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  • 420
  •  
  • 2013/10/02(水) 00:47:46.81
>>410-411
>では、三国時代の百済語や高句麗地域の朝鮮語の資料はというと、『三国史記』の「地理史」に出てくる地名から数十語が知られるのみなのである。
>統一新羅時代の757年に、政令によって朝鮮固有語の地名が漢字二字の漢風に改められたが、その改名は朝鮮語地名を漢字で意訳する形で行われ、「地理志」にはその由来が書かれている。
>例えば、元は固有語で「水の谷」/mul-tan/と呼ばれていた場所が、漢字で「水谷」/수곡/と改められた、と言う風に。
>但し、その元となった朝鮮固有語もまた朝鮮式の借音仮名で書かれており、それをどう発音したかもまた正確にはわからないのである。

>このように、三国時代の新羅語の資料が残っているといっても、たった25首の「郷歌」だけであり、
>まして百済語や高句麗地域の朝鮮語の資料など、『記紀万葉』に膨大な資料がある同時代の日本語に比べれば「無いに等しい」のであり、「中世・現代標準朝鮮語の祖は新羅語」などと言う命題は、資料では確かめようがないのである。
>資料で確かめようの無いことは、歴史や言語社会学的に考察してゆくしたkない。

>上述のように、高麗朝の『鶏林類事』以降の資料は、京畿道方言を標準朝鮮語と見なしていることは明らかであり、現代標準朝鮮語がその後裔であることは疑いない。
>そして、この京畿道は三国時代には百済と高句麗の係争の地であり、三韓時代には馬韓地方である。


高句麗語は中期朝鮮語ともそれなりの類似が見られる
pahei>pahoiやpatan>patahなどだ
このことからも、朝鮮語の新羅語起源説に何の根拠も無いことは明らか

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