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- 901
- 2021/10/15(金) 16:22:01.82
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>>879
ギャランドゥ
>>873
は?
> 『ブラーフマ・スプタ・シッダーンタ』中の一節に「シャカ紀元550年にジシュヌ(Jiśṇu)の息子ブラフマグプタ、
齢30が、よき数学者や天文学者を楽しませるため、この書をつくって差し上げる」という言葉がある[2]。
シャカ紀元元年が西暦78年に当たるので、ブラフマグプタの生年は西暦598年、『ブラーフマ・スプタ・シッダーンタ』の成立が628年になる[2]。
また、没年に関しては不明であるが、『カンダ・カーディヤカ』が665年につくられたことが明らかになっているため、少なくとも665年(67歳)までは生きていたことがわかっている[2]。
紀元前500年頃、楔形文字を使っていたメソポタミア文明で、
位が 0 であることを示す文字を使い始めたことがわかっている。
六十進法を用いたバビロニアの数の表記には、古くは 0 がなく、例えば「62」と「602」は表記が全く同じで、見分けがつかなかった。
これは非常に不便であったので、時代が下ると 6 と 2 の間に斜めの楔を並べて、62 と 602 の区別を表すようになった。
この文字が人類が最初に 0 を表現した記号とされている。しかし、0 自体を数のうちとして扱ってはいなかった。
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