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  • 2014/12/29(月) 06:40:21.30
まず「忘れないで」も何も生まれていないのだから覚えているはずがない。
現在生きている28歳以下の人間全員にとって生まれる前に起きた歴史的な出来事だ。言い換えればローマ帝国滅亡と123便墜落は歴史年表の中の出来事だ。
それをいつまで「覚えていろ、追悼しろ」というのはおかしいと私は思う。では今まで日本で起きた悲惨な出来事は全国民が記憶し続けなければならないのか?違うだろう。
その当時、物心ついていたのなら「覚えていて」という理論は通用するが、産まれてなかった私達にとっては故坂本キュウ氏も故ユリウス・カエサルも「自分と同じ時代を生きた事がない」という点で同じだ。
もちろん悲惨な出来事だったのは間違いないが、いつまでもあれから何十周年と報道するのは不自然だと私は思う。これからも飛行機事故はなくならないし、戦争もなくならない。悲しいがそれが現実だ。
この事故以外にももっと多数の死者を出した事故・事件は世界にいくらでもある。御巣鷹山の遺族会だけが永遠に追悼してもらえて、さらに「みんな一緒に悲しむのが当然」というのは不自然な論調である。
いくらテレビで大々的に「教訓」や「祈り」などと言っても自然災害・事故・戦争などはなくならないのだから。少なくとも当時産まれてなかった世代にそれを強要するのは間違っていると思う。
だから私はこの事故の追悼番組は見ない事にしている。東日本大震災もやはり今後何十年も追悼番組を作るだろう。遺族は追悼し続けるだろうが、全国民がそれに永遠に共感し続けろという論調はおかしい。それは全体主義に近い危険な考え方だ。
これは各国の戦後世代が自分が産まれていなかった時代の各国間の賠償や謝罪などと無関係なのと似ている。
その当時「生きていたかどうか」、それが全ての基本だと私は思う。あと数年でこの事故を年表の中の出来事と感じる世代は30歳以下全員となる。それを「産まれていなかった人も忘れないで」という提案に私は賛同しない。

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