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  • 2021/06/12(土) 03:43:42.51
>>1
キリスト教の宣教は征服後に行われている。布教を許すことで聖職者が入って先住民に技術を教え、本国に情報が報告され植民地化に支障をきたす可能性がある
宣教による植民地化は、夢物語のお花畑的な発想と言える

キリスト教の布教と征服との関連
ポルトガルはゴア、マラッカ、マカオ等の独立した小規模の貿易拠点、居留地
を手に入れる一方で、文明がすでに発達していたインド、中国、イスラム王朝
が支配する東南アジア等のアジア諸国の植民地化には成功しなかった。ゴア、
マラッカ等の港湾都市の領有と要塞化は法制度が異なり財産権が十分に保証さ
れない国との香辛料貿易を行うために不可欠な環境整備であり、ヨーロッパの
小国だったポルトガルが最優先すべき目標は安全な貿易路の確保、ポルトガル
人の資産保全、香辛料貿易の独占であって大規模な軍事紛争を伴う植民地化ではなかった。

ゴア攻略はヨーロッパでのオスマン帝国、イスラム王朝との戦いの継続でもあ
るため、インド洋制覇と香辛料貿易の独占を狙うオスマン帝国に対抗する軍事
拠点の獲得と見ることができる。マラッカ攻略についてはスルタン・マームド
によって虜囚とされたポルトガルの通商外交使節団の奪還とイスラム王朝への
報復を目的とした軍事行動であり宣教師とは無関係である。

フィリピンでは1405年にスールー諸島、1520年にミンダナオ島でイスラム王朝
が建国されており、ルソン島の都市国家の首長の多くがイスラム教に改宗してい
た。オスマン帝国の支援を受けたブルネイ帝国にカスティーリャ戦争(1578年)で
スペインが勝利したことで、イスラム王朝に対するフィリピンでの軍事的優位が
確立された。1579年にはドミンゴ・デ・サラザールが初のマニラ司教に叙任され
た。フィリピンでの覇権を手にした後、キリスト教の改宗が本格的に進み各部族
の宗教とカトリックが融合した民俗カトリックの信者が増え続けた。アジアでは
イエズス会の布教を支援したポルトガルと対比するかのように、キリスト教の布
教を重視しなかったオランダやイギリスが植民地を増やしていった。

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