのですが。
両方とも解像度が荒すぎて、拡大しても???共に確認できませんでした。
たたし、現在の公園として整備された後の唐桶溜の航空写真と、
1984年の写真を見比べると、?の窪地の背後の林の木の本数が
1984年はかなり多かったのが確認できました。
そしてこれは、私の記憶に残っている?の窪地の斜面の上にあった林の木々の本数が
かなり多かったのと一致していました。
役所の方も、殻桶溜を公園として整備する際に、林の木を相当数伐採して間引いて
しまったので、現在の林は木々がスカスカとなってしまい、整備前の林のうっそうとした
雰囲気は全く感じないはずだという事をおっしゃっていました。
その状態をこの航空写真で確認する事はできました。

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  • 2017/02/12(日) 18:10:12
探偵ナイトスクープに依頼すれば?

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  • 2017/02/12(日) 19:00:43
自分達で現地行けばすむ話だからな

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  • 2017/02/13(月) 06:36:57
ないしょないしょ
https://youtu.be/iTzpn3ZEOCk


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  • 2017/02/13(月) 11:03:39
いいなー青春だね、今も変わらず仲が良いなんて財産ですね
影ながら応援しています

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  • 2017/02/13(月) 12:26:56
>>19
ありがとうございます。
あの池の手付かずな自然の雰囲気、本当にいい環境でした。
いろいろな思い出が今も懐かしいですね
あの池が唐桶溜であったか本当に知りたいです。

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  • がんばろう日本人
  • 2017/02/13(月) 12:42:29
参考までにお聞きしますけど何県ですか?

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  • がんばろう日本人
  • 2017/02/13(月) 14:22:38
見てください。
https://www.instagram.com/p/BQcJSk0ADzX/?taken-by=itigoinaka

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  • 2017/02/13(月) 15:09:41
かろけのため懐かしいですねー

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  • 2017/02/13(月) 15:49:09
>>22
航空写真のアップありがとうございます。
お聞きしたいのは、1981頃に

? この写真の上部にある「みさきかん」に、当時(1981年頃)山小屋風の小屋
があったでしょうか? その小屋は炊事炉の受付をしていました。
小屋の脇には炊事炉の燃料にするための木の枝が山積みにされていました。

? 「みさきかん」の下に現在駐車スペースがあるのですが、その場所に
黄色いビニールのテント小屋がありましたでしょうか?
内部の広さは8畳ほどで、人が泊まるというよりは、道具などを収納する為の
テントに見えたはずです。

? >>22さんがアップした写真の「唐桶宗山公園」の脇の木のマーク部分に
現在炊事炉があります。 
その炊事炉の西側に窪地があるのですが、そこが当時(1981年頃)
窪地上部斜面に草がびっしりと生い茂り、窪地の谷間にチョロチョロと水
が流れていたのをおぼえているでしょうか?
この?の場所は、22さんのアップ写真の「少年自然の家はここらあたり」の
大きな矢印の先端部分に現在「導水遺跡碑」があるのですが、その正面に
人工的に石で囲った水路跡があり、そこと間違いやすいです。
私が訪ねている?の窪地はそこではないので正確な位置をご確認ください。

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  • がんばろう日本人
  • 2017/02/13(月) 16:39:21
???とも詳しくはわかりません。悪しからず。
清原百景で検索し、そのスレの17を見てください。
当時の少年自然の家の写真のようです。
ここの場所なら、建物の記憶が残っているのでは?

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  • 2017/02/14(火) 09:19:13
>>25
大変貴重な情報をありがとうございます。
感謝いたします。

1981年に唐桶溜にあった少年自然の家の建家に関しては、
以前役所に問合わせた時に、担当者の方から、
私の中で記憶にあるのでは?という指摘を受けました。
しかし私たちが1981年にその池を訪れた時の
池での行動範囲は、?の黄色いテント小屋を中心に?の窪地から
?の小屋があった斜面の林の中でした。
その行動範囲では、少年自然の家の建物はよく見えなかったのか
記憶にないのです。
役所の方も「唐桶宗山公園として整備する時に?や?周辺の木々を相当伐採して
見通しをよくしたのだが、公園として整備する以前の唐桶溜であったら、
炊事炉や?の窪地からでは、少年自然の家の周囲の林に木々が生い茂っていて
見えなかったかもしれない」とおっしゃっていました。
また、私の記憶では、私たちが当時池へ到着した時、
堤防(堰)で釣りをする人達の脇を通り、池をグルッっと回り込んで
現在空家の芳寿荘の建物の裏の林の山道を登って?の場所を通り黄色いテント小屋へ行くという
経路をたどった記憶があります。(もちろん???の位置はあくまで私の推測する位置ですが)
このコースだと、少年自然の家の前の道を通っていないことになるので、
それも少年自然の家の建家の記憶がない原因だと考えました。

いずれにしても貴重な情報ありがとうございます。
この清原百景での少年自然の家の写真の中に
当時の屋外炊事炉の写真があれば、写真のアングルによっては
???のいずれかが写りこむ可能性が高いとおもわれるのですが・・
この清原百景での写真というのは投稿者自身が撮影された写真なのでしょうか?

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  • 2017/02/18(土) 22:09:52
自分ではないが親が唐桶溜のとこに黄色いハンガーがあったとか言ってたわ

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  • 2017/02/19(日) 07:50:48
>>29
情報ありがとうございます。
黄色いハンガーとは具体的にどういうものだったか、どの場所にあったか
確認していただけないでしょうか?
参考までにアップした写真もお見せしていただければと思います。
http://fast-uploader.com/file/7042103802277/

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  • 2017/02/19(日) 08:24:51
>>29
再度すみません
ご両親が、黄色いハンガー(収納庫?)を覚えているということですが、
おそらくご両親様は、唐桶溜に当時あった屋外炊事炉の事も覚えている筈です。
私が記憶している黄色いテント小屋は、その屋外炊事炉からすぐ近くの、
10メートルほど離れた場所にありました。
ですから黄色いハンガー(収納庫)を覚えているということは
すぐ近くにあった屋外炊事炉も覚えている可能性が高いです。
申し訳ございませんが、ご両親様にもう一度その事を確認していただけないでしょうか?
もし、ご両親様が屋外炊事炉のすぐ近くに黄色いハンガー(収納庫)があったという
ことでしたら、私の?黄色いテント小屋の記憶が正しいということになりますので
何卒もう一度ご両親様へ確認していただけますか?
もし炊事炉は覚えていないという事でしたら、その黄色いハンガー(収納庫)は
唐桶溜のどのへんにあって、どのような感じのハンガー(収納庫)だったのかも
教えていただけませんでしょうか?

屋外炊事炉と黄色いテント?の位置は下記に記しています。

http://fast-uploader.com/file/7042103802277/

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  • 2017/02/21(火) 06:24:03
82年春に車の免許を取るまで、体力的に行けなかった。123しか走っていない。
84年に遊び仲間の一人が、唐桶にバイトに行って、話を聞いたけど、たどり着けなかった。

話には聞いているが、現地に入っていない。
「遊び仲間の一人」とは連絡が取れなかった。

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  • 2017/02/21(火) 10:34:29
黄色のテントみたいの見た事ある気がするけど、そこには行った事ないんだよね。

前日と翌日に泊まった所は覚えてるの?

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  • 2017/02/21(火) 11:26:48
>>32
貴重な情報ありがとうございます。
>話には聞いているが、現地に入っていない
とは僕が質問している???が唐桶溜に当時あったことを
お知り合いの方は覚えているということでしょうか?

>>33
返信ありがとうございます。 
>黄色のテントみたいの見た事ある気がするけど、そこには行った事ないんだよね。
という情報、大変感謝致します。
>前日と翌日に泊まった所は覚えてるの?
唐桶溜と推測される池には一泊しました。
泊まったのは?の黄色いビニールテントの中です。
?の場所で受付して?の黄色いビニールテントに泊まりました。
テントの内部は8畳ぐらいの広さがあって、床は木の板張りでした。
芳賀町出身の役所の方にその事を話すと、このように推測していました。
「1981年当時、唐桶溜には少年自然の家があったが、唐桶溜で泊まるというと、
少年自然の家の建物しかなかった。 
しかし、少年自然の家は、学校などの団体でないと宿泊を受け付けていなかった。
だから、僕ら中学生が?の黄色いテント小屋に泊まれたのは、?にいた受付の人が、
団体として正式に予約しないで、唐桶溜まで来てしまった僕らを見て、かわいそうになって
本来は人が泊まる目的ではない?の黄色いテント小屋に泊めさせてくれたのだろう」
というのが役所の方の推測でした。

33は黄色いテントを見た気がするということですが、その場所というのは
僕がアップした地図の?のいちでしょうか?

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  • 2017/02/21(火) 13:44:02
フェイスブックに清原中1987卒業生ってグループ有ったからそのメンバーに直接DM送って聞けば?
かなり気持ち悪がられると思うけど

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  • 2017/02/21(火) 21:33:46
>>35
情報ありがとうございます。
おっしゃる通りで、地元の学校出身の方なら、唐桶溜にあった少年自然の家を
利用した可能性が高く、キャンプ自習として屋外炊事炉を利用した際に
???のいづれかの記憶が残っている可能性が最も高い方々です。

ただ、僕自身がフェイスブックにあまり詳しくないので、どうやってその方々に
直接連絡をとるのかちょっとイメージしきれていません。
35さんからいただいた情報を調べながらも、現在このスレッドを中心として
ネットで情報を収集していこうと考えています。
このスレッドに清原中を卒業された方が気がついてくれれば良いのですが・・・

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  • 2017/02/22(水) 08:34:53
探偵ナイトスクープにいらいしてみたら?

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  • 38
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  • 2017/02/22(水) 11:08:37
探偵ナイトスクープじゃなくて探偵で事足りる
その前にこいつが現地に行けば済む話
いくら情報や探偵の報告があっても、じゃあ私の言うテントガー
じゃあ私の言う窪地ガーでラチがあかないのだから

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  • 39
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  • 2017/02/22(水) 11:16:11
探偵ナイトスクープは企画としておもしろければ無料

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  • 40
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  • 2017/02/22(水) 14:37:33
なんだかいつまでたっても、これだ!とならないのだから、自分で一度行ってみるしかないんじゃないの。

でも例え行ったとしても恐らく確信がもてないだろうから、あなたがここに間違いないと思い込んで、みんなに伝えればいいんでないの?

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  • 41
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  • 2017/02/22(水) 16:15:16
>>40
アドバイスありがとうございます。
今の方法で最終的に有力な情報がなければ、直接行くかもしくは
推測レベルの現在のままを伝えるかを判断しなければいけないでしょう。
ただ、黄色いテント小屋はあったような気がするといった情報は少しですがあるので、
もう少しがんばってみようと思います。

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  • 2017/02/22(水) 18:40:07
郷土資料館とか、歴史博物館的なとこには行かれましたか?

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  • 2017/02/22(水) 20:36:37
>>42
資料館等には直接いってはおりませんが、その資料館を管理している役所の方に、
くわしい事情を話して調べていただいたので、おそらく私の質問を資料館で調べても
、役所の方の調査結果とあまりかわらないと思われます。

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  • 2017/02/23(木) 08:39:14
以前唐桶溜にあった少年自然の家を利用したことのある方おりませんでしょうか?
少年自然の家ではキャンプ自習として屋外炊事場に煮炊きをしたそうです。
その屋外炊事場を利用する際受付した場所が、私が推定する?なのです。
また屋外炊事場の背後には?の黄色いテント小屋があったとしたら見えたはずです。
そして屋外炊事場から西側には?の窪地があって、そこの谷間にはチョロチョロと
水の流れがあったと思います。
どなたか記憶にあるかたはおりませんか?

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  • 2017/02/23(木) 08:51:18
おります

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  • 2017/02/23(木) 23:24:06
地元出身者です。
唐桶溜には屋外炊事場が有りましたが、
キャンプ場ではありません。

受付した場所と推測されている
みささ館は90年台後半以降の建築であり、
それ以前は空き地となっていました 。

少年自然の家の建物の記憶が無いとの事ですが、
80年台当時でも溜め池側からも背後の坂道からも
露出していて気付かない訳が無かったように思います。

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  • 2017/02/24(金) 07:36:07
>>34 
>お知り合いの方は覚えているということでしょうか?

知り合い、難破と呼ばれていた人物だけど、難破とは卒業以来あっていません。
私は地元に残りましたが、難破は地元(仙台近郊)に帰らず、都内就職を選択しましたから。

学生時代の会話として、唐桶溜にバイトに行ったことが出ました。難破は、ボーイスカウト系各種資格を持っていた関係で、青少年相手のバイトに比較的頻繁にいっていました。
難破の在学期間は、1984-1988の4年間です。
私の家が、123号線沿線にあるため、宇都宮-自宅間の通学は123を使用、気分で他の道を使っていました。
しかし、唐桶溜近辺につきましては、道が狭い(道幅5m道路で転落事故を頻繁に起こしている)ので車での走行を避けていました。

当時、飲み屋に行く前に集まっていた時に、唐桶溜のバイトについて話題になりまして
この時の内容を私が覚えているだけです。

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  • 2017/02/24(金) 08:28:16
>>46 返信大変感謝いたします。

>キャンプ場ではありません
これは私の書き方が雑でした すみません。
1981年当時、少年自然の家が宿泊する所であり、そこの宿泊者が
キャンプ自習ではなく自炊自習のような形で屋外炊事炉を使っていたということです。
キャンプ実習というと、テントを張って自炊するイメージとなってしまいますね。
大変失礼いたしました。

>みささ館は90年台後半以降の建築であり、それ以前は空き地となっていました 。
これは?の屋外炊事炉の受付小屋と推定される建物があった場所の事ですね。
私の書き方がまぎらわしかったと思いますが、1981年にはみさき館は
建っていなくてそこは木々が生い茂った林の斜面になっていたと思います。
(これは1984年撮影の航空写真で確認いたしました)
私が記憶している?の小屋はその斜面の林に、屋外炊事炉へと下っていく山道があって
その斜面の山道の途中(現在のみさき館の上辺り)に?の小屋があったと記憶しているという事です。

>80年台当時でも溜め池側からも背後の坂道からも露出していて気付かない訳が無かったように思います。
これは2年前に私が唐桶溜を調べ始めた時に自分で疑問に思いました。
そしてその後芳賀町役場に電話で問い合わせた時に、担当者にその事を聞いてみました。
そうしたらその方の見解では、「1981年当時、屋外炊事炉側から少年自然の家を見ても、
少年自然の家の建物が記憶に残ってないのは不思議ではありません。
なぜなら当時は、自然の家の周囲は建物を取り囲むようにかなりの密度で高い木を植えていました。
これらの木々が邪魔をして屋外炊事炉からは建物は見えにくかったでしょう。
それらの木々は、平成に入り公園として整備する際に見通しを良くするために大半を伐採してしまいました。」
という事でした。 私自身も1984年撮影の航空写真で確認したところ、建物の周囲を取り囲むように
かなりの密度で木々が植林されているのを確認して、納得いたしました。
ところで46さんは地元出身という事ですが、屋外炊事炉を昔使用した事はありませんでしたか?
その時に???のいずれかがあった記憶はないでしょうか?
もし少しでも覚えている事がありましたら教えてください。

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  • 2017/02/24(金) 08:32:48
>>47
そういう事でしたか。
わざわざお返事ありがとうございます。
難波さんという方とはお会いしていないという事ですが、
もしその方とお会いする事があったり、また昔唐桶溜に言った事がある方と
会われるような際には、もし出来れば私の質問をお聞きしていただけたら幸いです。

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  • がんばろう日本人
  • 2017/02/24(金) 14:54:21
>>21 参考までにお聞きしますけど何県ですか? お住まいは?
>>33 前日と翌日に泊まった所は覚えてるの?

上記の質問のお答えは?

?には小屋があったような気がするけど…。

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  • 2017/02/24(金) 20:39:39
>>50  返信ありがとうございます
>参考までにお聞きしますけど何県ですか? お住まいは?
私自身は東京出身ですが、現在は仕事の関係で福岡の博多にいます。

>前日と翌日に泊まった所は覚えてるの?
前日は日光ユースホステルに泊まり、翌日は茨城県阿字ヶ浦の民宿に泊まりました。

>?には小屋があったような気がするけど…。
貴重な情報ありがとうございます!
お聞きしたいのは、小屋のあった場所です。
参考までに下記にて?の小屋の推定される場所の説明図をアップしました。
背景となっている地図は現在のものですのでお気をつけください。
赤線のコースで山道がありました。
山道の途中で矢印の場所に?の山小屋風の小屋がありました。
その小屋の脇に屋外炊事炉で使用する木の枝が大量に山積みされていました。
この説明図を参考にして、記憶に残っている?の小屋がどのへんにあったか
教えていただけますか?
http://fast-uploader.com/file/7043491186792/

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  • 2017/02/24(金) 20:48:17
>>50
たびたびすみません
上記でアップした説明図での赤線の山道と、?の小屋の位置関係が
少し間違っていました。
修正してこちらにアップしましたのでこちらを参考にしてください。
http://fast-uploader.com/file/7043492305888/

ここまで見た
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  • 2017/02/24(金) 23:32:48
46です。

私自身も屋外炊事場を利用した事が有りますが、
少年自然の家に宿泊する小中学生か、
子供会の行事での炊事で利用する程度でした。

言い換えれば少年自然の家での宿泊以外は想定しておらず、
宿泊用テントの設備は存在しなかったと言う事です。

当然ですが、受付は町役場が窓口ですので
現地に係員が配置される筈が有りません。

(飯盒やバーベキュー用鉄板等の保管用倉庫は有りましたが、
人が常駐する様な建物ではありません)

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  • 2017/02/24(金) 23:57:48
説明図を再度確認致しました。

屋外炊事場の位置ですが、
少年自然の家の側(赤字で 現在 と書かれた位置のすぐ上辺り)
に有りました。

放火を防ぐ意味合いが有ったのでしょう。
屋外炊事場で使用する木の枝は事前に用意されているのではなく
自分達で拾い集める方式でした。

ここまで見た
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  • 2017/02/25(土) 08:14:37
>>46 ご丁寧に返信していただき大変感謝いたします。

>言い換えれば少年自然の家での宿泊以外は想定しておらず、宿泊用テントの設備は存在しなかったと言う事です。
おっしゃる通りでして、私が以前芳賀町役場に電話し時に、担当者の方がそうおっしゃっていました。
ただその担当者の方が、「1981年ごろはは現在に比べてのんびりした時代で、サイクリングに来た中学生を
特別に(断ったら他に泊まる場所がないので)本来は宿泊用ではないテント小屋に泊めさせてあげるということは
あったかもしれない」という見解でした。

>受付は町役場が窓口ですので現地に係員が配置される筈が有りません
役場の方の見解では「1981年頃の少年自然の家の宿泊に関しての受付は現地(唐桶溜)ではしていなかったが、
屋外炊事炉を使用するにあたっての受付や器具の貸し出しをする場所は唐桶溜にありました。(少年自然の家本館ではない)
割と最近まではかつてはがの杜(52でアップした地図の老人ホームはがの杜の場所)で使っていた建物を
屋外炊事炉の受付につかっていました。
ただし1981年では、はがの杜の建物は老人ホームとして使われていたので、
その時どの場所に炊事炉の受付があったのかは調査しましたがわかりませんでした。
ただしその当時、少年自然の家本館とは別棟で炊事炉の受付小屋があったことは間違いありません」との事でした。

>屋外炊事場の位置ですが、少年自然の家の側(赤字で 現在 と書かれた位置のすぐ上辺り)に有りました。
前述の芳賀町役場の担当の話では、現在の屋外炊事炉(52でアップした地図の炊事炉の場所)と
同じ位置に1981年も屋外炊事炉があったそうです。 木の枝の事も聞きましたが、
山積みされた場所があったかは不明だけど、1981年ごろは緩い時代だったので、あったとしても不思議ではないとの事でした。

以上ですが、決して46さんに反論しているのではなくて、以前私自身が役場に問い合わせた時の事を
参考までに申し上げました。 また、他に気が付いた点がございましたら教えてください。

ここまで見た
  • 56
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  • 2017/02/26(日) 07:24:09
55です
ツイ ッター でも唐桶溜の情報を集めております
地図や写真などはそちらの方が見やすいと思います
ツィ ッター にて 「唐桶溜 宗崎」と入力して検索してみてください
よろしくお願いいたします

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  • がんばろう日本人
  • 2017/02/26(日) 08:55:12
1982か1983年 子供会の保護者として、今のみささ館のところで活動しました。
薪が積んであった記憶が…。
昨日、別な人に聞いてみたら、確かにあったと。
黄色いテントは記憶にないと。
北側からかろけに入ったとすると、確かに少年自然の家は気が付かないかも。

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  • 58
  •  
  • 2017/02/26(日) 10:30:14
民宿やYHは大半が私が予約したのですが、その池の黄色いテント小屋は友人のA氏が手配していました。

当時、サイクリング旅行の際、私が予約した宿へ向かう際には、私が事前に全員に宿の所在地を知らせ、

さらに道中、いったん皆で止まって地図を見て確認しながら進んでいった為、皆比較的経路や宿の場所の記憶が残っていました。


ふ〜ん
(予想)唐桶溜の次に泊まった民宿やYHは、お前さんが予約してるっぽいよな〜
(予想)唐桶溜までの経路は覚えてなくてもさ〜
(予想)唐桶溜から次の民宿やYHまでの経路はお前さんが道案内したんだろ〜?
(予想)唐桶溜以外の経路を、お前さんの記憶で逆に辿ればわかるんじゃね〜の?w

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  • 59
  • がんばろう日本人
  • 2017/02/26(日) 11:21:34
特養老人ホームはがの杜ができたのは2012年。
1984年ごろの航空写真で確認すると、今のはがの杜に少年自然の家があったようだ。
今のみささ館のある東は 今更地になっているが、当時は老人施設芳寿荘の建物があった。

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  • 60
  •  
  • 2017/02/26(日) 11:28:02
>>57 非常に有力な情報に出会えてものすごく感激しています。大変感謝いたします。
1982か1983年頃ということは、みさき館の建物自体はまだ無かった頃の情報ですね。
私にとって大変貴重な情報ですので。もう少し質問させていただいてよろしいですか? お時間が許せばお答えくださいませ。

質問1 >>52でアップした地図はご覧になってい頂けたと思いますが、
地図内の 赤線の山道 ?の小屋 薪が積んであった場所 屋外炊事炉 ?の窪地 いずれかの箇所で
57さんが1982〜1983年に唐桶溜を訪れた際の記憶の中で位置をおぼえているものがございましたら
どれとどれが>>52にアップした地図の位置と合っているのか具体的に教えていただけますか?

質問2 薪が積んであった場所と積んであった状況が、私の記憶とあっているかについてもう少し確認させてください。
下記の私の記憶と57さんの記憶と合っている部分があったらくわしく教えてください。
私の記憶では、>>52でアップした地図の赤線の山道は、人が3人通れるぐらいの幅の山道で、
現在のみさき館がたっている斜面の中腹あたりを通る道筋でした。
その斜面には背の高い木々が生い茂っていました。だから見通しが悪かったです。
薪は?の山小屋風の小屋のすぐ近くの山道の両端に綺麗に積まれていました。
?の小屋の中にいた20代の男性が「君達、この薪を使って自炊していいからね」といって
薪を手渡してくれたので覚えていたのです。
そして薪が積んでいる場所から屋外炊事炉までは急な坂を下りていく形になっていました。
坂をおりた場所に?の黄色いテント小屋がありました。
その黄色いテント小屋を通りすぎて、池のほとりの現在とほぼ同じ場所に屋外炊事炉がありました。
以上の私の記憶と57さんの記憶で合っている箇所がありましたら具体的に教えてください。

補足 ?の黄色いテント小屋に関してですが、以前芳賀町役場に電話をして問い合わせた際に、
事前に先方にメールで送っっておいた当時撮影した?の小屋を見て担当者の方が、
「小屋の形状から推測すると、道具などを臨時に格納する小屋のようで、テント小屋の土台も
常設する為の土台になっていないので、数ヶ月程度でこの?の小屋が撤去されてしまった可能性
もありますね」
とおっしゃっていました。 もしそうだとすると地元周辺の方で、その頃唐桶溜を訪れた方でも
?の黄色いテント小屋を目にしていない可能性は高いとおっしゃっていました。

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  • 61
  •  
  • 2017/02/26(日) 11:41:25
>>58
返信ありがとうございます。
>(予想)唐桶溜から次の民宿やYHまでの経路はお前さんが道案内したんだろ〜?
(予想)唐桶溜以外の経路を、お前さんの記憶で逆に辿ればわかるんじゃね〜の?w

おっしゃる通りですが、私自身が当時チェックしていたのは宇都宮市から益子へ抜ける
国道123号線です。 問題の溜池への道筋に関しては、宇都宮市から鬼怒川を渡った所で
A氏にバトンタッチしました。 そして溜池での1泊の翌日、溜池から123号に戻った時点で
翌日の宿泊地茨城県の阿字ヶ浦の民宿を目指して私が道案内しました。
勿論その経路ははっきり記憶しています。しかしA氏にバトンタッチした123号から溜池の道筋が
私の記憶ではほとんど覚えていないのです。

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  • 62
  • がんばろう日本人
  • 2017/02/26(日) 11:49:05
57 59とレスした者です。
52の地図は大体合っています。赤線の歩道は今もあります。
?の窪地については ストリートビューをご覧ください。
碑のある北側です。今は水は流れていませんが、
奥にある囲いのある建造物ではモーター音がしています。
別な人の話では、以前はもっとモサモサ草が生えていたそうです。

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