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神長官守矢史料館の「御頭祭」をイメージした展示
https://www.newsweekjapan.jp/uchimura/7R402324.jpg
守矢家の敷地内にあるミジャグジ社
https://www.newsweekjapan.jp/uchimura/7R402331.jpg

※省略

◆狩猟の神・上社本宮の特異な構造

御柱祭を華とする諏訪信仰は、縄文時代の自然信仰に端を発する。このことは、前々回<第16回 八ヶ岳山麓、諸星大二郎『暗黒神話』の地で縄文と諏訪信仰に触れる>で、八ヶ岳山麓の縄文遺跡を訪ねて強く実感したところだ。果たして、諏訪大社上社本宮の御神体は、境内の背後に広がる守屋山(もりやさん)という「山」である。しかし、天下の諏訪大社の御神体にしては、このあたりからよく見える八ヶ岳や南アルプスと比べても非常に地味な山だ。その守屋山、本宮の裏山のもうひとつ裏にあるので、実は本宮からも参道からもよく見えない。まあしかし、僕が思うに、今の世で守屋山と呼ばれている標高1631mの山だけでなく、本宮とその約1.5km南東にある前宮を繋ぐ守屋山を含む裏山一帯を、御神体と考えて良いのではないだろうか。

※省略

それはそうと、縄文と言えば狩猟文化なわけだが、今も上社には狩猟の神の側面がある。仏教伝来・神仏習合の時代を経て、日本では長く肉食が忌避されてきたが、縄文狩猟文化の流れを汲む諏訪大社では、その間も神事としての狩猟が継続された。当時の一般庶民も全く肉食をしていなかったわけではなく、この諏訪地域のような山の民にとっては、鹿やイノシシ、ウサギ、キジといった野生動物の肉が貴重なタンパク源となってきた。そうした中、仏教的な「建前」と、縄文文化的な実生活をすり合わせる必要があったのだろう。諏訪大社では、「狩猟は獣を救う手段でもある」として、鹿肉を中心とした肉食を許す免罪符、「鹿食免」が頒布されてきた。現在でも手に入り、ベジタリアンではない地元民の僕も時々入手している。今回も、社務所に立ち寄って新しい鹿食免を求めた。

◆日本のルーツは諏訪にあり?

※省略

・守矢家は今から1500年以上前、大和朝廷の力がこの地に及ぶ前(即ち諏訪大社建立前)から、土着部族の長であった。その文化は、守屋山を神の山とする自然信仰に根ざしていた。

・諏訪大社は、『古事記』に伝わる日本神話の神、「タケミナカタ」が、ライバル神であるタケミカヅチとの戦いに敗れて出雲から諏訪の地に逃れ、祀られたのが起源とされる。

・その際、もともと諏訪の地を支配していた守矢家の支配はタケミナカタ(=大和系の中央勢力)に取って代わられたが、共存の道も図られた。即ち、守矢家は滅ぼされることなく、諏訪大社の祭祀の実権を握る神長官職に据えられた。この体制は、明治維新まで脈々と続いた。

・守矢家が守ってきた諏訪大社の祭祀の中心は、前宮で行う「御頭祭(おんとうさい)」であった。春先に、鹿・猪・ウサギ、魚などを供物にして行う祭祀で、主に狩猟の成功を祈って行われた(現在も名称を変えて形式的に受け継がれているが、五穀豊穣祈願に変化している)。

つまり、守矢家とは、縄文的な自然信仰・狩猟文化に根ざした神話時代よりもさらに前の"原日本" を象徴する一族である。諏訪信仰とは、それに取って代わった中央集権下の大和文化と縄文的文化が融合した、原始的な形を残す信仰の形と言えよう。神話時代より前という、とてつもなく古い話なので正直頭がクラクラするが、それだけに、僕は「日本のルーツは諏訪にあり」と高らかに宣言したい。

余談だが、第16回で縄文の巨石信仰にも触れたが、守屋山には今もハイキングコースになっている巨石群がある。僕はまだ行ったことがないが、遠い昔は一つの岩だったという俗説も成立しそうな風景らしい。僕はつい、「巨石に宇宙人がUFOで降り立って、縄文の人々に知恵を授けて・・・」なんていう妄想をしてしまう。なにしろ、守矢家の敷地内には、諏訪信仰以前のミジャグジ社の祠があり、守屋山の方向にはUFOを思わせる藤森照信設計の空中茶室を見ることができるのだ。そんな妄想を膨らさないわけにはいかない光景が、この"日本の中心地"にはあった。(続きはソース)

2020年05月20日(水)12時30分
https://www.newsweekjapan.jp/uchimura/2020/05/post-15.php

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  • 2020/05/24(日) 12:34:26.38
>>370
>白村江の戦いに負けて、一部の安曇野一族を除いた人たちが福岡市東区から日本中に移動した

ワイもこれまでそう思ってたんだけど、安曇野市公式によると

https://www.city.azumino.nagano.jp/site/mizumonogatari/2490.html
紀元6世紀ごろに安曇野へ移住
https://www.city.azumino.nagano.jp/site/mizumonogatari/2489.html
御船祭りは、7世紀中ごろに活躍した武将・安曇比羅夫が天智天皇の命令で朝鮮半島に出兵し、白村江で戦死したことを追悼する祭りとして始まったともいわれます。

だそうな
まとめると西暦500年代に福岡の安曇族が長野県安曇野市に移住、
西暦663年10月白村江の戦いで安曇比羅夫戦死、その追悼として御船祭り爆誕だってさ

西暦500年代っていうと、西暦527年磐井の乱が浮かぶ
近畿ヤマト朝廷VS北部九州の熱い内乱ね
この影響で福岡から長野に移住した説もありじゃないかな

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  • 2020/05/24(日) 12:35:07.69
天岩戸の戸が手力雄によって飛ばされたのは戸隠

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  • 2020/05/24(日) 12:36:39.78
城代

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  • 2020/05/24(日) 12:36:41.67
安曇が古代に日本の海を縄張りにしてた連中という事は
後の時代の村上水軍も関係あるのかな?と思って調べたけど
そういう事は書いてなかった

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  • 2020/05/24(日) 12:37:56.34
>>40
お前、出雲と諏訪の関係勉強してから書け

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  • 2020/05/24(日) 12:38:06.04
>>380
隼人の乱、磐井の乱、そして桓武天皇の時の中央政界失脚

この3つが安曇が日本全国へ離散するきっかけ

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  • 2020/05/24(日) 12:39:10.08
諏訪湖をはじめて見た時
湖というより大きめの池と思った

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  • 2020/05/24(日) 12:40:08.18
>>1
その通り!

諏訪を無視したバチでリニアは頓挫

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  • 2020/05/24(日) 12:44:37
>>386
ホンマ臭いし子供溺死するし碌なもんじゃネェ

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  • 2020/05/24(日) 12:44:46
>>2>>3
必ずこういう奴が湧いてくる
稲作だって朝鮮半島経由は否定され、南方から日本に伝わり、日本から北上したというのが近年の説なのに

水耕に適さない環境の朝鮮半島では陸稲が主流だった
昭和の時代までは朝鮮半島経由説が有力だったが、近年それらの説の矛盾が指摘され、現在は中国から直接伝わった説が有力になっている

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  • 2020/05/24(日) 12:46:30
>>388
臭くしたのもガキが溺れたのもみんな人間のせい、諏訪湖よりも人間こそろくなもんじゃねえ

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  • 2020/05/24(日) 12:51:39.36
日本人は倭人
姦国人は穢族

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  • 2020/05/24(日) 12:52:29.44
>>56
夏は湾岸の超高層ビルによる公害であるヒートアイランド現象のせいで都内のほうが蒸し暑い
京都や名古屋のほうが暑いとか言うが、近年は東京都心も負けず劣らず暑い、特に夜に関しては日本で一番暑いといえる

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  • 2020/05/24(日) 12:53:29.29
諏訪も興味あるけど
善光寺あたりも寺になる前から
何かありそうで興味がある

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  • 2020/05/24(日) 12:54:05.66
さっきから安曇というキーワードがよく出てて気になったので海人族について調べてみた
(Wikipediaなので話半分で)

海人族には様々な仮説があるが研究は進んでいないため明確ではない。
1.インド・チャイニーズ系と2.インドネシア系の2系統があるとする見方がある。
隼人やタイ人の系統とする説もある。

インドネシア系
黒潮に乗って縄文時代に日本列島に渡ってきた南島系の種族(隼人)の可能性がある。

インド・チャイニーズ系
中国南部の閩越地方の漂海民に起源を持つ。阿曇系およびその傍系である住吉系漁労民と考えられる。

越族近縁説
安曇氏、和邇氏、尾張氏、三輪君系(加茂氏、諏訪氏、守矢氏、宗像氏、上毛野氏、下毛野氏など)に代表される地祇系の氏族で、中国の江南沿海部の原住地から紀元前の時代に日本列島に到来してきた、百越系の種族とされる。
主として筑前・肥前の沿岸地域に居住し、水稲耕作農業を行い青銅器を使用して、倭国の弥生文化前期の主力を担ったもので、航海・漁労に優れた能力をもつ人々と推測される。
それらの内最大勢力が那珂川と御笠川の間に挟まれた葦原中国こと奴国の安曇族・三輪族であったとされ、
筑後に広がる高天原こと邪馬台国に敗れ(国譲り)、一部は筑前奴国→出雲国→播磨国→大和国と移遷し、
最終的に事代主神・建御名方神兄弟の代に三輪山麓周辺に本拠を敷いたものとされる。

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  • 2020/05/24(日) 12:55:50
>>383
村上水軍と関係があるのは越智氏
神武天皇東征の先陣を務めた薩摩半島にルーツを持つ氏族

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  • 2020/05/24(日) 12:57:06
>>391
ただ古代の支那は日本も韓国も東夷と呼んでた

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  • 2020/05/24(日) 12:59:28
>>394
海神たちは特徴的な漁をしていた
それが鵜飼

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  • 2020/05/24(日) 13:00:32
>>394
最後のひでーなw

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  • 2020/05/24(日) 13:03:21
>>397
鵜が海魚を獲るのか

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  • 2020/05/24(日) 13:06:02
君の名はのとこか

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  • 2020/05/24(日) 13:06:39
>>399
鵜には川鵜と海鵜がいる
鸕鶿とも関係あるけど

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  • 2020/05/24(日) 13:07:46
>>396
後世の斉(太公望が作った国)あたりもそれ以前は東夷だったんだよな

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  • 2020/05/24(日) 13:07:47
かも族(海人族)と言われる人々は神武東征まえから
我が国に住んでいる方達なのかな

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  • 2020/05/24(日) 13:09:51
>>401
鵜飼い用は川鵜だろ

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  • 2020/05/24(日) 13:10:26
>>126
都県道516号浅川相模湖線というらしい。

小仏峠に、明治天皇御幸の碑がある。
相模湖駅側に降りるコースも、つづら折りになっていて、何とか昔は馬車を山越えさせていた?
幕末の甲陽鎮撫隊が、大砲引きながら無理矢理通っていた位なので、ギリギリ通れたかどうか。
大垂水峠の国道20号が開削されるのは、もっと後みたい。



群馬から新潟に抜ける道も、現在は三国峠しかないが、かつては、清水峠越えの国道291号が主要な道で、馬車や車も通っていた。
今は荒れ果てていて、この道を行くと遭難する危険あり。

清水峠酷道291号
http://shinzui.road.jp/291/route291.html

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  • 2020/05/24(日) 13:13:27
>>404
なぜか海鵜なんだよ

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  • 2020/05/24(日) 13:13:45
ちなみに京都御所(御苑)の中にある神社は3つあって、その全てが宗像三女神
(の一柱)を祀ってるんだよな。

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  • 2020/05/24(日) 13:16:28
>>406
へぇボタンを押してしまったのでググってみた。


>なぜかというと、体が大きく力も強いうえ、我慢強くて
>比較的おとなしい性格だからです

だそうな。

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  • 2020/05/24(日) 13:18:07
>>407
崇神天皇の時代に疫病の流行で日本人の半分が死んだので天照大神と大和国魂神を宮中の祭祀から外へ出したから、それ以外の神しか祀れないのだろう

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  • 2020/05/24(日) 13:19:22
>>408
神事でもあるからね
たぶんそれは後付の理由で海神たちの風習をそのまま持っていったんだよ

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  • 2020/05/24(日) 13:22:55
>>151
パシリワロタ

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  • 2020/05/24(日) 13:24:38
>>33
長野とか飛騨の山間部には日本人とは思えない長身族がいるんだよね。
美形で180以上の人たち
どこから来た人たちなんだろ

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  • 2020/05/24(日) 13:25:28
諏訪は面白いところだよな
中山道と甲州街道の合流地点でもあるし銭湯が温泉になってる
去年京都から中山道を自転車で下るという旅をしたが
知らずに花火の日に来てしまってどこにも止まれずキャンプも出来なかったが・・・。

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  • 2020/05/24(日) 13:25:36
>>412
西澤広義?

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  • 2020/05/24(日) 13:35:19
二十歳=はたち。20進法=秦氏

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  • 2020/05/24(日) 13:38:25
>>415
書き忘れたので追加。

伊勢神宮の式年遷宮=20年ごと。

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  • 2020/05/24(日) 13:42:03
>>413
諏訪の花火は迫力ある。間近で見られたらよかったやんか。

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  • 2020/05/24(日) 13:42:14
俺の親戚に守屋家あるよ!
物部守屋の子孫だけど?

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  • 2020/05/24(日) 13:42:39
>>267
84代の千家
78代の守屋家

もちろん代数が年数には比例するわけではないけどね

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  • 2020/05/24(日) 13:54:01.30
御柱祭をYouTubeで見たが、女性の歌い声があからさまにエジプトやイスラエルの中東系だ

その後、エイサ!エイサ!と掛け声をかけるが、これは、ヘブライ語で神よ!神よ!と祈っていることになる


「イェシュ」(神よ救けたまえ=イエス・キリストの「イエス」と同じ語源)


「エイサ、エイサ」、これはヘブライ語の「イサ」「イェシュア」(救世主)、つまり「神よ、神よ」

「エッサ、ホイサ」はヘブライ語で「神よ助けたまえ、運ぶ」の意味

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  • 2020/05/24(日) 14:05:36.61
御神輿を担ぎ練り歩くというのは、イスラエルから日本を目指して歩いてきた古ユダヤ人の旅に対する望郷なのかな

神よ!神よ!って言いながら皆で荷物を担いで引っ張って民族大移動してきたのだろう

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  • 2020/05/24(日) 14:06:39.43
>>255
これは一体・・

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  • 2020/05/24(日) 14:06:49
>>420
仮にユダヤと関係があるとして以下のどれだと思う?
1.中東から日本に来た
2.日本から中東に行った
3.違う場所から中東に行ったグループと日本に行ったグループに別れた

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  • 2020/05/24(日) 14:11:42
岩手だよ

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  • 2020/05/24(日) 14:13:47
ケロケロ

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  • 2020/05/24(日) 14:16:07
>>423
元々シュメールメソポタミアが起源として、バビロニア移行期などに東へ渡ってきた人たちがいたかもしれない
天高く建築するという出雲大社の構図がジックラドに似ている

また、イスラエルで王国を築いた後に、アッシリアから逃げて大陸横断して日本まできた人たち、いわゆる失われた支族がいたと思う

それぞれバラバラに辿りついた天孫族

さらに遡ると気候変動で山内丸山が放棄されたのがBC6000頃でシュメールが勃興したのがBC5500頃だから、ここで縄文からシュメールに移住した、させられた人たちもいたのなもしれない

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  • 2020/05/24(日) 14:18:22
三河厨とか、日ユ同祖論とか、何でもかんでも韓国起源とか、毎回毎回歴史関連のスレは珍獣博覧会になるな

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  • 2020/05/24(日) 14:19:33
なんだなんだ昨日出雲の通りがかりの神社にいったら
諏訪神社だったぞ
諏訪神社?たしかに神話で関係はあるが実際なぜ出雲に諏訪
神社があるのかとおもったら佐々木氏が氏神がタケミナカタノカミで
その系列の豪族が勧請したらしい なので出雲の神社に比べると
ぐんと新しく創建は天文年間

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  • 2020/05/24(日) 14:24:08.10
ネメシスが再接近したとして神の御座につく方法を知ってないと意味なくね?

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  • 2020/05/24(日) 14:26:38.57
諏訪は国譲りに従わなかった民という伝承があるが、真偽はともかく古い時代の信仰を守ってきたことは確か
鐸やらカエルの神事なんかは典型的な例だな

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  • 2020/05/24(日) 14:27:28.97
>>428
諏訪神社なんてどこにでもある
と思ってwiki見たら全国25000社もあるらしい

お絵かきランド
フリックゾンビ
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