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  • 439
  •  
  • 2004/03/25 10:45
>>435
結構な有名サイト
tp://maa999999.hp.infoseek.co.jp/

http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_02_04.html
一部抜粋
仮にも歴史資料ならば、それが信頼できる資料なのかどうかを徹底的に検証するのが歴史学の基本だ。
ところで本物の『アンネの日記』の一部はボールペンで書かれていることがわかっている。
だが、ボールペンが世の中で広く使われるようになったのは、アンネの死んだ1945年の6年後の1951年だ。
なぜ1945年に死んだ人間が、1951年以降に一般で使われるようになったボールペンで日記を書けたのか凄く疑問なのだが、
それは言わないお約束のようなので、見なかったことにしておく」
さらに抜粋
アンネの日記の真の作者、それはユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビンだ
メイヤー・レビン自身がアンネ・フランクの父オットー・フランクから、この日記作成に対する謝礼金として5万ドルを受取ったと認めているからだ。
オットー・フランクはこのレビンに5万ドルを払い、その後レビンの作品をまるで自分の娘の作品にしてしまった。
その結果、アンネの日記はピレッツァー賞を受賞し、父オットーは莫大な財産を築いた。
実はアンネの日記への創作疑惑は日記の発売当初からあった。
オットー・フランクはこの日記のおかげで財産を築いたが、当然この本が創作なのかどうかは世論を騒がすことになった。
さらに困ったことに、1947年に発売されたアンネの日記が大ヒットするにつれて、ミュージカルや映画などの版権を誰が有するべきか?という問題が浮上した。
普通に考えれば、著者のアンネが権利を持つべきだが、彼女はすでに亡くなっている。
で、その父オットーが持つのが妥当ということになるわけだが、この日記が大ヒットしたのはメイヤーによる部分が大きい。
メイヤーが大々的に宣言しなければ、アンネの日記はこれほどまでにヒットしなかったのは間違いない。
それで両者は対立。
醜い争いは裁判に発展し、メイヤーは自分が権利を持つことを主張するために自作であることを暴露してしまった。
というわけで、その判決でメイヤーが書いたことがはっきりしたのだ」

リンク先は長いから気合入れて読んでくれw






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