栃木県芳賀郡の唐桶溜・唐桶宗山公園について語ろう [machi](★0)
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- 2017/02/02(木) 07:57:55
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栃木県芳賀郡東水沼にある唐桶宗山公園について語りましょう。
ここは現在のような公園として整備される前は唐桶溜と呼ばれていました。
特に、整備される前の昭和の時代の唐桶溜の思い出を語りましょう。
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- 2017/02/02(木) 08:29:52
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昔ここに少年自然の家がありました
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- とじφ
- 2017/02/02(木) 08:48:59
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本スレのご案内です。
栃木県芳賀町ってどうよ?PART3
http://kanto.machi.to/bbs/read.cgi/kanto/1387608913/
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- 2017/02/03(金) 08:11:52
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ここを今の公園にするために整備したのは間違いだね
木々をだいぶ伐採してしまった。
昔はもっと木が多くてほんとうにうっそうとした森のようで
いい雰囲気だったのに・・・もったいない
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- 2017/02/05(日) 19:43:43
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1981年頃の唐桶溜(唐桶宗山公園)を利用した事のある方に
お聞きしたい事があります。
? 現在、グループホームみさきかんの建物がある場所に、1981年当時の炊事場を
利用する人を受付するための木造の小屋があったのを覚えていますか?
? グループホームみさきかんの現在の駐車場付近に、1981年当時の炊事場に関する
用具などを保管するための黄色いビニールテント小屋があったのを覚えていますか?
? 現在の炊事場で、池を背にして正面に斜面を上がっていく大きな窪地があると
思いますが、そこが1981年当時、窪地斜面の地面に草が生い茂っていて、窪地の中央に
池の方向に向かって水が流れていていたのを覚えていますか?
以上ですが、地元の方・1981年に唐桶溜を利用した事のある方で
覚えている方がおりましたら教えてください。
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- 2017/02/08(水) 19:49:32
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5の者です。
一応参考までに???の場所の地図と、当時唐桶溜で私が撮影した写真を
アップしておきましたので、そちらも参考にしてください。
http://fast-uploader.com/file/7042103802277/
またどなたかで、もしも1980年代ごろの唐桶溜の池のほとりの風景を撮影した
写真で、アップしても構わないお写真がありましたら、アップをお願いできますか。
よろしくお願いします。
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- 2017/02/11(土) 23:02:04
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私は栃木県内の複数のスレに質問を書き込む際に、私が質問したがっている理由を省略して、書き込んでいたのですが、
今回、私が尋ねている事を記憶している方が現れたとしても、どうして私がこのような変わった質問をしているのか
非常に疑問を感じると思いますので、長くなってしましますが、最初から順をおって説明したいと思います。
経緯
1981年の夏に当時中学1年生だった私は仲間複数人と、サイクリング旅行をしました。
大人は同行せず中学生だけで関東周辺を15泊しました。(当時は中学生でも宿を予約できたりとのんびりした時代でした)
それからおよそ35年ほどたった2年ほど前に、かつて一緒にサイクリング旅行をした仲間と再び集まろうという
企画が持ち上がりました。
幹事となった私は、皆懐かしがるだろうと、当時15泊泊まった宿が現在どうなっているかを調べました。
大半がユースホステルや民宿だったので、現在廃業となっていても建屋自体は残っている所がほとんどで
苦もなく探し出すことができました。
しかし、難航したのは栃木県の宇都宮市から鬼怒川を渡った東側エリアで泊まった箇所です。
そこは民宿やYHではなく、自然の池のほとりにある黄色いビニールテント小屋の中で泊まり、
食事は池のほとりにある炊事炉で飯ごうを使い自炊しました。
民宿やYHは大半が私が予約したのですが、その池の黄色いテント小屋は友人のA氏が手配していました。
そこでA氏にその池の場所を聞いた所、昔すぎて正確な場所をおぼえていないということでした。
当時、サイクリング旅行の際、私が予約した宿へ向かう際には、私が事前に全員に宿の所在地を知らせ、
さらに道中、いったん皆で止まって地図を見て確認しながら進んでいった為、皆比較的経路や宿の場所の記憶
が残っていました。
しかし、問題の池に関しては、事前に漠然とした場所を言われていただけで、
道中も、完全にA氏の自転車の後をただ追っていくような形だったため、35年たった後、A氏も私も他の者も
場所の位置に関する記憶がほとんど無いような状態になってしまいました。
その後、皆で記憶のすり合わせをした所、私が一番その池に関する記憶が多いという事がわかりました。
その池をさがす手掛かりは、私の記憶と、私が撮影した4枚ほどの現地写真だけということでした。
(写真は当時の中学生にとって高価で、撮影枚数が限られていたので、その池の場所を撮影したのは私だけでした)
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- 2017/02/12(日) 00:00:23
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車があれば自分で現地に行って確かめるのが一番だと思うけど行く時間がないのかな?公園になっていて老人ホームがあるくらいだから当時の面影はないかもしれない
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- 2017/02/12(日) 05:37:23
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私の記憶は次のとおりです。
その池は、宇都宮市から鬼怒川を渡った東側にあり、鬼怒川からそれほど自転車で遠くはない位置にあった。
*池のほとり近くに低い丘の斜面があり、その中腹あたりに木造の小屋があった。(以下?)
その木造小屋には受付と思われる20代の男性と60代の女性がおり、小屋の横には炊事炉の燃料に使うための木の枝が山積みされていた。
*木造小屋から斜面を降りると黄色いビニールテント小屋があった。(以下?)
広さは8畳ほどで、内部にはなにも無かった。(ような気がする)
*黄色いビニールテント小屋から池の方に向かうと、池のほとりに炊事炉があった。屋根はなくて炉は3〜4器ほどだったと思う。
その炊事炉から、池を背に向けて正面に窪地があった。
窪地は奥に向かうほど斜面が急となっていて、その急な斜面には地面が見えないほどの草が生い茂っていた。
急な斜面の谷間に生い茂った草の間からチョロチョロと水が出ていて、1つの水の流れとなって
池の方に向かって流れていた。(以下?)
水の流れの幅は20センチほどで、とても川といえる水量ではなかった。
その後、この記憶を元に、地図からまずは池の候補エリアを探したところ、宇都宮市から東方向の芳賀町を中心としたエリアが
怪しいと判断しました。(当時のサイクリングのコースが日光〜宇都宮〜水戸の方へ向かっていったので、その経路から考えて)
しかし、芳賀町を中心としたエリアには溜池がたくさんありました。
ネットなどで比較的大きな池を一つ一つの調べていったところ、「唐桶宗山公園」という場所には池のほとりに炊事炉がある事が
わかり有力な候補地となりました。(ただしネットの写真の炊事炉は屋根つきの立派なもので、私の記憶の質素なものと違っていた)
しかしネットの写真や航空写真からでは、???の痕跡はまったくわからず、この場所が正解なのか確信がつかめませんでした。
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- 2017/02/12(日) 06:23:52
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そこで、次に地元の役所に問い合わせてみることにしました。
役所に問い合わせた所、役所の担当者の方がちょうど地元出身で、その池は子供の頃から行ったことがあるということでした。
唐桶溜は公園として整備した際に、かなり手を加えたそうで、親切にも公園として整備される以前の役所に残る資料を基に、
ご自身の記憶や、同じ同僚の方に聞いて下さりながら調べていただきました。
そして役所としての結論は、私の記憶に残る池は唐桶溜である可能性が高いが、断定はできないということでした。
その理由として肯定的な部分を挙げると、
* 私の記憶に残る、池に対しての窪地の位置・炊事炉の位置が唐桶溜に非常に似ている。
* 1981年ごろの芳賀町周辺で、池のほとりに炊事炉があったのは唐桶溜しかなかった。
(真岡市の方に一箇所あったが、私達の当時のサイクリングの経路から大きくはずれている、池周辺の地形も違う)
* 私が役所に方に見せた当時撮影した写真(アップした黄色いテント小屋の写真)の小屋の背後の風景や高い木の様子が
唐桶溜ににている。
以上であるが、否定的な部分では
* 役所の担当者や同僚の方は、むかし唐桶溜へいたことがあるのだが、???共に記憶に無いということだった。
(?のあったとする丘の斜面、炊事炉の位置、?のあったとする窪地は私の記憶と同じ位置関係で存在していた)
* 宇都宮から鬼怒川を渡って東側に池があったという私の記憶が、長い年月で間違っている可能性も否定できない。
以上の事から最終的な結論は、唐桶溜である可能性は高いが断定はできないということでした。
そして、二年ほど前の私達は、唐桶溜の可能性が高いというぐらい認識で、かつてサイクリングした仲間と会って
楽しく思い出話に花を咲かせました。
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- 2017/02/12(日) 07:16:00
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そしてそれから二年たった現在、そのサイクリング仲間達で、走行した道を正確にたどりながら15泊した宿泊地を見て回ろうという
企画があがりました。(もちろん自転車ではなく車でですが)
そこで問題となったのがこの唐桶溜です。
他の宿泊地は確定しているのですが、この唐桶溜だけはどうしても確信がもてません。
せっかく皆でもう一度サイクリングコースを回るなら、唐桶溜で確定なのかどうかをはっきりさせて回りたい。
また、私がこの池に固執するもうひとつの理由が、その池での楽しい思い出です。
その池の周りにあった林は全くの手付かずの自然のような場所で、色々な虫がいました。
炊事炉で木の枝に着火させて飯ごうで炊いた白米に、カレーをかけて食べた味は今でも覚えています、
そのカレーを食べたあと、炊事炉の奥に?の窪地があるのを見つけました。
草が生い茂った斜面に何かひかれるものを感じ、斜面を上がっていくと、谷の中央に水の流れを発見したのです。
水の流れを発見した私たちは、土で堤防を作って水のせき止めようという遊びを始めました。(アップした水の流れの写真)
たわいもないことですが、あの楽しい思い出の池が唐桶溜なのかどうかどうしても確かめたい。
そういう気持ちもあり、今回私はこうして栃木周辺のスレに質問を出して、1981年ごろに唐桶溜に行ったことのある方を探してみよう
とかんがえました。
私の質問を見た方で、???すべて、もしくはどれかの記憶があるという証言が得られれば、唐桶溜であると断定できると考えました。
以上が今回私が質問をするにいたった経緯です。
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- 2017/02/12(日) 07:20:58
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私が質問している???の位置と説明図と、黄色いビニールテント小屋と水の流れの写真はこちらにアップしております。
http://fast-uploader.com/file/7042103802277/
アップした地図に記した???の位置は、以前問い合わせた役所の方の資料や、航空写真などをもとにして、それらがあたっとしたら
この場所に違いないと思われる位置を記したものです。
アップした写真に関してですが、黄色いビニールテント小屋の写真は小屋だけでなく背後の風景も見てください。
水の流れの写真に関しては、水の流れ部分よりも、その周囲の草に注目して下さい。
写真に写っている草が、窪地にびっしりと生い茂っていたのです。
そして、昔唐桶溜に行かれたことのある方、特に当時あった少年自然の家を利用されたことのある方は、ほぼ全員炊事炉を使っていたそうです。
(この話は役所の方に聞きました)
炊事炉を使った際に???の存在を覚えている可能性が高いです。
少しでもその記憶がおありでしたら、私がアップした地図で???の位置と、ご記憶の位置が同じかどうか確認してみてください。
清央小という小学校は、30年ほど前に4年生になると、唐桶溜の少年自然の家を利用していたという情報もございます。
またアップした写真の方も、ご記憶されているものに近いか確認してみてください。
そして、ご記憶と同じと思われる方(もちろん、ちょっと違うかもという方も含めて)は、このスレにてお知らせいただきたいのです。
そちらのお知らせを私が見た際に、いろいろさらに詳しくお尋するとおもいますが、何卒ご協力お願いいたします。
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