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  • 2015/01/05(月) 22:42:26.29
 戦闘・非戦闘あらゆる原因による日本の陸海軍機の損失は、開戦当初の月平均約500機から、
1944年後半に月2000機以上に上昇した。戦争の過程における総損失機数は50000機の多きに昇ったが、
その40%弱が戦闘損失で、残りの60%強が訓練、輸送その他の非戦闘損失だった。
 したがって、日本は戦争中ほとんどどの月でも、その航空部隊の数字上の機数を増すことができた。
数字上の戦力は戦争勃発時の戦術機2625機から、降伏時の戦術機5000機に加え、カミカゼ機5400機にまで上昇した。
 搭乗員総数は戦争勃発時の約12000名から降伏時の35000名強に増加した。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs09.html

 1944年10月から沖縄作戦終了まで、日本は2550機のカミカゼを飛ばし、うち475機18.6%が有効で、
確実に命中あるいは至近弾効果となった。空母12隻、戦艦15隻、16隻の軽空母・護衛空母を含むあらゆる艦種
の軍艦が損害を受けた。しかし、沈没した一隻の護衛空母より大きい艦はなかった。およそ45隻が沈没したが、
その多くは駆逐艦だった。日本は大型艦を沈めたという膨張された主張に彼等自身騙され、大型艦を沈める
にはより重量のある爆発弾頭が必要であるという技術者達の忠告を無視した。アメリカが被った実際の被害
は深刻であり、大きな心配をもたらした。のべ2000機のB29が日本の都市と産業への直接攻撃から、
九州のカミカゼ飛行場を攻撃する為に振り向けられた。日本がより大きなパワーで集中的な攻撃を持続し得たなら、
我々の戦略計画を撤回若しくは変更させ得たかもしれない。
 降伏時、日本は本土にカミカゼ攻撃用として利用可能な9000以上の航空機を有し、少なくとも5000機は我々が
計画していた侵攻に抵抗するために自殺攻撃用の装備をすでに備えつけていた。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs10.html

チャーチルがドイツ分割占領に対する考えを、突然、変更したのも、夥しい血が流されたこうした作戦の
さなかであった。チャーチルはソ連にドイツの中央部を分け与えるように線引きされたローズベルトの
占領計画案を以前は拒否していたにもかかわらず、今度は自分の計画を変更して、強引に仮協定に調印した。
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/199803/08.pdf

イエナはチューリッヒ州にあるため、ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領が
もたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、イエナをいち早く占領してしまった。
しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、実際の現場のドサクサ
紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254

戦力の編成と犠牲者に関する統計が、アメリカのこうした戦略的選択を反映している。転出や部隊再建が
なされたことを考慮に入れると、太平洋戦争において連合国が対戦し、壊滅せしめた日本陸軍の師団の数
はわずか 28 個にとどまり、その半数は、フィリピンに配備され戦ったものであった。連合国の地上部隊は、
アメリカ陸軍 21 個師団と6つの海兵師団、オーストラリアあるいはニュージーランド軍の7個師団から
なるものであった。ビルマで戦い、インド、アフリカおよび英国の師団で編成された第十四軍も、
最終的には日本の 12 個師団と対峙し、その大半を破った。この他、日本軍は当時アジア北部にはおよそ 50、
本土に 50、そのほかフォルモサ島(台湾)に7、東南アジアに 12 の師団を派遣したが、1945 年 8 月の
ソビエト連邦の短い軍事行動を除き、連合国は日本陸軍とは殆ど交戦していないと言える。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2007/forum_j2007_05.pdf

ナルィシキン議長は、ナチス・ドイツの同盟国だった軍国主義・日本に対する勝利は基本的に、
ソ連軍による関東軍壊滅によって確保されたため、軍事的視点から見て、日本の平和な都市・長崎
と広島への原爆投下は一切説明のつかないものであると指摘した。
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_12_25/281700424/

沖縄戦に参加したアメリカ人やイギリス人は、「ひどい不公正だと感じた」と言い、空でも陸でも
「自殺攻撃」してくる日本人をみるたびに、「なんでこいつらは親玉のドイツ軍が降伏したっていうのに、
まだ戦争をやりたがるんだ」と考えたもののようだった。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/pacificwar/

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  • 2016/02/11(木) 00:10:33.17
ちなみに日本で最初に行われた特攻は
1944年10月25日。那覇の市街地が灰燼に帰してから僅か2週間ちょっと後のことだった。
サイパンが米軍の攻撃拠点として稼動し始めた時期でもある。
まさに日本本土が標的されていく過程において始まった戦術だった。

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  • 2016/02/11(木) 00:16:41.10
>>128
>無差別爆撃は国際法違反だが、日本が先に重慶にやってることを忘れるなよ

国際法とはあくまで国と国との約束事。
ドイツはソ連兵捕虜の6割以上、実に300万人以上も殺害しているが、
連合国側の捕虜に関してはジュネーブ条約に基づいた勤めて人道的な扱いを行っていた。
これはソ連とは捕虜であれ自由に殺しあう関係
連合国とは捕虜を国際法に基づいて扱う関係とが
何の矛盾も無く両立していたことを意味する。

レポートの中で米軍部が認識していた通り
日本がアメリカの都市に対して無差別爆撃をしたのでなければ
アメリカが日本の都市を焼失させる名分にはならない。
そもそも戦時国際法等を遵守しておらず、市街地爆撃、住民虐殺、
捕虜の公開拷問処刑を常態的に行っている中国国民党に対して日本軍が行っていることと
アメリカとの戦いで行うこととは全く問題が別。

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  • 2016/02/11(木) 00:29:51.88
厳密にはソ連も連合国の一員だから、上述の連合国は西側の連合国のこと。

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  • 2016/02/13(土) 21:34:00.78
カミカゼ

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  • 2016/02/24(水) 01:48:01.21
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/touch/20070907/1189162993

私はあるとき上司であった源田大佐についての「ご意見」を伺ったのだが、志賀少佐も他人の評価は慎重になさる方で決して誹謗することはなかった。

御子息の志賀元次氏が文春に次のように書いておられる。

「私が一番驚いたのは、松山第343空の飛行長として、「紫電改」に乗って本土防衛戦を展開していたときのエピソードです。
部下の零戦隊から特攻隊志願者を差し出すように、高級幕僚から命令されたのですが、断ったのです。
さらに「どうしてもというなら自分が行くから上官たちもみんな後に続いて特攻してくれ」と言い放った。
それは上司だった源田実さんなども含めてのことでしょう」

 この一説を読んで、私はその時のエピソードを思い出した。

私が直接伺った話とは若干ニュアンスが異なっているが、私は「源田大佐とはどんな上官でしたか?」と伺ったのである。

 ちょっと考えた志賀少佐は
「終戦も近づいたある日、源田司令から呼び出され『大本営からこんな指導が来ているがどう思うか』と聞かれました。
それは松山空も特攻作戦に参加すべし、という内容だったのです。
そこで私は『喜んで行きましょう。ただし条件があります。
帝国海軍の伝統は指揮官先頭です。私は勿論行きますが、先頭には是非司令が立っていただきたい』と言ったのです。
司令は黙っておられましたが、その後松山空には特攻作戦参加命令は来ませんでした。これでお分かりでしょう?」

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  • 2016/02/24(水) 03:09:47.61
>>135
【佐藤守が自演してまで源田実の虚偽の中傷を流している理由】

志賀淑雄少佐の証言 (NHK-TV「NHK特集 紫電改 最後の戦闘機」)
上層部から343空に特攻を出すように命令がきた際、
志賀が「私が先頭で行きます。兵学校出は全て出しましょう。予備士官は出してはいけません。源田司令は最後に行ってください。
ただし条件として、命令してきた(軍令部の)参謀が最初に私と来るというなら343空はやりましょう」と進言すると、
源田実司令も「全くだ」と賛同した。それ以降、上層部から特攻の話は来なくなった。

この時、特攻を命令した軍令部作戦課航空参謀が寺井義守中佐であり、この娘婿が佐藤守である。
その佐藤守は、志賀少佐の死後に参謀の部分を源田司令に改ざんして拡散しているが、志賀少佐が残した生前の証言とは大きく食い違う。
佐藤守が志賀少佐の死を幸いと死人に口無しを利用したことは言うまでもない。

志賀少佐は生前、源田実大佐を以下のように評価している。
「実に立派な戦闘機乗りの先輩でした。彼ほど飛行機を愛し、また戦闘機を自らも操縦して、あれだけの見事な戦略、戦術を考案された方は外にはいないと思っております」

寺井義守中佐は、軍令部参謀の前は人事局航空参謀であり、大田正一少尉を第一〇八一海軍航空隊に転勤させるなど
特攻兵器「桜花」の後ろ盾をした人物でもあり、軍令部で作戦の全てを特攻に切り替えるように主張していた議事録も残っている。
寺井中佐は、開戦時に宣戦布告文書を届けなかった駐米武官で、帰国後は終戦まで中央勤務で前線に出ることはなかった。

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  • 2016/02/28(日) 05:57:09.91
 モスクワは間一髪のところで陥落を免れた。一二月第一週にはドイツ軍がクレムリンから三五キロの
地点に迫っていた。ドイツ軍将校の双眼鏡でモスクワの主要な建造物を確認できる距離だった。先導し
ていたのは装甲部隊である。一二月五日から六日にかけて、ジューコフは集中攻勢を仕掛けた。主力は
「シベリア兵」からなる部隊。ソ連極東部から送り出されてた新来の予備兵力で、そのなかにはノモンハ
ンで彼自身が指揮した部隊も多数含まれていた。ノモンハンよりも危機的な状況に陥っていたが、ジュ
ーコフは当時と同様の諸兵科連合戦術を、今回はもっと積極的に採用した。その結果ドイツ軍を約一六
〇キロ後退させることに成功し、冬季の間、ドイツ軍をその地点に釘付けにしたのである。まさに食う
か食われるかの戦いだったが、完全な冬季装備の予備兵を東部から送り込んだことが決定打となった。
一九四一年一二月にソ連を訪問したイギリス外相のアンソニー・イーデンによれば、スターリンはこの
とき彼に、「最近の戦局好転は、新たな援軍を導入できたためだ」と語ったという。
 ジューコフが大反抗を開始した翌日、日本は真珠湾を攻撃した。ドイツはアメリカに、アメリカはド
イツに宣戦布告し、アメリカは太平洋とヨーロッパの戦争に巻き込まれることとなった。この週は第二
次世界大戦の転機を画す、枢軸国の運命を決する一週間であった。
 だが日本の軍首脳部が一九四一年の段階で、ノモンハン事件以前と変わらず赤軍を過小評価していた
とすると、事態はまったく違う方向へ進んでいたことだろう。もし一九四一年七月または八月に北進が
決定されていたなら、おそらくソ連は崩れ去っていたと思われる。日本軍はソ連軍を撃破する必要すら
なかったのではあるまいか。アジアに長大な戦線が存在することだけでもソ連には重荷になったろう。
一八個もの師団に加え、戦車一七〇〇両、軍用機一五〇〇機をヨーロッパの戦場に移動させるなどとい
うことは不可能だったはずである。それだけではない。戦争を遂行するうえで、ソ連極東部は貴重な経
済的貢献を果たしていた。独ソ開戦の初年に西部の産業が壊滅的な被害を受けたことに鑑みれば、その
重要さのほどがうかがわれよう。一九四一年のモスクワ攻防戦も、また四二年のスターリングラードの
戦いも、ソ連にとっては薄氷の勝利だったのである。難敵の日本が極東で猛攻を加えたなら、戦局はき
っとソ連軍の不利に傾いたであろう。一九四一年から四二年の段階で二正面作戦を強いられたとすれば、
ソ連は存亡の危機にさらされたはずである。ソ連軍の将官を含め、そのように考える軍事研究家は少なくない。
<ノモンハン1939 スチュアート・D・ゴールドマン みすず書房>

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  • 2016/02/28(日) 12:27:12.90
ドトール傘下のエクセルシオールカフェ赤羽東口店では店員が自分の事、好きだと言い始めたので
優しくしたら他の店員のやっかみ、最低の接客だ

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  • 2016/02/28(日) 18:08:40.01
◆在日中国人


在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。

独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。

2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。

なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。

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ギンコ
「いいか、やるぞ。
みんな、固まれ!」

その後、N2手投げ弾で爆発して死〜ん。
手投げ弾を爆発させた自分までも死んでしまうな。

昔の日本は敵に襲われたらお国のために死ぬとか、
そういう野蛮な教育を受けていたからな。

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  • 2016/03/26(土) 00:59:07.20
日本人は追い詰められると何するかわからんという強烈な印象は残したな
今やけに大人しくしてるのが逆に不気味かもな

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  • 143
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  • 2016/03/30(水) 18:18:44.54
武士道は死ぬ事と見つけたり。
大日本帝国は日本人の存在基盤である武士道を体現するために戦争を始め、神風特攻隊を結成した。
戦後、戦争を放棄し武士道を失った日本人は自らの存在基盤を失った。
存在基盤とは自分を尊敬し自己肯定感を持つための誇り高き生き方のことである。
戦後の日本人は新たな存在基盤を見つけられないで右往左往している。

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  • 144
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  • 2016/04/05(火) 20:22:32.79
負けたんだから効果ないだろ

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  • 145
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  • 2016/04/13(水) 10:09:04.56
負けた側の戦術でも効果あったものなんて山ほどあるだろ、馬鹿。

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  • 146
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  • 2016/04/21(木) 00:41:37.06
>>144
大陸打通作戦は大勝利だったが?

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  • 147
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  • 2016/04/21(木) 11:52:46.92
>>145
負けたんなら効果があったとは言えないんだろ
効果があったと言えるのは勝ったときだけ
バカはお前w

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  • 148
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  • 2016/04/21(木) 11:57:22.03
>>146
本土爆撃の阻止という戦略目標は無効化されたけどな
戦闘に勝って戦争に負けたという現実の見えないバカw

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  • 149
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  • 2016/04/22(金) 05:25:34.28
>>148
日本は米国には負けたけど、中国には勝った。

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  • 150
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  • 2016/04/27(水) 08:24:37.99
三国同盟組む前に完全勝利できなかったから勝ったとは言えない

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  • 2016/04/30(土) 07:35:02.48
>>150
大陸打通作戦の大勝利は、太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった。

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  • 152
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  • 2016/05/01(日) 07:44:38.97
そもそも何の意味があったの?

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  • 2016/05/01(日) 19:28:17.23
>>147
ドイツの機甲戦術も日本の空母機動部隊も効果なかったのか。
各国の戦術理論の基本になるほど効果絶大だったが。
効果の意味を辞書で調べなおすか、それでも駄目なら病院行け。

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  • 154
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  • 2016/05/02(月) 18:23:11.76
>>153
じゃあどんな効果があったのか言えや

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  • 2016/05/04(水) 03:37:38.62
>>154
大陸打通作戦でチンピラゴロツキをどつき回して、賠償金をゼロにしたが?

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  • 2016/05/04(水) 10:11:08.45
>>154
通常攻撃ではほとんどダメージを与えられなくなった米艦隊に
大きな損害を強いることができただろうが。
その結果として
「延べ2000機のB29が日本の都市と産業への直接攻撃から、九州のカミカゼ飛行場を攻撃する為に振り向けられた」
(米戦略爆撃調査団)

それによって何十万人の日本人が無差別殺戮から救われたか。
これが効果でなかったら何だ?

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  • 2016/05/06(金) 00:53:30.37
「日本の無条件降伏」は、国際法上は明確ですよね?
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1401952590/

もしミッドウェー海戦で日本が勝っていたら…海外の反応 [転載禁止]©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1421454707/

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  • 2016/05/06(金) 17:55:21.97
>>156
民間人を守るのが目的じゃないだろ
目的を達成できなかったんだから効果があったとはいえない
目的とはもちろん勝利な

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  • 2016/05/06(金) 19:22:59.49
>>158
どれだけ症状が改善しても病気が完治しなければ
その薬に効果は無いというのと同類の馬鹿。

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  • 2016/05/07(土) 10:30:28.13
>>159
症状の改善にはまるで効果が無く無駄に精神を高揚させたが、その実は体力を消耗させ
病後の回復をさらに遅らせた悪魔のクスリが特攻だけどな。

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  • 161
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  • 2016/05/07(土) 14:07:42.39
頭悪いやつが上手いこと言おうとして比喩使うとこうなる

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  • 2016/05/07(土) 15:37:23.52
>>159のことだよねw

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  • 2016/05/07(土) 15:43:39.86
>>156
特攻やっても沖縄から米軍を撃退できなかったから数十万の沖縄県民と日本兵が死んだし
沖縄自体米軍の占領下に置かれちゃったよね?
これで特攻に効果があるとか信じてるんだから頭おかしいよね、こいつ。

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  • 2016/05/07(土) 15:53:51.96
>>159
戦争と薬を同列に考えるとは頭悪すぎるw
抗がん剤はガンの進行を遅らせるだけでも患者はその間に身辺整理とか出来るから
効果あると言えるけど、
特攻は戦争の終結を遅らせてよけい多くの人命と領土を失っただけだからね。

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  • 2016/05/07(土) 20:02:29.71
http://kr.sputniknews.com/images/133/84/1338484.jpg

第二次世界大戦後、日本社会と世界では米国が広島と長崎に原爆を投下して日本が降参したという説が支配的だ。
米国は今でも戦争終息期間を短縮させ犠牲を減らしたとして原爆投下を正当化してきた。その後、
皮肉にも戦後、米国と日本は戦略的パートナー関係を結んで日本人たちはすでに過去、米国が自分たちに犯した蛮行に慣れてついには沈黙した。

これについて戦略開発センターの日本専門家であり第二次世界大戦歴史協会理事会の一員であるアナトーリ・コシキン氏は
「このような状況は全面的に米国が願った設定であり、日本人と歴史学者にとって米国は正当だったという思想を反復的に注入している」と指摘した。

実質的に広島と長崎の原爆投下後、日本政府は降参を選択しなかった。反対に米国との激戦を準備した。
神風のある幹部は「当時2,000万人が軍入隊を志願し、彼らは国家の名誉をよみがえらせるために命を捧げる決議をした」と回顧した。

結果的に日本が反撃をあきらめたのはソ連の出現のためだった。日本の政治家たちと軍部はこれ以上反撃するのは日本にとって
無益だと判断した。1945年8月15日、日本天皇ヒロヒトは親書で原爆投下について言及している。ところが、
そのご後の親書ではこれに対する言及を一切しない。代わりに反日勢力としてソ連が出現したので戦争を持続するのは不可能だと強調している。

もちろん原爆投下は日本に強力な心理的影響を及ぼした。ところがソ連軍が猛攻を浴びせて満州作戦を広げながら日本の士気は完全に
落ちて降参に至った。米国が広島と長崎に核爆弾を投下した理由はサハリンとクリル列島をソ連に渡さないとする下心であった。

日本は無条件な降参を望まなかったし協定を通じて韓半島と台湾を日本の植民地としたかった。ところがソ連が満州作戦を起こして不可能になり、
ソ連に自国領土を奪われかねないという不安感のために日本は無条件降伏を選択することになった。

「日本はなぜ降参したのだろうか?」という質問に今も西側とロシア、中国の歴史家らは論争している。米国人は原爆投下が最も決定的な理由と主張している。
広島、長崎原爆投下70周年をむかえて実施したアンケート調査で米国人回答者のうち60%は原爆使用が正当な手順だったと答えた。

ところが私たちが記憶すべきことはソ連軍の満州作戦のおかげで韓半島が解放され、その結果1万2,500人のソ連兵士および将校が死亡した事実だ。
もし、日本がもう少し早く戦争を中断していれば、米国との対決で自国国民数十万人がさらに犠牲になったかもしれないことを日本国民は忘れずにおくべきだろう。

ソース:スプートニク(韓国語) ロシア史学者"第二次世界大戦で日本が降参した決定的理由‘原爆’でないソ連の‘満州作戦’?
http://kr.sputniknews.com/opinion/20160507/1338495.html

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  • 2016/05/07(土) 20:59:03.43
>>163
沖縄から米軍を撤退させるのが目的では無いと思うんだけどね
建前上はそうなんだろうけど本当の目的は米艦隊に損害を与え続けることでしょ

ここまで見た
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  • 2016/05/07(土) 21:01:44.97
>>160
特攻を批判するよりも戦争を継続させた大本営を批判するべきでしょ
明らかに通常攻撃より戦果あげてるわけだし通常攻撃でも攻撃隊の帰還率は低いと思うけどね

ここまで見た
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  • 2016/05/08(日) 04:30:33.39
>>163
特攻の戦術目的は敵戦力の漸減。
通常の航空攻撃が全く効果を上げられなかった戦争末期において
特攻側の実に約2倍もの人的被害を米軍に与えた一点だけでも
限られた戦力による敵の漸減という目的に究極に合致した
最も効率的で効果的な戦術だったと結論できる。

ここまで見た
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  • 2016/05/08(日) 04:32:57.08
>>164
特攻が米艦隊に極めて大きな被害をもたらした事によって
「「延べ2000機のB29が日本の都市と産業への直接攻撃から、九州のカミカゼ飛行場を攻撃する為に振り向けられた」
と、米戦略爆撃調査団レポートにおいて結論されている。

東京大空襲では述べ300機の空襲で10万人以上の命が失われた。
延べ2000機の都市爆撃を防ぐ効果というのは、どれだけ過大に評価してもしきれないほど大きい。
敗戦という結果は変えられなくとも、この戦術の有無によって何十倍の命が救われたか。
こと人的資源の損耗を抑えるという意味において
特攻は有害どころか日本の将来に比類ない利益のあった戦術だったと結論していい。

ここまで見た
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  • 2016/05/08(日) 04:49:11.44
>>160
病気にたとえると
既存のあらゆる治療法が全く効果の無い末期患者に対し
症状の悪化を遅らせ(敵に深刻な損害を与え)
苦痛を和らげた(爆撃の目標を市民や友軍から逸らす)
唯一の効果的な治療法。

ここまで見た
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  • 2016/05/08(日) 05:10:43.64
特攻は直接的戦果(撃沈、空母等の戦線離脱、人的被害)だけでなく
間接的な効果が非常に大きい。

通常攻撃と違って、少数機の攻撃でも主力艦に被害を受けかねないから
米艦隊は常に航空直奄下で緊密な防御陣形を組むことを強要された。
それにより艦隊の柔軟な活動が阻害され
戦力を小分けにした波状攻撃のようなことが多様し難くなった。
特攻に対処するために日本の地上部隊や都市への攻撃が減少した。

その効果の大きさに比して、実は、損害は最小だった。
通常の航空攻撃でも攻撃隊の大半が帰還できない対艦攻撃において
損害は実質変わらないのに、戦果だけは増したのだから。
一定戦果を挙げるために必要な味方の損害という意味では、あらゆる戦術の中でも最小。
しかし最小というのは計算の上だけで、死んだ人にとっては自分の命が全て。
特攻の人たちは自分の命を投げ出して、何十倍もの仲間や市民を助けた。

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  • 172
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  • 2016/05/08(日) 07:02:49.53
>>171
特攻は、明らかに国家犯罪であり、効果があれば犯罪が許されるはずが無く、
国家としての品位が問われる問題。
当時の特攻を組織的作戦として用いた日本は、北朝鮮より野蛮で下品な国家と言わざるを得ない。

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  • 173
  •  
  • 2016/05/08(日) 11:33:26.80
>>172
なら自殺攻撃を禁じる国際法って有るのか?

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  • 174
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  • 2016/05/08(日) 14:48:25.95
>>172
それは普通の戦争の感覚。
当時の日本が戦っていたのは
降伏するまで国民が無差別に殺され尽くす殲滅戦だった。
想像できる?
日本人の誰一人として安全ではなく
自分が、家族が、友人が、いつ殺されてもおかしくないって境遇を。

そりゃ特攻なんて命令しなくてすむなら誰もしたくない。
自分が若者殺してるのと同じなんだから。
だが、軍部は手段選んでいられないんだよ。
躊躇すれば、その分街が余分に焼けて千人万人が死ぬんだから。

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  • 175
  •  
  • 2016/05/08(日) 15:03:59.02
>>172
>特攻は、明らかに国家犯罪であり

大嘘。
戦時国際法はもちろん、国内法の何れにも違反してない
完全に合法な行為だった。

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  • 176
  •  
  • 2016/05/08(日) 15:16:51.33
>>174
纏めると、軍部が特攻なんかやって無駄に降伏を引き延ばしたから
街が余分に焼けて国民が無差別に殺されたんですね。

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  • 177
  •  
  • 2016/05/08(日) 15:37:38.68
>>176
降伏が遅れたのはアメリカが日本には無条件降伏しか認めなかったから。
講和と無条件降伏が決定的に違うのは
無条件降伏ってのは勝者に何をされるか分からないこと。
天皇が殺されようと、日本列島が何分割されようと、社会主義国家にさせられようと
日本の伝統文化を破壊されようと、劣等民族として扱われようと、植民地状態になろうと、受け入れるということ。

日本としては何としてもそれは避けなきゃいけなかった。
だから降伏が遅れた。
日本は無条件でなければ降伏する用意があることはアメリカに伝えていたが拒否された。
降伏が決まったのは講和の望みの綱としていたソ連の参戦を受けての事。
だから特攻があろうとなかろうと
降伏が決まった時期自体にはほとんど影響はなかった。

無差別爆撃による市民の犠牲者と
米軍戦力を減らして攻撃を緩和し
日本軍の各戦域の戦死者を減らしたことが特攻によってもたらされた結果。

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  • 178
  •  
  • 2016/05/08(日) 18:17:01.21
もっとも、戦術が効果的だった結果、終戦が遅れる事があったとしても
それが戦術の効果が無いという話にどう結びつくのか意味不明だが。

冬戦争において、フィンランドは戦力数倍のソ連の侵攻を受け
冬の気候と地形を生かした、「雪中の奇跡」と呼ばれる効果的な防戦により、何ヶ月も進撃を食い止め続けた。
雪解けの大攻勢を受けて結局は敗北したが
この戦術は遅滞戦術やゲリラ戦の成功例として現在でも高く評価されている。
「非常に効果的な戦術」だったとして研究されている。
しかしフィンランドの戦術が拙ければ、ソ連が予定していたように
あっという間に壊滅して終戦が早まったかもしれない。

だから何だと。
戦術が効果的だったからこそ、終戦が長引き、ソ連にも大きなコストを払わせる事が出来た。
簡単に滅ぼせる相手だったら、舐められて
また反抗されても簡単に抑えられるが、激しい抵抗のできる相手なら
反抗されることのないよう戦後処理も比較的穏やかなものになる。
その後の歴史でも強い国民として一目置かれるという結果が十分ありえるわけで。

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  • 179
  •  
  • 2016/05/18(水) 22:37:42.01
>>177
いや条件付けられる立場じゃねーだろ
あと条件付きだろうがキチガイ軍人のおかげで戦争は続いてただろうよ

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  • 180
  •  
  • 2016/05/19(木) 11:19:56.59
記録を元に論を展開する者と主観と印象で論を展開する者とでは噛み合わなくて当たり前。
相手にしないのが得策。

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  • 181
  • 安倍ルフ・ヒットラー
  • 2016/05/19(木) 21:04:13.38

 特攻は犬死

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  • 182
  •  
  • 2016/05/24(火) 17:59:08.95
負けたし

砂時計アラームタイマー
フリックラーニング
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