facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


  • 386
  •  
  • 2019/08/25(日) 18:13:41
>>384
和算の額は例示で、それを仏壇に掛けてるという事ではないのですね?
そういえば、どこかの神社で和算の絵馬?を見たことがあります。

ここまで見た
  • 387
  •  
  • 2019/08/25(日) 20:54:04
>>385
実は決まった名前が無いらしく、各地でバラバラです。
そこで仮称としてスナモリ(一部地域ではそう呼んでいる)にしているみたいです。

円形は珍しいかも。私は1つしか見たことがありません。

実はお年寄りに教えられたのですが、正式には竹を井桁に組んで中に砂を詰めるのだが
作るのが面倒なので、最近はホームセンターなどに売っている箱と階段で済ませている、とのことでした。
つまり、昔と今では形そのものが変わってしまっている所も少なくないようです。

ここまで見た
  • 388
  •  
  • 2019/08/25(日) 20:59:19
>>384
知人が算額好きで、都内ですが各所に奉納しまくっていました。
江戸時代の幾何学好きと競うような所が面白いと言っていました。

関孝和とか、凄いですよねぇ。ソロバンで微積分なんて教えられてもできませんでしたw

ここまで見た
  • 389
  •  
  • 2019/08/28(水) 00:26:04
>>372,374
昨日の夕方散歩していたら、まだ出しているところがありました。
ほんの一区画だけ、数件のお宅がまだ片付けていませんでした。
おうちの方に許可をいただいて写真をとりましたが、どこかわかってしまうといやなので、片付けてから写真はアップします。

写真をとらせてくださいとお願いしたとき
「これがなんだか知ってるの? 最近はやるうちもずいぶんへったねー」とおっしゃっていました。
いつ片付けるのか聞いたところ、月をまたいでから片付けるそうです。
理由はご存じないそうです。

私は二件写真をとりましたが、そのふたつともお菓子の箱に砂ではなく土が入っていました。そこに蓮の花、麻がらがぐるりと立ててあり、

ここまで見た
  • 390
  • 389
  • 2019/08/28(水) 00:35:29
>>389
すみません、途中で送信してしまいました。
続きです。

私は二件写真をとりましたが、そのひとつはお菓子の紙箱に砂ではなく土が入っていました。
麻がらがぐるりと立ててあり、その一番奥に蓮の花、手前にわらで作った馬と牛がおかれていました。
もうひとつは、発泡スチロールの箱に砂があり、ぐるりと麻がらがたてられ、ほおずき、蓮の葉、わらで作った馬と牛がおかれていました。

ちなみに、お盆の直前に仏具屋さんにいったときにも砂盛はどうやってするのですか?と聞いたら、「最近は砂盛ではなく盆だなにお飾りをしてお祭りします」と店主はいわれました。
仏壇用のテーブルにござのようなものをしいたうえに、果物やお菓子、おりくぜん、蓮の花、蓮の葉などをお供えし、馬と牛は蓮の葉の上に飾られていました。
こちらも写真をとりたかったのですが、丁寧にお断りされました。

ここまで見た
  • 391
  •  
  • 2019/08/28(水) 13:10:20
砂盛りは地域が限定されてるようですね。
川崎市麻生区辺りでは見かけません。
何か砂盛りに関する文献等をお知りでしたら
教えて頂けると嬉しいです。

ここまで見た
  • 392
  •  
  • 2019/08/28(水) 13:43:50
>>391
砂盛の話題はこのスレの18くらいから定期的にでてくる話題で、過去にも興味深い文献のリンクもはられていましたよ。
ぜひご参照のほど。

ここまで見た
  • 393
  •  
  • 2019/08/28(水) 17:05:19
そうでしたか。過去レス読みます。

ここまで見た
  • 394
  •  
  • 2019/08/28(水) 21:04:43
>>389,390
月またぎで片付けるとはビックリです。
多いのは16日のようですが、それはお精霊さんが帰る日だから、という説明がなされています。
ゆっくり帰ってもらいたいから、17日というのは聞いたことがありますが、月またぎはどういう背景なのやら。

中にはスナモリの装飾(ナスキュウリの牛馬とか葉とか花とか)はどけるが、
土台のスナモリは1年中そのまんま、という家もあります。
でもそれは、砂が手に入りにくいし来年また作るのが面倒なので、と言われました。

色々な事例があるんですねぇ...

仏壇屋さんの説明は興味深いです。
資料で読んだ中では、スナモリを作る家は盆棚も作る、とありますが、
仏壇屋さんの説明は、それとは違う家があるということに。

ちょっと長くなってNGくらいそうなので分けます。

ここまで見た
  • 395
  •  
  • 2019/08/28(水) 21:17:08
>>394続き

ちょっとマニアックになりすぎるので要点だけ。

スナモリを作るそもそもの目的は2つに分かれるようです。
1.スナモリはお精霊を迎える場所。一般的には先祖の霊で、盆棚も先祖供養のためなので、実に丁寧な迎え方になります。
2.ところが、中にはスナモリは無縁仏供養のために作ると言う地域や家もあるようです。
つまり、先祖は家の中の盆棚で、無縁仏はスナモリで供養するということです。
でも、これも複雑で、盆棚に無縁仏用の供物を供えることも珍しくないようです。

仏壇屋さんの説明を深読みすると、2の目的の家が多い土地ということかもしれません。

ここまで見た
  • 396
  •  
  • 2019/08/28(水) 21:28:09
>>391
私もまだ読んでいないのですが、神奈川県史の民俗編あたりに多少解説があるかもしれません。
あとは、お住まいの市町村の市史、町史、村史の民俗調査資料あたりに事例紹介があると思います。

スナモリを扱った論文的なものの有無は調べてません。
神奈川の場合、県の東西にあるが南北(南は三浦半島、北は相模原市緑区とか)には無い
という説明があるので、何らかの調査研究はされているだろうと思います。
ただ、県北には無いと言う割に、町田市にはあるようなので、調査自体がどの程度のものなのかは微妙ですけれども。。

ここまで見た
  • 397
  •  
  • 2019/08/29(木) 00:35:12
>>396
詳細をありがとうございます。
近くの図書館で民俗資料も調べてみます。

ここまで見た
  • 398
  •  
  • 2019/08/29(木) 02:04:11
>>394
いつ片付けるのかうかがったときに、当然のように「月をまたいで」とおっしゃられていて、近所にも何件かまだ片付けていない家があったので、この地域特有なのかもしれません。

ここまで見た
  • 399
  •  
  • 2019/09/01(日) 14:48:35
スナモリの情報を求めて秦野の資料を読んでみたら
お盆行事に関連する「イキミタマ」というのがあり、嫁に出た娘が家に戻ることで、
嫁ぎ先から小麦粉などをもらって来るので、それでウドンや菓子を作った。というのがありました。

そのお菓子を「カリントウ」と呼ぶらしく、以前、道の駅的な所で見たことがあるけど
黒蜜がかかっていなくて、とてもカリントウに見えなかったのを思い出しました。
どうやら、秦野から中井、二宮あたりにかけてのローカルなカリントウのようです。
ググったら調べているサイトがありました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~hadano-karinto/image4/minzokuindex.html

https://i.imgur.com/zq6Tlw2.gif


ここまで見た
  • 400
  •  
  • 2019/09/09(月) 06:24:34
お盆すぎのスナモリです。
1と2は藤沢市引地川周辺の同じ町内で、撮影は8月27日です。
3は善行の駅に近い場所で、一軒だけお盆すぎにも飾っていました。撮影は8月29日です。
詳しい場所は言えませんが、2のお家の方にお話をうかがうことができ、片付けるのは9月に入ってからと教えてくれました。理由はわからないそうです。

1
https://i.imgur.com/FA5d3yT.jpg

https://i.imgur.com/OYxSJSw.jpg


2
https://i.imgur.com/3wUYWYM.jpg

https://i.imgur.com/c8prC7Y.jpg

https://i.imgur.com/jSGJ1Ie.jpg


3
https://i.imgur.com/z1m3Bhc.jpg


ここまで見た
  • 401
  •  
  • 2019/09/11(水) 12:16:48
>>400
お〜。挿してあるのはオガラかムギワラでしょうかね。
こんなに沢山挿しているのは初めて見ました。
箱に入れているのは簡易バージョンのはずなので、正式バージョンで沢山使っていたのかも。
9月まで残しているなら、来年は余裕をもって見に行けます〜

砂が黒っぽいのが気になります。濡れているだけかもしれませんが、
正式には富士山の噴火灰を使うという所もかなりあって、色は赤とか黒っぽくなるはずなんです。

ここまで見た
  • 402
  •  
  • 2019/09/11(水) 22:08:15
>>400
すみません。401は全部違うみたいですね。
オガラは送り火をした後に沢山立てる。砂ではなく黒土。
という土地かも。
場所によってはスナモリの上部(平な所)の真ん中に溝を掘って、オガラで橋を作り、
先祖が天の川を渡って帰って来ることを表現しているケースもあるみたいです。

江戸時代のカレンダーだと7月7日の七夕があって、7月13日からがお盆なので
関連があって当然なのか??

ここまで見た
  • 403
  •  
  • 2019/09/11(水) 23:55:34
>>402
2は赤っぽい土でした。ほかの2つは荒い砂でした。
1と2が近所ですが、微妙に様式が違うようなのも面白いです。
馬も牛もひっくりかえっていたけど、なおしたりする様子はありませんでしたので、最初がどんなふうだったのか。飾り付け初期はもっとちがっていたかもしれません。

ここまで見た
  • 404
  •  
  • 2019/09/15(日) 17:06:58
>>403

近所で使う土・砂も違うんですね。
牛馬がほったらかしで9月までというのも面白いです。

先日、清川村のお年寄りに訊いてみたら
本当は富士山の火山灰を使う。山の中とか川沿いとかある場所が判っている。
でも、最近は近くに砂があるので、それで済ましていると言っていました。
形は上が平らのピラミッド型だそうです。

ここまで見た
  • 405
  •  
  • 2019/09/19(木) 09:37:43
他県の事例なのでスレチですが、ちょっと面白かったので

江戸時代に全国の民俗的調査を試みた人がおりまして、当人は江戸在住ですが
各藩へ同じ内容の質問状(130以上の項目)を出し、それぞれの項目が各地でどう違うか
などが判るようにしようとしました。
その回答が一部のこっていて「諸国風俗問状答」としてまとめられ、ネットでも読めます。

スナモリ的なことを江戸時代にやっていたのか書かれていないか読んでみたところ
そのものズバリは書いてありませんでしたが、なんか似てる、というのが滋賀にありました。

1番目の絵図
新盆の家が軒下に造る新霊棚(江戸時代)。
高床式みたいな感じですが、秦野あたりのスナモリとちょっと似てます。
今はもうやらないようです。

2番目のモノクロ
「砂台」という名前で、川辺、家の庭などに作り、迎え火するようです。
砂台という名前なのに使っているのはどれもセメントブロックのようなもの。

この2つは同じ集落で、2番目はその集落の調査をした資料から。
当たり前ですが江戸時代と現代は随分変容しているようです。

https://i.imgur.com/dqQWgQX.jpg

https://i.imgur.com/ur6kphs.jpg


ここまで見た
  • 406
  •  
  • 2019/09/28(土) 05:24:22
ググったら国会図書館デジコレで読めるよう
ですね。今度、検索してみます。

ここまで見た
  • 407
  •  
  • 2019/09/30(月) 09:56:59
写真は「ガラガラ膳」。
他県の事例で、利根川下流域(一都三県)になりますが、神奈川でスナモリをやっていない土地は
これと似たことをやっているかもしれないので情報として
なお、ガラガラ膳はお盆に限らないようで、お盆の時も家の周囲には設けないそうです。

よくまとまっているブログがあります。
NGくらうかもしれませんが
http://kamagaya-sanpo.blogspot.com/2013/06/blog-post_22.html
https://i.imgur.com/KheNaer.jpg


ここまで見た
  • 408
  •  
  • 2019/10/06(日) 12:12:39
平塚の住宅地に発掘現場がありました。
深さが浅いし江戸期あたりの宅地跡?
いや、そんなもの発掘対象じゃないだろ
結局なんだかよく判らないままw
https://i.imgur.com/3tLyKv5.jpg


ここまで見た
  • 409
  •  
  • 2019/10/20(日) 20:39:13
川崎市民ミュージアムの資料収蔵庫が洪水で水没したようです
歴史や民俗関係の文書なども結構あったはず
川の水に浸かっても修復はできるようなので、無事を祈りたい

ここまで見た
  • 410
  •  
  • 2019/10/20(日) 20:58:34
水彩画は全滅だろうか・・・
しかしあそこまでノーガードな庫とは

ここまで見た
  • 411
  •  
  • 2019/10/20(日) 23:32:09
川の跡なのにな

ここまで見た
休みなんで件の等々力の川崎市民ミュージアムに行って来ました
色んな催事があるんで年に何回かは足を運ぶんですが…

https://i.imgur.com/MHOYdVP.jpg

右側のオブジェみたいのは日本鋼管で実際に使われていた「トーマス転炉」
後ろの建物がミュージアムですが、見ての通り上部壁の一部が台風の影響で今にも剥がれ落ちそう

収蔵品は建物地下にありニュースによるとかなりのダメージがあるようで、ミュージアムも当面休館
残念です

ここまで見た
  • 413
  •  
  • 2019/10/23(水) 11:23:39
寄贈・寄託されていた史料・資料類のことを考えると、川崎は被害甚大ですね...
規模は違いますが、皇国地誌の原稿が関東大震災で焼失したのを想起させられました。

考えてみたら、川沿いにある博物館的な施設は県内だと川崎、厚木、秦野くらいかも。
県博は海沿いですが、収蔵スペースの問題で、他の場所で保管している点数もそれなりらしいですが。

ここまで見た
  • 414
  •  
  • 2019/10/23(水) 11:39:55
中原区に知り合いのじいさんが以前によく言ってたけど
多摩川が千年の交差点辺りまでよく大水でやられたって
よくわからんが戦後に何かしら対策したんじゃないかな

ここまで見た
  • 415
  •  
  • 2019/10/25(金) 00:32:46
>>414
川崎のハザードマップだと今も千年とか子母口のあたりまで浸水想定範囲になってますね。

川は大小にかかわらず、昔はよく溢れていたという話しを各地で耳にしてます。
直線的にしたり底を掘り下げて護岸工事したりしたのが効いてるんでしょうね。

ここまで見た
  • 416
  •  
  • 2019/10/25(金) 10:23:00
戸塚区から栄区を経て境川と合流する柏尾川は、以前は毎年のように氾濫を繰り返していましたが
川幅を広げたり遊水池を各所に設けるなどの治水の結果、あまり被害をもたらさなくなりましたね
1973、4年頃、近年に無かった豪雨のために大氾濫が起き、栄区(当時はまだ戸塚区)長尾台町付近の「鷹匠橋」が流出したのを憶えています
年号は憶えていないのですが日付だけははっきりと「11月10日」と記憶しているのが不思議です

ここまで見た
  • 417
  •  
  • 2019/10/25(金) 17:41:22
>>415
東京赤羽の志茂が下<しも>に通じるように
子母口も下口に通じるんじゃないかと思ってました
なんとなく

ここまで見た
川崎の人間にとっては子母口と言えば
推定7000年前の子母口貝塚
「たった」7000年前、関東平野は結構な部分が海の底だったつうことですな

「鷹匠橋」は川崎の久地にもあるし船橋にもあるそうな
由来がはっきりしてる分、旧国の武蔵、相模、下総、駿河など家康関係の場所にはありそうですね

ここまで見た
  • 419
  •  
  • 2019/10/29(火) 09:25:28
鷹が付く地名の由来には、将軍家の鷹を取ったとか、鷹の餌となる鳥を取る場所だとかがありますよね。
実際、餌取りのために村民が出入り禁止だった山もあったようです。

ここまで見た
  • 420
  •  
  • 2019/10/29(火) 09:58:31
横須賀の湘南鷹取もそういう所だったのかな
高台で海にも面してないしどちらかと言えば東京湾側だし
どこが湘南やねんとは思うけど

ここまで見た
  • 421
  •  
  • 2019/10/29(火) 10:20:51
そこで湘南鷹取を出すなら鷹取山や鷹取町を出してくれw

しかし横須賀の東京湾側は湘南○○が好きだよね。

ここまで見た
  • 422
  •  
  • 2019/10/29(火) 10:54:01
いわゆる「相州物」の刀剣ってありますよね。正宗とか国光とか
あの相州というのはどのあたりになるのでしょうかね。鎌倉の近郊か、あと小田原付近に鍛冶職人が大勢いたらしいのでそのあたりか
栄区付近に「鍛冶ヶ谷」とか「金井」とかの地名が散見されますが、刀鍛冶とはなにか関連があるんでしょうかね

ここまで見た
  • 423
  •  
  • 2019/10/29(火) 23:52:50
湘南って相模湾沿岸だと思ってました

ここまで見た
  • 424
  •  
  • 2019/10/30(水) 14:46:43
ブランドイメージが凄いからね「湘南」
SFCもあんな内陸なのに湘南なのは不思議な感じがする

ここまで見た
  • 425
  •  
  • 2019/10/31(木) 09:45:28
>>422
圀光の弟子が正宗、という系譜の相州物なら鎌倉鍛冶みたいですよ。
ただ、正宗が岡崎五郎入道と名乗っていたことを考えると、系譜が鎌倉鍛冶というだけで
住んでいたのは伊勢原とか平塚の岡崎の可能性もあるのか?

栄区の鍛冶ケ谷は鎌倉時代に鍛冶職が多かったのが地名の由来らしいです。
場所は微妙にズレますし時代は遡りますが、栄区の上郷からは発掘で金クソがあちらこちらで出てます。
金沢文庫から栄区を経由して鎌倉に抜けるハイキングコースをタタラ道と呼ぶ人もいたし
鍛冶の伝統があったのかもしれませんね。

鍛冶が盛んだったのは厚木の荻野あたりも有名です(後北条以降)。

ここまで見た
  • 426
  •  
  • 2019/11/01(金) 20:19:28
>>424
まー、東海道線か一国よりも南が妥当じゃない?
湘南っていうのは。
それより北だと「あそこは無理があるだろー。」って感じはするな。

ここまで見た
  • 427
  •  
  • 2019/11/04(月) 11:15:17
湘南や西湘があって、使用例を知りませんが湘東とかいう言い方もあったとすると
湘の中心はどこなんだと言いたくなります

相模川を湘一文字で表現したとすれば、海老名厚木あたりが湘中で
相模原愛川が湘北とかか。
横浜川崎は武蔵国なので関係無しw

ここまで見た
幻の湘南市がありましたね
端から見てまとめるのは無理だろうと思ってましたけど
鎌倉は絶対拒みそう

相州物ではないですが
川崎の稲毛神社の御神宝に後鳥羽上皇ゆかりとされる刀があります
上皇ご自身、刀を打たれたということですが、銘からすると承久の乱で隠岐に流されてからのものでしょうかね
http://takemikatsuchi.net/kdai/shinpo.html

ここまで見た
  • 429
  •  
  • 2019/11/04(月) 20:42:03
>>427
以前ブラタモリで解説ありましたよ
確か単に中国の景勝地の名前だそうです
神奈川は元々政府高官や財界人の高級別荘地として開発されたのでイメージ戦略の結果だと

ここまで見た
  • 430
  •  
  • 2019/11/04(月) 21:00:07
由来は中国で発祥は大磯
戦後、加山雄三、サザン、チューブら芸能人の影響で鎌倉から茅ヶ崎のイメージが強くなった

ここまで見た
  • 431
  •  
  • 2019/11/04(月) 23:42:36
>>428
後鳥羽上皇は歴代天皇にあって図抜けて最強だったらしい
和歌や武芸はもちろん刀まで打った 政治経済や文芸にも長けた 備前から7人 備中から3人 山城から2人の名人を召集し1から12月まで月番制で刀を打たせたらしい
なぜ刀に固執するかというと在位2年目に安徳天皇が草薙の剣を失っているからだそうです
威信財がなくなってあせったと思う
実朝と手紙のやり取りをしていてその刀は良好な、関係のときのものだとおもう
承久の乱後は隠岐に流され人扱いされてないし隠岐で死んでその一部もご府内に入れてもらえず京都大原に祀られてるみたい
しかし源氏の家来は義時にしろ本気でやってくるからこわいな
頼茂は内裏を丸焼けにするし後々高師直も内裏の門に火矢打ち込むし

ここまで見た
  • 432
  •  
  • 2019/11/05(火) 00:02:03
神武越えか

ここまで見た
  • 433
  •  
  • 2019/11/05(火) 01:27:29
源氏は内輪揉めばかりしてるから嫌い

ここまで見た
  • 434
  •  
  • 2019/11/05(火) 15:15:50
>>428
湘南市構想があったのですね。
全く知りませんでした。
藤沢、平塚、茅ヶ崎、寒川、大磯、二宮の6市町が合併と。
伊勢原が外されてて...国府祭の仲間なのにw

ここまで見た
  • 435
  •  
  • 2019/11/11(月) 19:27:06
>>427
横浜で武蔵国だったのは北と東の方で、
南西の方は相模国だったはずです。
旧鎌倉郡の辺りですね。
保土ヶ谷区とか金沢区とか。

ここまで見た
  • 436
  •  
  • 2019/11/11(月) 20:10:16
>>435
>金沢区
武蔵国久良岐郡だよ

ここまで見た
基本的に内陸は境川が国境だったから保土ヶ谷は武蔵国
泉区の辺りが相模国に入ってたような
ただし境川は江ノ島で相模湾に注ぐ、つまり鎌倉より西になるので下流域の境界線は違うのは確かですね

砂時計アラームタイマー
フリックラーニング
ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード