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  • 2016/01/02(土) 22:40:41.55
いやむしろ当時、捕鯨なんてとんでもなく漁民は鯨をエビスと呼んでとても大事にし信仰していたくらい。



2005.09.09
三陸の漁民、鯨を信仰
リアス美術館博物館講座スタート
古文書や石碑示す
講師の川島さん調査報告/
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=1965&forum=1&viewmode=flat&order=DESC&start=300
「海洋生物と人間」をテーマに、リアス・アーク美術館(気仙沼市)が五回シリーズで開く博物館講座がスタートした。
第一回は市地域交流センターで、「鯨の民俗」について、学芸係長の川島秀一さんが地元の古文書や石碑に残る記録を基に、鯨が漁民の信仰の対象だったことを説明した。
リアス美術館は美術品の展示に加え、漁業民俗資料の調査、研究、収集を事業の柱とする。講座は調査結果を地域に還元するのが狙い。
川島さんは、唐桑町をはじめ石巻市、八戸市などに残る江戸時代の古文書や、鯨が岸に寄ってきたことを示す「鯨塚」と呼ばれる石碑の記録を参考に、沿岸の人々と鯨との関係を解説した。
「三陸沿岸では日常的に鯨肉を食べる習慣はなく、江戸時代の三陸の漁民は鯨をエビスと呼んでとても大事にし、信仰していた」と話した。
(1)鯨が現 れると岸にイワシの大群が来て豊漁となった
(2)鯨の近くでカツオの一本釣りをした
(3)鯨が岸に打ち上げられた場合のみ、浜で平等に分けて貴重な 食糧とした
−の三点を証拠として挙げた。
漁民と鯨の関係が崩れたのは、幕末にアメリカの捕鯨船が日本沿岸でたくさんの鯨を捕獲したことや、近代捕鯨が国内で普及したことにあると指摘。
こうした過渡期の事件を示す資料として、三陸の漁民が紀州の鯨漁師の漁差し止めを求めた訴状、青森の漁民による捕鯨会社焼き打ち事件の記録などを紹介した。

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