facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

  • 1
  •  
  • 2010/09/13(月) 15:40:56
mixi(mixiディアカテゴリ密閉性の高い議論が可能)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3508030


インターネットワイドショー掲示板(30000レス以上可能DAT落ちなし規制なし)
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=tv&tn=0861&rn=1000

ここまで見た
  • 154
  •  
  • 2011/10/03(月) 08:56:41.34
有翼閣から昔出てた「明治思想家集」がすごく詳しかったけど。
最初期の西田哲学に与えた綱島梁川の「見神の実験」の影響やら
西周の哲学用語作成における仏教の影響やらを詳しく書いてたよ。

西周(にしあまね)の百一新論の現代かな遣いに直したものを載せてたけど
今読んでもすごく面白かった。

ここまで見た
  • 155
  •  
  • 2011/10/06(木) 11:28:48.47
>>154
ありがとう。探してみます。

ここまで見た
  • 156
  •  
  • 2011/10/07(金) 21:48:05.37
論争を挑む気はないが、149で書かれている「世界がこれほどグローバル化した現代に東洋も西洋もな
いだろ」という言葉に少しひっかかる。ことはそれほど簡単ではない。グローバル化した世界ではグロ
ーバルスタンダードになっているロジック(論理)があり、それは東洋のものではなく西洋のものであ
るのも事実なのである。それらは半ば強制されたものかもしれないが世界に非常に強い影響力をもって
いる。だから何かについて論じたり説得したりする時にそのスタンダードとどこがどう違うかを明らか
にする必要も生じる。例えば最近漢方の医薬品が見直されている。一見してそれは東洋医学に見えるが
見直されたのは科学的な分析に基づきこの成分はこれこれの効能があると明らかになったからである。
その意味では西洋医学といってもよい。九鬼周造の論文についてもそれはあてはまる。彼のロジックは
スタンダードをきちんとおさえて書いてあるのは明らかであり、単純に「日本独自」といっては誤解が
あるのではないだろうか?

ここまで見た
  • 157
  • catt
  • 2011/10/14(金) 04:51:33.09
>>156
御意。

ここまで見た
  • 158
  •  
  • 2011/12/07(水) 00:59:16.42
早大の教育学部生です。ゼミの購読文献が 日本近代思想と教育ー西田幾多郎を読む。とされ 善の研究が指定文献とされ 輪読しております。レジュメの作成で今夜は徹夜(;_;)

ここまで見た
  • 159
  •  
  • 2011/12/07(水) 08:23:32.24
正直、最初は輪読とかでだれかに解説してもらわないと解りづらいよな

ここまで見た
  • 160
  • 再生屋の金堂祐介
  • 2011/12/17(土) 18:29:54.84
俺が寝てる間にすごいことが起こったらしいな

ここまで見た
  • 161
  •  
  • 2011/12/18(日) 00:44:15.78
>>160
どうしたの?


ここまで見た
  • 162
  •  
  • 2012/01/05(木) 13:43:27.96
捨てたれど
隠れて住まぬ
人になれば
猶(なお)世にあるに
似たるなりけり

西行

ここまで見た
  • 163
  •  
  • 2012/01/06(金) 00:22:20.00
今年は去年の災害をバネにして日本が絶対矛盾的自己同一に発展する

ここまで見た
  • 164
  •  
  • 2012/01/06(金) 01:39:53.71
もうこのスレ、絶対矛盾的自己同一はNGワードだろ。
安っぽく使い過ぎる。

ここまで見た
  • 165
  •  
  • 2012/01/07(土) 21:40:16.84
安っぽくも何も現実そのものの論理的表現だぜ、絶対矛盾の自己同一は。

ここまで見た
  • 166
  •  
  • 2012/01/07(土) 23:38:45.54
西田の「善の研究」以来ずっと一貫して追及してきたことは宗教的体験による
この現実世界の実相の把握だからね。

それが絶対矛盾的自己同一としての宗教的世界観。

ここまで見た
  • 167
  •  
  • 2012/01/07(土) 23:54:55.92
よくよく考えると、およそ自己が矛盾してないってことはないんだよね…。
自己というのは、根本的に矛盾しているから自己なんだ。
その自己が世界に対して開かれているかどうかが問題なんじゃないかな。

ここまで見た
  • 168
  •  
  • 2012/01/09(月) 21:08:40.29
上の方でもあったがコレ系の人たちは日本独自の哲学をやろうとしたというより
西洋哲学的な形式で語ろうとしただけだからなあ
それが途絶えるというか駆逐されていくのは必然というか

じゃあ西洋哲学の邦訳でいいんじゃねということになる

ここまで見た
  • 169
  •  
  • 2012/01/09(月) 22:17:50.04
うまいこと日本仏教思想を西洋哲学で説明したなぁとは
感じるけど、そこで止まってしまうんだよな

ここまで見た
  • 170
  •  
  • 2012/01/09(月) 23:29:16.71
西田哲学よりも波多野宗教哲学のほうが好き

ここまで見た
  • 171
  •  
  • 2012/01/11(水) 23:31:58.50
確かに波多野誠一の著作は明快で完成された美しい文体で書かれているから、
難しい宗教や哲学の思想を高尚さを保ったまま門外漢にもよく分かるよようだね。


ここまで見た
  • 172
  •  
  • 2012/01/13(金) 06:21:48.62
ということで三木清

ここまで見た
  • 173
  •  
  • 2012/01/13(金) 14:56:42.78
三木清は未熟だ

ここまで見た
  • 174
  •  
  • 2012/01/13(金) 15:35:51.50
では務台理作

ここまで見た
  • 175
  •  
  • 2012/01/13(金) 17:29:02.23
からの三木清

ここまで見た
  • 176
  • 名無し
  • 2012/01/15(日) 17:35:33.54
合志桂太郎は、小学生の時に、同じ塾に通っていた人を
駅のホームから、線路に何度も突き落とした
http://www.kyoto1-jrc.org/shinryo/shinzou/index.html
http://www.kyoto1-jrc.org/shinryo/shinzou/koushi.html

ここまで見た
  • 177
  •  
  • 2012/01/15(日) 18:10:38.28
>>158
高橋さんは最高だよ

ここまで見た
  • 178
  •  
  • 2012/01/18(水) 23:54:44.81
生きる意味など無いのである
地球が46億年前にでき、30億年前に原始生命が誕生した
多細胞生物→動物→哺乳類→霊長類→ヒト

ナメクジに生きる意味など無いであろう?
人間という種にも別に生きる意味など無いのだよ
気が付いたら「生きる意味」とかアホな世迷い言を考える種になっていた

「意味」とはそもそも、思考する際に考えのよりどころにするもの

だが、ヒトが生きていくために、合理的で生きていきやすい
社会・人生にするために、「意味」を作ることは大切なんだ
「意味」を理解したうえで…

ここまで見た
  • 179
  •  
  • 2012/01/19(木) 23:55:17.32
絶対矛盾の自己同一的世相の現代の政治状況

ここまで見た
  • 180
  •  
  • 2012/01/20(金) 11:40:15.51
東洋的視点で無を論じたのは、意義があったかと

ここまで見た
  • 181
  •  
  • 2012/01/20(金) 11:42:23.31
田辺なんて、ドゥルーズより先を行ってたなーという印象。
しかしこのスレを見ると微妙ですね。
トポス論なんかは脈々と受け継がれてるのかな

ここまで見た
  • 182
  •  
  • 2012/01/21(土) 11:49:54.32
哲学の歴史においては思想が「脈々と受け継がれてる」ということはありえない。例えばドゥルーズが
でてくるまではベルクソンは(こういう言葉は嫌いだが)すでに乗り越えられた古くさい思想と考えら
れていた傾向があったといっても間違いではない。それは突然変異のようにぽつりぽつりとあらわれる
しかない。同じ本を読んでもそこから何かを引き出せるという人はわずかなのだ。多くの人は何も引き
出せないでそれを書いた人のせいにする。西田幾多郎にしてもいわゆる「禅」を学んだ人はいくらでも
いたわけでそれをあれほどの形に表した者はそれ以降の仏教学者にもいない。私は道元にも関心がある
が正直今の永平寺に彼の「禅」の核心が「脈々と受け継がれている」とはあまり感じていない。その意
味で田辺元は「ぽつりぽつりとあらわれた」優秀な哲学者である。特に後期の仕事がすばらしいと思う。

ここまで見た
  • 183
  •  
  • 2012/01/21(土) 19:21:56.62
ショーペンハウアーのゲーテ論思い出した
目に映る風景に感動して一歩も動けなくなるというくらいの才能が無いから
無駄な書物の山に埋もれて言葉をこねくり回すしか能が無く
何十冊と本を書いても天才の書いた1つの詩にさえ及ばないのだ
そんな奴らが山のようにいる


ここまで見た
  • 184
  •  
  • 2012/01/21(土) 21:33:40.03
2011年11月に朝日カルチャーセンターで柄谷行人氏と朝日新聞論説委員の尾関章の対談「汎科学論」
を聞きに行った。その中で柄谷氏は、田辺元が近代科学やべルクソンを乗り越えようとして原因は未
来にあるとか面白いことをいっている、といっていた。おそらくそれは後期の「哲学の根本問題」の
ことだと考えられる。その後の質疑で小林秀雄と湯川秀樹に言及した人がいた。小林秀雄には「感想」
という中断したベルクソン論があるが、田辺元の後期の仕事はいわば小林がやろうとしてはたせなかっ
た現代物理学(アインシュタインの理論や量子力学)との対決が主題となっている。

ここまで見た
  • 185
  •  
  • 2012/01/22(日) 18:22:56.02
田辺が科学論や科学哲学やってたのは初期のことだろ、晩年は仏教キリスト教等を総合させた
宗教哲学に向かっていたはず・・・?

ここまで見た
  • 186
  •  
  • 2012/01/22(日) 21:28:21.49
たしかに田辺元の最初の著作が「最近の自然科学」1915であり、ドイツ留学から帰国して書かれた著作
が「数理哲学研究」1925であることからもわかるとおりあなたのいっていることは正しい。しかし彼の
最晩年の著作は「数理の歴史主義展開」1954「理論物理学新方法論提説」1955「相対性理論の弁証法」
1955なのだ。全集の下村寅太朗の解説によれば前者は田辺元の仕事の総決算ともいえるものであり、デ
ュラックをはじめとする当時の最新の物理学と田辺哲学との融解が試みられていると同時にドイツ留学で
知り合った同年配のライバル・(まだ「存在と時間」を出版する前のハイデガー)との対決でもあった。
死が近いことを意識した渾身の論文である。柄谷氏も数学基礎論への関心が強いことを考えると彼は西田
より田辺のほうに興味があるのかもしれない。

ここまで見た
  • 187
  •  
  • 2012/01/22(日) 21:31:33.34
柄谷www

ここまで見た
  • 188
  •  
  • 2012/01/24(火) 20:39:28.18
八巻正治さん

山上の説教は、人に自分が不完全で
有る事を自覚させる事が目的なんだそうだ。

例えば、敵を愛しなさい、と言う戒めは
人が敵を愛せない不完全な存在だと自覚させる
為の言葉だそうだ。

愛についての説明は、有ったけど
敵についての説明は、無かったね。

八巻正治さんよ、アンタにとっての敵とは誰かね?

敵を愛せない自分を愛してくれる神の愛が
無条件の慰めなのだそうだが。
八巻正治さん、わかるかな?
問題は、敵を愛せない事より
敵をつくってしまう人間に問題が有るんじゃないか。

敵を作らないようにすれば
敵を愛する必要は無いんじゃないか?
ねえ八巻正治さん。




ここまで見た
  • 189
  •  
  • 2012/03/22(木) 19:40:30.42
>例えばドゥルーズが
>でてくるまではベルクソンは(こういう言葉は嫌いだが)すでに乗り越えられた古くさい思想と考えら
>れていた傾向があったといっても間違いではない。

レトリックで保留しつつ、事実と反する主張をするバカな文章の典型

ここまで見た
  • 190
  •  
  • 2012/03/26(月) 23:21:05.97
てかさ、岩波の西田全集はいつ重版されんのかな?
1−6が入手できなくて困ってんだけど。

ここまで見た
  • 191
  •  
  • 2012/03/28(水) 20:41:42.22
旧版の全集買えば・・・、全19巻で1万円前後であるけど。

ここまで見た
  • 192
  •  
  • 2012/04/19(木) 22:05:58.87
西田全集久しぶりに読み直している、単行本の「善の研究」より全集で読む「善の研究」の方が
迫力で読める。


ここまで見た
  • 193
  •  
  • 2012/05/01(火) 10:46:46.13
>>180
そう。それは唯一無二だと思うよ。無といっても禅仏教からのアプローチだけど。
道元が現代に甦って哲学用語で説明してくれているようにさえ思える。

ここまで見た
  • 194
  •  
  • 2012/05/14(月) 11:21:11.12
てか善の研究最初からさっぱりわからない
良い解説書があったら教えて、エロい人

ここまで見た
  • 195
  •  
  • 2012/06/09(土) 18:21:12.54
つ小坂国継の全注釈

ここまで見た
  • 196
  •  
  • 2012/06/20(水) 14:40:53.78
>>147
ホワイトヘッドの有機体哲学の、自然、神、人間の一体プロセスを基本とした
論理体系は、仏教の「草木国土悉皆成仏」の思想と通じるところがある。
西田哲学は、「絶対矛盾的自己同一」を基本として「無(空)の思想」と「即非の論理」を
述べているが、これらの論理が、有機体哲学そして「草木国土悉皆成仏」思想に、どの様に
関わってくるのか、その辺が、西田哲学は曖昧の様に思われる。

ここまで見た
  • 197
  •  
  • 2012/07/13(金) 22:52:05.29
西田哲学は神秘主義的宗教体験を持った者で無いと理解できんよ。

ここまで見た
  • 198
  •  
  • 2012/07/14(土) 11:37:37.75
>>197
「神秘主義的宗教体験」とは、どの様な体験でしょうか。西田哲学は、「絶対矛盾的自己同一」を、
主観的領域内(自己)の中に閉じ込めていると思われる。「見られている自己(客観的領域)」も
自己の内に捉えると、言う論理は、「見られている自己」としての実体(他我)である客観的存在を無視して
観念的な「見られている自己」を自己の内に対立させている。と、考えられる。この論理では、自己世界と
外部世界(客観的世界)との明確な論理展開が、出来ないのではないかと思う。

ここまで見た
  • 199
  •  
  • 2012/07/14(土) 12:37:34.21
> 絶対矛盾的自己同一


ここまで見た
  • 200
  • catt
  • 2012/07/14(土) 16:22:16.34
>>198
西田は
>観念的な「見られている自己」を自己の内に対立させて
はいないと思うよ。

ここまで見た
  • 201
  •  
  • 2012/07/14(土) 18:11:03.70
>>200
西田幾多郎は、見る自分(主観的領域)と、見られる外界(客観的領域)が、
自己の内側に自己同一的に存在すると、述べているが、主観的な自己と、外界(客観的存在)と
言う全く相反する存在が自己の内で、対立と調和を繰り返していると、捉えた方が論理として
自然であると思う。

自己の内側にすべての世界があると言う捉え方は、主観的領域内で、すべての問題解決を図って
行こうとする事であり、 外界世界(客観的領域)の問題(事象)は、自己世界では客観的実体ではなく
観念(精神的なもの)として取り込まれるのみである。
従って、主観的問題そして客観的問題を現実的に解決する為には、二元論を肯定し、自己世界(主観的領域)と
外界世界(客観的領域)を実存的に捉えた問題解決が必要と思う。



ここまで見た
  • 202
  • catt
  • 2012/07/14(土) 21:20:19.24
>>201
西田の「つくるものへ」、という言葉は「つくられたもの」を含んだ解でしょう。
ということは二元論を踏み越えないと不可能なのでは?

ここまで見た
  • 203
  •  
  • 2012/07/15(日) 00:27:17.08
行為的直観だよ

ここまで見た
  • 204
  •  
  • 2012/07/27(金) 18:44:16.67
自分は長年神経症を患っていた。最初は森田正馬を信奉していたけど、
自分の無意識が症状のレベルとして、形を持ったものとして現れてくるにつれて、
関心は森田を離れ、村上春樹の長編小説(「ダンス・ダンス・ダンス」、
「ねじまき鳥クロニクル」、「国境の南、太陽の西」、「海辺のカフカ」など)
に移っていった。そこで、河合隼雄「ユング心理学と仏教」に出会い、
「自分の体験が、見てきた世界が、ここに少なからず書かれている」と感じた。

そこで、西田幾多郎「善の研究」に出会った。この本に書かれてあるすべての
内容を理解、共感することはとてもできなかったけど、とても共感できる部分も
多々あった。こんなに熱心に本を読んだのは、初めてと言ってよかったかもしれない。

お絵かきランド
フリックラーニング
ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード