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  • 1
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  • 2007/11/06(火) 13:00:34
もしも、平安時代に鉄道模型が存在していたら、どうなっていたかを、想像してみるスレです。
みなさん、どんどん書き込んでください。

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  • 92
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  • 2007/11/16(金) 23:48:47
>>90
雷神様が動かしておる

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  • 93
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  • 2007/11/17(土) 00:53:02
>>90
実は全部鉄コレ
線路だけ引いて車両は手押し
いとをかし

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  • 94
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  • 2007/11/17(土) 00:53:24
>>90
陰陽道に通じた者のみが動かせるということぢゃ

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  • 95
  • 2007/11/17(土) 14:07:47
牛車を漆塗りで仕上げたいけど、毛筆と空気筆ではどちらが仕上がりいいですかね?

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  • 96
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  • 2007/11/17(土) 14:12:42
>>95
御主の腕前にもよるが、ド素人なら緑最大社の空気入り缶詰をお勧めしよう。

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  • 97
  • 2007/11/17(土) 14:15:37
麿は空気缶は苦手でおじゃる

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  • 98
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  • 2007/11/17(土) 15:57:16
尾久の市にて競りにて買うてまいれ!

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  • 99
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  • 2007/11/17(土) 16:00:49
このスレ速落ちだと思ってたけど持つなー

みんな頭良い?

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  • 100
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  • 2007/11/17(土) 17:00:55
奴流舗

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  • 101
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  • 2007/11/17(土) 18:05:10
>>100


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  • 102
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  • 2007/11/17(土) 21:47:27
小町の色は灰色にけりないたづらに
 いつのまにやらながめせしまに

富井の司「加藤の造、小町殿は地黒ではないぞえ。宮路真緒でもあるまいに。」
加藤の造「C62で手一杯で....ああっヘタこいた〜♪」

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  • 103
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  • 2007/11/18(日) 17:26:38
菅原道真は唐の模型の造りの悪さを日頃から嘆いておったそうな。
そこで朝廷に意見して、唐の模型を輸入しないようにしたのじゃが、それが有井と結んでいた藤原氏の逆鱗に触れ、
道真公は太宰府に左遷となったのじゃ。

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  • 104
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  • 2007/11/18(日) 18:48:45
>>103
道真公は知恵者であらしゃります。
それゆえ太宰府にても風洞実験を続けられ、門鉄除煙板というような美しく
効果的な技術の基礎を確立なされたのはご存じのとおりでおじゃるよ。
ただ、惜しむらく平安京の貴族のほとんどは道真公の空力基礎技術や
参気筒位相平衡の提言を表面だけしか理解してあらしゃりませなんだ。
一応の成功例と認識されている鷹取造の試御参試十三ですら....。

道真公の技術の一部は公の没後ひそかに大陸に伝わり、天竺から中近東を
経由して現在の独逸に到達。
後には流線形蒸気やヴィッテデフとなって欧亜大陸の東西で
花開いたのでおじゃる。ほっほっほ。

現代語訳で読む:週刊 平安京桜小路大納言機関区絵巻(一)
「蒸気機関車基礎技術概論」 ------ 民明書房 刊 -----

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  • 105
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  • 2007/11/18(日) 21:54:06
各地の百鬼夜行の物共も遂に滅びたる げに風の前の塵と同じ


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  • 106
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  • 2007/11/18(日) 22:04:44
近頃の百鬼夜行は「おはね」ばかりでつまらぬ
昔はその名にたがはず「おゆ」「まに」「おろね」「すろ」「まし」「すはふ」・・・
さらに昔は「まいろねふ」「まろねろ」「すいて」・・・

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  • 107
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  • 2007/11/18(日) 22:11:15
>>106
蝦夷の地へ赴く北斗星はそれでも「尾櫓羽根」や「蘇紫」、「尾羽根」も「櫓疎路」「櫓出湯越冬」と多彩ではないか?

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  • 108
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  • 2007/11/19(月) 04:48:34
>>99
いや、さふとも言へぬ

時に、万葉仮名もどきが見受けられるが、意味をなさぬ羅列じゃ。

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  • 109
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  • 2007/11/20(火) 01:00:49
>>108
遊びゆへおほらかにな

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  • 110
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  • 2007/11/20(火) 19:28:30
_/ ゜\_
‖┏━┓‖ 
‖┃平┃‖ 
‖┃安┃‖     __∫
‖┃鉄┃‖     l_≪_l〉 >遊びゆへおほらかにな
‖┃模┃‖ _φ(-∀-)
‖┗━┛‖ \\⊂l_)
⊆≡≡≡⊇   ( ̄( ) )  旦~ロロロロ

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  • 111
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  • 2007/11/20(火) 19:32:53
>>108
>さふとも言へぬ

さうとも言へぬ

例へば、「挿入」の「挿」なら「さふ」だが。

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  • 112
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  • 2007/11/23(金) 23:37:14
いざ あげまつらん

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  • 113
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  • 2007/11/24(土) 01:22:20
これなん都鳥

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  • 114
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  • 2007/11/24(土) 07:48:41
>>90
雷神様の正体は高木豚殿なりと聞ひておじゃるが…。
それもいとおかし。



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  • 115
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  • 2007/11/24(土) 18:59:21
つか、ここに書き込んでる奴らって、
まさか平安時代に鉄道模型が無かったなんて本気で思っていないよな?

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  • 116
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  • 2007/11/24(土) 20:26:29
>>112

「いざ、あげむ」でいいじゃないか。
そもそも「あげまつらん」って、なんだ?「奉らむ」からの類推で作ったのか?

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  • 117
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  • 2007/11/26(月) 00:48:35
>>115
アヒャヒャ聞こえぬでおじゃるー(∩゚∀゚)



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  • 118
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  • 2007/11/26(月) 21:09:09
「枕バネの草子」(女流文学者:青列車少納言)

☆☆はスハる。明星。
「二つ星は下段寝台を座席がわりにして飲ま飲まイェイ。明星(金星の意味)は風情がある。」
注釈:まさに581&583系夜行の描写である。

よばひぼしをたになからましかば、まいて。
「夜這い星(一説には開放寝台の意)ではオタがいなきゃいいんだが、
ウザくてしょうがないので食堂車でしばらく楽しむことにする。上級客
しか入れないマイテが接続ならいいのに。」
注釈:ここに解放寝台利用女性客減少の一因がかいまみられる。

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  • 119
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  • 2007/11/27(火) 11:03:28
論理矛盾もはなはだしいスレだと思ったが、
意外と支持されてるんだな。

おまえら頭いいんだから、2ちゃんやめて働けよ。

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  • 120
  •  
  • 2007/11/27(火) 12:43:47
桓武の帝が平城京→長岡京→平安京と遷都した理
由として、鉄道模型を広々と走らせられる地を求
めてたといふ噂が…。


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  • 121
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  • 2007/11/27(火) 12:48:48
面白すぎて笑えないw

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  • 122
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  • 2007/11/28(水) 00:11:18
ところでだ、何故京の都を走る京阪が出ぬのかのう。

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  • 123
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  • 2007/11/28(水) 00:29:30
帝のお膝元だからである。

敬して遠ざけるのである。

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  • 124
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  • 2007/11/28(水) 09:50:51
>>122
今上の帝からの製品化許諾がなかなかおりないらしい。
上意にかなう作り込みができるのは富井の司か加藤の造か
はたまた...

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  • 125
  •  
  • 2007/11/28(水) 17:37:42
>>124
宋の国より来りし黄色がかりたるものはなんじゃ?

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  • 126
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  • 2007/11/28(水) 18:32:23
>>125
宋×
嘘○

じょうきをいっしており、けんとうにあたいせぬとぞなむ、
進言たてまつらむ。
(菅原道真公:蟻蒸気中華買いません:遣唐使廃止論)

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  • 127
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  • 2007/11/28(水) 20:22:08
>>126
それを平有井守利行が宋の慘駄漢と貿易をはじめたのでおじゃる

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  • 128
  • しばてん
  • 2007/11/28(水) 22:19:43
おいらも混ぜてくれ。
光源氏が室内灯を発明した!

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  • 129
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  • 2007/11/28(水) 23:33:30
徒然なるままに日暮らし線路に向かひて、模型を鑑みるでおじゃる。

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  • 130
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  • 2007/11/29(木) 15:35:10
>>129
皆と連れ連れに、日暮氏が線路を並べて模型を走らす
(現代語意訳)


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  • 131
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  • 2007/11/29(木) 22:00:58
>>130
其は「路面構成」なり。

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  • 132
  • しばてん
  • 2007/11/29(木) 23:02:29
春はあけぼの、ひねもすのたりのたりかな(紫秩父)

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  • 133
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  • 2007/11/29(木) 23:03:00
>>132
アホ

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  • 134
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  • 2007/11/29(木) 23:05:03
>>132
与謝蕪村って何時の人だか知っているのか?

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  • 135
  •  
  • 2007/11/29(木) 23:06:26
>>134
リア消にマジレスしちゃダメだって

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  • 136
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  • 2007/11/29(木) 23:18:38
中宮定子様も鉄であったようですな。
かつて清少納言とのやりとりとして
香炉峰のジオラマを所望なされたとか。

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  • 137
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  • 2007/11/29(木) 23:54:19
部屋一面線路を広げ悠々と走る鉄道模型、いとをかし。

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  • 138
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  • 2007/11/30(金) 00:24:13
平安時代の知識が断片的過ぎるでおじゃるまろ

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  • 139
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  • 2007/11/30(金) 00:25:13
伝教大師・最澄が遣唐使で唐に留学したのは、日本で鉄の総合大学を開く為だったよな。
彼の地で撮り鉄・乗り鉄・収集鉄・記録鉄・組合鉄等をマスターし、帰国後に比叡山延暦寺
という鉄ヲタ総合大学を開山するが、当人の留学期間が限られていた為、鉄模学部が弱点だった。
一方同じ船で留学した弘法大師・空海は恵果和尚という唐で最高の鉄模職人に師事し、
完全な形でマスターし、帰国後高野山に鉄道模型の専門大学を開いた。
最澄は鉄模学部の弱点を補うために空海に協力を求め、空海も唐製のフルスクラッチ真鍮模型
を貸し出したり、最澄の弟子を受け入れたりと協力していたものの、返却されてきた模型が
ボロボロになってたり、作風を明らかに剽窃されたりと言った理由で両者の関係は
冷却化したんだったかな。

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  • 140
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  • 2007/11/30(金) 00:30:49
>>139
で、それは南海のエヌゲージがなかなか出ない理由に関わりがあるのか?

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  • 141
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  • 2007/11/30(金) 00:51:22
>>140
叡電だって過渡の匠の「雲母」しかないでおじゃろ?

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  • 142
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  • 2007/12/01(土) 22:45:20
播磨の国にある準大手私鉄も恵まれんの・・・

砂時計アラームタイマー
フリックゾンビ
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