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  • 2015/01/05(月) 22:42:26.29
 戦闘・非戦闘あらゆる原因による日本の陸海軍機の損失は、開戦当初の月平均約500機から、
1944年後半に月2000機以上に上昇した。戦争の過程における総損失機数は50000機の多きに昇ったが、
その40%弱が戦闘損失で、残りの60%強が訓練、輸送その他の非戦闘損失だった。
 したがって、日本は戦争中ほとんどどの月でも、その航空部隊の数字上の機数を増すことができた。
数字上の戦力は戦争勃発時の戦術機2625機から、降伏時の戦術機5000機に加え、カミカゼ機5400機にまで上昇した。
 搭乗員総数は戦争勃発時の約12000名から降伏時の35000名強に増加した。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs09.html

 1944年10月から沖縄作戦終了まで、日本は2550機のカミカゼを飛ばし、うち475機18.6%が有効で、
確実に命中あるいは至近弾効果となった。空母12隻、戦艦15隻、16隻の軽空母・護衛空母を含むあらゆる艦種
の軍艦が損害を受けた。しかし、沈没した一隻の護衛空母より大きい艦はなかった。およそ45隻が沈没したが、
その多くは駆逐艦だった。日本は大型艦を沈めたという膨張された主張に彼等自身騙され、大型艦を沈める
にはより重量のある爆発弾頭が必要であるという技術者達の忠告を無視した。アメリカが被った実際の被害
は深刻であり、大きな心配をもたらした。のべ2000機のB29が日本の都市と産業への直接攻撃から、
九州のカミカゼ飛行場を攻撃する為に振り向けられた。日本がより大きなパワーで集中的な攻撃を持続し得たなら、
我々の戦略計画を撤回若しくは変更させ得たかもしれない。
 降伏時、日本は本土にカミカゼ攻撃用として利用可能な9000以上の航空機を有し、少なくとも5000機は我々が
計画していた侵攻に抵抗するために自殺攻撃用の装備をすでに備えつけていた。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs10.html

チャーチルがドイツ分割占領に対する考えを、突然、変更したのも、夥しい血が流されたこうした作戦の
さなかであった。チャーチルはソ連にドイツの中央部を分け与えるように線引きされたローズベルトの
占領計画案を以前は拒否していたにもかかわらず、今度は自分の計画を変更して、強引に仮協定に調印した。
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/199803/08.pdf

イエナはチューリッヒ州にあるため、ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領が
もたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、イエナをいち早く占領してしまった。
しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、実際の現場のドサクサ
紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254

戦力の編成と犠牲者に関する統計が、アメリカのこうした戦略的選択を反映している。転出や部隊再建が
なされたことを考慮に入れると、太平洋戦争において連合国が対戦し、壊滅せしめた日本陸軍の師団の数
はわずか 28 個にとどまり、その半数は、フィリピンに配備され戦ったものであった。連合国の地上部隊は、
アメリカ陸軍 21 個師団と6つの海兵師団、オーストラリアあるいはニュージーランド軍の7個師団から
なるものであった。ビルマで戦い、インド、アフリカおよび英国の師団で編成された第十四軍も、
最終的には日本の 12 個師団と対峙し、その大半を破った。この他、日本軍は当時アジア北部にはおよそ 50、
本土に 50、そのほかフォルモサ島(台湾)に7、東南アジアに 12 の師団を派遣したが、1945 年 8 月の
ソビエト連邦の短い軍事行動を除き、連合国は日本陸軍とは殆ど交戦していないと言える。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2007/forum_j2007_05.pdf

ナルィシキン議長は、ナチス・ドイツの同盟国だった軍国主義・日本に対する勝利は基本的に、
ソ連軍による関東軍壊滅によって確保されたため、軍事的視点から見て、日本の平和な都市・長崎
と広島への原爆投下は一切説明のつかないものであると指摘した。
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_12_25/281700424/

沖縄戦に参加したアメリカ人やイギリス人は、「ひどい不公正だと感じた」と言い、空でも陸でも
「自殺攻撃」してくる日本人をみるたびに、「なんでこいつらは親玉のドイツ軍が降伏したっていうのに、
まだ戦争をやりたがるんだ」と考えたもののようだった。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/pacificwar/

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  • 2016/01/18(月) 01:04:00.55
どのみちマリアナ以降はVT信管とレーダーでアレやしな
微妙やね

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  • 2016/01/18(月) 08:51:47.41
ジャップを追い込むと自爆攻撃をしてくるってことを世界に刷り込みできたのはデカいと思うわ。
ハリウッド映画などでも、日本人役の脇役がいると、終盤にしばしば特攻するし。

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  • 89
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  • 2016/01/20(水) 00:24:43.26
中村獅童なんか、レッドクリフで甘寧のくせに自爆特攻してたしな

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  • 2016/01/20(水) 07:22:17.60
根本的に発想が違うからな
ゼロ戦には防弾という概念がそも無いんだから

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  • 91
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  • 2016/01/20(水) 23:57:07.98
零戦に防弾装備施したら鈍重な駄作機になるっしょ。
当時の日本は、ステータスをどこかに極振りしないと米英機と渡り合えませんがな。
それをあたかも「旧日本軍は人命軽視」みたいに言う論法は好かん。
つか設計したのは三菱の技術者だし。

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  • 2016/01/21(木) 06:21:03.40
>>91
無茶な要求と思いつつも軍の要求通りに仕上げましたが何か?By三菱の技術者

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  • 2016/01/23(土) 08:08:17.65
>>85
日本の航空隊も開戦時は通常攻撃において世界水準を凌駕する高い命中精度を誇っていた。
急降下爆撃の命中率8割。米軍が6割だったのを見ても非常に高い。
特攻などする必要がなかった。

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  • 2016/01/23(土) 08:12:39.45
>>91
零戦が実践投入されて最初の1年は
空戦による死者がゼロだったことを見ても
人命軽視なんて非難が当たらないのは明白。
高い航続力と空戦能力で搭乗員を守るというスタンスだった。
犠牲が増えていったのは空戦能力における優位が崩れたため。

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  • 2016/01/23(土) 08:15:28.67
まあゼロ戦という字を見て反射的に人命軽視とかいうやつは、まず批判ありきだからな

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  • 2016/01/23(土) 08:37:11.08
戦術に関しては、いかに自分で自画自賛して有効だったと強弁しても、敵が脅威を受けてなければ有効な戦術とは言えないわけ。
逆に日本人が効果がなかったと強弁しようと、米軍自身が有効だったと分析して、もっと大々的にやられれば「戦略の変更も有り得た」とまで言ってるなら、有効だったに決まってるわけでね。

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  • 2016/01/23(土) 08:52:07.39
もう少し掘り下げると、効果はあっても人命軽視だった、損害に見合わなかったという反論はありえる。

その場合も、戦果当たりの損害。
米軍の死傷者当たりの味方の犠牲という基準なら
特攻ほど味方の犠牲が少なくする作戦は他になかった。
(特攻による米軍の死者約7000、負傷者約1万)
キルレートは戦争末期はもちろん、全期間を通しても非常に優秀だった。

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  • 2016/01/23(土) 08:58:48.77
また、結果的に負けたから無駄だよ、という反論も想定できる。
その場合は特攻に限らず全ての戦術が同じだし

他方、敗戦自体は避けられなかったとしても、そのプロセス
「延べ2000機のB29が日本の都市と産業への直接攻撃から、九州のカミカゼ飛行場を攻撃する為に振り向けられた」(米戦略爆撃調査団)
ことにより、特攻に数十倍する民間人の犠牲が救われた意義はけして小さくはない。

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  • 2016/01/23(土) 10:09:52.86
>>98
制空権握られてその理屈は通らんわw
空襲どころか艦砲射撃までしているのに何を言うのやら。
戦争で戦果を捏造するのは台湾沖がいいように最も愚劣な光景だな。

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  • 2016/01/23(土) 11:52:52.35
>>99
論理が無茶苦茶。
航空優勢を奪われた状態、"だからこそ"
都市爆撃の被害を減らすには、都市爆撃の頻度そのものを落とすしかない。
つまり米戦略爆撃調査団が述べている方法
特攻によって米艦隊に脅威を与え、都市爆撃から航空基地攻撃にターゲットを振り向けさせることが
民間人の犠牲を減らす最も有効な手段だったという話にしかならない。

なるほど日本近海における米艦隊の跳梁を許している。
だからこそ米艦隊に最も脅威を与えている特攻が無ければ
より少ない準備、より少ない戦力で、米艦隊による日本本土に対する攻撃が行われていた。
本土が米艦隊に脅威を受けていたからこそ
それに最も損害を与える特攻の重要性が高かったという話にしかならない。

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  • 2016/01/23(土) 11:54:52.40
戦果を捏造も糞も、全てアメリカの調査団の報告書をソースにした話だからな。
人の書き込みをろくに読まず、脊髄反射で的外れなレスを返しているだけの馬鹿が最も害悪だよ。

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  • 102
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  • 2016/01/23(土) 23:02:46.50
特攻隊に議論が及ぶときに、
「特攻隊が有効だったと考えてはならない、言ってはならない」
という精神的な縛りがある気がする。
つーか、「特攻隊は人命を犠牲にするには効果が薄く、なにより非人道的だ」ってことを無検証に述べても許されるというか、無難というか。

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  • 2016/01/24(日) 00:04:26.01
>また、結果的に負けたから無駄だよ、という反論も想定できる。
>その場合は特攻に限らず全ての戦術が同じだし
結果的にじゃなくて特攻のほうが効果的な戦況はとっくに負けてるからだよ。
つまり特攻をやろうがやるまいが結果に大差はない以上、
軍事力を効果的に減らすだけ損な戦法。
せめてフィリピンの最初の特攻のように空母の甲板をつぶして
通常戦力で敵を撃破するくらいの話で無いと有害と言っていい戦法だ。

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  • 104
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  • 2016/01/24(日) 00:15:21.76
>>103
全く逆。
「延べ2000機のB29が日本の都市と産業への直接攻撃から、九州のカミカゼ飛行場を攻撃する為に振り向けられた」
(米戦略爆撃調査団)

東京大空襲では述べ300機の空襲で10万人以上の命が失われた。
延べ2000機の都市爆撃を防ぐ効果というのは、どれだけ過大に評価してもしきれないほど大きい。
敗戦という結果は変えられなくとも、この戦術の有無によって何十倍の命が救われたか。
こと人的資源の損耗を抑えるという意味において
特攻は有害どころか日本の将来に比類ない利益のあった戦術だったと結論していい。

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  • 105
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  • 2016/01/25(月) 00:08:15.13
航空機での自爆攻撃の特許取っておけ
風船爆弾の発明の方は特許あるのか

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  • 106
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  • 2016/01/25(月) 00:11:40.50
日本人の一番の敵は日本人ってことか

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  • 2016/01/27(水) 10:03:39.35
異様な国家になってしまった

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  • 2016/01/27(水) 21:20:00.40
◆在日中国人


在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。

独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。

2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。

なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。

日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。

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  • 109
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  • 2016/01/30(土) 04:12:30.38
玉砕とか特攻を命令した人達って敗戦で国全体がアメリカの虜囚となった時、卑怯者だけが生き残る感じで嫌じゃなかったのかな?

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  • 110
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  • 2016/01/30(土) 08:29:07.94
特攻隊の創始者である大西瀧治郎は割腹自殺してるけどな。
単に発令しただけの人は、「人によりけり」じゃないかな。
現代においても、社員にリストラ通告するのがストレスで、おかしくなっちゃう人もいれば、
何百人にクビ宣告して罵倒を浴びても平気な人もいるし。

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  • 111
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  • 2016/01/30(土) 09:00:57.09
殊更に特攻を美化して批判を許さない事で自身の責任逃れを謀る連中もな

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高山病は登山だけではなく、高高度を飛行する与圧式でない航空機でも起こり得る症状です。
高度が高くなると空気が薄くなるからね。

ヒトの高山における適応性はかなりの時間を要する。
それに適応できずに身体に症状が出るのが高山病。

体調が悪い時では筑波山頂で高山病ということも起こり得る。
山登りはハイペースで登るのではなく、ゆっくりと時間を掛けて登る。

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  • 2016/01/30(土) 22:36:12.52
戦国時代「進めば天国、引かば地獄」の一向一揆
思想のために死ねば天国へ行けるって考え

オウムの信者達も組織の自衛の為と信じて社会に対して特攻した

大日本帝国が鬼畜だと教えていたアメリカに航空機での自爆攻撃

みんな死後の世界で幸福があると信じ込まされての凶行なんだろう

そんな靖国思想が北朝鮮でも教え込まれているとしたら怖い
死を恐れないパイロットがジェット機で日本海側の原発にでも神風したら
大日本帝国もオウムも世界から孤立した後、世界に奇襲攻撃をした

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  • 114
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  • 2016/01/30(土) 23:25:38.50
死ねば天国だなんて、的外れもいいとこ。

戦況が絶望的になって、本土爆撃が常態化し、機動艦隊も壊滅し、軍人でない妻子や親が死んでいく毎日。
時代は帝国主義の最末期で、敗戦国は戦勝国に奴隷化される(と信じられていた)。
高空からの通常爆撃では敵機動艦隊に有効打を与えるのは極めて困難。

こうした背景があってのこと。

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  • 2016/01/31(日) 02:11:00.94
>>109
終戦時に自決した軍人は500人以上。
人類史上、これだけ軍人が自決した例というのは他に無い。

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  • 116
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  • 2016/01/31(日) 02:15:44.18
負けたら国難にある祖国をより支えていこうというのが普通の国の軍人の責任の取り方。
負けたら死ねというのが日本。
自殺してない将校がいれば、卑怯者、死ねと罵るのが日本人。

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  • 117
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  • 2016/01/31(日) 09:58:50.05
最初は心ある武人が、恥じるところあって、自主的に自決していた

そのうち周りが「なんでお前自決しないの?」とか言い出すようになる

まあ非常に日本らしい気がする。

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  • 2016/01/31(日) 13:16:12.28
酷いものだったよなノモンハンのときは

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  • 119
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  • 2016/01/31(日) 20:54:11.86
◆在日中国人


在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。

独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。

2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。

なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。

日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。

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  • 2016/02/02(火) 02:44:54.82
牟田口と石井と裕仁

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  • 2016/02/02(火) 23:02:19.06
彼等はどんな思いで特攻したのだろう?

原付でダンプやトレーラーに向う様なものです。
ダンプやトレーラーは反撃しないが、米艦艦隊は弾幕を浴びせる
それを縫って体当たりする特攻隊員の凄さ。
沖縄に於いて、特攻攻撃に対する一瞬、逃れた民がいるのです。
これこそが、特攻の意義です。
命に勝る明確な理由です。民とその未来を救うです。

だからこそ、我々が存在しているのです。
我々は、英霊の命と血の上にのみ存在するのです。

英霊がいなければ、私たちは存在し得ないのです。

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  • 122
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  • 2016/02/03(水) 05:46:38.65
こう言う妄想を元特攻隊の指揮官が言って自分への批判を逸らそうとするから
まともな人間からは叩かれるんだよな

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  • 2016/02/03(水) 17:46:50.46
うん。
だってアメリカの裁量で日本人の生死は別れたんだからね。
特攻が日本人に罪深いのは
住民を巻き込んだ徹底抗戦の消耗戦を印象付けた事。
そのせいでアメリカはアメリカ兵の消耗を避けるとの考えで原爆投下に踏み切った。

軍隊は本来、国民を守る。
でも大日本帝国では国体を守るために軍隊と国民が死を強制された。

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  • 2016/02/03(水) 19:40:36.19
>>123
>そのせいでアメリカはアメリカ兵の消耗を避けるとの考えで原爆投下に踏み切った。

ロシア下院(国家会議)のナルィシキン議長は、広島と長崎への原爆投下を、ナチスの犯罪と
同じような人類に対する犯罪として認めることについて調査するべきだとの考えを表している。
ナルィシキン議長は、ロシア歴史協会評議会の幹部会合で、「来年は、ニュルンベルク裁判と、
平和の都市・広島および長崎へ世界で初めて、そして唯一原爆が投下されてから70年を迎える。
私がニュルンベルク裁判と日本の2都市への原爆投下を一緒に取り上げるのは偶然ではない。
私たちはこのテーマを法律家や国際法に関する専門家たちと協議する必要があるのではないだろうか。
なぜなら、人類に対する犯罪に時効はないからだ」と述べた。
ナルィシキン議長は、ナチス・ドイツの同盟国だった軍国主義・日本に対する勝利は基本的に、
ソ連軍による関東軍壊滅によって確保されたため、軍事的視点から見て、日本の平和な
都市・長崎と広島への原爆投下は一切説明のつかないものであると指摘した。
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_12_25/281700424/

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  • 2016/02/04(木) 02:20:04.90
>>123
事実と真逆のデタラメ。
日本が組織的な特攻を行うより前に、米軍は日本の市街地への無差別爆撃を開始していた。
言うなれば、無差別爆撃による市民の犠牲を抑えるために特攻が起きたのであって
特攻が原因で日本の民間人がターゲットにされたわけではない。

まして特攻隊員は正規の軍人であって
住民を巻き込んでいるなどという事はできない。

国土に攻め込まれる側が徹底抗戦を選べば
住民を皆殺しにしていいなどという論理が通るなら
あらゆる戦争において、侵略者は相手が降伏するまでの間、好きなだけ民間人でも虐殺し放題ということになる。
まさに病院に行った方がいいんじゃないかってくらいのキチガイ沙汰。

ここまで見た
  • 126
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  • 2016/02/04(木) 02:22:47.92
原爆に関しては、米軍にとって普段からやっている無差別爆撃の方法の一つでしかなかった。
米軍は原爆完成前から、日本に将来原爆を落とすことを前提に無差別爆撃の計画を立てていた。
そういう連中から国を守る為に特攻が始まったというのが
この話の本質だな。

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  • 2016/02/09(火) 03:29:14.40
特攻作戦を図上演習で再現してみた(空戦編)

ここまで見た
  • 128
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  • 2016/02/10(水) 14:54:15.87
>>125
無差別爆撃は45年2月から。
それまでは高高度精密爆撃。市街地にしょっちゅう誤爆してたけど。
特攻開始は44年10月。

無差別爆撃は国際法違反だが、日本が先に重慶にやってることを忘れるなよ。
無差別爆撃以外に早く戦争を終わらせる方法が無ければやむを得ない。

ここまで見た
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  • 2016/02/10(水) 21:29:14.29
まあ無制限潜水艦作戦も無差別爆撃も、真珠湾の騙し討ちの報復って事で全て正当化されたしな

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  • 2016/02/11(木) 00:05:05.76
>>128
1944年10月10日の那覇空襲の第4次以降は市街地をターゲットにして行われている。
日本はこの攻撃について国際法違反の無差別攻撃であると中立国経由で抗議を行った。

アメリカ側は黙殺したが
現在では当時米首脳部で日本の抗議にどう返答するか検証したレポートが公開されている。
アメリカ側の論理は、市街地に対する無差別爆撃を認めた上で
「国際法違反の可能性はあるが、ハッキリ禁止するべき確たる基準ではない」
といったものだった。
しかし、これを日本に返答すれば、それまでのアメリカの主張(重慶爆撃非難等)と矛盾すること
また日本にアメリカ国民に対する報復を行う正当性を与えてしまう(捕虜の処刑等を正当化させてしまう)ため
黙殺するべきと結論されている。
(米資料『japanease complaint of alleged air bombardment of non-military installations in the okinawa islands』)

この通り、アメリカは市街地に対する無差別爆撃を認め
それに国際法違反の可能性があることも認識していた。

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  • 2016/02/11(木) 00:10:33.17
ちなみに日本で最初に行われた特攻は
1944年10月25日。那覇の市街地が灰燼に帰してから僅か2週間ちょっと後のことだった。
サイパンが米軍の攻撃拠点として稼動し始めた時期でもある。
まさに日本本土が標的されていく過程において始まった戦術だった。

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  • 2016/02/11(木) 00:16:41.10
>>128
>無差別爆撃は国際法違反だが、日本が先に重慶にやってることを忘れるなよ

国際法とはあくまで国と国との約束事。
ドイツはソ連兵捕虜の6割以上、実に300万人以上も殺害しているが、
連合国側の捕虜に関してはジュネーブ条約に基づいた勤めて人道的な扱いを行っていた。
これはソ連とは捕虜であれ自由に殺しあう関係
連合国とは捕虜を国際法に基づいて扱う関係とが
何の矛盾も無く両立していたことを意味する。

レポートの中で米軍部が認識していた通り
日本がアメリカの都市に対して無差別爆撃をしたのでなければ
アメリカが日本の都市を焼失させる名分にはならない。
そもそも戦時国際法等を遵守しておらず、市街地爆撃、住民虐殺、
捕虜の公開拷問処刑を常態的に行っている中国国民党に対して日本軍が行っていることと
アメリカとの戦いで行うこととは全く問題が別。

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  • 2016/02/11(木) 00:29:51.88
厳密にはソ連も連合国の一員だから、上述の連合国は西側の連合国のこと。

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  • 2016/02/13(土) 21:34:00.78
カミカゼ

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  • 2016/02/24(水) 01:48:01.21
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/touch/20070907/1189162993

私はあるとき上司であった源田大佐についての「ご意見」を伺ったのだが、志賀少佐も他人の評価は慎重になさる方で決して誹謗することはなかった。

御子息の志賀元次氏が文春に次のように書いておられる。

「私が一番驚いたのは、松山第343空の飛行長として、「紫電改」に乗って本土防衛戦を展開していたときのエピソードです。
部下の零戦隊から特攻隊志願者を差し出すように、高級幕僚から命令されたのですが、断ったのです。
さらに「どうしてもというなら自分が行くから上官たちもみんな後に続いて特攻してくれ」と言い放った。
それは上司だった源田実さんなども含めてのことでしょう」

 この一説を読んで、私はその時のエピソードを思い出した。

私が直接伺った話とは若干ニュアンスが異なっているが、私は「源田大佐とはどんな上官でしたか?」と伺ったのである。

 ちょっと考えた志賀少佐は
「終戦も近づいたある日、源田司令から呼び出され『大本営からこんな指導が来ているがどう思うか』と聞かれました。
それは松山空も特攻作戦に参加すべし、という内容だったのです。
そこで私は『喜んで行きましょう。ただし条件があります。
帝国海軍の伝統は指揮官先頭です。私は勿論行きますが、先頭には是非司令が立っていただきたい』と言ったのです。
司令は黙っておられましたが、その後松山空には特攻作戦参加命令は来ませんでした。これでお分かりでしょう?」

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  • 2016/02/24(水) 03:09:47.61
>>135
【佐藤守が自演してまで源田実の虚偽の中傷を流している理由】

志賀淑雄少佐の証言 (NHK-TV「NHK特集 紫電改 最後の戦闘機」)
上層部から343空に特攻を出すように命令がきた際、
志賀が「私が先頭で行きます。兵学校出は全て出しましょう。予備士官は出してはいけません。源田司令は最後に行ってください。
ただし条件として、命令してきた(軍令部の)参謀が最初に私と来るというなら343空はやりましょう」と進言すると、
源田実司令も「全くだ」と賛同した。それ以降、上層部から特攻の話は来なくなった。

この時、特攻を命令した軍令部作戦課航空参謀が寺井義守中佐であり、この娘婿が佐藤守である。
その佐藤守は、志賀少佐の死後に参謀の部分を源田司令に改ざんして拡散しているが、志賀少佐が残した生前の証言とは大きく食い違う。
佐藤守が志賀少佐の死を幸いと死人に口無しを利用したことは言うまでもない。

志賀少佐は生前、源田実大佐を以下のように評価している。
「実に立派な戦闘機乗りの先輩でした。彼ほど飛行機を愛し、また戦闘機を自らも操縦して、あれだけの見事な戦略、戦術を考案された方は外にはいないと思っております」

寺井義守中佐は、軍令部参謀の前は人事局航空参謀であり、大田正一少尉を第一〇八一海軍航空隊に転勤させるなど
特攻兵器「桜花」の後ろ盾をした人物でもあり、軍令部で作戦の全てを特攻に切り替えるように主張していた議事録も残っている。
寺井中佐は、開戦時に宣戦布告文書を届けなかった駐米武官で、帰国後は終戦まで中央勤務で前線に出ることはなかった。

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  • 2016/02/28(日) 05:57:09.91
 モスクワは間一髪のところで陥落を免れた。一二月第一週にはドイツ軍がクレムリンから三五キロの
地点に迫っていた。ドイツ軍将校の双眼鏡でモスクワの主要な建造物を確認できる距離だった。先導し
ていたのは装甲部隊である。一二月五日から六日にかけて、ジューコフは集中攻勢を仕掛けた。主力は
「シベリア兵」からなる部隊。ソ連極東部から送り出されてた新来の予備兵力で、そのなかにはノモンハ
ンで彼自身が指揮した部隊も多数含まれていた。ノモンハンよりも危機的な状況に陥っていたが、ジュ
ーコフは当時と同様の諸兵科連合戦術を、今回はもっと積極的に採用した。その結果ドイツ軍を約一六
〇キロ後退させることに成功し、冬季の間、ドイツ軍をその地点に釘付けにしたのである。まさに食う
か食われるかの戦いだったが、完全な冬季装備の予備兵を東部から送り込んだことが決定打となった。
一九四一年一二月にソ連を訪問したイギリス外相のアンソニー・イーデンによれば、スターリンはこの
とき彼に、「最近の戦局好転は、新たな援軍を導入できたためだ」と語ったという。
 ジューコフが大反抗を開始した翌日、日本は真珠湾を攻撃した。ドイツはアメリカに、アメリカはド
イツに宣戦布告し、アメリカは太平洋とヨーロッパの戦争に巻き込まれることとなった。この週は第二
次世界大戦の転機を画す、枢軸国の運命を決する一週間であった。
 だが日本の軍首脳部が一九四一年の段階で、ノモンハン事件以前と変わらず赤軍を過小評価していた
とすると、事態はまったく違う方向へ進んでいたことだろう。もし一九四一年七月または八月に北進が
決定されていたなら、おそらくソ連は崩れ去っていたと思われる。日本軍はソ連軍を撃破する必要すら
なかったのではあるまいか。アジアに長大な戦線が存在することだけでもソ連には重荷になったろう。
一八個もの師団に加え、戦車一七〇〇両、軍用機一五〇〇機をヨーロッパの戦場に移動させるなどとい
うことは不可能だったはずである。それだけではない。戦争を遂行するうえで、ソ連極東部は貴重な経
済的貢献を果たしていた。独ソ開戦の初年に西部の産業が壊滅的な被害を受けたことに鑑みれば、その
重要さのほどがうかがわれよう。一九四一年のモスクワ攻防戦も、また四二年のスターリングラードの
戦いも、ソ連にとっては薄氷の勝利だったのである。難敵の日本が極東で猛攻を加えたなら、戦局はき
っとソ連軍の不利に傾いたであろう。一九四一年から四二年の段階で二正面作戦を強いられたとすれば、
ソ連は存亡の危機にさらされたはずである。ソ連軍の将官を含め、そのように考える軍事研究家は少なくない。
<ノモンハン1939 スチュアート・D・ゴールドマン みすず書房>

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  • 2016/02/28(日) 12:27:12.90
ドトール傘下のエクセルシオールカフェ赤羽東口店では店員が自分の事、好きだと言い始めたので
優しくしたら他の店員のやっかみ、最低の接客だ

砂時計アラームタイマー
フリックラーニング
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