アドルフ・ヒトラー、三島由紀夫とニーチェ保守主義 [sc](★0)
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- 50
- 2011/08/29(月) 09:52:57.66
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天皇と国民を現代的感覚で結びつけようということは小泉信三がやろうとして間違っちゃったことだと思うのですよ。
小泉信三は結局天皇制を民主化しようとしてやり過ぎて週刊誌的天皇制にしちゃったわけですよ。そして結局
国民と天皇との関係を論理的につくらなかったと思うのです。というのは、ディグニティをなくすることによって
国民とつなぐという考えが間違っているということを小泉さんは死ぬまで気がつかなかった。それでアメリカから
変な女を呼んできて皇太子教育させたり、そういうふうな形でやってきたわけです。ですからその考えはまだ
宮内官僚に随分残っているから、当然天皇制というものがそういう形でうまく国民と結ばれるということについては、
私は悲観的ですね。
三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より
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- 51
- 2011/08/29(月) 10:50:14.04
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>>46
それ凄いわかります。
戦後日本人のステレオタイプというか、みんなスーツにメガネに
七三分けの日本人像が出来たのが凄く疑問でした。
戦争に勝った、あるいは戦争しなかったら絶対そうはならなかっただろうって。
あれ変ですよほんとに。
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- 52
- 2011/08/29(月) 10:59:42.65
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>>1さん
ヒトラーの凄さはヒトラーが日本刀携帯してる姿を想像するとよくわかります。
そういう軍事的なカリスマって日本じゃ多分居なかったと思うんですよ。
まあヒトラーばりの屈強な帝国軍人は居たとおもいますが、
日本人ってのは良くも悪くも村社会なためかリーダーが出てこれなかったように思えます。
これからの時代はそういう存在が必要ですよ。
内閣総理の上に立ち、天皇につかえるサムライが。
かつての将軍家のような存在がね。
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- 53
- 忍法帖【Lv=1,xxxP】
- 2011/08/30(火) 00:33:51.62
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邪神の攻撃で神は死んだ!?♪。
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- 54
- 2011/08/30(火) 16:37:33.78
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>>51
見た目もそうですが、精神的にも、日本の基盤を失った根なし草になって、例えば平気で韓国サムスンに身を売るような人達や、
グローバルとか聞こえのいいことを言いながら、私財を増やすためには手段も場所も選ばない市場経済主義商人に
日本人も飲み込まれて、大和魂がなくなってしまうことを、「みんなユダヤ人になっちゃう」と三島由紀夫は予見したのでしょうね。
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- 55
- 2011/08/31(水) 12:51:44.36
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人間は未来ということを考えると、必ず現在というものを犠牲にするか手段化するという不思議な動物だと私は
思います。未来社会がもし理想的な社会になる。その社会のために現在我々が動いているとすれば、我々は
その社会への橋であり、プロセスであり、道具なんですね。(中略)これがあらゆる未来というものに関する
思想の――私は左とか右とかいうのじゃない、未来というものを想定した思想にからむ一つの危険だと思います。
(中略)
私はいわゆる革命家、社会運動家、改良主義者、こんな人達と話します時に自分との一番の違いだと思いますものは、
私は「未来がない」という考えなんです。(中略)もちろん我々は一週間や十日のところは大体未来ということを
考えて暮しておりますが、それはもうすでに現在に繰り込まれた実務的な時間の問題で、私がいっているのは
そういうことではないことはおわかりだと思います。つまり自分の行動のモラルの根拠として、未来を置くのか、
あるいは現在ないし過去を置くのか、ここで人間の行動の様式とモラルが完全に変ってきちゃうのです。
三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より
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- 56
- 2011/08/31(水) 12:52:29.95
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世間では進歩的、未来に向って、明るい未来に向って、人類の将来に向って、お手々をつないでというのが
大好きですな。(中略)ですが私はそういうミーハー受けのするスローガンにはいつも疑いの目を向ける。なぜ
私が未来がないかと申しますと、未来ということを考える暇がないほど現在の時点における自分の存在の中に、
連綿たる過去の日本の文化伝統と日本人の長い民族的蓄積とが、太古以来ずっと続いている、その一番ラストに
自分はいるんだ、自分が滅びたらもうお終いなんだ、自分は日本というものの一番の精髄をになってここにいま
立って、そこで自分は終るのだ。そういうことがなければ、ぼくは人間の最終的な誇り、日本人としての最終的な
誇りは持てないと思います。(中略)
文化というものはずっとうしろからつながってきて自分のところで途切れちゃう。そうするとこれから未来へ
つなぐには誰がやるだろうか。それは私より若い人がいるのだし、また自分がおしまいだと思っている若い人が
次々と出てくるからこそ、いつも文化というものはそうやってつながっていくのだ。
三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より
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- 57
- 2011/08/31(水) 12:53:01.57
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未来を所有しているのは老人の特徴で、未来を所有しないのが青年の特徴である。(中略)
自分がどうやって死ぬかということは大体五十、六十になってくると先が見えてきちゃう。それを未来を所有する
というのです。青年は未来に対してあらゆる可能性があるように見えるかわりに、未来を何一つ所有しない。
(中略)青年が未来に対して野心を燃やし、幻影を持つのは当然のことであります。ただその場合に、最後に
自分というものが未来のためだけにいま生きて怠けているのではないのだ。明日死んでも十分な生き方をしなきゃ
ならんということが青年らしい考え方だとむしろ思うのです。「葉隠」なんかでも、日々死を心に当てて生きろと
いうことをいっておりますが、朝起きた時に今日死ぬかもしれないという気持だったらば、どれだけ人間は
全身的な表現を毎日繰り返せるかわからない。そういう表現の中にしか人間の生死観も、文化というものの力も
自分を護る決意もないのじゃないか、こんなふうなのが私の未来観であります。
三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より
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- 58
- 2011/08/31(水) 12:53:41.23
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言論自由下の社会主義なんていうものを夢見ているとあぶないんだ。(中略)もし美しき社会主義を夢見れば
醜き社会主義にやられてしまうんだ。
私が共産主義を嫌いなのは美名をもって人間をたぶらかすからです。そして私は偽善というものが嫌いなんです。
共産主義は自由な未来に向って人間を唆す毒薬だと思います。
第二次大戦後に(アジアで)民族自決主義がリバイブしたのはあくまでも大東亜戦争の直接の影響だと思います。
それによってアジアの諸民族が自信を持って民族独立の道を歩き出したのだと私は信じて疑いません。
文化というものは結局マルキシズムの階級史観では絶対に解明できない。あらゆる哲学者が文化論、芸術論になると
失敗するのです。
十九世紀の主権国家の理論で私は日本の国家を規定して、その国家を守れといっているのじゃないのです。国家は
さまざまなんです。国家は我々なんです。
私は未来がないのだ。しかし私の背後には長い長い文化伝統があって私で終るのだから、おれの身には指一本
触れさせないぞという覚悟で戦うのです。そして私は勝たなきゃならない。
三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より
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- 59
- 2011/09/03(土) 19:31:39.05
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これしかないという表現を体でもって選ぼうとすればことばだね。最終的に、ことばか身を投げることしかない。
それはもっとつきつめれば焼身自殺だよ。このあいだ、アメリカの国会議事堂で自殺した少年と同じだ。これは
ことばにかけると同じ重さを、からだにかけた行為だと思う。これが表現なんで、それ以外の表現は嘘なんだ。
嘘なんだけども効果はある。
アメリカ大使館の窓から旗を三つぐらい垂らせば世界中に報道され、これはたいへん象徴行為になって効果が
あるんだけれども、根底的に意味はない。意味がないんだけれども、意味があるかのごとくなっている。そして、
全学連は最終的に意味があるかのごときところで満足しているということが表現者として気に入らないんだ。
これは正義運動としての自己冒涜だよ。正義運動を正義運動たらしめる根底的なものは、最終的に自己破壊しかない。
それができないということは、もう一つの表現のところに頼っているんだ。
三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より
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- 60
- 2011/09/03(土) 19:32:25.06
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テロリズムといわれようとなんといわれようとかまわない、ことばを刻むように行為を刻むべきだよ。彼ら
(全学連)はことばを信じないから行為を刻めないじゃないか。もっとも、それを彼らに要求するのは無理かも
しれない。というのは、教育が彼らにことばというものの最終的な意味と重さを教えなかったから。そして
それは日本の文士、へっぽこ小説家どもの責任でもある。だから、彼らはことばの軽さに慣れて、テレビ的行為を
すばらしい政治行為だと思っちゃうんだよ。
(全学連は)ファクトを信じない時代の子で、自分らのやることはファクトだと思っていない。
一定の仕組まれた政治的プログラムのなかの一つのパブリシティだと思っている。パブリシティとファクトとを
厳密に分けなければわれわれの言語信仰は崩れるわけで、そこが気に入らない。全学連は、どこにファクトがあって、
どこがパブリシティなのかぜんぜんわからないでしょう、これはある意味ではいちばん気味が悪いよ。
三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より
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- 61
- 2011/09/03(土) 19:33:16.23
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去年、福田赳夫さんに「自民党は安保と刺しちがえてくださいよ」といったんだけど、これは自民党の歴史的
役割りだと思うんだ。戦後の国際協調主義みたいなものの最終的なもので、これを自民党がやってくれなければ
その後の日本は開けない。
中国人はものを変えることが好きでね、人間を壷の中に入れて首だけ出して育ててみたり、女の足を纏足
(てんそく)にしてみたり、デフォルメーションの趣味があるんだよ。これは伝統的なものだと思うんだ。
中国というのが非常に西洋人に近いと思うのは、自然にたいして人工というのを重んじるところね。中国人の
人間主義というのは非常に人工的なものを尊ぶ主義でしょう。作って、変えたという確信を持つことが権力意識の
獲得ですから。だから意識の変革というのをやりたくてしようがないんだよ。中国文学の専門家には悪いけど、
これは中国人の伝統的な趣味だと思うんだ。
変革といった瞬間にすぐ偽善に陥る、モラルといった瞬間にすぐ偽善が押し寄せてくる、それはほんとに怖いねえ。
全共闘諸君は若いかもしれないけど、若いなりにそういったものが垢として身についているかもしれない、
怖いねえ。
三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より
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- 62
- 2011/09/03(土) 21:38:10.42
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全共闘の場合はどちらかというと、敗戦ショックから生まれた革新主義、事大主義かなと。
日本は世界大戦における劇的な敗戦、あるいは壮絶な亡国寸前の敗戦というのをやったから
これが実は重大な「事変」となっている。
だから自由主義者とか共産主義者がイナゴのように湧いて出てくるのはむしろ自然だと思う。
三島が死ぬまでの戦後の30年という時代は、特に日本が大きく変わり、豊かさと貧しさが
反転した時代でもあったし、ルンペンが増えた。
精神的な思想や国家観、教育なんかも戦後で大きく変わった。
そして三島の死後、バブル経済が来る事でさらに日本の「自由化」が進んだ。
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- 63
- 2011/09/03(土) 21:48:42.55
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それと中国と西洋の類似はいくつか考えられる。
1 大陸国家であり、国土における面積の広さもヨーロッパとほぼ同じ
2 歴史が古く、文明の発信地である
3 中国語が文法的、発音的に西洋語に近いため
4 中国文明自体がヨーロッパと同じくオリエントに起因するから
5 中国は紀元前の古代から西洋と交流し貿易してきたため
6 多民族的な環境で国民が生きてきたため
7 人口が古来より多く、その競争の中でそうした価値観が育まれた
まあ個人主義は多民族的な環境によって育まれますから
中国の歴史、王朝の歴史が案外ヨーロッパみたいなのでしょうね。
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- 64
- 忍法帖【Lv=7,xxxP】
- 2011/09/06(火) 14:10:57.59
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神は死んだけど未来は終わらない!?♪。
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- 65
- 2011/09/06(火) 14:33:22.92
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>>63
中国語と英語は、主語のあとにすぐ動詞がくるから似てますね。比較的どっちも乾いた言語っていう感じも似てます。
きっと自我の思考回路が似てるんでしょう。
日本語の微妙さ、あいまいさ、情緒的な言語とは、ちょっと遠い気がします。
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- 66
- 2011/09/11(日) 11:58:57.92
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http://hexagon.inri.client.jp/floorB1F_hss/b1fha400.html
■■三島由紀夫がヒトラーについて語った言葉
「ところでヒトラーね。彼がやったことは世界中の人が知ってる。だけど、彼がほんとは何者だったのか誰も
知っちゃいない。ナチの独裁者、第二次世界大戦の最大戦犯、アウシュヴィッツの虐殺者、悪魔……。これが
いままでのヒトラー観だけど、ほんとはそれどころじゃない。
彼のほんとの恐ろしさは別のところにある。
それは彼が、ある途方もない秘密を知っていたってことだ。人類が結局どうなるかっていう秘密だ。彼は未来を
見通す目を持っていて、それを通じて、その途方もない未来の秘密に到達しちゃった。」
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- 67
- 2011/09/11(日) 11:59:32.84
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「だから五島君。もしきみが10年後でも20年後でも、ヒトラーのことをやる機会があったら、そこんところを
よく掘り下げてみることだ。もしきみにいくらかでも追求能力があれば、とんでもないことが見つかるぜ。
ほんとの人類の未来が見つかる。やつの見通していた世界の未来、地球と宇宙の未来、愛や死や生命の未来、
生活や産業の未来、日本と日本の周辺の未来……。
なにしろ『我が闘争』の中にさえ、やつは未来の日本や東アジアのことを、ずばり見通して書いてるくらいだから。
まだ30代かそこらで、やつはそれは鋭い洞察力を持っていたことになる。」
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- 68
- !ninja
- 2011/09/11(日) 22:44:42.83
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神は死んだけど現実は終わらない!?♪。
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- 69
- 2011/09/12(月) 17:57:49.26
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ニイチェの「ツァラトゥストラ」の中には日本のことをかいてゐるやうな気のするところもありますね。
そして超人の思想の根本なぞどうも私にはインド、又ひろく東洋全体の思想への接近より、ニイチェが自ら
意識するせぬに不拘(かかはらず)、日本への大きな意味があるやうに思はれてなりません。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年2月15日、東文彦への書簡より
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- 70
- 2011/09/14(水) 20:46:25.64
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いやなことゝ申せば今度も空襲がまゐりさうですね。かうして書いてをります夜も折からの警戒警報のメガホンの
声がかまびすしい。一体どうなりますことやら。しかしアメリカのやうな劣弱下等な文化の国、あんなものに
まけてたまるかと思ひます。
――ニイチェが反理想主義であること、流石に確かな御眼と感服いたします。
ニイチェの強さが私には永遠の憧れであつても遂に私には耐へ得ない重荷の気がします。おそらくけふは
一人一人の日本人が皆ニイチェにならねばならぬ時かもしれません。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年4月4日、東文彦への書簡より
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- 71
- 2011/09/16(金) 23:42:02.66
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ニイチェについて、お陰さまでいろいろ新しいことを知りました。実はツァラトゥストラの登張竹風の跋文の外、
私にはニイチェに関する智識がございませんでした。ツァラトゥストラのあの超人の寂寥あれを私は平安朝の
女流たちにも感ずるのです。「古今の季節」といふエッセイのなかでその荒涼を語つたことがありますが、
ニイチェがあれら女人の深い寂寥にふれてゐたらどう思つたことでせう。ニイチェの愛した東方ではなく、
むしろニイチェ自身の苦しい影をみはしなかつたかとさへ思ひます。
「世々に残さん」をかく用意に「平家物語」を何遍も繰つてゐますが、川路柳虹氏も名文だとほめてゐられる
あの文章、又あのむしろ宇宙的な末尾の哀切さ、あれを一篇の小説としてみてみると、大原の大団円は、私には
ラディゲのドルヂェル伯の大団円などよりこのごろではずつと身近に感じられます。無常といふ思想は印度から
来たものでもそれを文学の極致にまで詩の極致にまで高めたのは日本人の営為ですね。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年4月11日、東文彦への書簡より
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- 72
- 2011/09/19(月) 11:20:09.11
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文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありませう。
ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもつてゐますので、一しほの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、
ニイチェのやうに、愚人の海に傷ついた人でありませう。英雄の悲劇の典型ともいふべきものがみられるやうに
おもひました。かつて世界の悲劇であつたのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。
スカラ座もこはれたやうですね。米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦ふべきでありませう。
俗な精神が世界を蔽(おお)うた時、それは世界の滅亡です。
萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらひ、さげすみ、蹴とばした
気持がわかります。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年8月20日、東文彦への書簡より
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- 73
- !ninja
- 2011/09/20(火) 06:21:01.93
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僕はニーチェ霊界主義ですよねー!?♪。
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- 74
- 2011/09/20(火) 11:45:22.97
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ヒトラーを論じるときのポイントを二つ示したい。
1. 演説の名手:ヒトラーは事前によく練習した。いきなり本番ではない。彼の演説を
聞いたドイツ共産党員によると、はじめ言葉を拾うようにぽつぽつと話す。そのうち火
を吹くような演説となる。
自分はナチスに反対であったが、自分もナチス党員であったらよかったと思うほどの
迫力と感動があったという。ヒトラーの演説はドイツの青少年に聞かせることは戦後
長く禁止されてきた。
2. 大衆社会:ナチスの台頭は、米国発の大不況で700万人が失業し、ドイツが議会
制民主主義では解決できない状態になったからである。それを見事に回復した。
だから今、日本の学者がナチスの経済政策の研究をしている。
駿河山人
http://pub.ne.jp/surugasankei/
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- 75
- 2011/09/20(火) 11:54:53.17
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>>73
!ninja失敗してんじゃねーぞバーカww
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- 76
- !ninja
- 2011/09/21(水) 05:31:05.17
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僕はニーチェ制作主義ですよねー!?♪。
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- 77
- 2011/09/22(木) 17:47:20.66
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○ フリードリヒ・ニイチェの思想は要約するに次の一行を以て足る。
「我愛さず。愛せられず。我唯愛さしむ」
平岡公威(三島由紀夫)20歳「詩論その他」より
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- 78
- !ninja
- 2011/09/24(土) 14:04:00.16
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鳩山由紀夫に頼むよねー!?♪。
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- 79
- 2011/09/26(月) 06:42:46.40
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ニーチェよりも江戸時代の戯曲家鶴屋南北の方が、より早期に
武家社会におけるニヒリズムを的確に描いていると思う
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- 80
- 2011/09/27(火) 11:15:16.18
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だんだんに私は文学を引き寄せるやうにしてゆきたいと思ふ。己れより乗り憑つて乗り憑りつつ清められると
云つたあり方に心ひかれる。さういふ場合の放胆さについてはもう口でいはぬはうがよいと思ふ。それは一種の
ニイチェ風な陥没であらうもしれぬが私は日本人にふさはしい手振だけをまなんでゆくほかはない。そして、
戦後の世界に於て、世界各国人が詩歌をいふとき、古今和歌集の尺度なしには語りえぬ時代がくること、それらを
私は評論としてでなく文学として物語つてゆきたい。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「跋に代へて(『花ざかりの森』)」より
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- 81
- 忍法帖【Lv=19,xxxPT】
- 2011/09/27(火) 19:32:23.47
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多元宇宙実在理論は正しいですよねー。
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- 82
- 2011/09/30(金) 16:59:12.85
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日本は緑色の蛇の呪いにかかっている。日本の胸には緑色の蛇が食いついている。この呪いから逃れる道はない。
三島由紀夫
ヘンリー・スコット=ストークス宅の食事会での発言より
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- 83
- 2011/10/03(月) 15:45:34.95
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僕は今この時代に大見得切つて、「共産党に兜を脱がせるだけのものを持て」などゝ無理な注文は出しません。
時勢の流れの一面は明らかに彼らに利があり、彼等はそのドグマを改める由もないからです。しかし我々の任務は
共産党を「怖がらせる」に足るものを持つことです。彼等に地団太ふませ、口角泡を飛ばさせ、
「反動的だ! 貴族的だ!」と怒号させ、しかもその興奮によつて彼等自らの低さを露呈させることです。
正面切つて彼等の敵たる強さと矜持を持つことです。ひるまないことです。逃げないことです。怖れないことです。
そして彼等に心底から「怖い」と思はせることです。
(中略)貴族主義といふ言葉から説明してかゝらねばなりません。
学習院の人々に貴族主義を云ふとすこぶる誤解されやすく、それはともすれば今までの学習院をそのまゝそつくり
是認する独善主義の別語とされる惧れなしとしません。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より
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- 84
- 2011/10/03(月) 15:46:07.62
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(中略)
明治以来、「華族」とは政治的特権を背景にもつた政治的な名称であり、文化的意義は頗る稀薄にしかもつて
をりません。新華族が簇生(そうせい)した所以です。――貴族主義とはプロレタリア文化に対抗すると同じ
強さを以てブルジョア文化(アメリカニズム)に対抗するといふことを知つていたゞきたい。この意味で
政治的意味の貴族主義は無意味です。なぜなら世界史の趨勢はアリストクラシイの再来を絶対に希みえず、
現今までわづかに残された政治的特権も過去の特権の余映にすぎぬといふ理由が第一、もう一つは、ブルジョア文化が
今では貴族社会一般を風靡し、単に華族を集めてみても貴族主義は達成されぬといふ理由が第二です。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より
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- 85
- 2011/10/03(月) 15:46:45.90
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――それでは文化的貴族主義とは何でせうか。それは歴史的意味と精神的意味と二つをもつてゐます。
…後者はあらゆる時代に超然とし、凡俗の政治に関らず、醇乎たる美を守るといふエリートの意識です。
(これは芸術からいふので、倫理的には道徳を守るエリートたりともある人はいふでせう)
…しかもその効果は美的標準に於て最高のものであらねばならぬ点で明らかに貴族主義的です。向上の意識、
「上部構造」の意識、フリードリヒ・ニイチェが貴族主義とよばれる所以です。
第二に、唯美主義は本質的に反時代性をもつといふ点で貴族的です。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日付、神崎陽への書簡より
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- 86
- 2011/10/03(月) 15:54:24.11
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われらの外部を規制する凡ゆる社会的政治的経済的条件がたとへ最高最善理想的なものに達したとしても、
絶対的なる「美」からみればあくまでも相対的なものであり、相対的なものが絶対的なものを規制しようとする時、
それは必ず悪い効果を生じます。いかによき政治が美を擁護するにしろ、必ずその政治の中の他の因子が美を
傷つけることは、当然のことで仕方ないことです。したがってあらゆる時代に於て美を守る意識は反時代性をもち、
極派からはいつでも反動的と思はれます。すなはち、彼らのいはゆる反動的なるがゆゑに貴族主義的です。
――「中庸」といふ志那クラシックのいかにも睡つたやうなこの言葉がやうやう僕には激しい激越な意味を以て
思ひかへされて来ました。中庸を守るとは洞ヶ峠のことではありません。いはゆる微温的態度のことではありません。
元気のない聖人気取ではありません。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より
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- 87
- 2011/10/03(月) 15:54:53.28
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「中庸」の思想こそ真に青年の血を湧かせる思想なのです。それは荊棘の道です。苦難と迫害の道です。
漢籍に長ずるときく山梨院長が、戦時中の輔仁会で翻訳劇を上演しようとした僕の意図を抹殺し、戦争終るや
「モンテ・カルロの乾盃」を手もなく容認するやうな態度を、人々はいはゆる「中庸」の道だと思つてゐます。
これは思はざるの甚だしきものです。これこそいはゆる論語よみの論語知らずです。
右顧左顧して世間の機嫌をうかゞひもつとも「穏当な」道を選ぶといふ思想こそ、孔子が中庸といふ言葉で
あらはしたものと全く反対の思想です。
中庸といふこと、守るといふこと、これこそ真の長い苦しい勇気の要る道です。
このやうな時代に、美を守ることの勇気、過去の日本精神の枠、東洋文化の本質を保守するに要する勇気、
これこそ真の男らしい勇気といはねばなりません。
学習院は反動的といふ攻撃の矢面に立ち、真の美、真の文化を叫びつゞけねばなりません。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より
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- 2011/10/04(火) 10:43:34.64
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(中略)
君は大東亜戦争を何と考へてゐられますか。
僕らはあの戦争の中で育ち、その意味であの戦争を僕らは生涯(いや子孫代々)否定することはできません。
あの戦争が間違ひだつたのどうのといふことでなしに、人間の成長と形成の「過程」として否定したくもできない
一個の内面的事実なのです。我々が以て恥とすべきは戦争に協力したとか、戦争目的に盲目であつたとか、
為政者にだまされたといふことよりも、あの戦争から「我々が何も得て来なかつた」といふことではないでせうか。
何らわれらにプラスするものを得てこなかつたといふ痛切な恥ではないでせうか。この点は僕も省みて面を
赤くせぬわけにはゆきません。
しかし今日の輔仁会、といふよりはその背後にある昨今の学習院学生の気風にこれに対する反省がみられるでせうか。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より
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- 2011/10/12(水) 11:24:29.19
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独乙(ドイツ)敗るゝ時、忌はしくも紙上に見える無条件降伏の文字、西欧的表現の行詰りを見る思ひがいたしました。
大御戦はもとより本朝のおほみわざ、戦争と文化の問題についても日本独自の解決があるべきと存じます。
ヒトラア死して逸早い、ハムブルヒ無防備都市宣言の如き、醜態の極でありました。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年5月5日、中河与一への書簡より
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- 90
- 2011/10/12(水) 14:04:02.98
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終戦ー謝罪外交ー村山談話の永遠回帰のほうがニーチェ保守だから。
「戦争という不快を避ける欲望」を、前提として考えればよくわかる。
こうなると、平和主義に「生命」を賭けるっていう、ほとんど
三島主義と変わらない献身的暴動が起こる。(平和のためなら尖閣も
日本も占領されたっていい)
これこそが
現代版ニーチェ保守主義だから
。
特攻隊だって、平和のために「献身」したんだっつの。
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- 91
- 2011/10/12(水) 14:54:45.57
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ヒトラーがドイツ国民をアーリア民族の優生性で、操作したのと、
ニッポンの左とメディアが日本国民を村山談話の優等性で操作してるのと、
何が違うんだ?国民の平和安定のためにという前提の欲望は変わらないのに。
手段としての優等性が正しいなら何故、中国ではノーベル平和賞が取れない?
民族の優生性、国家の優等生の考え方に差異があるからだ。平和主義者自由主義者は
国によっては国家犯罪者であり潜在的ヒトラーだからだ。
より具体的に中国はチベットのダライラマを確実にそういう目線で見ている。
簡単に言うと平和的非戦的な手段をとっても、ヒトラーにされるのが
世界の現実だ。
そういう意味で特別日本はまた、ヒトラー性をもった方向に向かってるんじゃないか?
村山談話がヒトラー性と関係ないと考えるのは違う。
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- 92
- 2011/10/12(水) 17:23:11.96
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>>90
それはどちらかと言うとニーチェ革新主義だな。
三島は保守主義なんだよ。
不死鳥の如く不屈に戦おうって言う。
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- 93
- 2011/10/12(水) 17:31:51.73
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>>91
まったく違うよ。
ニーチェのニヒリズムはいうなれば不屈なる維新主義なんだよ。
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- 94
- 2011/10/13(木) 10:15:18.98
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独逸(ドイツ)の悲劇はあくまで西洋古代の悲劇と相以て、運命と人との闘争の終局でありましたが、今や
我が国にはこれに類似の悲愴趣味運命観が流行してをりますことは、大いに警戒の要ありと存じます。新運命観は、
運命への抵抗乃至(ないし)闘争でもなく、運命への盲従乃至信仰でもなく、運命を汎(ひろ)く輪廻と解して、
これに対する濃まやかな愛情と親密な交遊の裡に、自己と輪廻との合歓、慇懃の甘美を極めた境地にまで、
相共に融合することであると考へます。単なる否定でも肯定でもない、かゝる主観客観を超えた魂の状態を、
貴下は兼てより「愛」と呼ばれましたが、「愛」の教は今日以後一層痛切な意味をもつでありませう。私は
今までの国学の偏狭、コスモポリティズムの軽佻を排して、真の意味の universal につながりたいと思ふやうに
なりました。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年6月27日、中河与一への書簡より
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- 95
- 2011/10/13(木) 10:20:19.49
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昨晩は末弘厳チャンが来られ、厳チャンを囲んで話を聞く会がありました。厳チャンが嘗てヒトラーと会つた話など
傑作でした。ヒトラーがオリムピックの日本水泳代表の健闘をほめて、「日本人は魚のやうによく泳ぐ」と
お世辞を云つた、すると厳チャンは昂然と、「イヤ他国の代表が人間の如く泳がないだけだ」と云つた由。
正に逸話に残りさうな話です。更に厳チャンが、大戦後の疲弊した社会の少年がいま優秀なドイツ青年になつて
ゐることを称讃すると、ヒトラーは大変よろこんで厳チャンを抱き上げんばかりに喜んださうです。「嘗て
ヒトラーがあんなに感情を露骨にあらはした応待をしたことがない」とあとで厳チャンは侍従に云はれたさうです。
――厳チャンの言によれば、目下憲法卅一条論がさかんで、その具体的法令まで作つてゐる奴があるといふ
処士横議の有様ださうです。その政治的結果については多言を要しますまい。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年1月27日、平岡梓、倭文重への葉書より
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- 96
- 2011/10/15(土) 15:02:34.67
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「憂国忌」代表発起人のおひとり、西尾先生の全集刊行と講演会のお知らせです
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予約受付開始!! まもなく、西尾幹二全集の刊行が始まります!
全著作を収めた初の決定版全集!! 西尾幹二全集
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全22巻(年4冊刊行)
―― ニーチェ研究で衝撃のデビューを果たし、日本のあり方を深く、多角的に洞察してきた「知の巨人」西尾幹二の集大成。
―― ショーペンハウアーや福田恆存の解読も踏まえ、文学評論、教育論、日本の歴史、江戸の学問論、世界史観、さらにはヨーロッパ留学から病気体験を経て、
自己の少年期までを語る自分史を通じ、自由とは何か、人生の価値とは何か、日本の根本問題とは何かを問うてきた思想家の、そのひたむきな軌跡を辿る。
第一回配本 第五巻(平成二十三年十月 刊行予定 六〇九〇円(税込)
『光と断崖──最晩年のニーチェ』 〜発狂直前のニーチェ像を立体化し、未刊行の・西尾のニーチェ・を集成する
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- 97
- 2011/10/15(土) 15:03:28.64
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全巻の内容
西尾幹二全集 全二十二巻(予価各巻五千八百円〜八千円 巻数順に年四冊配本予定)
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第 一 巻 ヨーロッパの個人主義 平成二十四年一月刊行予定
第 二 巻 悲劇人の姿勢
第 三 巻 懐疑の精神
第 四 巻 ニーチェ
第 五 巻 光と断崖―最晩年のニーチェ
第 六 巻 ショーペンハウアーの思想と人間像
第 七 巻 ソ連知識人との対話
第 八 巻 日本の教育 ドイツの教育
第 九 巻 文学評論
第 十 巻 ヨーロッパとの対決
第 十一 巻 自由の悲劇
第 十二 巻 日本の孤独
第 十三 巻 全体主義の呪い
第 十四 巻 人生の価値について
第 十五 巻 わたしの昭和史
第 十六 巻 歴史を裁く愚かさ
第 十七 巻 沈黙する歴史
第 十八 巻 決定版 国民の歴史
第 十九 巻 日本の根本問題
第 二十 巻 江戸のダイナミズム
第二十一巻 危機に立つ保守
第二十二巻 戦後史観の革新
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- 98
- 2011/10/15(土) 15:04:06.02
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内容見本ご希望の方は、下記へお問い合わせ下さい。
株式会社 国書刊行会 03−5970−7421 Fax :03−5970−7427
Email:nakagawara@kokusho.co.jp
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- 2011/10/15(土) 15:11:05.97
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西尾幹二全集刊行 記念講演会のご案内 ↓
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西尾幹二先生の全集刊行が開始されました。これを記念して氏の講演会が開催されます。ふるってご参集下さい。
入場無料です。
記
とき 11月19日(土曜) 午後六時開場 六時半開演
ところ 池袋「豊島公会堂」
http://www.toshima-mirai.jp/center/a_koukai/
演題 西尾幹二「ニーチェと学問」
入場 無料
主催 ?国書刊行会(http://www.kokusho.co.jp)
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