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  • 2011/01/10(月) 15:35:18
26 :ラピスラズリーKoD:2010/12/25(土) 13:56:14 ID:82El4vxP
戦後直後の、我が国の被占領期に、
ビッター神父とバーン神父の二人はマッカーサーに対してこう意見しました。


「わたしたちは、それ(靖国廃止)に反対です。(略)靖国神社の存廃はその本質にかかっていることで、
こんどの戦争の正不正とは関係がありません。いかなる国民も、祖国のために身命を賭した人びとに対して、
尊敬を表わし、感謝を献げることは、大切な義務であり、また権利でもあります。(略)いま靖国神社は
神道の単なる霊廟ではなく、国民的尊敬のモヌメントであることを申し上げねばなりません。なぜなら、
そこには、神、仏、基いずれの宗教を問わず、戦没者の英霊が平等に祀られているからです。したがって、
このようなものを廃止するのは、国民の大切な義務と権利を否定することになりはしないでしょうか? そればかりでなく、もしこれを
廃止したら、どういう結果が起こるか考えるべきです。それは天皇を廃止すると同様に、国民の感情を
強く傷つけ、占領政策を危うくすることになりはしないでしょうか? 以上の理由で、国民を現下の
精神的混乱から救うためにも、わたしたちは、靖国神社の存続を希望するものです。」
                                      (『教会秘話』志村辰弥・聖母文庫より)



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