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  • 1
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  • 2010/09/13(月) 15:40:56
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  • 138
  • catt
  • 2011/09/03(土) 17:08:17.19
>>137
自分も、道元と法然はざっと眺めておくと良いと思う。

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  • 139
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  • 2011/09/03(土) 21:18:18.31
日本の仏教は大乗仏教だからな、釈迦仏教とは異質なものだよ。

西田哲学の核となっている宗教的悟りの体験による宗教的世界観は大乗、特に禅仏教からきているよ。

本来の仏教を理解する為にはヨーガの修行をするしかないだろ。

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  • 140
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  • 2011/09/04(日) 23:31:34.67
仏教を学びたいのなら鈴木大拙でも読んだ方がよい。以前にもいったが西田の著作には一般に流通して
いるイメージとは違い仏教用語がおどろくほど少ない。「善の研究」〜「自覚における直感と反省」の
間に書かれた小品を読むと彼のやりたかったことが明快に書いてあるが、それは仏教の現代風の解説や
翻案ではない。
はない。


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  • 141
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  • 2011/09/06(火) 20:39:36.72
大乗起信論を読んだ。これは善の研究のパクリだな

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  • 142
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  • 2011/09/07(水) 15:34:44.99
そうかな?


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  • 143
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  • 2011/09/07(水) 22:14:31.80
例えば司馬遼太郎が西田幾多郎は清沢満之(1863〜1903)の影響を受けているといっていた。私は違
うと思うがここでは深入りはしない。ここでは西田より上の世代に哲学の視点から仏教やインド思想を
考えなおした人達がいたことを指摘するにとどめる。西田が東京帝国大学の選科に通っていた時の哲学
教授でドイツ留学経験者である井上哲次郎(1856〜1903)もインドや中国の思想とドイツ哲学の融合
を試みた人である。彼の場合ショーペンハウアーやニコライ・ハルトマンの影響があるのかもしれない。
要するに仏教と哲学を組み合わせた人なら西田より先にたくさんいるのだ。西田のオリジナリティーは
別のところにある。


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  • 144
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  • 2011/09/08(木) 00:41:31.16
確かフェヒナーって西田幾太郎に影響を与えてるんだよね?

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  • 145
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  • 2011/09/08(木) 20:54:31.18
私の知る限り引用はしていないと思う。

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  • 146
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  • 2011/09/29(木) 09:28:27.53
>>141
世界に打って出ようというときに、それっぽくハッタリを噛ますだけの教養があるかどうか、
それは実利に直結するのだから少しは教養の実用性にも目を向けてほしいものです。

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  • 147
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  • 2011/09/29(木) 22:30:34.94
ホワイトヘッドは西田幾多郎に近い哲学者の1人である。彼が哲学を講義するのはアメリカに渡ってか
らになるがもともと英国の人である。英国人は植民地政策の影響もあってかビートルズ(音楽)からE
M・フォースター(小説/インドへの道)までインドへの関心が高い。ホワイトヘッドがインド思想を
知らなかったとは考えにくい。例えば仏教学者中村元のような人まで英国に留学している。このこと
からもわかるように(西田の時代以後)もはや西洋哲学とか東洋思想とかいっている場合ではない時
代に突入しはじめたのは明らかだろう。よく東洋思想では...と説明されることの大半はホワイトヘッ
ドがすでにいっていることだ。

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  • 148
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  • 2011/09/29(木) 22:46:13.66
インド哲学研究については大正時代には既にヨーロッパではかなり進んでて、
日本を初めとする大乗仏教は所詮上座部仏教の派生として蚊帳の外扱いだったから。
そこで、日本仏教の存在を示す意味もあり編纂されたのが大正大蔵経。

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  • 149
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  • 2011/10/02(日) 22:46:42.00
世界がこれほどグローバル化した現代に東洋も西洋もないだろ、いまさら。

こんな時こそ、徹底した民族独自の個性の哲学が光るんだよ。
九鬼の粋の哲学がそれだろうが・・・。
西田哲学はもう古い。

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  • 150
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  • 2011/10/02(日) 22:51:26.15
宗教という高い壁があるのは西洋の方なんだがねぇ

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  • 151
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  • 2011/10/02(日) 23:00:33.77
そんな壁、波多野の普遍的宗教哲学によってとっくの昔に破られておるわ!!!






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  • 152
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  • 2011/10/02(日) 23:13:51.28
確かに九鬼の「いきの構造」は日本独自の美意識だね。

これほど艶っぽくて色気のある哲学はないよね。

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  • 153
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  • 2011/10/03(月) 08:14:17.64
そういえば、明治以降の日本哲学についてよくまとまってる
入門書ってある?

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  • 154
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  • 2011/10/03(月) 08:56:41.34
有翼閣から昔出てた「明治思想家集」がすごく詳しかったけど。
最初期の西田哲学に与えた綱島梁川の「見神の実験」の影響やら
西周の哲学用語作成における仏教の影響やらを詳しく書いてたよ。

西周(にしあまね)の百一新論の現代かな遣いに直したものを載せてたけど
今読んでもすごく面白かった。

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  • 155
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  • 2011/10/06(木) 11:28:48.47
>>154
ありがとう。探してみます。

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  • 156
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  • 2011/10/07(金) 21:48:05.37
論争を挑む気はないが、149で書かれている「世界がこれほどグローバル化した現代に東洋も西洋もな
いだろ」という言葉に少しひっかかる。ことはそれほど簡単ではない。グローバル化した世界ではグロ
ーバルスタンダードになっているロジック(論理)があり、それは東洋のものではなく西洋のものであ
るのも事実なのである。それらは半ば強制されたものかもしれないが世界に非常に強い影響力をもって
いる。だから何かについて論じたり説得したりする時にそのスタンダードとどこがどう違うかを明らか
にする必要も生じる。例えば最近漢方の医薬品が見直されている。一見してそれは東洋医学に見えるが
見直されたのは科学的な分析に基づきこの成分はこれこれの効能があると明らかになったからである。
その意味では西洋医学といってもよい。九鬼周造の論文についてもそれはあてはまる。彼のロジックは
スタンダードをきちんとおさえて書いてあるのは明らかであり、単純に「日本独自」といっては誤解が
あるのではないだろうか?

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  • 157
  • catt
  • 2011/10/14(金) 04:51:33.09
>>156
御意。

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  • 158
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  • 2011/12/07(水) 00:59:16.42
早大の教育学部生です。ゼミの購読文献が 日本近代思想と教育ー西田幾多郎を読む。とされ 善の研究が指定文献とされ 輪読しております。レジュメの作成で今夜は徹夜(;_;)

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  • 159
  •  
  • 2011/12/07(水) 08:23:32.24
正直、最初は輪読とかでだれかに解説してもらわないと解りづらいよな

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  • 160
  • 再生屋の金堂祐介
  • 2011/12/17(土) 18:29:54.84
俺が寝てる間にすごいことが起こったらしいな

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  • 161
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  • 2011/12/18(日) 00:44:15.78
>>160
どうしたの?


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  • 162
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  • 2012/01/05(木) 13:43:27.96
捨てたれど
隠れて住まぬ
人になれば
猶(なお)世にあるに
似たるなりけり

西行

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  • 163
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  • 2012/01/06(金) 00:22:20.00
今年は去年の災害をバネにして日本が絶対矛盾的自己同一に発展する

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  • 164
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  • 2012/01/06(金) 01:39:53.71
もうこのスレ、絶対矛盾的自己同一はNGワードだろ。
安っぽく使い過ぎる。

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  • 165
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  • 2012/01/07(土) 21:40:16.84
安っぽくも何も現実そのものの論理的表現だぜ、絶対矛盾の自己同一は。

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  • 166
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  • 2012/01/07(土) 23:38:45.54
西田の「善の研究」以来ずっと一貫して追及してきたことは宗教的体験による
この現実世界の実相の把握だからね。

それが絶対矛盾的自己同一としての宗教的世界観。

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  • 167
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  • 2012/01/07(土) 23:54:55.92
よくよく考えると、およそ自己が矛盾してないってことはないんだよね…。
自己というのは、根本的に矛盾しているから自己なんだ。
その自己が世界に対して開かれているかどうかが問題なんじゃないかな。

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  • 168
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  • 2012/01/09(月) 21:08:40.29
上の方でもあったがコレ系の人たちは日本独自の哲学をやろうとしたというより
西洋哲学的な形式で語ろうとしただけだからなあ
それが途絶えるというか駆逐されていくのは必然というか

じゃあ西洋哲学の邦訳でいいんじゃねということになる

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  • 169
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  • 2012/01/09(月) 22:17:50.04
うまいこと日本仏教思想を西洋哲学で説明したなぁとは
感じるけど、そこで止まってしまうんだよな

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  • 170
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  • 2012/01/09(月) 23:29:16.71
西田哲学よりも波多野宗教哲学のほうが好き

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  • 171
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  • 2012/01/11(水) 23:31:58.50
確かに波多野誠一の著作は明快で完成された美しい文体で書かれているから、
難しい宗教や哲学の思想を高尚さを保ったまま門外漢にもよく分かるよようだね。


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  • 172
  •  
  • 2012/01/13(金) 06:21:48.62
ということで三木清

ここまで見た
  • 173
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  • 2012/01/13(金) 14:56:42.78
三木清は未熟だ

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  • 174
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  • 2012/01/13(金) 15:35:51.50
では務台理作

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  • 175
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  • 2012/01/13(金) 17:29:02.23
からの三木清

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  • 176
  • 名無し
  • 2012/01/15(日) 17:35:33.54
合志桂太郎は、小学生の時に、同じ塾に通っていた人を
駅のホームから、線路に何度も突き落とした
http://www.kyoto1-jrc.org/shinryo/shinzou/index.html
http://www.kyoto1-jrc.org/shinryo/shinzou/koushi.html

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  • 177
  •  
  • 2012/01/15(日) 18:10:38.28
>>158
高橋さんは最高だよ

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  • 178
  •  
  • 2012/01/18(水) 23:54:44.81
生きる意味など無いのである
地球が46億年前にでき、30億年前に原始生命が誕生した
多細胞生物→動物→哺乳類→霊長類→ヒト

ナメクジに生きる意味など無いであろう?
人間という種にも別に生きる意味など無いのだよ
気が付いたら「生きる意味」とかアホな世迷い言を考える種になっていた

「意味」とはそもそも、思考する際に考えのよりどころにするもの

だが、ヒトが生きていくために、合理的で生きていきやすい
社会・人生にするために、「意味」を作ることは大切なんだ
「意味」を理解したうえで…

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  • 179
  •  
  • 2012/01/19(木) 23:55:17.32
絶対矛盾の自己同一的世相の現代の政治状況

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  • 180
  •  
  • 2012/01/20(金) 11:40:15.51
東洋的視点で無を論じたのは、意義があったかと

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  • 181
  •  
  • 2012/01/20(金) 11:42:23.31
田辺なんて、ドゥルーズより先を行ってたなーという印象。
しかしこのスレを見ると微妙ですね。
トポス論なんかは脈々と受け継がれてるのかな

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  • 182
  •  
  • 2012/01/21(土) 11:49:54.32
哲学の歴史においては思想が「脈々と受け継がれてる」ということはありえない。例えばドゥルーズが
でてくるまではベルクソンは(こういう言葉は嫌いだが)すでに乗り越えられた古くさい思想と考えら
れていた傾向があったといっても間違いではない。それは突然変異のようにぽつりぽつりとあらわれる
しかない。同じ本を読んでもそこから何かを引き出せるという人はわずかなのだ。多くの人は何も引き
出せないでそれを書いた人のせいにする。西田幾多郎にしてもいわゆる「禅」を学んだ人はいくらでも
いたわけでそれをあれほどの形に表した者はそれ以降の仏教学者にもいない。私は道元にも関心がある
が正直今の永平寺に彼の「禅」の核心が「脈々と受け継がれている」とはあまり感じていない。その意
味で田辺元は「ぽつりぽつりとあらわれた」優秀な哲学者である。特に後期の仕事がすばらしいと思う。

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  • 183
  •  
  • 2012/01/21(土) 19:21:56.62
ショーペンハウアーのゲーテ論思い出した
目に映る風景に感動して一歩も動けなくなるというくらいの才能が無いから
無駄な書物の山に埋もれて言葉をこねくり回すしか能が無く
何十冊と本を書いても天才の書いた1つの詩にさえ及ばないのだ
そんな奴らが山のようにいる


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  • 184
  •  
  • 2012/01/21(土) 21:33:40.03
2011年11月に朝日カルチャーセンターで柄谷行人氏と朝日新聞論説委員の尾関章の対談「汎科学論」
を聞きに行った。その中で柄谷氏は、田辺元が近代科学やべルクソンを乗り越えようとして原因は未
来にあるとか面白いことをいっている、といっていた。おそらくそれは後期の「哲学の根本問題」の
ことだと考えられる。その後の質疑で小林秀雄と湯川秀樹に言及した人がいた。小林秀雄には「感想」
という中断したベルクソン論があるが、田辺元の後期の仕事はいわば小林がやろうとしてはたせなかっ
た現代物理学(アインシュタインの理論や量子力学)との対決が主題となっている。

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  • 185
  •  
  • 2012/01/22(日) 18:22:56.02
田辺が科学論や科学哲学やってたのは初期のことだろ、晩年は仏教キリスト教等を総合させた
宗教哲学に向かっていたはず・・・?

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  • 186
  •  
  • 2012/01/22(日) 21:28:21.49
たしかに田辺元の最初の著作が「最近の自然科学」1915であり、ドイツ留学から帰国して書かれた著作
が「数理哲学研究」1925であることからもわかるとおりあなたのいっていることは正しい。しかし彼の
最晩年の著作は「数理の歴史主義展開」1954「理論物理学新方法論提説」1955「相対性理論の弁証法」
1955なのだ。全集の下村寅太朗の解説によれば前者は田辺元の仕事の総決算ともいえるものであり、デ
ュラックをはじめとする当時の最新の物理学と田辺哲学との融解が試みられていると同時にドイツ留学で
知り合った同年配のライバル・(まだ「存在と時間」を出版する前のハイデガー)との対決でもあった。
死が近いことを意識した渾身の論文である。柄谷氏も数学基礎論への関心が強いことを考えると彼は西田
より田辺のほうに興味があるのかもしれない。

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  • 187
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  • 2012/01/22(日) 21:31:33.34
柄谷www

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  • 188
  •  
  • 2012/01/24(火) 20:39:28.18
八巻正治さん

山上の説教は、人に自分が不完全で
有る事を自覚させる事が目的なんだそうだ。

例えば、敵を愛しなさい、と言う戒めは
人が敵を愛せない不完全な存在だと自覚させる
為の言葉だそうだ。

愛についての説明は、有ったけど
敵についての説明は、無かったね。

八巻正治さんよ、アンタにとっての敵とは誰かね?

敵を愛せない自分を愛してくれる神の愛が
無条件の慰めなのだそうだが。
八巻正治さん、わかるかな?
問題は、敵を愛せない事より
敵をつくってしまう人間に問題が有るんじゃないか。

敵を作らないようにすれば
敵を愛する必要は無いんじゃないか?
ねえ八巻正治さん。




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  • 189
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  • 2012/03/22(木) 19:40:30.42
>例えばドゥルーズが
>でてくるまではベルクソンは(こういう言葉は嫌いだが)すでに乗り越えられた古くさい思想と考えら
>れていた傾向があったといっても間違いではない。

レトリックで保留しつつ、事実と反する主張をするバカな文章の典型

フリックゾンビ
フリックゾンビ
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