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  • 2010/09/13(月) 15:40:56
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  • 2010/09/13(月) 16:20:02
氏賀Y太スレかと思ったら違うのか

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  • 2010/09/13(月) 16:43:01
>>1
俺がガキの頃はめちゃくちゃ人気あったよ

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  • 2010/09/13(月) 16:55:17
>>1
ケツにタイキックされて悶絶して泣いちゃえばよかったのに

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  • 2010/09/13(月) 17:05:44
>>1
堕ちるとこまで堕ちたら
自分のことを嫌いにはなるだろうが
物事をよく考えれるようになるよ

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  • 2010/09/13(月) 20:24:07
*

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  • 2010/09/15(水) 19:18:18
・・・(・・?

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  • 2010/09/17(金) 14:45:24
【西田幾多郎】京都学派総合スレッド【森哲郎】避難所
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=tv&tn=0861

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  • 2010/09/18(土) 23:18:08
西田、田辺のあとで、高山岩男に継がせたのが間違いの元だろうなあ。

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  • 2010/09/21(火) 09:41:09
>>9
なんで? 高山岩男って超優秀でしょ。


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  • 2010/09/21(火) 13:45:56
世界史の哲学とかかなり面白いと思う
少なくとも今一度再考されるべき
戦争との関わりばかりが強調されてタブー視されてるのが問題だね

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  • 2010/09/23(木) 09:53:33
いや、むしろ「でもほんとは戦争に加担するつもりなんてなかったんだお」
という論調が大勢だし、十分すぎるほど再考・再評価されてるだろ。
ただ残念ながら、時代が悪かったな。
今さら哲学自体の需要がない。

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  • 2010/10/06(水) 02:56:18
かもしれない。

だけど大切なんだよ。

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  • 2010/10/14(木) 02:14:09
>「でもほんとは戦争に加担するつもりなんてなかったんだお」

これってなんか陳腐だよね。
いいじゃん別に、世界征服のための哲学であっても。

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  • 2010/10/14(木) 20:22:17
単なる秀才じゃだめなんだよ。
時代に見事にアダプトするだけで、
時代と共に過去に押し流される。
戦争協力云々はその一部で末梢的な話。

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  • 2010/10/16(土) 17:07:08
和辻スレも落ちちゃったのか〜

こぶし書房と、一燈園の出版社が京都学派の本を復刻し続けているね。
あと書肆心水というところか。

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  • 2010/10/16(土) 17:35:50
岩波文庫で田邉元選集刊行中です。

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  • 2010/10/17(日) 04:57:47
誰が読むのよ今さら

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  • 2010/10/18(月) 00:25:26
>>18
そういう風に言うんなら,プラトンやデカルトを読むのも、誰が読むのよ今さらって話だなw

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  • 2010/10/21(木) 18:26:29
そこら辺は巨大な西洋哲学の源泉を探る意味で読まれる。
例えばカント・ニーチェ・マルクス…
どんな哲学を研究しようとしても古代ギリシア哲学まで遡ることを避けることはできないよね。
あるいは古典としての需要かな。

京都学派はそれが源泉となって現代につながるほどの大きな思想を形成したことはないし、
ついこないだの戦争に協力したしなかったで物好きのネタになるくらいが関の山だろ。
ましてや古典でもないしね。

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  • 2010/10/22(金) 22:54:52
>>20
予想どおりの解答ありがとうございますw

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  • 2010/10/23(土) 00:21:31
しかし日本の哲学、日本の思想を構築するという点では参考になるというか、唯一の営みだったと思うけどね。
今の哲学が欧米の哲学者の文献解読になってたり、西欧哲学メインなのはおかしいでしょう。
日本人としての哲学が構築されねばならないという仕事を放棄している現代の哲学者は怠慢だよ。
本来はその仕事をやろうとしたのが京都学派だったのに敗戦と一緒にその仕事まで一緒に消えてしまったからね。

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  • 23
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  • 2010/10/23(土) 02:44:20
一つは時代も原因としてあるかも。
日本はまだ教育期間中だったって。欧米だって中世(少なくともその前期)まではそうだったし。
だからむしろこれからかも。

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  • 2010/10/23(土) 10:48:44
>>22
>日本人としての哲学が構築されねばならないという仕事
哲学にそんな目的ないよ。プラトンさんが聞いたら呆れるだろうな。

つーか日本にはまだ神社も寺もあって、
敗戦なんて何も関係なくそれぞれ独自の方法論で今日も哲学を続けているけど?
京都学派ってそれら東洋の哲学を西洋哲学の言葉に置換しようとしただけで
京都学派の試みが消えようがどうなろうが、神主さんも住職も知ったこっちゃないだろ。

日本独自の哲学を求めてるなら、
それこそ「テツガク」なんて捨てて山篭りでもした方がいいんじゃないか。
俺はこの西欧文明がメインの社会で、西欧哲学がメインになる事は
別に違和感は感じないけどね。日本人としての哲学、なんて言ってる方が違和感ある。
廃仏毀釈で寺潰しに狂奔した人達もそういう考えに囚われていたのかな。

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  • 25
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  • 2010/10/23(土) 12:30:18
そう、結局哲学って西洋発祥でしょ? いっそそういう哲学を棄てればいいと思うんだよ。
愛知とか真理探求とか、そういうものが哲学と言われてるらしいが、どうもそれに納得できない。(むしろ真理なんて存在しないのでは)
どこまでいっても我々にはギリシアやキリスト教の精神が理解できない。あるいは言語構造も違う。
彼らが本当に考えていたことが日本人にどこまで本当に考えられるか疑問だと思うのよ。
頭や論理では言ってることはわかるかもしれない。でもそれが精神的にしっかり根付くか疑問なのよ。
俺は西欧の著作を読んでていつもそう思うんだけどね。
そうなったときに日本語で語られて日本人の宗教観、自然観に根ざした「哲学」を考えるべきだろう。
日本人にとって「哲学」とは何か、というところから始まってね。
京都学派は東洋の哲学を西欧の言葉に置換したわけではない。
そもそも仏教に立脚してるわけだから、西欧の宗教観とそこから出てくる思想とは異なる。
最終的には抽象化したら、どこの文明だって言ってることは似てるかもしれんけけど、その差異が重要。
人間は言語や思考も環境に左右されるのに、自分たちの環境を重視せずに他の環境の産物を追いかけるのは、
自分を見失った根無し草そのもので、そういうところから本当の仕事は生まれないんじゃないのかと。
西欧文明がメインとなる社会がいいわけでもない。むしろ西欧近代の行き詰まりが出てきてるのが実情でしょ。
そうなったときにポストモダンなんていう失敗作ではなくて本当の意味での近代の超克が要る。
環境の違いから来る日本の「哲学」の模索、そして近代の超克のために、近代に懐疑を向けたという2つの点で
京都学派参考になると思うんだけどね。

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  • 2010/10/23(土) 13:51:18
>>25
うんまあ、そういうと>>12に戻るんだが、今さらそんな哲学自体が必要とされてないでしょ。
哲学が力を持っていた時代ならともかく。
このごろは「日本人の心」「仏の心」みたいなワードは商業的にウケやすいから、
うまく時流に乗せて『疲れを癒す、強くなる!日本人に響く西田幾多郎の言葉』みたいな新書出せば
頭の弱いサラリーマンには売れるかも知れないけどさ。

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  • 27
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  • 2010/10/24(日) 23:47:55
哲学ってそもそもなんなんでしょうね。
真理を把握してるんでしょうか。
それとも壮大な誤謬なんでしょうか。
そのことを検証するための哲学史研究なら意味はあると思うけど、
哲学および哲学史を権威化してそれを俺らは継いでるぞという哲学史研究は全く無意味。

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  • 28
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  • 2010/10/26(火) 23:43:41
まあ、日本近代の哲学者で、仏教に着眼した人はいろいろいるんだろうけど
そこでいう「仏教」ってのは、ほとんどが「禅」か「親鸞、浄土真宗」なんだよな

禅=内面の探求
浄土真宗=阿弥陀を絶対者として信ずる点で一神教に通じるようなところがある

ということで、結局は西欧の洗礼を受けた目で見ている

日本の歴史から言えば天台宗とか真言宗とかの方がさらに長いのだが
それらを取り込んだ日本の近代哲学ってのはあるのだろうか


また話は飛ぶけど、日本思想といえば、江戸時代は何よりも儒学の時代で
あったはずだが、朱子学も陽明学も徂徠学も、今は思想史の研究対象に
なるくらいだよな


とりとめもないこと書いてて自分でも何が言いたいのかわからなくなったが
それはそれとして、岩波文庫の田辺選集は読んでみるよ

あと古本屋で高山岩男の「哲学とは何か」と高坂正顕の「哲学は何のために」を
ゲット。どっちも戦後の著作だが。



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  • 29
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  • 2010/10/28(木) 01:04:09
西田哲学は結局ヘーゲル主義の日本風の焼き直しにすぎないって聞いたことがあるけど、どうなんだろうか?

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  • 2010/10/30(土) 23:27:05
当たってるんじゃない?
ヘーゲル主義にブディズムのスパイス効かせましたみたいな

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  • 2010/11/09(火) 17:19:07
今更だけど、田邊、和辻、西谷とかならともかく、
なんでスレタイに西田と一緒に森哲郎とかが入ってるだ?
せいぜい大橋良介か上田閑照だろ

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  • 32
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  • 2010/11/26(金) 21:53:51
>>28
哲学者の定義とは何か?大学で哲学を専攻した人又は専門が哲学の人?
それにこだわらなければ、あきらかに南方熊楠は真言密教の影響を受けている、と思う。
また私の読んだかぎり湯川秀樹は西田幾多郎の影響が非常に強いと感じるし、よく知られ
ているが空海についていろいろ書いている。あと天台宗はなんでもありだから一つの思想
といえるのか、わからない。あなたの仏教を一緒くたにしない点には賛成する。実際仏教
の教典はかぞえきれないほどあるし、言ってることもかなり違う。「ブディズム」とひと
まとめにできるのか?ほとんどデカルトからハイデッガーをひとまとめにするようなもの
だ。インドが源流のいろいろな思想と考えたほうがよいと思う。







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  • 33
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  • 2010/11/27(土) 09:39:14
岩波の田辺選集初めて読んでるが、結構面白いな〜
なんつうか、くそまじめに哲学が「究極的真理をとらえる学」ていう前提なんだが
時代なんだろうが羨ましさと違和感を感じるな

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  • 34
  •  
  • 2010/12/03(金) 23:14:03
昔ある日本人が鈴木大拙にむかって「西洋人が仏教をわかるのか?」と聞いたら、鈴木大拙が「あんた
わかるのかね?」と答えたというエピソードを読んだことがある。いかにもありそうなエピソードでは
あるがたしかに自分が仏教をわかっているかというと疑わしい。その意味で西洋の語彙を使って仏教的
なことを語ることにはかつて意味があったと思う。しかし本当は仏教に限定する必要は全然ないものま
で仏教独有なものとするある種の思想(一種のナショナリズム)には警戒せざるをえない。例えば禅宗
での悟りは何かを本当に理解するというよりは、今までにつもった塵をはらうことであるという。つま
りもともと悟っていたのに世俗の垢がついてしまった為に迷いに入ってしまう。(悟りと何らかの関係
がないなら悟れるはずがない)この理解には異論があるかもしれないが次のことがいいたいのだ。西洋
の文脈では世界あるいは神と自己が対立しているが、仏教では世界あるいは悟りと自己が連続している
、という考え方である。西田幾多郎は前者を「対象論理」と呼び何度も批判している。後者のような考
考え方はインド思想のブラフマンとアートマンとの関係にあたり日本仏教特有なものとはいえない。今
求められているのは日本独自だとかオリジナルに閉じ込もることなく世界と共振できる思想だと思うが
西田哲学にはそれがあると思う。

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  • 35
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  • 2010/12/05(日) 01:17:48
>世界と共振できる思想

こういうあいまいなものいいを平気でするところに、
京都学派の閉鎖性があるとはおもわんかね?

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  • 36
  •  
  • 2010/12/05(日) 01:28:18
ちゃんと京都学派の本読んだことあるのか?
彼らの著書では、彼らの思想が曖昧なまま書かれてたかな?
世界と共振できる、っていう考え方にはちょっと意義ありではある。

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  • 37
  • 34
  • 2010/12/05(日) 11:17:29
貴重な意見ありがとうございます(笑)。私は34で西田幾多郎について語ったが京都学派については
語っていない。一つには京都学派全般について語れるほど読んでいないからであるが、一つには思想
というものはどうしてもパーソナルなところがあるので、学派(スクール)というものには絶対まと
めることができない、と信じているからだ。むしろそれぞれの差異の中にこそその人の思想の核心が
あると思っている。例えば戸坂潤という人がいるが彼はあきらかにマルクス主義者であり、西田幾多
郎をこれでもかというくらい批判している。現代から見ると彼の西田批判は(全てではないが)あた
っているといわざるをえない。もともと思想というものは望遠鏡で見るとどれも似たようなことをい
っている(笑)。事実、西田哲学は29でいわれているように「ヘーゲル主義の日本風焼き直し」とい
われているし、影響を受けていることは間違いないだろう。しかし同時に差異もあるわけでその部分
を見逃すくらいなら、(乱暴にいえば大枠なんてどれも似たようなものであって、本当にむつかしい
のはその細部のつじつま合わせなのだ)解説本でも読んでいればよいのだ。だから「西田哲学」がホ
ワイトヘッドやベルクソンと似ているというのは間違ってはいないのだがそれではダメなのである。
ホワイトヘッドはあまり読んでいないのでベルクソンを例にとると後期の西田はかなりベルクソンを
批判している。簡単にいうとベルクソンは時間に比べて余りに空間を軽視している。極端にいえば幽
霊のような世界である。「エラン・ヴィタール」が次から次へと物質を打ち破っていく。しかし西田
によれば現実世界は物と物とが合い働く世界である、物がもっと重要な役割をはたしている。物はつ
くられたものであるが、それが又世界に働きかけるのである。活力論だけではこの世界はつくられて
はいない。また時間に関しても「純粋持続」は認めるが過去から未来へ流れるという考えを批判して
いる。西田にとって真実在とは絶対現在なのだ。




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  • 38
  • 34
  • 2010/12/05(日) 11:40:13
西田の絶筆「私の論理について」の中に次のような文章がある。「しかし私の論理というのは学界から
は理解せられない、否いまだ一顧も与えられないといってよいのである。批評はないではない。しかし
それは異なった立場から私のいうところを曲解して、これを対象としての批評にすぎない。」これが京
都学派をつくったといわれる人物のいうことであろうか?「京都学派」とは後の人がつくった言葉にす
ぎない。そもそも(私の考える)西田の最重要論文は「弁証法的一般者」以降のものであるが、京都大
学定年退職以後に主に鎌倉で執筆されたものではないのか?「京都学派」の批判ばかりしてしまったが
、もちろん私にも九鬼周造のように好きな人が何人かいるが、それは「京都学派」だからではない。

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  • 40
  •  
  • 2011/01/03(月) 23:46:12
田中美知太郎って本当に京都哲学の癌だったな。
あれのおかげで歴史偏重の流れができた。
ギリシャ哲学が真理を把握してるんなら、その後の哲学史は異論の闘争史にならなかったろうよ。

お絵かきランド
フリックラーニング
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