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  • 703
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  • 2013/12/06(金) 00:11:41.69
699です。699説に、ちょっと風味付けをした説を考えてみました。
オッカムの剃刀に斬られそうな少々面倒な説ですが、
これは、「森の復元音」という、現実上の音声推定に、平仄を合わせるためです。
>>11-17
なのですが、この発想からすれば、
「エ甲乙(&イ甲乙)があること(>>14でいえば「ふった」こと)」と、
「4母音で言う/i/のみ、前の子音が口蓋化していること」は、論理的に同値です。
ということは、口蓋化の強弱については、二分法のみならず、「三分法」も可能であるわけです。
だとすれば、「受け入れた側(甲乙の無い側)」に、2つの方向性があっても不思議ではない。

少なくとも、奈良平安にかけての畿内語では、t,dは口蓋化の片鱗をまったく見せません。
ここが劇的に変わるのは中世以降で、どうも東国の影響のようです。
そして、rも口蓋化し難い。nは微妙です(「に」をイタリア人が聞けばgnだと言うでしょうね)

t,dについては、まったく口蓋化していなかった、としても、同じ議論は可能なはず。
k,ng,p,bだけが、「適度に口蓋化していた」ため、エ甲乙・イ甲乙が融合できず、横並びになってしまい、
オ乙がセットバックする契機を作ることになった(森説では、そもそも音声的にエ乙とオ乙はバッティングする)
これで、オ乙が揺らいでしまい、オ乙の後舌化が始まることになる。
そして、今度はオ甲乙が合体して、後舌に納まってしまうと、エが一種類しかない行でも、ひきずられてオ乙が後退する。
また、中舌母音枠が消えると、イ乙も居所がなくなって、イに統合されてしまう。

いかがでしょうか。

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