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- muffin ★
- 2023/01/26(木) 16:01:49.63
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https://bunshun.jp/articles/-/60350
電子音楽の先駆けとなった伝説的バンド「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」は、なぜ大ヒットしたのか。音楽プロデューサーの川添象郎さんは「当初は奇抜すぎるといわれてうまくいかなかったが、米国でのコンサートが大成功した。そのとき心がけたのが、アメリカ人が日本人に対して抱いている典型的なイメージを逆手にとることだった」という――。
1978年、僕の企画事務所であるシロ・プランニングはキャンティの3階を拠点にしていた。そのとき事務所で村井邦彦と話をしていると細野晴臣がやってきた。〈イエロー・マジック・オーケストラ〉という新しいプロジェクトを構想しているという。
ニューミュージック系のセッションミュージシャンの親分である細野がオーケストラというのだから、僕たちはてっきり大勢のミュージシャンを集めて演奏するのだろうと想像した。村井邦彦は「細野に全部任せる!」と言って細かいことは気にしていない様子だった。
数カ月後、村井邦彦から電話が来た。電話口の村井はなにやら困ったような声音で「細野に任せた例のアルバムが完成したんだけど、ちょっと聞いてくれないかな」と言う。さっそく村井の事務所へ赴くと、「これなんだよ」と彼がかけたテープから聞こえてきたのは「ピッ、ボッ、ブー」といった調子の奇妙な電子音だった。あとでわかったことだが、あれはYMOのファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』に収録されたイントロダクションの電子音だったようだ。
細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏というたった3名のメンバーで録音されたこのアルバムは、コンピューターを駆使して創られた。
細野晴臣は、当時からミュージシャンのあいだでは名を知られていたものの、ヒットアーティストとは呼べず、なにやら面白いことをやっているらしいと一部の音楽専門誌が取り上げたこともあるが、反響は皆無だった。誰も聞いたことのない、奇妙で前衛的な電子音から始まるインストゥルメンタルの音楽なのだから、放っておいても売れるはずがないことはわかっていた。
兎にも角にも打開策を見つけなければいけない。ラジオは、どこの局でも扱ってもらえなかった。当時のラジオ局の番組編成では音楽はすべてジャンル分けされていたのだが、YMOの音楽はどれにも当てはまらず、またサウンドが奇抜すぎるということで断られてしまう。当時TBSで、飛ぶ鳥を落とす勢いの例の音楽番組プロデューサー・渡辺正文のところに持って行き、テレビに出してくれと頼んだが、「ショウタロウ、これは無理だよ。テレビでなにを撮ったらいいんだ?」と言う。
プロモーションが成り立たず、案の定まったく売れる見込みのないま時間が過ぎていく。
続きはソースをご覧下さい
https://bunshun.jp/mwimgs/a/b/-/img_8e9ecdadd21ec312b01212c02f0ee7a875638.jpg
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- 650
- 2023/01/30(月) 14:02:33.87
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冨田勲の大まかな受賞歴
1973年
・TV文化向上に貢献した功績から「TV大賞」を受賞。
1974年
全米レコード販売者協会(NARM)の1974年度最優秀クラシカル・レコードを受賞。
・「月の光」が日本のアーティストとしては初めてグラミー賞(Album of the Year他)にノミネートされる。(1975.03.01)
・「Snowflakes Are Dancing」が全米ビルボード・クラシカル・チャートで2位にランキング。(1975.01.18)
1975年
・本人とRVC(株)が「ムソルグスキー/展覧会の絵」で第17回日本レコード大賞・企画賞を受賞。(1975.12.31 帝国劇場)
・1975年度NARM最優秀クラシカル・レコードを2年連続受賞。 米ビルボード誌より「ベスト・クラシカル・アーティスト賞」を受賞。
・「展覧会の絵」が全米ビルボード・クラシカル・チャートの第1位を獲得(1975.08.16)
・「火の鳥」が全米ビルボード・クラシカル・チャートで第5位にランク(1976.03.20)
1976年
・アルバム「惑星」が全米ビルボード・クラシカル・チャートの第1位を獲得(1977.02.19)
1978年
・グラミー賞/ベスト・エンジニアリング・レコーディングにノミネートされる。
1979年
・米コンテンポラリーキーボード誌「ベスト・スタジオ・シンセシスト」を受賞
・アルバム「バミューダ・トライアングル」がグラミー賞「Best Engineered Recording」にノミネート(2度目)される。(1980.02.27)
・映画「夜叉ヶ池」で第3回(1979年度)日本アカデミー賞、優秀音楽賞を受賞(1980.3.29)
1983年
・アルバム「大峡谷」がグラミー賞「Best Engineered Recording」にノミネート(3度目)される。(1983.02.23)
1993年
・映画「学校」で第17回(1993年度)日本アカデミー賞、優秀音楽賞を受賞(1994.3.17)
2000年以降
・いろいろ受賞 省略
http://www.tg.rim.or.jp/~moog_bb/t_chronology.html
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- 651
- 2023/01/30(月) 14:02:59.60
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>>633
日本で作られたインスト曲のすべてが海外受けがいい訳じゃない
喜多郎や小澤征爾、久石譲らを否定はしないけど、YMOの評価と影響力は高く現在も続いている
なぜ片方を上げると片方を下げるのかがわからない
きみの評価ポイントは持ち点制なの?
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- 652
- 2023/01/30(月) 14:04:18.02
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ビートルズが世界的に人気が出て、各地にご当地ビートルズが生まれた
ご当地色のあるロックンロールバンドだよね
当時はエレキギター、ベース、ドラムスのバンドは文化の違いを超えた
YMOの影響というのもそれに近いものがあると思う
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- 653
- 2023/01/30(月) 14:04:43.38
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海外の人気という意味ではカシオペアが過小評価だな
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- 654
- 2023/01/30(月) 14:09:40.34
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>>642
テクノデリックはそんなことないよ
教授も機嫌良く乗り気でレコーディングに参加している
ただ、それとは別に細野さんが心身不調になったw
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- 655
- 2023/01/30(月) 14:14:23.52
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>>4
岡村靖幸のsuper girlのMVくらい面白くて好き、見てると元気になる
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- 656
- 2023/01/30(月) 14:19:36.28
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>>654
二人の確執は坂本に随分と悪影響を与えたと思う
ポップミュージックとしてのYMOの世俗的成功を
坂本龍一はソロでも成し遂げようとしたんじゃないか
特にライブ活動で合わないことをやってしまったと思う
現代音楽とフュージョンが体質に合っていたと思う
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- 657
- 2023/01/30(月) 14:21:22.57
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テクノデリックの1ヶ月半前に発売された左うでの夢で
細野さんが少なくとも3曲はベースを弾いてる
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- 658
- 2023/01/30(月) 14:46:43.50
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左うでの夢 2019年ライナーノーツから
https://i.imgur.com/VlUdUBc.jpg
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- 659
- 2023/01/30(月) 15:08:12.62
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個人主義的なエゴが1番強いのはやっぱり教授なんだよねw
あのひとギッチョだし、対人関係の感じ方も人と違うみたいだからエゴに見えるのしれないが
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- 660
- 2023/01/30(月) 15:18:11.78
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>>633
君が引き合いに出してる人のレベルがすべてを物語っているではないか
そこら辺と張り合っているということ
違うぜんぜんもっと下、というならあとせめて10人名前あげてくれ
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- 661
- 2023/01/30(月) 15:22:48.72
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教授は父親との関係があれで
ずっと押さえつけられていた影響が大きいんじゃないかね
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- 662
- 2023/01/30(月) 15:29:45.29
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>>656
この3人でソロでも武道館を埋められたのは教授だけだよ
90年代までずっと武道館クラスだった
ソロでミリオン売ったのも教授だけ
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- 663
- 2023/01/30(月) 15:39:04.49
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>>633
喜多郎はニューエイジというニッチなジャンルで大御所なだけだし
久石譲はジブリ映画が有名なだけで音楽は問題にされてない
坂本龍一は2021年にも4本もハリウッドやイタリア、フランスの映画音楽を担当してる現役の売れっ子作家
全く成功のレベルが違う
そもそも教授は海外での仕事の方が多い
今さら世界の●●と付ける必要が無いぐらい世界中で仕事してる
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- 664
- 2023/01/30(月) 15:40:37.54
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>>661
それで永遠の反抗期的な生き方なんだろうかね
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