facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


  • 137
  •  
  • 2016/07/26(火) 14:03:08
>>136
昭和30年代初頭の頃には小手指小学校前の一面には田圃が広がっていた!
と云うことは所沢は西は北野界隈から東は柳瀬地区までが田園地帯だったと
云っても良いのではないか。
北野−山口−荒幡−久米−北秋津と安松は???−牛沼−本郷−柳瀬と
故に所沢市ではほぼ全域で稲作が行われていたと云っても良いのではないか。
なので所沢市は稲作をするのには向かない土地であったというのは少し疑問符が
つきそうだ。
そして稲作が所沢市でも出来たというのは市内を柳瀬川と東川が流れていたからでは
ないか。で、その水を利用して昔の農民の人達はお米を作っていたという事だったと推察
される。
只、稲作と麦やお茶を比べたら麦やお茶の方が良質な物が出来たので所沢市はお茶だ
となったのではないかって思うんだわ。
そんなのがあって三ケ島や北秋津そして安松地区では今もお茶の栽培をやっている農家が
沢山あるのだと思う。何せ所沢の狭山茶の旨さは全国的にも有名だから。
>>135から>>136まで少しだけインターバルがあったけど何かあったのかしらw
で、その挙句、脳神経がどうとかこうとか子供じみた事までこんな掲示板に書いて
恥かしくないのかしらね?w
けど、あまりの必死さに笑えたから少し楽しくて良かったんだけれど!!

ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード