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  • 2012/02/12(日) 13:53:51.69
古の昔、関東から東北にかけて毛人(縄文人)の巨大な日本王国があった

この日本王国は大和朝廷が興るより早く衰退期を迎える
この文明が衰退した原因は急激な気候変動によるものと考えられている

日本王国は衰退の過程で複数の部族に分かれたが、その中で大和朝廷と婚姻関係を結ぶことで
有力豪族となった一族がいた、毛野氏(けぬうじ)族である

毛野氏族は、崇神天皇皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の子孫を自称している
が、実際の祖は景行天皇の孫である御諸別命(みもろわけのみこと)のようだ

毛野氏の勢力範囲は、両毛を中心として、常陸西部・武蔵北部に及んだ
この一族は武門に優れ、朝廷の命により東北の蝦夷を討伐し経営、朝鮮半島にも出兵している
勇敢な縄文の血を引く毛野氏族は、後に新田氏や足利氏といった坂東武士の誕生に大きな役割を果たすことになる

このスレはいまだ謎の多い毛野氏族を研究することにより、
「坂東武者1人は、よその武者8人に匹敵する」「武士の本場は坂東(関東)」と言われるほどになった
坂東武者の強さの秘密と幻の日本王国の全貌に迫ろうという壮大なスレである
ふるってご参加ください


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  • 2014/08/13(水) 14:41:49.90
>諏訪神のタケミナカタ

諏訪地方の民衆にとっては実際にはタケミナカタはよそ者であるとの見方も昔からかなり言われているんだよな。
タケミナカタ祭祀よりもより基層の祭祀になっているモレヤ神や、ミシャクチ神(両神は異名同神とも)を奉じる氏族こそが諏訪の元々の民であり、
タケミナカタはそれらモレヤ・ミシャクチ祭祀を行う氏族を上から抑えにきた存在であるという感じ方が諏訪の古くからの住民たちにとってはあるらしい。
同様のことは、出雲における古くからの住人たちにとっての素戔嗚尊への感じ方についても同じことがよく聞かれる。
毛野はどうなんだろうね。

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  • 2014/08/13(水) 16:34:50.59
両毛地区についての回答は、地元に限る。
隣の那須の方では、祭祀と言えば少なくとも三つある。
1、自宅の裏にある、その家独自の氏神様。
2、明治の大合併以前の村々の一番高い山等にあるお宮。
3、村の神社。
以上に基づいて祭祀を執り行う。1と2は国家神道のようである。
3は、私の地元では温泉(ゆぜん)神社が鎮座する。
那須地方というか古代那須国には、多くの温泉神社が鎮座しています。

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  • 2014/08/13(水) 17:20:13.21
那須氏は、最初から古代白河国の国造ではない。
だから、お隣の茨城県大子町ではよそ者扱い。
嫌われているようだ。あるいは関心が全くないのか。
試しに大子町のホームページ等を見れば分かります。

捕虜になった俘囚も大子町から出たのかも知れません。
但しこれは、上毛野形名に対する印象と同類と思われます。

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  • 2014/08/13(水) 17:34:48.06
温泉神社ってその名の通り、温泉に関係した神社なのかな?
だとしたら思い当たる節がある。
隣国の南陸奥・信夫の豪族佐藤氏は代々那須氏や両毛の豪族と姻戚関係を重ねてきたと言われる。
この信夫佐藤氏が別名、「湯の荘司」とも呼ばれていた。
義経の与党になった継信、忠信の佐藤兄弟が治承寿永の乱で2人とも戦死してしまい、大きな穴が空いてしまった佐藤家のことを後見しに来たのも那須氏(与一の父?)だったと言われる。確か佐藤兄弟の母の実家か、岳父が那須氏だったと思う。

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  • 2014/08/13(水) 20:02:48.39
山形県には遊佐(ゆざ)鳥海温泉というのがあり、
そこから、内陸に入った山形県肘折温泉、宮城県鳴子温泉にも遊佐氏がいる。
遊佐は湯沢、宇佐とも関係があり、日本海経由で進出したとみられる。

仙台の奥座敷秋保温温泉は、佐藤氏が泉源の利権を持っていたはずだ。

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  • 2014/08/13(水) 20:10:45.79
遊佐氏って能登のイメージ

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  • 2014/08/13(水) 20:26:21.08
栃木の秘境は三斗小屋温泉か。対照的なのは鬼怒川温泉。

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  • 2014/08/13(水) 22:13:25.75
>>592
ミシャグジは御石神だから、意外に新しい神だろうな

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  • 2014/08/13(水) 22:38:39.31
巨石は縄文文化じゃないの?

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  • 2014/08/13(水) 22:43:50.83
冬には水を撒けば凍った時代だったからその上を滑らせて巨石を動かすことが出来た
エジプトのピラミッドもそう

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  • 2014/08/13(水) 23:17:26.48
>>596
なるほど「遊佐は宇佐由来」というのは刮目した。
面白い視点を教えてくれてありがとう。
那須国造でいえば、その同族に美濃国席田郡司になった守部氏がいる。
同郡は、8世紀当時畿内に溢れ返っていた新羅系渡来人の東国への移民政策の一環として、美濃国本巣郡の一部を割いて建郡された。
守部氏は後に軍事貴族・佐藤公清の庶子資清を婿に入れ、それが山内首藤氏となって行く(山内首藤氏と那須氏の系図が殆ど重複しているのはそのため)。
那須氏も、その軍事貴族佐藤氏の一族である陸奥信夫郡司佐藤氏(信夫佐藤氏は佐藤公清の兄・公脩の系譜)と姻戚を結んでいるのと鑑みるに、秀郷流藤原氏との深い繋がりを感じて興味深い。

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  • 2014/08/13(水) 23:28:00.27
ヤマタノオロチと呼ばれた八つの頭を持つ国があった。
その国は両面宿禰という、頭が二つだけの国になった。
そして歴史から消えた。
その後どうなったんだろ?

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  • 2014/08/14(木) 03:30:33.30
関東武士団の変遷
板東毛野氏→板東平氏→板東源氏→出自がなんだか分からない氏族(家康その他)

このうち海外征伐までしてるのは毛野氏くらいだな。
天皇を助けてるのも毛野氏くらい
平氏や源氏は天皇を殺しすぎだろ。

毛野氏は平壌くらいまで攻めてるのでは? 公開土王の碑は北朝鮮より遙かに北にあるが
その近くまで攻めたのではないかと。

家康は金持ちのくせに毛野氏の神社の1つも建てなかったな。
ケチな野郎だ

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  • 2014/08/14(木) 04:31:20.60
出自がなんだか分からない氏族(家康その他)
は伊勢神宮東国伊勢湾東海道関東荘園圏の地頭集団に比定できるんじゃないかと。
伊勢乞食伊勢商人の武士版。

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  • 2014/08/14(木) 08:45:01.30
坂東武者の誕生
毛野氏の時代 | 藤原氏の時代 | 平氏・源氏の時代 | 源氏の時代=坂東武者の時代

坂東武者必須の武芸 弓・刀・馬 人馬一体が重要である。いざ鎌倉では利根越えもある。
従って後年の西郷隆盛などは、体重がありすぎて坂東武者にはなれない。

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  • 2014/08/14(木) 09:01:55.66
毛野氏は負けすぎ  通算で負け越しか  他にもあるのか
神戦
武蔵国造の乱
磐井の反乱
上毛野広人

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  • 2014/08/14(木) 13:51:42.88
実際に朝鮮半島を長期間支配した主力軍は毛野氏であって
朝鮮半島をほとんど支配できなかった秀吉=豊臣家と比べものにならんぞ。
家康もザコ

中国=高句麗とも戦って、互角で朝鮮半島をかなり支配したまま保持
はっきり中国に負けたのは白村江だけ。

日本史史上最強と言っていいのでは?
武蔵国造りの乱は、「官軍」と戦ったわけで、勝っちゃいけなかっただけ。
支配権の東北まで撤退して徹底的にやるものありだったが、引いただけです。

毛野氏=朝鮮半島を300年間支配(360〜660)
関東平野を500年間支配(340〜800)

250年程度の家康なんてこれに比べればザコだな。
家康は直轄地で言えばたいしたことないし。

旗本8万旗=関ヶ原では無能を露呈(活躍したのは実質豊臣方の離反者)
大阪の陣はただいただけ。

家康は伊達政宗を倒してないし、東北を攻めてもない。
毛野氏は名実共に関東最強武士団だな。

>毛野氏は負けすぎ  通算で負け越しか
「衰退した・最後は負けた」 に該当しない氏族はあるのか?

どうせどんな武士団も露と消えたわけで
なら勢力範囲の維持と規模を合計したら最強だろ。

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  • 2014/08/14(木) 14:03:42.32
奥羽に扶植していた毛野氏を、安倍氏や清原氏が郎党化させていったのかな?
吉彦(吉弥侯)氏の「きみこ」は、「君子」だという。
「毛野君の子(部民、はらから)」という意味。

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  • 2014/08/14(木) 14:51:11.93
900-940 ■平■将門の乱 板東八平氏最強
940〜1000 ■秀■秀郷系統が支配 藤姓足利氏〜関東平氏もまだ温存
1000〜1030 ■平■平氏がまた暴れて制御不能(平忠常の乱)
1030〜1200 ■源■平忠常が源頼信に降伏 関東で源氏>平氏の序列
<関東源氏台頭 源氏全盛期〜頼信〜義国〜義重〜頼朝へ> 中央は平氏台頭
1200〜1330 ■平■北条政子(平氏)が鎌倉幕府乗っ取り=源氏衰退期 三浦氏(平氏)も強い
1330〜1400 ■源■ぶち切れた源氏がまた反乱
南北朝時代 上杉氏(出自不明 公家?)・足利氏・宇都宮氏<どいつが強かったのか?
1500〜1590 ■平■平氏=伊勢氏の北条早雲+佐竹氏+江戸氏〜小田原征伐で終了
1590〜1868 ■家■あるときは藤原家康で、あるときは源家康だった方

<関東でトップだった期間>
毛野氏 350〜荒田別(太田天神古墳?)から上野守の上毛野馬長764まで 合計414年間
平氏 40+30+130+90 合計290年間
家康 合計287年間
源氏 170+60 合計230年間
秀郷 60 合計60年間

総合的にやはり毛野氏の関東占領期間が最長最強

毛野氏414>>>>平氏290=松平287>源氏230>秀郷60

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  • 2014/08/14(木) 14:53:54.70
毛野氏の勢力終末期は難しいが、長くて坂上田村麻呂800までかなと=勢力交代
ある程度支配期間の誤差があるにしても、序列はほぼこの通りになるはず。
800〜900は不明だが、板東平氏の台頭は結局900くらいのはず。

↑坂東平氏
平高望は、昌泰元年(898年)に上総介に任じられ遥任国司が多いなか、
子の国香・良兼・良将を伴い任地に下向した。
国香は常陸大掾(大掾氏)、良将は鎮守府将軍を勤めるなどし、
上総国ばかりでなく常陸国や下総国にも勢力を拡大、坂東に武士団を形成し武家平氏の基盤を固めた。

800〜900は関東は災害だらけで、戦争どころじゃなかったか?
800 富士山が延暦大噴火
818 東国で大規模な地震が発生した.
869 M9貞観地震
878 関東南部でM7以上の直下型地震が発生
864 富士山噴火 貞観大噴火

こうやってみると平氏がかなり強かったな。
源氏はボコボコやられて分断しすぎかと。

源平は相互に戦争し続けたせいで統治期間が食われてしまい、
毛野氏の支配期間(400年間)には結局及ばなかった。

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  • 2014/08/14(木) 15:17:56.21
新田氏は荒田別(新田の読みは、本来は「あらた」だったものがのちに「にった」に転じたもの)、足利氏は鹿我別氏から来ていると思うんだな。
源氏だ藤原氏だと言っても、それらは外から来て地元の有力豪族に婿入りしただけで、実体は名前が変わった在地豪族の継続。
これは平氏も変わらない(というか全国どこでも変わらない)。
国香や良将も、常陸の源氏(嵯峨・仁明系源氏でこれとて、ちょっと以前に常陸の在地豪族に婿入りして源氏姓になったもの)、や下総の犬養氏に婿入りしたもので、のちの平氏一族間の争いは実は、兄弟争いではなくて、それぞれの母系氏族の間での権益争い。
同じ姓を持つ兄弟とはいっても、生まれ育ったのはそれぞれの生母の家で、他人みたいなもんだから。

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  • 2014/08/14(木) 16:22:25.32
足利地名七説

?アシキキ説 足利の地は、昔から東山道の重要な駅家であったため、足が丈夫でよく走れる使者や、駅夫などが置かれた。このように足のよく利く者が多くいたため、それが地名となったという説

?アシカガミワケ(足鏡別)説 ヤマトタケルノミコトの御子、足鏡別王(アシカガミワケノキミ)がこの地方を治めた(『古事記』より)ことから、アシカガミのミをとって足利になったという説

?カガワケ(鹿我別)説 豊城入彦命の五代目の孫である鹿我別命が治めたので、その名前から出たという説

?アソカガ(麻利)説 昔は足利と安蘇(足利の東隣)を一つにまとめて麻利(アソカガ)といい、「ソ」が「シ」に訛り、なお、足利の漢字をあてはめたという説

?カガ(芝草)説 足利の地方が山地で、ここから南方に向かって幾多の河川が流れ、その氾濫によって積もった土砂のために自然の平原を作り、
そこに芝草(昔カガといった)が一面に生えていた。さらに、現在の柳原あたり一帯は沼地で、そこに葦なども多く茂っていたためアシカガと呼ぶようになった。 
奈良時代はじめ、「諸国の地名には、よい字をつけるがよい」という命令が出たため、
アシには足、カガには利の字を入れたという説。

?アナカガ説 はじめはカガ説と同じ理由でカガと呼ばれていたが、のちに日本が朝鮮半島へ出るための重要な地域であった阿那伽羅(アナカラ)というところがあり、
この地方から大勢進出し、鉄の確保と生産技術獲得のため多くの渡来人や奴婢を伴ってカガに帰ってきた。
そんなことから、以前のカガに阿那伽羅のアナをつけアナカガと呼ぶようになった。
それがさらに変わって、阿志鹿我(アシカガ)→阿志利→足利となったという説。

?金属説 「アシ」は中国東北部(旧満州)方面の言葉で、金属のこと。「カガ」は利息の利のこと。


とにかく凄い古からある地名であることは確か

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  • 2014/08/14(木) 17:23:17.89
関東は結局平氏が強い。
有力氏族を辿るとだいたい桓武平氏になる。

もしくは源氏系統だが、やはり900くらいから平氏がいることもあって
家康以前までは平氏は常に勢力的に互角以上を保ってる。
で、その桓武平氏を辿ると在地豪族の毛野氏がでてくるわけだな。

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  • 2014/08/14(木) 17:30:11.80
鹿我別でしょう。
鹿我別とすると荒田別もでてくるし、隣の新田の地名由来も成立して
太田天神古墳のでかさも説明がつく

武士団はいくら後で規模と権力が大きくなっても、
地名はなかなか乗り越えられないんだよな。
「江戸城」にしても江戸氏だし。最初が強いのが地名ーだから古代氏族が地名で残りやすい。

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  • 2014/08/14(木) 17:37:34.97
いわき市にほど近い平潟漁港の風景が時空を越えて映し出される。それは主が漁に出ている最中の、或る一軒の漁師の家の、
食事の後に団欒する束の間の様子であった。
「最近、うちの親父どうしてハタハタ捕ってこないのかなあ」
と漁太が母親に訊ねると、
「みんな大勢して、秋田に行ってしまったからハタハタもみんなの後を追うように津軽海峡を渡って日本海の秋田沖という所に行ってしまったんだよ」
と一度告げたことがあるかのように母は告げた。すると漁太は力強く言った。
「秋田って遠いのかなあ。おいら明日は、うんと早起きして秋田に行ってハタハタ腹一杯食べるんだ」
そんな純真な漁太の決意が聞こえるようだ。

東北に佐竹氏は健在なり。少し前には、岩城氏もいわき市長になっている。
毛野氏と岩城氏の登場って、あまり変わらないのではないか。 ?    毛野氏と足利氏は無関係。これは美空ひばりは中国人であるという願望と同じか。?

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  • 2014/08/14(木) 17:48:16.17
板東平氏が900以降に急速に支配権を拡大したのも
毛野氏と血族集団として一体化したせいかなと。=女を上野の毛野氏から取った=兵隊も吸収して乗っ取った。

毛野氏は800以降に急激に衰退したかに見えたが、「住んでた」ので消え去ったわけもないはずで
武家系統として残ったのなら、筆頭候補は平氏だな

まあ関東の平氏も源氏も、母方を辿るとどのみち毛野氏になるが。

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  • 2014/08/14(木) 18:02:24.39
毛野氏は、飛鳥時代の越国の阿部比羅夫のお手柄を横取りすんなよな。
655年、蝦夷を朝廷に連れて行ったのは、阿部比羅夫では。  ?

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  • 2014/08/14(木) 18:03:25.12
江戸時代にゴミみたいな連中が上野・足利をばらばらに分断統治したために
最強の人殺し集団だったのに、いまいちな地域になってしまった。
(江戸時代は大嫌いだ)

毛野氏は人殺し技術をソラマメの改良みたく
長期間かけて純粋培養したことに功績がある。

東北地方からも強いやつを部下にしたり、功績があるやつを血族に組み入れたり
コシヒカリの改良みたいなことを400年かけてチマチマしてたんだろうな。
そのせいで軍隊を排出する地域としてのブランドになったと。

関東の源平の強さはその流れにすぎない。
(ちなみにコシヒカリのコシは毛野氏と同時代の越国のこと)

まともにやってりゃ、幕末では関東一円は何かしてたはず。
何かしたのは百姓階級=つまり在地の人間で毛野氏ー平氏ー源氏につらなるが無名の連中。
でもDNA的には戦闘民族なんだな。

品種改良というのは絶大なんだよ。ウニとサルが分かれるくらいだしな。
江戸時代にやってきた連中がゴミなのはどうみても戦闘に向いてない遺伝子だったから。

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  • 2014/08/14(木) 18:04:55.10
>>617
そういや平良文のカミさん方ってどこらが多いんだ?

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  • 621
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  • 2014/08/14(木) 18:05:00.69
日本が半島を蹂躙してた頃を古代と定義すれば牛も成仏するんじゃない?

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  • 622
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  • 2014/08/14(木) 18:09:31.89
なんか虚しいことやってるな

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  • 623
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  • 2014/08/14(木) 18:45:06.83
やっぱ関東から兵員輸送するの陸路じゃなくてスカンジナビア半島一帯のバイキングが船で集結して略奪に出掛ける様にして
霞ヶ浦東京湾の船に乗り込んで東海道瀬戸内海延々曳航してその船と人員で倭寇のバハン行為さながらに朝鮮半島襲撃ツアーに出掛けたのかな?

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  • 2014/08/14(木) 18:47:18.92
?アシカガミワケか?カガ(芝草)説 が有力だろ

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  • 625
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  • 2014/08/14(木) 19:38:48.19
>>620
両総とか秩父とか鎌倉郡周域とか三浦半島とか余綾郡周域とかの在地豪族の家を行ったり来たり…
要するに良文ちゃんは種馬。

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  • 626
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  • 2014/08/14(木) 20:00:11.19
普通に考えれば、筑紫あたりに徐々に集合した兵士を一挙に運んだと考える。
どのような船なのか、潮の流れと風向きから時期は限られていたのではないだろうか。

ちなみに近藤勇の首級の場合は、今の東京は浜松町から定期便で大阪港に行き、
淀川を帆立船で遡上、終点で陸に上がったと思われる。

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  • 627
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  • 2014/08/14(木) 20:15:39.99
足利は、足柄と同じ。つまり、下毛野氏に属する下毛野公時という近衛兵(随身)が道長に仕えていた。この公時が脚色されていったものらしい。
要するに、足利は、源氏ではなく毛野氏だ。

毛野氏は、中央での基盤を失った後、随身として生き残った者が多いらしい。

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  • 628
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  • 2014/08/14(木) 20:21:50.85
>>627
基礎から勉強しなさいネw

ここまで見た
  • 629
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  • 2014/08/14(木) 20:48:38.34
>>628
藤姓足利氏は女系(土地、財産等基盤)においては毛野氏の血が入っている
蓋然性は高いよね。っても氏姓は藤姓(仮冒をも含め飽くまで)だけどw
源姓足利氏と毛野氏はほぼ無関係じゃないかなぁと。

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  • 630
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  • 2014/08/14(木) 20:57:56.06
>>626
関東で伊豆大島に黒潮突っ切って渡るのと対馬海峡を対馬海流突っ切って渡るのとでは前者の方が実は大変なのでは?

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  • 631
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  • 2014/08/14(木) 21:02:40.74
>>626
関東地方で南関東から伊豆大島へ黒潮突っ切って渡るのと
対馬海峡を九州から朝鮮半島へ対馬海流突っ切って渡るのとでは
前者の方が危険で困難なのでは?

ここまで見た
  • 632
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  • 2014/08/14(木) 21:26:48.61
>>629
今日、学界で秀郷のことを仮冒で非藤原氏とみなす学者はもう殆ど見ないよ(というか全然見ない)。
現在、学界で秀郷研究の第一人者といえば野口実・京都女子大学教授だけど、野口氏は様々な傍証から秀郷は魚名流、藤成流で間違いないとし、学界でそれを否定している研究者がいるという話も聞かない。
それどころか野口氏の研究成果は、元木泰雄氏や高橋昌明氏など現在の武士発生論の主流学説である他の第一線級の学者たちからよく援用されるほどになっている。
一例を挙げると、秀郷の曾祖父・藤成は播磨介時代、奥羽から移封されてきた投降蝦夷(=俘囚)の「教化」を行う任務に就いている。
下向井龍彦氏も述べているが、これは典型的な軍事官僚の行う職掌で、9世紀において押領使などと並んでこのような職務に就いてきたものの子孫が後に「兵の家」となるための「準備段階」であると野口氏は述べている。
対蝦夷対策というのは武士階級の発生にとってはなくてはならない要素の一つだからね。
そしてこのような職掌を経た家の中から寛平・延喜東国の乱鎮圧勲功者や、承平・天慶の乱鎮圧勲功者、つまりは軍事貴族の職掌を負うことになる氏族が誕生してくることになる。

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  • 2014/08/14(木) 21:35:25.93
>>632
自己レス

現在の武士発生論の主流学説である他の第一線級の学者たち

現在の武士発生論の主流学説である職能的武士論の他の第一線級の学者たち

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  • 2014/08/14(木) 21:35:26.29
船乗りや商船大の学生は、このようなスレは見ていない。
あるいはさかなクンでも即答か。

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  • 2014/08/14(木) 21:46:52.07
毛野氏が朝鮮攻めるのに古代当時の陸路でとぼとぼ関東大軍団を東海道山陽道連れてってたらシュールだと思いません?
船なら一緒に食料積んで大人員動員できるし。

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  • 2014/08/14(木) 22:05:47.32
>>632
その辺りは一応押さえているんだ>秀郷流=藤姓でほぼ確定。
しかし敢えてカッコ書きで入れたんだ、仮冒の可能性云々。
偶に面白いのが釣れるしねw

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  • 2014/08/14(木) 22:08:25.93
兵士は、九州の民を動員したような気がする。

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  • 2014/08/14(木) 22:22:30.18
毛野氏の関東でトップだった期間に擬装あり
馬長が上野守として赴任したのは、なり手がいなかったのか線香花火のように、その時だけである。
それ以前には、長いこと下野守も毛野氏からは出ていない。
従って空白期間の算入は、少し前に流行った食品偽装もどきである。

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  • 639
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  • 2014/08/15(金) 03:51:05.05
>>638
660の白村江までは上毛野は倭国軍主力なので700くらいまで余裕で東国トップだろ。
750までは延長できる= 750時点で東国で上毛野を上回った有力な軍事氏族があるというなら上げてください。
800は田村麻呂になるので、一応首位は譲るが田村麻呂が東国で1番かというと疑問。

で、まけて750までにしているんだが=410年間支配

340〜663で323年間 この時点のみ抽出でも関東の支配期間トップ氏族
+50〜100年間で完全独走態勢
750〜800までは上毛野が暫定1位体制

平氏は900からしか来てないので
桓武平氏の祖の平高望にしても889年
その子の平良文の東国下向は923年

甘めの観測でも毛野氏の支配期間が350年超えるのは揺るがない。
支配期間2位の平氏は850年には東国地域には陰も形もなかったので
やはり毛野氏独走は変わらない。

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  • 640
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  • 2014/08/15(金) 04:09:13.71
上野守は名誉職で任官を受けたやつらではっきり東国軍事氏族はほとんどいない。
関東源氏の有名な源頼信にしてもそれより低い上野介になった程度

官位についていうなら、700〜1000まで源氏も平氏もろくにもらってない。
しかし源平は関東に勢力圏を持っていたわけで

そういった意味で ○○氏族に負けた とか○○氏族に勝った
とかがない限り 毛野氏暫定1位は揺るがない。

問題は毛野氏と平氏・源氏との接続だが、通常考えてなんらかの血縁関係や
毛野氏は源平武士団の形成に関与しているはず。

というか基本的な話として、将だけで戦える軍隊などいないし
兵隊がどれだけ練度が高くて好戦的かが重要。

平氏や源氏が強いというなら、その母体となった毛野氏が400年かけて形成した
武士団=群馬・栃木のならず者は外せないでしょ。

家康にとっての三河武士と同じ。

>家康が人質となっている間、徳川家(当時は松平家)の領地三河は、
>今川家に管理、運営されていた。その為、三河の武士達は、
>さんざんにこき使われ、戦があると最初に駆り出されたのだ。

さんざんこき使われ、東国戦争の度に狩り出されたのは毛野氏の武士団
強さの母体はそこにある。「戦争で強い武士団は戦争で培われた」はずで
源平の血縁関係だけで軍隊が強くなるわけじゃない。

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  • 641
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  • 2014/08/15(金) 05:22:52.06
「一所懸命」の細分化された武士団と比べても条件が違うんで意味がないと思うんだ。
あと源姓足利氏は、藤姓足利氏の内の庶流にさらに源氏が入ったものだよ。

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  • 642
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  • 2014/08/15(金) 05:37:05.06
>>640
群馬・栃木は火山で何度も壊滅してそうだな。
むしろ火山で壊滅直後のすさんだ関東だからならず者がいるぐらいに近い予感・・・

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  • 643
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  • 2014/08/15(金) 05:40:00.09
関東って扇状地以外は広大な湿地だよ。内陸まで霞ヶ浦と利根川東京湾がみんなごっちゃで汽水域形成してたんだから江戸時代まで。

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