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  • 2011/07/20(水) 23:59:13.91
ニーチェ保守主義とは、いうなれば民族主義とニヒリズムによって
永劫回帰=永続維新を実現するという保守思想の考えである。





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  • 2012/01/17(火) 16:51:01.31
(中略)
彼らは今なほ「朕はタラフク食ってるぞ。ナンジ人民飢えて死ね」といふやうな、古くさい左翼風の下品な
きまり文句のとりこになつてゐた。そして彼らは、目に見える天皇像があまりにも週刊誌に毒され、マス・
コミュニケーションに毒されてゐる、その毒された媒体を通してしかこれを評価し得ないことも明らかである。
彼らはその根本について少しも疑つてみようともせず、また、マス・コミュニケーションに耐へながら存続して
ゐる天皇といふものが、何ゆゑこのやうな新しいマス・コミュニケーションと極度の言論の自由の中で存立し得て
ゐるかといふ、歴史的意味や時間の連続性の問題についてもよく考へてゐないことが察知された。(中略)
天皇といふものが現実の社会体制や政治体制のザインに対してゾルレンとしての価値を持つことによつて、いつも
その社会のゾルレンとしての要素に対して刺激的な力になり、その刺激的な力が変革を促して天皇の名における
革命を成就させるといふことを納得させようとしたがうまくいかなかつた。

三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より

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  • 2012/01/17(火) 16:51:29.61
天皇は、いまそこにをられる現実所与の存在としての天皇なしには観念的なゾルレンとしての天皇もあり得ない、
(その逆もしかり)、といふふしぎな二重構造を持つてゐる。すなはち、天皇は私が古事記について述べたやうな
神人分離の時代からその二重性格を帯びてをられたのであつた。この天皇の二重構造が何を意味するかといふと、
現実所与の存在としての天皇をいかに否定しても、ゾルレンとしての、観念的な、理想的な天皇像といふものは
歴史と伝統によつて存続し得るし、またその観念的、連続的な天皇をいかに否定しても、そこにまた現在のやうな
現実所与の存在としてのザインとしての天皇が残るといふことの相互の繰り返しを日本の歴史が繰り返してきたと
私は考へる。そして現在われわれの前にあるのはゾルレンの要素の甚だ稀薄な天皇制なのであるが、私はこの
ゾルレンの要素の復活によつて初めて天皇が革新の原理になり得るといふことを主張してゐるのである。

三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より

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  • 2012/01/19(木) 06:06:08.88
ttp://fphoto.livedoor.biz/0903/joker_e08.jpg

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別に寧ろ何かまあ取り敢えずニーチェは斬新だよね。

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  • 2012/01/26(木) 22:27:18.43
日本とは何か、といふ最終的な答へは、左右の疑似ナショナリズムが完全に剥離したあとでなければ出ないだらう。
安保賛成も反共も、それ自体では、日本精神と何のかかはりもないことは、沖縄即時奪還も米軍基地反対も、
それ自体では、日本精神とかかはりのない点で同じである。そしてまたそのすべてが、どこかで日本的心情と馴れ合ひ、
ナショナリズムを錦の御旗にしてゐる点でも同格である。「反共」の一語をとつても、私はニューヨークで、
トロツキスト転向者の、祖国喪失者の反共屋をたくさん見たのである。私は自民党の生きる道は、真の
リベラリズムと国際連合中心の国際協調主義への復帰であり、先進工業国における共産党の生きる道は、
すつきりしたインターナショナリズムへの復帰しかないと考へる。真にナショナルなものは、そのいづれにも
本質的に欠けてゐるのである。
真にナショナルなものとは何か。それは現状維持の秩序派にも、現状破壊の変革派にも、どちらにも与(くみ)しない
ものだと思はれる。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

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  • 2012/01/26(木) 22:28:40.74
現状維持といふのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊といふのは、つねに飢ゑ渇いた貧しい思想である。
自己の権力ないし体制を維持しようとするのも、破壊してこれに取つて代らうとするのも、同じ権力意志の
ちがつたあらはれにすぎぬ。権力意志を止揚した地点で、秩序と変革の双方にかかはり、文化にとつてもつとも
大切な秩序と、政治にとつてもつとも緊要な変革とを、つねに内包し保証したナショナルな歴史的表象として、
われわれは「天皇」を持つてゐる。実は「天皇」しか持つてゐないのである。中共の「文化」大革命に決定的に
欠けてゐる要因はこれであり、かれらは高度な文化の母胎として必要な秩序を、強引な権力主義的な政治的秩序で
代行するといふ、方法上の誤りを犯した。文化に積極的にかかはらうとしない自由主義諸国は、この誤りを
犯す心配はない代りに、文化の衰弱と死に直面し、共産主義諸国は、正に文化と政治を接着し、文化に積極的に
かかはらうとする姿勢において、すでに文化を殺してゐる。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

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  • 2012/01/26(木) 22:29:56.90
(中略)
最近私は一人の学生にこんな質問をした。
「君がもし、米軍基地闘争で日本人学生が米兵に殺される現場に居合はせたらどうするか?」
青年はしばらく考へたのち答へたが、それは透徹した答へであつた。
「ただちに米兵を殺し、自分はその場で自決します」
これはきはめて比喩的な問答であるから、そのつもりできいてもらひたい。
この簡潔な答へは、複雑な論理の組合せから成立つてゐる。すなはち、第一に、彼が米兵を殺すのは、日本人としての
ナショナルな衝動からである。第二に、しかし、彼は、いかにナショナルな衝動による殺人といへども、殺人の責任は
直ちに自ら引受けて、自刃すべきだ、と考へる。これは法と秩序を重んずる人間的倫理による決断である。
第三に、この自刃は、拒否による自己証明の意味を持つてゐる。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

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  • 2012/01/26(木) 22:30:49.00
なぜなら、基地反対闘争に参加してゐる群衆は、まづ彼の殺人に喝采し、かれらのイデオロギーの勝利を叫び、
彼の殺人行為をかれらのイデオロギーに包みこまうとするであらう。しかし彼はただちに自刃することによつて、
自分は全学連学生の思想に共鳴して米兵を殺したのではなく、日本人としてさうしたのだ、といふことを、
かれら群衆の保護を拒否しつつ、自己証明するのである。第四に、この自刃は、包括的な命名判断
(ベネンヌンクスウルタイル)を成立させる。すなはちその場のデモの群衆すべてを、ただの日本人として包括し、
かれらを日本人と名付ける他はないものへと転換させるであらうからである。
いかに比喩とはいひながら、私は過激な比喩を使ひすぎたであらうか。しかし私が、精神の戦ひにのみ剣を使ふとは
さういふ意味である。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

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ニーチェのニヒリズムの虚無主義の時代は終わったよね。

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  • 2012/02/02(木) 23:03:46.71
日本近代知識人は、最初からナショナルな基盤から自分を切り離す傾向にあつたから、根底的にデラシネ
(根なし草)であり、大学アカデミズムや出版資本に寄生し、一方ではその無用性に自立の根拠を置きながら、
一方では失はれた有用性に心ひそかに憧憬を寄せてゐる。そこに知識人の複雑なコンプレックスがあり、こんなに
扱ひにくい人種はちよつと想像もできない。
知識人の自立を尊重するふりをしながら、その大衆操作の有用性をうまく利用し、かたがた彼らの有用性への
ひそかな憧れをみたしてやつた点では、政府よりも左翼のはうが何十倍も巧みであつた。戦後の知識人の役割が、
九割方、左翼の利用するところとなつたのは周知の事実であり、それなりに効果をあげたのである。
大学問題の勃発は、しかし、このやうな安定した進歩的知識人の天国に打撃を与へた。彼らの足もとに火がつき、
周章狼狽なすところを知らず、有用性の幻想は破壊されつつ、無用性の自立もすでに白昼夢となつた。進歩的知識人は
瓦礫と化した。

三島由紀夫「新知識人論」より

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  • 2012/02/02(木) 23:04:13.94
(中略)
私はここでまたしても日本知識人が自己欺瞞に陥るくらゐなら、死んだはうがよからう、と嘲笑はれてゐる声を
きかなければ、知識人の資格はないと思つてゐる。知識人の唯一の長所は自意識であり、自分の滑稽さぐらゐは
弁へてゐなくてはならぬからである。
大学問題は、命を賭けて守れぬやうな思想は思想と呼ぶに値しないといふ、人間と思想とのもつとも重要な
「関係」に目をひらかせた。これは戦後もつとも軽視されてゐた問題であつた。(中略)
知識人はもはや国家有用の材ではありえないし、いはんや反国家有用の材でもありえない、といふ悲惨な現状を
直視して、そこから出発しないことには何もはじまらない。あらゆる有用性有効性の幻想をきつぱり捨て、
「いや、君だつて役に立つんだよ」
といふ甘言に一切耳を貸さず、有用性へのノスタルジアも己惚れも捨てなければならない。と同時に、無用性の
永遠の嘆き節からも訣別せねばならない。

三島由紀夫「新知識人論」より

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  • 2012/02/02(木) 23:05:11.33
機動隊導入によつてやつと救はれながら、大学立法反対の面子を捨てかねてゐる、あの教授連の自己冒涜の轍を
踏んではならない。それはもう知識人としてでなく、人間としてダメになつた人たちなのだ。
知識人の任務は、そのデラシネ性を払拭して、日本にとつてもつとも本質的もつとも根本的な「大義」が何かを
問ひつめてゐればよいのである。安保賛成や反対は足下に踏み破り、有用性と無用性を乗りこえた地点で、
ただ精神のもつとも純粋、正義のもつとも正しいものを開顕しようと日夜励んでゐればよいのである。権力も
反権力も見失つてゐる、日本にとつてもつとも大切なものを凝視してゐればよいのである。暗夜に一点の蝋燭の火を
見詰めてゐればよいのである。断固として動かないものを内に秘めて、動揺する日本の、中軸に端座してゐれば
よいのである。私はこの端座の姿勢が、日本の近代知識人にもつとも欠けてゐたものであると思ふ。

三島由紀夫「新知識人論」より

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  • 2012/02/04(土) 02:15:56.63
三島はミケランジェロの最後の審判に描かれたギリシャ神話のアポロンの如く勇敢であり
かつ三島の死を嘆いたイタリア人かフランス人かが言ってたように
旧来のイエスキリスト(救世主イエス)の自己犠牲を思わせる決断を決行したのである。
まさにミシマ・キリストと呼ぶに相応しい。

私は最近こう思う、三島は実は「S級戦犯」であると。
彼はあの靖国にまつられた戦犯を英雄として語り継がせる命を帯びて死んだのだと。
彼は靖国もとい東京裁判こそが日本のアメリカに対する復讐の始まりであると訴えたのだ。
私は三島を「名誉英霊」と呼びたい。

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  • 2012/02/04(土) 11:35:49.44
なにが?

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  • 2012/02/04(土) 13:16:31.47
訂正
×アポロンの如く
◎アポロンのように描かれたイエスの如く

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僕はニーチェのニヒリズムを乗り越えるよね。

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  • 204
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  • 2012/02/09(木) 09:48:22.45
私が同志的結合といふことについて日頃考へてゐることは、自分の同志が目前で死ぬやうな事態が起つたとしても、
その死骸に縋(すが)つて泣く事ではなく、法廷においてさへ、彼は自分の知らない他人であると、証言出来る
ことであると思ふ。それは「非情の連帯」といふやうな精神の緊張を持続することによつてのみ可能である。
しかし、私はなにも死を以つてのみ同志あるひは同志愛の象徴とは考へない。また死を以つてのみ革命的な行動の
精華、成就とも考へるものではない。ただ真に内発的な激怒や行動だけが、ある目的のもとになされた行為の
有効性を持つのであるといふ考へ方だけは、私にとつて変ることのないものである。
死が自己の戦術、行動のなかで、ある目標を達するための手段として有効に行使されるのも、革命を意識するものに
とつては、けだし当然のことである。自らの行動によつてもたらされたところの最高の瞬間に、つまり、
劇的最高潮に、効果的に死が行使出来る保証があるならば、それは犬死ではない。

三島由紀夫「わが同志観」より

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  • 205
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  • 2012/02/09(木) 09:49:34.96
(中略)
「われわれ」といふ集団の感覚の次元で行動し、同志的結合を持続する時、個人はすでに、超個人的契機を
掴んでゐることが前提になる。その超個人的契機とは、神のやうな個人に直結した形である場合と同時に、神と
個人とを繋ぐコミュニティのイメージが必要となつてくるのである。そこには、もはやニュートラルな心情は
崩壊してゐるのである。
人間は、このやうなコミュニティを媒介としてしか、つまり伝統的共同体を形づくるところの超個人的なもの――
絶対的な存在に接近することが出来ないといふ、逆説的な精神構造を持つてゐる。その個人的契機は、多様であるが、
その内的原因を探れば、遠く、古い価値と、それに繋がるところのコミュニティの投影が必ずある。この投影こそが、
内側の人間を外側の人間へ弾き出す力になるのである。
さう考へてゆくと、「われわれ」は危険ではあるが、誘惑に導く美しさが見えてきはしないか。この危険な誘ひに
私の興味は募る。しかしそれは、悲壮な自己陶酔と紙一重でなくて果して何であらうか。

三島由紀夫「わが同志観」より

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  • 206
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  • 2012/02/09(木) 09:50:40.24
私は、いやしくも盟約を交はして事を起す同志であれば、動機の深浅、運動経歴のキャリア、性格の相違等を、
ことさら問題にしようとは思はない。男と男が誓ひ、行動を起さうとする集団が、栄辱をそれぞれ等分するのは
当然である。
つまり、日常的な同志愛から出発しながら、いかにして、最終目的のために、目前の甘美な同志愛に耐へ抜く心の
強さを得られるか。同志的決起へと至る極限状況は、ある面において、倫理的憤激の最終的な責任を、自己に負ふか、
他者に負はせるか、といふ方向へ引き裂かれて行かざるを得ない。究極的に、自己に負ふとすれば、自刃があり、
他者に負はせるとすれば、制度自体の破壊に行きつくしかない。
そのやうなクオリティを見分ける判断力は、人間の弱さと強さとの問題でもある。

三島由紀夫「わが同志観」より

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ニーチェの重点は大好きですね。

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  • 2012/02/18(土) 10:07:12.79
ベケットでね、「ゴドーを待ちながら」ね、僕はゴドーが来ないというのはけしからんと思う。それは二十世紀文学の
悪い一面だよ。ゴドーが来ない。これはいやしくも芝居でゴドーが来ないというのはなにごとだと、僕は怒るのだ。


メトーデをだんだんマスターから教わって、マスターピースを作ってマスターになるのだよね。だけどそれは、
西洋の歴史はメトーデの伝承の歴史だね。日本はそうではない。秘伝だろう。秘伝というのは、じつは伝という
言葉のなかにはメトーデは絶対にないと思う。いわば日本の伝統の形というのは、ずっと結晶体が並んでいるような
ものだ。横にずっと流れていくものは、なんにもないのだ。そうして個体というのは、伝承される、至上の観念に
到達するための過渡的なものであるというふうに、考えていいのだろうと思う。

三島由紀夫
安部公房との対談「二十世紀の文学」より

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  • 2012/02/18(土) 10:07:40.73
そうするとだね、僕という人間が生きているのは、なんのためかというと、僕は伝承するために生きている。
どうやって伝承したらいいかというと、僕は伝承すべき至上理念に向って無意識に成長する。無意識に、しかし
たえず訓練して成長する。僕が最高度に達したときになにかをつかむ。そうして僕は死んじゃう。次にあらわれて
くるやつは、まだなんにもわからないわけだ。それが訓練し、鍛錬し、教わる。教わっても、メトーデは
教わらないのだから、結局、お尻を叩かれ、一所懸命ただ訓練するほかない。なんにもメトーデがないところで
模索して、最後に、死ぬ前にパッとつかむ。パッとつかんだもの自体は、歴史全体に見ると、結晶体の上の
一点から、ずっとつながっているかも知れないが、しかし絶対流れていない。

三島由紀夫
安部公房との対談「二十世紀の文学」より

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ニーチェの思想哲学の性で死後の世界の認識に疑問が発生したよ。

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  • 2012/02/22(水) 20:44:10.72
彼その人は実に愛すべき人で、誠実の点では彼におよぶ者はありません。
こんな人がキリスト教の最大の敵とならざるを得なかったということが、
そのままキリスト教国の実状を物語るものであり、これこそ悲しむべき点です。
--内村鑑三 (1917年3月6日 米国サラトガ D・Cベルにあてた手紙)




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  • 2012/02/23(木) 16:21:07.48
……たしかに二・二六事件の挫折によつて、何か偉大な神が死んだのだつた。当時十一歳の少年であつた私には、
それはおぼろげに感じられただけだつたが、二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の
怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、密接につながつてゐるらしいのを感じた。(中略)
それをニ・ニ六事件の陰画とすれば、少年時代から私のうちに育まれた陽画は、蹶起将校たちの英雄的形姿であつた。
その純粋無垢、その勇敢、その若さ、その死、すべてが神話的英雄の原型に叶つてをり、かれらの挫折と死とが、
かれらを言葉の真の意味におけるヒーローにしてゐた。
(中略)
その雪の日、少年たちは取り残され、閑却され、無視されてゐた。少年たちが参加すべきどんな行為もなく、
大人たちに護られて、ただ遠い血と硝煙の匂ひに、感じ易い鼻をぴくつかせてゐた。悲劇の起つた邸の庭の、
一匹の仔犬のやうに。

三島由紀夫「二・二六事件と私」より

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  • 2012/02/23(木) 16:21:39.35
(中略)かくも永く私を支配してきた真のヒーローたちの霊を慰め、その汚辱を雪ぎ、その復権を試みようと
いふ思ひは、たしかに私の裡に底流してゐた。しかし、その糸を手繰つてゆくと、私はどうしても天皇の
「人間宣言」に引つかからざるをえなかつた。
昭和の歴史は敗戦によつて完全に前期後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、自分の連続性の
根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなければならない欲求が生まれてきてゐた。これは文士たると
否とを問はず、生の自然な欲求と思はれる。そのとき、どうしても引つかかるのは、「象徴」として天皇を
規定した新憲法よりも、天皇御自身の、この「人間宣言」であり、この疑問はおのづから、二・二六事件まで、
一すぢの影を投げ、影を辿つて「英霊の声」を書かずにはゐられない地点へ、私自身を追ひ込んだ。自ら「美学」と
称するのも滑稽だが、私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤がわだかまつてゐることを
知らねばならなかつた。それをいつまでも回避してゐるわけには行かぬのである。

三島由紀夫「二・二六事件と私」より

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ニーチェの考え方は以外にも偉大ですの。

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  • 2012/02/25(土) 16:34:38.41
ニ・ニ六事件を肯定するか否定するか、といふ質問をされたら、私は躊躇なく肯定する立場に立つ者であることは、
前々から明らかにしてゐるが、その判断は、日本の知識人においては、象徴的な意味を持つてゐる。すなはち、
自由主義者も社会民主主義者も社会主義者も、いや、国家社会主義者ですら、「ニ・ニ六事件の否定」といふところに、
自分たちの免罪符を求めてゐるからである。この事件を肯定したら、まことに厄介なことになるのだ。現在只今の
政治事象についてすら、孤立した判断を下しつづけなければならぬ役割を負ふからである。
もつとも通俗的普遍的なニ・ニ六事件観は、今にいたるまで、次のやうなジャーナリストの一行に要約される。
「ニ・ニ六事件によつて軍部ファッショへの道がひらかれ、日本は暗い谷間の時代に入りました」

三島由紀夫「二・二六事件について」より

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  • 2012/02/25(土) 16:35:06.52
二・二六事件は昭和史上最大の政治事件であるのみでない。昭和史上最大の「精神と政治の衝突」事件であつた
のである。そして精神が敗れ、政治理念が勝つた。幕末以来つづいてきた「政治における精神的なるもの」の底流は、
ここに最もラディカルな昂揚を示し、そして根絶やしにされたのである。
勝つたのは、一時的に西欧的立憲君主政体であり、つづいて、これを利用した国家社会主義(多くの転向者を
含むところの)と軍国主義とのアマルガムであつた。私は皇道派と統制派の対立などといふ、言ひ古されたことを
言つてゐるのではない。血みどろの日本主義の刀折れ矢尽きた最期が、私の目に映る二・二六事件の姿であり、
北一輝の死は、このつひにコミットしえなかつた絶対否定主義の思想家の、巻添へにされた、アイロニカルな死に
すぎなかつた。

三島由紀夫「二・二六事件について」より

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  • 2012/02/25(土) 16:35:41.99
二・二六事件を非難する者は、怨み深い戦時軍閥への怒りを、二・二六事件なるスケイプ・ゴートへ向けてゐるのだ。
軍縮会議以来の軟弱な外交政策の責任者、英米崇拝者であり天皇の信頼を一身に受けてゐた腰抜け自由主義者
幣原喜重郎の罪過は忘れられてゐる。この人こそ、昭和史上最大の「弱者の悪」を演じた人である。又、
世界恐慌以来の金融政策・経済政策の相次ぐ失敗と破綻は看過されてゐる。誰がその責任をとつたのか。政党政治は
腐敗し、選挙干渉は常態であり、農村は疲弊し、貧富の差は甚だしく、一人として、一死以て国を救はうとする
大勇の政治家はなかつた。
戦争に負けるまで、さういふ政治家が一人もあらはれなかつたことこそ、二・二六事件の正しさを裏書きしてゐる。
青年が正義感を爆発させなかつたらどうかしてゐる。
しかも、戦後に発掘された資料が明らかにしたところであるが、このやうな青年のやむにやまれぬ魂の奔騰、
正義感の爆発は、つひに、国の最高の正義の容認するところとならなかつた。魂の交流はむざんに絶たれた。

三島由紀夫「二・二六事件について」より

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  • 2012/02/25(土) 16:36:16.49
もつとも悲劇的なのは、この断絶が、死にいたるまで、青年将校たちに知られなかつたことである。そして
この錯誤悲劇のトラーギッシュ・イロニーは、奉勅命令下達問題において頂点に達する。奉勅命令は握りつぶされて
ゐたのだつた。
二・二六事件は、戦術的に幾多のあやまりを犯してゐる。その最大のあやまりは、宮城包囲を敢へてしなかつた
ことである。北一輝がもし参加してゐたら、あくまでこれを敢行させたであらうし、左翼の革命理論から云へば、
これはほとんど信じがたいほどの幼稚なあやまりである。しかしここにこそ、女子供を一人も殺さなかつた義軍の、
もろい清純な美しさが溢れてゐる。この「あやまり」によつて、二・二六事件はいつまでも美しく、その精神的価値を
永遠に歴史に刻印してゐる。皮肉なことに、戦後二・二六事件の受刑者を大赦したのは、天皇ではなくて、
この事件を民主主義的改革と認めた米占領軍であつた。

三島由紀夫「二・二六事件について」より

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  • 2012/02/25(土) 22:19:29.51
昭和天皇の226の述懐かナニかって読んだけど

どれだっけ?過去10年以内

知ってる人教えて

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ニーチェはSF作家ですの!?♪。

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  • 221
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  • 2012/03/10(土) 23:48:34.52
あげ

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酸性投票を上げるよ。

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  • 2012/03/21(水) 22:31:30.91
戦後日本の歴史が一つとぎれてしまつた。そのとぎれたところに自衛隊の問題があり、警察の問題があり、また
いろいろ複雑な言ふにいはれない、日本人として誠に情けない状態があらゆる面に発生してきました。(中略)
大体戦後の民主主義といふものは、アメリカといふ成金の新しい国から来たものでありますから、アメリカは
アメリカとしての歴史はもちろん持つてはをりますが、彼らが大切にしてゐる古い歴史といふのはせいぜい
十八世紀です。アメリカに行くと、これは非常に古い家である、十八世紀だなどとよくいはれる。彼らはどんなに
さぐつて見ても十八世紀以前に遡つてアメリカの歴史を語ることができない。それより古い頃にはインディアンが
ゐたんで、インディアンの方がよつぽど歴史上における誇りもあるし、自信もあるはずです。これが白人に
駆逐されてしまつた。白人であるアメリカ人といふものは、人の家にどかどか入つて来て、平和に暮らしてゐた人間を
追ひ散らして、新しい国を建てた。それが移民の国アメリカです。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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  • 2012/03/21(水) 22:32:02.43
さういふ国の人に、日本のやうな古い歴史、文化を持つた国の伝統と連続性の力といふものは判らない。彼らに
どう説明して聞かしても判らない。それは無理はないです。何となれば彼らの感覚にはそんな古い歴史といふものが
ないのですから……古いといふと十八世紀を思つてゐる人間にいくらいつても判らない。判つて貰はうとすることが
所詮無理なんでせう。
まあ、日本がアメリカに占領されたといふことは国の運命で仕方がないかも知れませんけれども、一番根本なところが
彼らに判らなかつたことは日本にとつても不幸だつたのでせう。それはわれわれだけが判つてゐるのであつて、
国といふものは、永遠に連続性がなければ本当の国ではないと思ひます。そしてとに角今は空間といふものが
ここに広がつてゐる。この空間に対して時間があるわけです。
今のこの世界の情勢といふものはハッキリいひますと「空間と時間」との戦ひだと思ひます。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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  • 2012/03/21(水) 22:33:50.58
(中略)(大国は)空間を何とかして自分達のものに確保していかうと思つて、いろいろ、まあ核兵器を持つたり、
あるひは代理戦争といふやうな形によつて辺境で戦争をしながら、相争つてゐる状態です。しかしながらその
国際的な争ひは、あくまで空間をとり合つてゐるわけです。
ところがこの地球上の空間を占めてゐる国の中にも一方では反戦、自由、平和といつてゐる人達がをります。
この人達は歴史や伝統などといふものはいらんのだ。歴史や伝統があるから、この空間の方々に国といふものが
出来て、その国同士が喧嘩をしなければならんのだ。われわれは世界中一つの人類としての一員ではないか。
われわれは国などといふものは全部やめて、「自由とフリーセックスと、そして楽しい平和の時代を造るんだ」と
叫んでゐる。彼らには時間といふ観念がない。空間でもつて完全に空間をとらうといふ考へ方においては、
彼らもまた彼らの敵と同じなのです。それでは、今日の人類を一体何が繋いできたのかといふことを論議し、
つきつめてゆくと、結局最後には「時間」の問題に突き当たらざるを得ない。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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  • 2012/03/21(水) 22:34:19.04
ところが今はどこの国でも、また国の内外においても全然かへりみてゐない。時間の問題を考へた人間は、段々
駄目になつていく傾向さへある。例へば、ローマカトリック、これは段々信ずる人はゐなくなるのではないかと
いはれてゐる。天皇制、これもみんなフラフラになつて駄目になつちやふのではないかと心ある人は心配する。
何故か? それは時間の連続性に対する人々の自覚が足りなくなつてゐるからです。
世界は今この大国間の争ひにしろ、平和運動にしろ、ベ平連にしろ、何にしろ、結局は空間といふもので争つて
ゐるけれどもこれはまあ表面的な考へ方です。ところが人間といふものは決してそれだけではない。これは人間の
非常に不思議なところで、私は最初に、「人間はパンのみで生きるものではない」と申しましたが、人間は
空間のみで生きるものでもないのです。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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  • 2012/03/21(水) 22:34:54.69
それが証拠には、私は最近ソビエト旅行をして先月帰つて来た人から昨日聞いた話ですが、今ソビエトで一番の
悪口は何だと思ひますか。ソビエトで人を罵倒する一番きたない言葉、それをいはれただけで人が怒り心頭に
発する言葉は何だと思ひますか……私はロシア語を知りませんから、ロシア語ではいへませんが、「非愛国者だ」と
いふことださうです。さうすると一体これはどういふことなのかと不思議になります。その伝統を破壊し、連続性を
破壊してゐる共産圏においてすら、現在は歴史の連続性といふものを信じなければ「愛国」といふ観念は出て
来てないことに気付き、その観念のないところには共産国家といへどもその存立は危ぶまれるといふことを
気付いたに違ひない。ですからこの「縦の軸」すなはち「時間」はその中にかくされてゐるんで、如何に人類が
現在の平和をかち得たとしても、このかくされてゐる「縦の軸」がなければ平和は維持できない。それが現在の
国家像であると考へられていいんです。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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  • 2012/03/21(水) 22:40:04.02
ことに日本では敗戦の結果、この「縦の軸」といふのが非常に軽んじられてきてしまつた。日本は、この縦の軸などは
どうでもいいんだが、経済が繁栄すればよろしい、そして未来社会に向つて、日本といふ国なんか無くなつても良い。
みんな楽しくのんびり暮して戦争もやらず、外国が入つて来たら、手を挙げて降参すればいいんだ。日本の
連続なんかどうなつてもいいんではないか、歴史や文化などはいらんではないか、滅びるものは全部滅びても
良いではないか、と考へる向きが非常に強い。さういふ考へでは将来日本人の幸せといふものは、全く考へられないと
いふことを、この一事をもつてしても、共産国家が既に明白に証明してゐると私は思ひます。
(中略)
自由だ、平和だといつてゐる共産主義国家が、国家意思を持つてゐて、日本のやうな、佐藤首相が自らの手で
国家を守るといつてゐるこの国に、国家意思がないとは一体どういふことだらうか。
さういふことになるのは今の日本の根本が危ふくなつてゐるからです。根本はここにあるのです。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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ニーチェよりもオカルティストの方が最強ですよ。

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  • 2012/03/25(日) 03:09:32.09
三島由紀夫から今の日本を見る http://www.youtube.com/watch?v=6ngJ0ceZW64&sns=em

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  • !ninja
  • 2012/04/06(金) 12:58:08.36
ニーチェに似ているのはデビドラモンだよ。

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  • 2012/04/12(木) 09:45:44.72
2006年3月14日

親愛なるコシミズさん、こちらは秘密のユダヤ人同盟である。
私たちは私たちの活動に関して、あなたが持つ知識の公開を差し止め、
廃止することを要求する。
あなたのウェブサイトの公開内容が、
当方のトップシークレットに関わる危険な情報源となっていると、
私たちの当局の多くが指摘している。
そしてもしあなたが高位の政治家や、
その他の隠れユダヤ人についての情報を取り下げない場合は、
あなたに対して行動を起こすであろう。
しかしながら、あなたの卓越した解析能力は、
あなたの周囲の人物を凌駕するものであり、我々を驚かせた。
恐らくあなたにとってこちら側に寝返り、
CJAのために働くことは悪くないアイデアだろう。
そうすればあなたは、
ロックフェラーやヒトラーのような贅沢な生活を送ることができる。
あなたはもうご承知のことと思うが、アドルフ・ヒトラーは隠れユダヤ人であり、
Uボートで南米へ逃亡し、二人の子供を作った。
フリードリヒとオルガは、現CJAの高官である。
迅速に行動することを要求する。
当方のエージェントは追跡を避けるためメールアドレスを毎週変更している。

デービッド・ホールドシュタイン・CJAエージェント(ユダヤ非公然同盟)

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  • 2012/04/12(木) 09:46:18.39
あなたが我々の主要工作員の正体を発見してしまったことには、実に驚いたし、
大イスラエル帝国を建設しようとする我々の計画を発見したことには特に驚かされた。
貴殿はよくやった。

大イスラエル帝国の建設の共同作業は、すでに5000年に渡って発動されている。
それらは中止することができないものである。

アウシュビッツのガス室で死んだユダヤ人は3万人だけだという比況は間違っている。
教信的な陰謀論をもった反ユダヤ主義者の多くが、
600万の死者というシオニストの事実を作り出したのだ。

ホロコーストは我々にとっての敵を世界から一掃するために、
ユダヤ人が実行したものだ。
そして同時に我々に対する共感を得るためのものだった。
私はこの事実を貴殿に伝えることによって、
貴殿が我々のすることに対して、誤解を持たないようにしておきたいのだ。
覚えておけ。
我々は数百万人を殺した。
我々がさらにもう一人殺したところで、誰も気づきやしない。

http://www.youtube.com/watch?v=2WovRBGdkdM


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ニーチェVSニートVSニュートン。

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  • 2012/05/03(木) 14:31:22.54
我が闘争を読んでいるが、実に共感せざるえない内容であった。
ヒトラーは善であり、悪いなどというのは日本が悪かったと言うのと同じである。
ただ、白人主義や極度な排他主義に関しては良くなかった。
>>233
ユダヤ人が日本の明治維新の成功を羨んだという話がある。
つまり日本は偉大な大日本帝国を建設したからである。
同じようにこれはナチスドイツの新ゲルマン帝国建設とも同じであったし
戦後の中国や朝鮮の国家建設も同様だ。
またその最たる成功例はアメリカに他ならないだろう。

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  • 236
  •  
  • 2012/05/03(木) 14:34:09.89
現在のイスラエルはそれを実現させる目的で武力を誇示して
パレスチナを排他してるのであるからまったく皮肉な話だ。

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  • 237
  •  
  • 2012/05/03(木) 14:42:18.38
それから我が闘争を読んでわかったが、30すぎてからの三島は
我が闘争の影響を大いに受け行動した。
三島は和製ヒトラーに成りたかったのだ。
楯の会は言わば和製ナチ党であったわけである。
しかし、三島はあくまでも民兵運動・思想活動に留めたのである。
三島がもしナチ党のように躍進し楯の会から楯の党と
してなっていたら、これはもっと違う形で現在の日本に影響を与えていただろう。

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ニーチェは善人だよ。

砂時計アラームタイマー
フリックラーニング
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