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  • 2011/07/20(水) 23:59:13.91
ニーチェ保守主義とは、いうなれば民族主義とニヒリズムによって
永劫回帰=永続維新を実現するという保守思想の考えである。





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神は死んだけど未来は終わらない!?♪。

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  • 2011/09/06(火) 14:33:22.92
>>63
中国語と英語は、主語のあとにすぐ動詞がくるから似てますね。比較的どっちも乾いた言語っていう感じも似てます。
きっと自我の思考回路が似てるんでしょう。

日本語の微妙さ、あいまいさ、情緒的な言語とは、ちょっと遠い気がします。

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  • 2011/09/11(日) 11:58:57.92
http://hexagon.inri.client.jp/floorB1F_hss/b1fha400.html

■■三島由紀夫がヒトラーについて語った言葉
「ところでヒトラーね。彼がやったことは世界中の人が知ってる。だけど、彼がほんとは何者だったのか誰も
知っちゃいない。ナチの独裁者、第二次世界大戦の最大戦犯、アウシュヴィッツの虐殺者、悪魔……。これが
いままでのヒトラー観だけど、ほんとはそれどころじゃない。
彼のほんとの恐ろしさは別のところにある。
それは彼が、ある途方もない秘密を知っていたってことだ。人類が結局どうなるかっていう秘密だ。彼は未来を
見通す目を持っていて、それを通じて、その途方もない未来の秘密に到達しちゃった。」

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  • 67
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  • 2011/09/11(日) 11:59:32.84
「だから五島君。もしきみが10年後でも20年後でも、ヒトラーのことをやる機会があったら、そこんところを
よく掘り下げてみることだ。もしきみにいくらかでも追求能力があれば、とんでもないことが見つかるぜ。
ほんとの人類の未来が見つかる。やつの見通していた世界の未来、地球と宇宙の未来、愛や死や生命の未来、
生活や産業の未来、日本と日本の周辺の未来……。
なにしろ『我が闘争』の中にさえ、やつは未来の日本や東アジアのことを、ずばり見通して書いてるくらいだから。
まだ30代かそこらで、やつはそれは鋭い洞察力を持っていたことになる。」

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  • !ninja
  • 2011/09/11(日) 22:44:42.83
神は死んだけど現実は終わらない!?♪。

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  • 2011/09/12(月) 17:57:49.26
ニイチェの「ツァラトゥストラ」の中には日本のことをかいてゐるやうな気のするところもありますね。
そして超人の思想の根本なぞどうも私にはインド、又ひろく東洋全体の思想への接近より、ニイチェが自ら
意識するせぬに不拘(かかはらず)、日本への大きな意味があるやうに思はれてなりません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年2月15日、東文彦への書簡より

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  • 2011/09/14(水) 20:46:25.64
いやなことゝ申せば今度も空襲がまゐりさうですね。かうして書いてをります夜も折からの警戒警報のメガホンの
声がかまびすしい。一体どうなりますことやら。しかしアメリカのやうな劣弱下等な文化の国、あんなものに
まけてたまるかと思ひます。
――ニイチェが反理想主義であること、流石に確かな御眼と感服いたします。
ニイチェの強さが私には永遠の憧れであつても遂に私には耐へ得ない重荷の気がします。おそらくけふは
一人一人の日本人が皆ニイチェにならねばならぬ時かもしれません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年4月4日、東文彦への書簡より

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  • 2011/09/16(金) 23:42:02.66
ニイチェについて、お陰さまでいろいろ新しいことを知りました。実はツァラトゥストラの登張竹風の跋文の外、
私にはニイチェに関する智識がございませんでした。ツァラトゥストラのあの超人の寂寥あれを私は平安朝の
女流たちにも感ずるのです。「古今の季節」といふエッセイのなかでその荒涼を語つたことがありますが、
ニイチェがあれら女人の深い寂寥にふれてゐたらどう思つたことでせう。ニイチェの愛した東方ではなく、
むしろニイチェ自身の苦しい影をみはしなかつたかとさへ思ひます。
「世々に残さん」をかく用意に「平家物語」を何遍も繰つてゐますが、川路柳虹氏も名文だとほめてゐられる
あの文章、又あのむしろ宇宙的な末尾の哀切さ、あれを一篇の小説としてみてみると、大原の大団円は、私には
ラディゲのドルヂェル伯の大団円などよりこのごろではずつと身近に感じられます。無常といふ思想は印度から
来たものでもそれを文学の極致にまで詩の極致にまで高めたのは日本人の営為ですね。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年4月11日、東文彦への書簡より

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  • 2011/09/19(月) 11:20:09.11
文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありませう。
ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもつてゐますので、一しほの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、
ニイチェのやうに、愚人の海に傷ついた人でありませう。英雄の悲劇の典型ともいふべきものがみられるやうに
おもひました。かつて世界の悲劇であつたのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。
スカラ座もこはれたやうですね。米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦ふべきでありませう。
俗な精神が世界を蔽(おお)うた時、それは世界の滅亡です。
萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらひ、さげすみ、蹴とばした
気持がわかります。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年8月20日、東文彦への書簡より

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  • 2011/09/20(火) 06:21:01.93
僕はニーチェ霊界主義ですよねー!?♪。

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  • 2011/09/20(火) 11:45:22.97
ヒトラーを論じるときのポイントを二つ示したい。
1. 演説の名手:ヒトラーは事前によく練習した。いきなり本番ではない。彼の演説を
聞いたドイツ共産党員によると、はじめ言葉を拾うようにぽつぽつと話す。そのうち火
を吹くような演説となる。
自分はナチスに反対であったが、自分もナチス党員であったらよかったと思うほどの
迫力と感動があったという。ヒトラーの演説はドイツの青少年に聞かせることは戦後
長く禁止されてきた。
2. 大衆社会:ナチスの台頭は、米国発の大不況で700万人が失業し、ドイツが議会
制民主主義では解決できない状態になったからである。それを見事に回復した。
だから今、日本の学者がナチスの経済政策の研究をしている。
駿河山人
http://pub.ne.jp/surugasankei/



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  • 2011/09/20(火) 11:54:53.17
>>73
!ninja失敗してんじゃねーぞバーカww

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  • 2011/09/21(水) 05:31:05.17
僕はニーチェ制作主義ですよねー!?♪。

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  • 2011/09/22(木) 17:47:20.66
○ フリードリヒ・ニイチェの思想は要約するに次の一行を以て足る。
「我愛さず。愛せられず。我唯愛さしむ」

平岡公威(三島由紀夫)20歳「詩論その他」より

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  • 2011/09/24(土) 14:04:00.16
鳩山由紀夫に頼むよねー!?♪。

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  • 2011/09/26(月) 06:42:46.40
ニーチェよりも江戸時代の戯曲家鶴屋南北の方が、より早期に
武家社会におけるニヒリズムを的確に描いていると思う

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  • 2011/09/27(火) 11:15:16.18
だんだんに私は文学を引き寄せるやうにしてゆきたいと思ふ。己れより乗り憑つて乗り憑りつつ清められると
云つたあり方に心ひかれる。さういふ場合の放胆さについてはもう口でいはぬはうがよいと思ふ。それは一種の
ニイチェ風な陥没であらうもしれぬが私は日本人にふさはしい手振だけをまなんでゆくほかはない。そして、
戦後の世界に於て、世界各国人が詩歌をいふとき、古今和歌集の尺度なしには語りえぬ時代がくること、それらを
私は評論としてでなく文学として物語つてゆきたい。

平岡公威(三島由紀夫)19歳「跋に代へて(『花ざかりの森』)」より

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多元宇宙実在理論は正しいですよねー。

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  • 2011/09/30(金) 16:59:12.85
日本は緑色の蛇の呪いにかかっている。日本の胸には緑色の蛇が食いついている。この呪いから逃れる道はない。

三島由紀夫
ヘンリー・スコット=ストークス宅の食事会での発言より

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  • 2011/10/03(月) 15:45:34.95
僕は今この時代に大見得切つて、「共産党に兜を脱がせるだけのものを持て」などゝ無理な注文は出しません。
時勢の流れの一面は明らかに彼らに利があり、彼等はそのドグマを改める由もないからです。しかし我々の任務は
共産党を「怖がらせる」に足るものを持つことです。彼等に地団太ふませ、口角泡を飛ばさせ、
「反動的だ! 貴族的だ!」と怒号させ、しかもその興奮によつて彼等自らの低さを露呈させることです。
正面切つて彼等の敵たる強さと矜持を持つことです。ひるまないことです。逃げないことです。怖れないことです。
そして彼等に心底から「怖い」と思はせることです。
(中略)貴族主義といふ言葉から説明してかゝらねばなりません。
学習院の人々に貴族主義を云ふとすこぶる誤解されやすく、それはともすれば今までの学習院をそのまゝそつくり
是認する独善主義の別語とされる惧れなしとしません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

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  • 2011/10/03(月) 15:46:07.62
(中略)
明治以来、「華族」とは政治的特権を背景にもつた政治的な名称であり、文化的意義は頗る稀薄にしかもつて
をりません。新華族が簇生(そうせい)した所以です。――貴族主義とはプロレタリア文化に対抗すると同じ
強さを以てブルジョア文化(アメリカニズム)に対抗するといふことを知つていたゞきたい。この意味で
政治的意味の貴族主義は無意味です。なぜなら世界史の趨勢はアリストクラシイの再来を絶対に希みえず、
現今までわづかに残された政治的特権も過去の特権の余映にすぎぬといふ理由が第一、もう一つは、ブルジョア文化が
今では貴族社会一般を風靡し、単に華族を集めてみても貴族主義は達成されぬといふ理由が第二です。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

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  • 2011/10/03(月) 15:46:45.90
――それでは文化的貴族主義とは何でせうか。それは歴史的意味と精神的意味と二つをもつてゐます。
…後者はあらゆる時代に超然とし、凡俗の政治に関らず、醇乎たる美を守るといふエリートの意識です。
(これは芸術からいふので、倫理的には道徳を守るエリートたりともある人はいふでせう)
…しかもその効果は美的標準に於て最高のものであらねばならぬ点で明らかに貴族主義的です。向上の意識、
「上部構造」の意識、フリードリヒ・ニイチェが貴族主義とよばれる所以です。
第二に、唯美主義は本質的に反時代性をもつといふ点で貴族的です。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日付、神崎陽への書簡より

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  • 2011/10/03(月) 15:54:24.11
われらの外部を規制する凡ゆる社会的政治的経済的条件がたとへ最高最善理想的なものに達したとしても、
絶対的なる「美」からみればあくまでも相対的なものであり、相対的なものが絶対的なものを規制しようとする時、
それは必ず悪い効果を生じます。いかによき政治が美を擁護するにしろ、必ずその政治の中の他の因子が美を
傷つけることは、当然のことで仕方ないことです。したがってあらゆる時代に於て美を守る意識は反時代性をもち、
極派からはいつでも反動的と思はれます。すなはち、彼らのいはゆる反動的なるがゆゑに貴族主義的です。
――「中庸」といふ志那クラシックのいかにも睡つたやうなこの言葉がやうやう僕には激しい激越な意味を以て
思ひかへされて来ました。中庸を守るとは洞ヶ峠のことではありません。いはゆる微温的態度のことではありません。
元気のない聖人気取ではありません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

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  • 87
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  • 2011/10/03(月) 15:54:53.28
「中庸」の思想こそ真に青年の血を湧かせる思想なのです。それは荊棘の道です。苦難と迫害の道です。
漢籍に長ずるときく山梨院長が、戦時中の輔仁会で翻訳劇を上演しようとした僕の意図を抹殺し、戦争終るや
「モンテ・カルロの乾盃」を手もなく容認するやうな態度を、人々はいはゆる「中庸」の道だと思つてゐます。
これは思はざるの甚だしきものです。これこそいはゆる論語よみの論語知らずです。
右顧左顧して世間の機嫌をうかゞひもつとも「穏当な」道を選ぶといふ思想こそ、孔子が中庸といふ言葉で
あらはしたものと全く反対の思想です。
中庸といふこと、守るといふこと、これこそ真の長い苦しい勇気の要る道です。
このやうな時代に、美を守ることの勇気、過去の日本精神の枠、東洋文化の本質を保守するに要する勇気、
これこそ真の男らしい勇気といはねばなりません。
学習院は反動的といふ攻撃の矢面に立ち、真の美、真の文化を叫びつゞけねばなりません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

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  • 2011/10/04(火) 10:43:34.64
(中略)
君は大東亜戦争を何と考へてゐられますか。
僕らはあの戦争の中で育ち、その意味であの戦争を僕らは生涯(いや子孫代々)否定することはできません。
あの戦争が間違ひだつたのどうのといふことでなしに、人間の成長と形成の「過程」として否定したくもできない
一個の内面的事実なのです。我々が以て恥とすべきは戦争に協力したとか、戦争目的に盲目であつたとか、
為政者にだまされたといふことよりも、あの戦争から「我々が何も得て来なかつた」といふことではないでせうか。
何らわれらにプラスするものを得てこなかつたといふ痛切な恥ではないでせうか。この点は僕も省みて面を
赤くせぬわけにはゆきません。
しかし今日の輔仁会、といふよりはその背後にある昨今の学習院学生の気風にこれに対する反省がみられるでせうか。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

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  • 2011/10/12(水) 11:24:29.19
独乙(ドイツ)敗るゝ時、忌はしくも紙上に見える無条件降伏の文字、西欧的表現の行詰りを見る思ひがいたしました。
大御戦はもとより本朝のおほみわざ、戦争と文化の問題についても日本独自の解決があるべきと存じます。
ヒトラア死して逸早い、ハムブルヒ無防備都市宣言の如き、醜態の極でありました。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年5月5日、中河与一への書簡より

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  • 2011/10/12(水) 14:04:02.98
終戦ー謝罪外交ー村山談話の永遠回帰のほうがニーチェ保守だから。

「戦争という不快を避ける欲望」を、前提として考えればよくわかる。

こうなると、平和主義に「生命」を賭けるっていう、ほとんど
三島主義と変わらない献身的暴動が起こる。(平和のためなら尖閣も
日本も占領されたっていい)
これこそが
現代版ニーチェ保守主義だから

特攻隊だって、平和のために「献身」したんだっつの。

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  • 91
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  • 2011/10/12(水) 14:54:45.57
ヒトラーがドイツ国民をアーリア民族の優生性で、操作したのと、
ニッポンの左とメディアが日本国民を村山談話の優等性で操作してるのと、
何が違うんだ?国民の平和安定のためにという前提の欲望は変わらないのに。

手段としての優等性が正しいなら何故、中国ではノーベル平和賞が取れない?
民族の優生性、国家の優等生の考え方に差異があるからだ。平和主義者自由主義者は
国によっては国家犯罪者であり潜在的ヒトラーだからだ。
より具体的に中国はチベットのダライラマを確実にそういう目線で見ている。
簡単に言うと平和的非戦的な手段をとっても、ヒトラーにされるのが
世界の現実だ。
そういう意味で特別日本はまた、ヒトラー性をもった方向に向かってるんじゃないか?
村山談話がヒトラー性と関係ないと考えるのは違う。

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  • 92
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  • 2011/10/12(水) 17:23:11.96
>>90
それはどちらかと言うとニーチェ革新主義だな。
三島は保守主義なんだよ。
不死鳥の如く不屈に戦おうって言う。

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  • 2011/10/12(水) 17:31:51.73
>>91
まったく違うよ。
ニーチェのニヒリズムはいうなれば不屈なる維新主義なんだよ。





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  • 2011/10/13(木) 10:15:18.98
独逸(ドイツ)の悲劇はあくまで西洋古代の悲劇と相以て、運命と人との闘争の終局でありましたが、今や
我が国にはこれに類似の悲愴趣味運命観が流行してをりますことは、大いに警戒の要ありと存じます。新運命観は、
運命への抵抗乃至(ないし)闘争でもなく、運命への盲従乃至信仰でもなく、運命を汎(ひろ)く輪廻と解して、
これに対する濃まやかな愛情と親密な交遊の裡に、自己と輪廻との合歓、慇懃の甘美を極めた境地にまで、
相共に融合することであると考へます。単なる否定でも肯定でもない、かゝる主観客観を超えた魂の状態を、
貴下は兼てより「愛」と呼ばれましたが、「愛」の教は今日以後一層痛切な意味をもつでありませう。私は
今までの国学の偏狭、コスモポリティズムの軽佻を排して、真の意味の universal につながりたいと思ふやうに
なりました。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年6月27日、中河与一への書簡より

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  • 2011/10/13(木) 10:20:19.49
昨晩は末弘厳チャンが来られ、厳チャンを囲んで話を聞く会がありました。厳チャンが嘗てヒトラーと会つた話など
傑作でした。ヒトラーがオリムピックの日本水泳代表の健闘をほめて、「日本人は魚のやうによく泳ぐ」と
お世辞を云つた、すると厳チャンは昂然と、「イヤ他国の代表が人間の如く泳がないだけだ」と云つた由。
正に逸話に残りさうな話です。更に厳チャンが、大戦後の疲弊した社会の少年がいま優秀なドイツ青年になつて
ゐることを称讃すると、ヒトラーは大変よろこんで厳チャンを抱き上げんばかりに喜んださうです。「嘗て
ヒトラーがあんなに感情を露骨にあらはした応待をしたことがない」とあとで厳チャンは侍従に云はれたさうです。
――厳チャンの言によれば、目下憲法卅一条論がさかんで、その具体的法令まで作つてゐる奴があるといふ
処士横議の有様ださうです。その政治的結果については多言を要しますまい。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年1月27日、平岡梓、倭文重への葉書より

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  • 2011/10/15(土) 15:02:34.67
「憂国忌」代表発起人のおひとり、西尾先生の全集刊行と講演会のお知らせです
  ◎◎

 予約受付開始!! まもなく、西尾幹二全集の刊行が始まります!
 全著作を収めた初の決定版全集!!  西尾幹二全集
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

全22巻(年4冊刊行)
―― ニーチェ研究で衝撃のデビューを果たし、日本のあり方を深く、多角的に洞察してきた「知の巨人」西尾幹二の集大成。
―― ショーペンハウアーや福田恆存の解読も踏まえ、文学評論、教育論、日本の歴史、江戸の学問論、世界史観、さらにはヨーロッパ留学から病気体験を経て、
自己の少年期までを語る自分史を通じ、自由とは何か、人生の価値とは何か、日本の根本問題とは何かを問うてきた思想家の、そのひたむきな軌跡を辿る。

第一回配本 第五巻(平成二十三年十月 刊行予定 六〇九〇円(税込)
『光と断崖──最晩年のニーチェ』 〜発狂直前のニーチェ像を立体化し、未刊行の・西尾のニーチェ・を集成する


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  • 2011/10/15(土) 15:03:28.64
全巻の内容
西尾幹二全集 全二十二巻(予価各巻五千八百円〜八千円 巻数順に年四冊配本予定)
@@@@@@@@@@@@@@@

第 一 巻 ヨーロッパの個人主義 平成二十四年一月刊行予定
第 二 巻 悲劇人の姿勢
第 三 巻 懐疑の精神
第 四 巻 ニーチェ
第 五 巻 光と断崖―最晩年のニーチェ 
第 六 巻 ショーペンハウアーの思想と人間像
第 七 巻 ソ連知識人との対話
第 八 巻 日本の教育 ドイツの教育  
第 九 巻 文学評論
第 十 巻 ヨーロッパとの対決
第 十一 巻 自由の悲劇
第 十二 巻 日本の孤独
第 十三 巻 全体主義の呪い
第 十四 巻 人生の価値について
第 十五 巻 わたしの昭和史
第 十六 巻 歴史を裁く愚かさ
第 十七 巻 沈黙する歴史
第 十八 巻 決定版 国民の歴史
第 十九 巻 日本の根本問題
第 二十 巻 江戸のダイナミズム
第二十一巻 危機に立つ保守
第二十二巻 戦後史観の革新



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  • 2011/10/15(土) 15:04:06.02
内容見本ご希望の方は、下記へお問い合わせ下さい。
株式会社 国書刊行会 03−5970−7421 Fax :03−5970−7427
Email:nakagawara@kokusho.co.jp


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  • 99
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  • 2011/10/15(土) 15:11:05.97
 西尾幹二全集刊行 記念講演会のご案内 ↓
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
 西尾幹二先生の全集刊行が開始されました。これを記念して氏の講演会が開催されます。ふるってご参集下さい。
 入場無料です。
       記
とき  11月19日(土曜) 午後六時開場 六時半開演
ところ 池袋「豊島公会堂」
    http://www.toshima-mirai.jp/center/a_koukai/
演題  西尾幹二「ニーチェと学問」
入場  無料
主催  ?国書刊行会(http://www.kokusho.co.jp


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  • 100
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  • 2011/10/20(木) 22:19:01.44
12月14日は震災に注意だ!
広めてくれ!

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  • 101
  • 忍法帖【Lv=20,xxxPT】
  • 2011/10/21(金) 23:11:02.40
ニーチェの方が幸福の科学よりも優等生ですよねー!?♪。

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  • 102
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  • 2011/10/23(日) 12:12:32.93
村上:日本人というのはどうしてこう人がいいのですかね。だまされやすいというのか。

三島:ぼくはだまされやすい云々よりも、言葉が軽視されたということがすべての間違いのもとだというふうに
思うのですけれども、たとえば戦術的にいっても、政治の基本は、言葉で「おれはあした羽田から発つ」というと、
羽田から発たなければならないというのが政治のルールと基本であって、(中略)こっちも「あした首相官邸を
占領する」といったら、その言葉は文学の言葉と本質的に同じ重さを持つべきだ。

村上:武士に二言はないと言う。

三島:それでね。ぼくら小説を書くときはそういう言葉を書くつもりで書いているのだから、そうしたら
やらなければならない。そりゃ死んでもやらなければならない。だから「十一月に死ぬぞ」といったら絶対
死ななければいけない。政治の言葉が文学の言葉と拮抗するのはその一点を措いてないのですよ。ぼくはそう
思うのですね。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より

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  • 2011/10/23(日) 12:13:02.12
それを全部戦術である、あれはああいって敵をだまかしたのだ、実は死ぬ気はなかったので、ちゃんと戦力は
温存してある、首相官邸をどうせ占領できないことはわかっているが、敵の目をくらますためにそういったのである、
などと言う。これは戦術というものの一番最低の戦術ですね。欺騙行動というのですけれども、ぼくはそれは
もう言葉がばかにされている段階だと思うのです。一度言葉をばかにしたら、あと永遠にこれをばかにしなければ
ならない。


「言霊の幸ふ」というのは、紀貫之が「猛きもののふの心をも慰むるは歌なり」ですか、「古今集」の序に
ありますね。言葉が現実というものを支配しているのだ、そうして現実の人間感情というのは結局その言葉から
出て来たものでできているのだという、現実に対するアンチテーゼを立てる立て方なんですね。(中略)あの言葉は、
言葉が先であって、現実が先なんだということは一言もいってない。(中略)
しかしぼくが一歩言葉の外に出ればそこじゃ責任は完全にかかってくるという考えですね。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より

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  • 2011/10/23(日) 12:13:30.60
村上:祭りというのは天皇が中心になって米を斎き祭るというようなことですか、やはり米を食っていなければ
いけないわけですな。

三島:米は絶対食いますね。日本人はどこまでいっても食いますね。ここでパン食ってますけれど、米はとにかく
どこまでも食いますな。米が一つの象徴になったってぼくは構わないと思う。日本中に水田が全部なくなって、
宮中の陛下がおつくりになる一坪の水田になっちゃった――それでも構わない。

村上:そうすると三角寛さんの山窩の研究に出てくるような米を食わないやつがほんとうの日本人だというあれは
どうお考えですか。

三島:(中略)そういう民衆の中のちょっとした変ったものを見つけて来て、それを拡大する歴史観というのは
いろいろありますよ。八切止夫なんかそんなことばっかりいって暮している。(笑)そんなもの歯牙にかける
必要ないです。文化に関係ないです、そんなもの。そんな人間がいつ文化を創造したですか。いつ文化の高い洗練、
日本語の一番高いものをそんな人間が保証しましたか。山窩が日本語というものを保証しやしない。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より

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  • 105
  •  
  • 2011/10/23(日) 12:13:53.85
村上:米をつくるということと、米を斎き祭るということと、言霊の幸ふということが合致するわけですね。

三島:そうですね。

村上:それがほんとうのネーションであるとおっしゃる?

三島:三種の神器とぼくがいうのはそれですけれども、あなたもそれ、お書きになっている。この間、石原慎太郎に
笑われちゃった。小田実と二人で、私をあざ笑っていましたよ。三種の神器だって、三島にも困ったものだ――
石原が笑ったら、小田実が共感の笑いをもって……。(笑)

村上:その点自民党と社会党も近いわけですな。

三島:いや、石原と小田実って、全然同じ人間だよ、全く一人の人格の表裏ですな。

村上:ともかく非常にモダンな人が多いから、三種の神器なんていうと驚いちゃうのですね。われわれは心の上では
非常に身近なんだけれども。(笑)

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より

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  • 106
  • 忍法帖【Lv=22,xxxPT】
  • 2011/10/23(日) 23:21:32.83
僕は限界突破を超越するよねー!?♪。

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僕はニーチェ発行主義ですよねー。

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  • 108
  •  
  • 2011/10/25(火) 23:51:47.67
三島:ですからぼくが皇居を守るというのは、一般のやつとちょっと違うのは、宮中三殿守ればいい、宮中三殿の
ことなんですよ。文化というのは、結局それ以外に文化を最終的に守るといったって、「源氏物語絵巻」とか
国立博物館にある文化財とか、文部省の文化財保護委員会の思想とか、そういう思想は戦う思想じゃないのです。
そういう思想は絶対にどんな政治形態ができようが、これからも、大丈夫です。そういう思想は官僚の思想ですね。
ぼくはひょっとすると言論の自由を守るという思想もそっちの方じゃないかと思うのですね。下手をすると、
というのは言論の自由の問題は非常に微妙なんだけれども、文化というものの発達に、言論の自由というものが
ほんとうに栄養分になるかどうか、ときどき疑問に思うのです。(中略)

村上:結局自分が美しいと思う生き方を生きて見せるというほかに手がない。

三島:それ以外に全くないですね。ところがそのチャンスすらなくなっちゃった。(中略)

村上:なかなか腹を切るチャンスもないですし、うまく切れるかどうかむずかしい。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より

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  • 109
  •  
  • 2011/10/26(水) 00:54:25.01
三島はやっぱ天才だな。
教養の深さが違うわ。

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ニーチェ空想主義ですよねー!?♪。

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まあ取り敢えず是非とも僕はニーチェ会議主義ですよねー。

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  • 112
  •  
  • 2011/11/01(火) 13:10:15.00
大島正満博士の「修学院の秋」といふ文章を読んだことがありますか。塩原太助の馬を舞台に観てふきだした
アメリカ少年が、秋たけなはの修学院を周遊して、ふと拾つた一葉の紅葉に、日本の秋――日本の荘厳な美の
真髄を悟るといふ美しい記録文で、今に忘れられません。
アメリカ人が六代目の鏡獅子を本当に味解しようとする努力、――と云ふより大国民としての余裕を持つてゐたら
戦争は起らなかつた。文化への不遜な態度こそ、戦争の諸でありませう。日本の高邁な文化を冒涜する国民は
必ず神の怒りにふれるのです。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年1月6日、三谷信への葉書より

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  • 113
  •  
  • 2011/11/01(火) 13:10:52.09
けふで丸五日間、丸つきり空襲がありません。不気味な不安。そのなかにも駘蕩たる春の日は窓辺まで
押しよせて来てゐます。(中略)
大学から、「肺浸潤でも何でもかまはんから出て来い」といつ呼出しがあるかわかりません。さうなつたら
さうなつた時のことです。
僕はこれから「悲劇に耐へる」というより、「悲劇を支へる」精神を錬磨してゆかなければ、と思ひます。
古代ギリシャ人にその範を仰がずとも、身近な巣林子の元禄時代は、我々に文芸復興が何であるかを、赤裸々に
教へてくれます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年3月3日、三谷信への葉書より

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  • 114
  •  
  • 2011/11/01(火) 13:11:18.20
ルーズベルトが死にましたね、日本時間の十三日の金曜日に。新聞は良き敵将を失つて哀悼の意を表す、といふ
態度に出てゐて、結構だと思ひます。阿南大将が二年程前、アメリカの国旗をふみにじつて行進する日本軍を
写した劇映画をみて、「これでは国が危い。徳義の戦ひをやつてゐるのを忘れたのか」と嘆かれたさうですが、
この挿話をきいて、頗る阿南大将を尊敬しはじめました。軍人でかういふ立派な見識をもつてゐられることは
実にありがたいことです。今は亡き帝大国家主義憲法学の泰斗上杉慎吉博士が大正十三年に著はした「日米衝突の
必至と国民の覚悟」なる警世の大文章をよみ、その史眼の卓越、見識の高邁に深く搏たれました。(中略)
――今日偶然地下鉄新橋駅で稲田さん(今海軍中尉です)にあひました。沖縄で、特攻隊と共に敵艦へ
肉迫したのださうです。「くはしく話して下さい」と云つたら「いやだ、ネタにされるから」とにげられました。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月14日、三谷信への葉書より

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  • 115
  •  
  • 2011/11/01(火) 13:12:17.37
君と共に将来は、日本の文化を背負つて立つ意気込みですが、君が御奉公をすましてかへつてこられるまでに、
僕が地固めをしておく心算です。僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅――
すなはち日本の文化層が、永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの尨大な、モニュメンタールな、
カントの、エヂソンの、アメリカの、あの端倪すべからざる「近代」の超克でなくてその殺傷(これは超克よりは
一段と高い烈しい美しい意味で)だと思つてゐます。
「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、
今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。
日本の全文化層、世界の全文化人が特攻隊の前に拝跪し感謝の祈りをさゝげるべき理由はそこにあるので、今更、
神話の再現だなどと生ぬるいたゝへ様をしてゐる時ではない。全く身近の問題だと思ひます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月21日、三谷信への葉書より

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