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  • 316
  •  
  • 2014/05/25(日) 04:53:46.11
>>314
極東アジアの低知能サル、



憲法という概念を政治理論化したのは、イギリスのジョン・ロック。
ロックは、Civilization西洋文明の時代と呼ばれている17−18世紀の、
最大の巨人、最も重要な人物。ロックは、政府を規制する憲法を発見した。

かつて、イギリスは、国王は神だ・国民のほうは獣で、戦いが国民の
自然状態・国は全世界を相手に戦え、という明治以来日本と同一の絶対主義
の政治がはびこっていた。クロムウェル率いるピューリタン軍が、国王を斬首。
ピューリタン革命。世界の民主主義の歴史は、ピューリタン革命から始まった。

この時代、ピューリタンのロックが革命の起こらない政治理論を発表し
これがそのままアメリカ独立のアメリカ憲法となる。アメリカ憲法は、
"Charters of Freedom"「自由の憲章」という。
ロックが発見したのが憲法による立憲主義。立憲主義とは、
憲法が政府を規制する。規制をされる側の政府が憲法を変えるあるいは
変えようとするようなことがあっては、もちろん絶対にいけない。ピューリタンの
民主主義コミュニティーは、憲法がドクトリン。ピューリタンにとって、憲法の
言葉・文章は、バイブルと全く同じで変わらないもの。もちろん、ピューリタンが
バイブルの解釈を変更させ続けているのと同じことで、アメリカはいつでも憲法の
再解釈の検討を一般市民の誰もが行なっている。

アメリカが制定した民主化日本のための日本国憲法は、アメリカ憲法と同じで
ロックの立憲主義憲法の概念・精神に基づいているものだ。

ここまで見た

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