facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


  • 656
  •  
  • 2013/01/21(月) 20:43:34.85
>>655
大掃除はあっても構わなくないか?想定してる大掃除の意味合いが違うのかね?
一度痛い目見たほうが、多くの住人の目が自治に向くだろうから
自治でおかしな制限設けようとするのが紛れ込んだ時、数で押される心配が少なくなる

今はあのスレなんかわかりやすいけど、自治と住人が危険厨と安全厨の図式のままだ
どんなに言葉を尽くしたり工夫を凝らして危険を伝えようとしても、「放射能とか危険とか
よくわかんない。危ない食べ物なら売ってるわけ無いし、マスコミが何も言わないから
危なくないって事だよ。ちょっと神経質過ぎない?」で、日常を続けようとする
チェルノブイリの記録には興味を示さず、自分の食べたい物を食べ
異常を感じ始めてからようやく「もしかして放射能?」と言い始めるわけだ

俺は自分の大事な人ならまだしも、それ以外の安全厨を説得して回ろうとは思わない
危険の存在は伝えた
その情報の咀嚼を拒否してグルメ番組見る事を選択するなら、危険を訴え続けても
相手の意固地さは増すばかりだろう
だったら今後、安全厨達の「絆」のせいで汚染瓦礫焼却が始まる時に反対活動できるよう
心の準備をしておくほうが俺には合ってる
それまでに健康被害の出た安全厨が、危険厨側に回ってくれるかもしれないし
その時、どうやって反対活動できるかを出来る限り伝えるのも大切だ ←今ココ

もちろん安全厨を説得し続ける方向を模索する、というのを否定するものではないし
どちらが正しいとかそうでないかという事は無くてね
多くの可能性と対策を考えておかなかったから原発事故は起こったのだし、避難指示も遅れ
事故を収束させる事もできていない

事故が起こらないようにする事も、起こってしまった時にどうするか考えておく事も大切

ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード