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  • 2007/11/30(金) 00:25:13
伝教大師・最澄が遣唐使で唐に留学したのは、日本で鉄の総合大学を開く為だったよな。
彼の地で撮り鉄・乗り鉄・収集鉄・記録鉄・組合鉄等をマスターし、帰国後に比叡山延暦寺
という鉄ヲタ総合大学を開山するが、当人の留学期間が限られていた為、鉄模学部が弱点だった。
一方同じ船で留学した弘法大師・空海は恵果和尚という唐で最高の鉄模職人に師事し、
完全な形でマスターし、帰国後高野山に鉄道模型の専門大学を開いた。
最澄は鉄模学部の弱点を補うために空海に協力を求め、空海も唐製のフルスクラッチ真鍮模型
を貸し出したり、最澄の弟子を受け入れたりと協力していたものの、返却されてきた模型が
ボロボロになってたり、作風を明らかに剽窃されたりと言った理由で両者の関係は
冷却化したんだったかな。

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