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  • 2010/09/13(月) 15:40:56
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  • 122
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  • 2011/07/27(水) 18:02:48.41
「脳が変わった」、「自己の霊的向上」、「高い霊的見地」・・・

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  • 2011/08/05(金) 17:07:08.73
みんなで悟ればこわくない

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  • 124
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  • 2011/08/27(土) 22:42:00.52
>>120
残念ながら西田の真価は「善の研究」よりも「場所」以降の後期の仕事にあると思う。「善の研究」は
まだウィリアム・ジェームズ等の枠の中にいる。彼の真価はそこから出たところにあるのだ。

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  • 125
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  • 2011/08/27(土) 23:37:22.13
この人の本、正直まともに読めないんだけど 俺がおかしいのかな?
それとも、読める人が一般人と比べておかしいのかな?

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  • 126
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  • 2011/08/28(日) 00:53:22.83
「絶対矛盾的自己同一」だけでいいよ

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  • 2011/08/28(日) 08:27:04.89
「まともに読め」る「読めない」とはどういう意味か?例えば「善の研究」に関していえば難解ば造語
は使っていないし、晩年の「デカルト哲学について」を読めば基本的な西田の立場が普通に書いてある
。この立場に反対するにしろ賛成するにしろそのことは又別の話だ。言葉の普通の意味でろくに読みも
しないで、西田に対して一般に流通しているイメージについて語ることはあまりに安易だ。

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  • 128
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  • 2011/08/28(日) 12:34:44.04
>>127
「善の研究」の改訂版は、まだいいとしても、旧版は、とても読めたシロモノじゃなかったよ(内容理解以前にね)
まあ、どちらも最初手にとったときは、前知識が無かったもので、内容がまったく理解出来なかったが。
文庫化されてる「善の研究」で手が止まって全集まで行ってなかったが、今度読んでみようと思うわ。
ただ最後の下村寅太郎の
「哲學専攻者の間だけでなく一般讀書人にも最も廣く愛讀され普及した哲學書であった」
と言う下りで、ほんとかよと思っただけ。

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  • 129
  •  
  • 2011/08/28(日) 18:06:02.79
そういうことであれば前言は撤回しよう。
下村寅太郎の言説には注が必要かもしれない。当時「善の研究」は哲学書にしては異例に売れたことを
いっている。ちょうど1980年代に現代思想ブームが起こった時に思想書例えば「構造と力」が非常に
売れたように。(部数は比較にならないとは思うが)そのため西田のいる京都帝国大学に哲学を学びた
いと考える高校生も多くでてきた。

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  • 130
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  • 2011/08/28(日) 18:49:18.82
そういう背景があったのか、当時の18.19歳の学生が必読していたって
聞いて、当時の人は、子供ですらこんな本を読めていたのかと驚いたけど。
「いき」の構造と同じような事が、善の研究でもあったのね。

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  • 131
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  • 2011/08/28(日) 19:58:21.49
●へ゜イカレン_ト・コ_ンサ_ルティング
・新卒内定切りで有名なクソ企業。実行犯の執行役員南_部は社長がまだ在籍中。
・売れない社員は何もない部屋に監禁され、休職退職強要、カメラ監視。
・今年入社した新卒の半数が退職済


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  • 132
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  • 2011/08/28(日) 22:17:44.42
そもそも「善の研究」に書かれている「純粋経験」などは禅仏教に親しんでいる当時の知識人やその子
弟にとっては今より理解しやすい環境があったかもしれない。禅宗の坊さんからすればこの程度のこと
は初歩に学ぶことだからだ。西洋の文脈からするとW・ジェームズ(純粋経験)やベルクソン(純粋持
続)は18世紀から支配的であったデカルト主義(厳密にいえばデカルト本人は違う)の機械的世界観そ
れを応用した科学論と唯物論を乗り越える新しい思想としてあらわれた。基本的には現代の日本人も小
学生の時からデカルト主義を学ぶため西田の著書が読みにくくなっている原因となっている。しかし(
私見だが)物質から生命は生まれないし唯物論では生命を説明できないと思う。

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  • 133
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  • 2011/08/29(月) 14:17:07.98
『善の研究』読む前に大乗起信論読んでおけば解りやすいな

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  • 134
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  • 2011/08/31(水) 21:30:15.66
私の場合井筒俊彦の本で「大乗起信論」を読んだだけであるが、たしかに西田のいっていることと共通
する部分がかなりある。しかし個人的には仏典のことはあまり気にせず「哲学」として読むことをおす
すめしたい。後期西田の関心は(ベルクソンと同様に)相対性理論や量子力学を射程に入れていたのだ
から。

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  • 135
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  • 2011/09/02(金) 23:14:35.38
おすすめなんかされてもなあ

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  • 136
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  • 2011/09/02(金) 23:25:05.48
大乗って大きな船って意味らしいね
どうでもいいけど

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  • 137
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  • 2011/09/03(土) 08:33:24.32
日本仏教の基本的な知識を身につけておくと西田の思想が
解りやすいのは確か。
「西田を読む上ではあまり仏教にとらわれない方がいい」と言ってる
先生に限って仏教の知識がほとんど無かったりする。

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  • 138
  • catt
  • 2011/09/03(土) 17:08:17.19
>>137
自分も、道元と法然はざっと眺めておくと良いと思う。

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  • 139
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  • 2011/09/03(土) 21:18:18.31
日本の仏教は大乗仏教だからな、釈迦仏教とは異質なものだよ。

西田哲学の核となっている宗教的悟りの体験による宗教的世界観は大乗、特に禅仏教からきているよ。

本来の仏教を理解する為にはヨーガの修行をするしかないだろ。

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  • 140
  •  
  • 2011/09/04(日) 23:31:34.67
仏教を学びたいのなら鈴木大拙でも読んだ方がよい。以前にもいったが西田の著作には一般に流通して
いるイメージとは違い仏教用語がおどろくほど少ない。「善の研究」〜「自覚における直感と反省」の
間に書かれた小品を読むと彼のやりたかったことが明快に書いてあるが、それは仏教の現代風の解説や
翻案ではない。
はない。


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  • 141
  •  
  • 2011/09/06(火) 20:39:36.72
大乗起信論を読んだ。これは善の研究のパクリだな

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  • 142
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  • 2011/09/07(水) 15:34:44.99
そうかな?


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  • 143
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  • 2011/09/07(水) 22:14:31.80
例えば司馬遼太郎が西田幾多郎は清沢満之(1863〜1903)の影響を受けているといっていた。私は違
うと思うがここでは深入りはしない。ここでは西田より上の世代に哲学の視点から仏教やインド思想を
考えなおした人達がいたことを指摘するにとどめる。西田が東京帝国大学の選科に通っていた時の哲学
教授でドイツ留学経験者である井上哲次郎(1856〜1903)もインドや中国の思想とドイツ哲学の融合
を試みた人である。彼の場合ショーペンハウアーやニコライ・ハルトマンの影響があるのかもしれない。
要するに仏教と哲学を組み合わせた人なら西田より先にたくさんいるのだ。西田のオリジナリティーは
別のところにある。


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  • 144
  •  
  • 2011/09/08(木) 00:41:31.16
確かフェヒナーって西田幾太郎に影響を与えてるんだよね?

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  • 145
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  • 2011/09/08(木) 20:54:31.18
私の知る限り引用はしていないと思う。

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  • 146
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  • 2011/09/29(木) 09:28:27.53
>>141
世界に打って出ようというときに、それっぽくハッタリを噛ますだけの教養があるかどうか、
それは実利に直結するのだから少しは教養の実用性にも目を向けてほしいものです。

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  • 147
  •  
  • 2011/09/29(木) 22:30:34.94
ホワイトヘッドは西田幾多郎に近い哲学者の1人である。彼が哲学を講義するのはアメリカに渡ってか
らになるがもともと英国の人である。英国人は植民地政策の影響もあってかビートルズ(音楽)からE
M・フォースター(小説/インドへの道)までインドへの関心が高い。ホワイトヘッドがインド思想を
知らなかったとは考えにくい。例えば仏教学者中村元のような人まで英国に留学している。このこと
からもわかるように(西田の時代以後)もはや西洋哲学とか東洋思想とかいっている場合ではない時
代に突入しはじめたのは明らかだろう。よく東洋思想では...と説明されることの大半はホワイトヘッ
ドがすでにいっていることだ。

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  • 148
  •  
  • 2011/09/29(木) 22:46:13.66
インド哲学研究については大正時代には既にヨーロッパではかなり進んでて、
日本を初めとする大乗仏教は所詮上座部仏教の派生として蚊帳の外扱いだったから。
そこで、日本仏教の存在を示す意味もあり編纂されたのが大正大蔵経。

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  • 149
  •  
  • 2011/10/02(日) 22:46:42.00
世界がこれほどグローバル化した現代に東洋も西洋もないだろ、いまさら。

こんな時こそ、徹底した民族独自の個性の哲学が光るんだよ。
九鬼の粋の哲学がそれだろうが・・・。
西田哲学はもう古い。

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  • 150
  •  
  • 2011/10/02(日) 22:51:26.15
宗教という高い壁があるのは西洋の方なんだがねぇ

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  • 151
  •  
  • 2011/10/02(日) 23:00:33.77
そんな壁、波多野の普遍的宗教哲学によってとっくの昔に破られておるわ!!!






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  • 152
  •  
  • 2011/10/02(日) 23:13:51.28
確かに九鬼の「いきの構造」は日本独自の美意識だね。

これほど艶っぽくて色気のある哲学はないよね。

ここまで見た
  • 153
  •  
  • 2011/10/03(月) 08:14:17.64
そういえば、明治以降の日本哲学についてよくまとまってる
入門書ってある?

ここまで見た
  • 154
  •  
  • 2011/10/03(月) 08:56:41.34
有翼閣から昔出てた「明治思想家集」がすごく詳しかったけど。
最初期の西田哲学に与えた綱島梁川の「見神の実験」の影響やら
西周の哲学用語作成における仏教の影響やらを詳しく書いてたよ。

西周(にしあまね)の百一新論の現代かな遣いに直したものを載せてたけど
今読んでもすごく面白かった。

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  • 155
  •  
  • 2011/10/06(木) 11:28:48.47
>>154
ありがとう。探してみます。

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  • 156
  •  
  • 2011/10/07(金) 21:48:05.37
論争を挑む気はないが、149で書かれている「世界がこれほどグローバル化した現代に東洋も西洋もな
いだろ」という言葉に少しひっかかる。ことはそれほど簡単ではない。グローバル化した世界ではグロ
ーバルスタンダードになっているロジック(論理)があり、それは東洋のものではなく西洋のものであ
るのも事実なのである。それらは半ば強制されたものかもしれないが世界に非常に強い影響力をもって
いる。だから何かについて論じたり説得したりする時にそのスタンダードとどこがどう違うかを明らか
にする必要も生じる。例えば最近漢方の医薬品が見直されている。一見してそれは東洋医学に見えるが
見直されたのは科学的な分析に基づきこの成分はこれこれの効能があると明らかになったからである。
その意味では西洋医学といってもよい。九鬼周造の論文についてもそれはあてはまる。彼のロジックは
スタンダードをきちんとおさえて書いてあるのは明らかであり、単純に「日本独自」といっては誤解が
あるのではないだろうか?

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  • 157
  • catt
  • 2011/10/14(金) 04:51:33.09
>>156
御意。

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  • 158
  •  
  • 2011/12/07(水) 00:59:16.42
早大の教育学部生です。ゼミの購読文献が 日本近代思想と教育ー西田幾多郎を読む。とされ 善の研究が指定文献とされ 輪読しております。レジュメの作成で今夜は徹夜(;_;)

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  • 159
  •  
  • 2011/12/07(水) 08:23:32.24
正直、最初は輪読とかでだれかに解説してもらわないと解りづらいよな

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  • 160
  • 再生屋の金堂祐介
  • 2011/12/17(土) 18:29:54.84
俺が寝てる間にすごいことが起こったらしいな

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  • 161
  •  
  • 2011/12/18(日) 00:44:15.78
>>160
どうしたの?


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  • 162
  •  
  • 2012/01/05(木) 13:43:27.96
捨てたれど
隠れて住まぬ
人になれば
猶(なお)世にあるに
似たるなりけり

西行

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  • 163
  •  
  • 2012/01/06(金) 00:22:20.00
今年は去年の災害をバネにして日本が絶対矛盾的自己同一に発展する

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  • 164
  •  
  • 2012/01/06(金) 01:39:53.71
もうこのスレ、絶対矛盾的自己同一はNGワードだろ。
安っぽく使い過ぎる。

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  • 165
  •  
  • 2012/01/07(土) 21:40:16.84
安っぽくも何も現実そのものの論理的表現だぜ、絶対矛盾の自己同一は。

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  • 166
  •  
  • 2012/01/07(土) 23:38:45.54
西田の「善の研究」以来ずっと一貫して追及してきたことは宗教的体験による
この現実世界の実相の把握だからね。

それが絶対矛盾的自己同一としての宗教的世界観。

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  • 167
  •  
  • 2012/01/07(土) 23:54:55.92
よくよく考えると、およそ自己が矛盾してないってことはないんだよね…。
自己というのは、根本的に矛盾しているから自己なんだ。
その自己が世界に対して開かれているかどうかが問題なんじゃないかな。

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  • 168
  •  
  • 2012/01/09(月) 21:08:40.29
上の方でもあったがコレ系の人たちは日本独自の哲学をやろうとしたというより
西洋哲学的な形式で語ろうとしただけだからなあ
それが途絶えるというか駆逐されていくのは必然というか

じゃあ西洋哲学の邦訳でいいんじゃねということになる

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  • 169
  •  
  • 2012/01/09(月) 22:17:50.04
うまいこと日本仏教思想を西洋哲学で説明したなぁとは
感じるけど、そこで止まってしまうんだよな

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  • 170
  •  
  • 2012/01/09(月) 23:29:16.71
西田哲学よりも波多野宗教哲学のほうが好き

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  • 171
  •  
  • 2012/01/11(水) 23:31:58.50
確かに波多野誠一の著作は明快で完成された美しい文体で書かれているから、
難しい宗教や哲学の思想を高尚さを保ったまま門外漢にもよく分かるよようだね。


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  • 172
  •  
  • 2012/01/13(金) 06:21:48.62
ということで三木清

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  • 173
  •  
  • 2012/01/13(金) 14:56:42.78
三木清は未熟だ

フリック回転寿司
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