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- 2016/11/30(水) 22:26:07.26
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>>179の続き
この時に大清の満州族が父祖の地である満州に帰っていたら、
中華民国とは別の国、大清(国名はそのままかどうか分からない)が
満州の地で続いていた事になる。
しかし最終的に北京に留まったのは「袁世凱から与えられた恩恵条約」
すなわち清帝退位協定を中華民国政府と結んだからである。
これは一体どういう協定か?
中華民国政府が清朝と締結した『退位協定』(抜粋)
1 大清皇帝(宣統帝・溥儀)は辞位(退位)後も皇帝の尊号を廃止せず、中華民国(支那共和国)は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する。
2 大清皇帝は年金として毎年400万両(テール)を中華民国より受領する。
3 大清皇帝は暫時、紫禁城内に居住し、後日、頤和園に移住する。
4 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する。
5 先帝・徳宗景皇帝(光緒帝)陵の工事は予定通り続行する。その奉安の儀式も旧制のままとする。
6 紫禁城内の各職員は従来通り使用出来る。但し太監(宦官)は今後採用出来ない。
7 大清皇帝の私有財産は中華民国が特別に保護する。
8 禁衛軍(皇帝守備軍)は中華民国陸軍部の編成下に置かれる。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/chuuka_minkoku1.html
この協定によって中華民国は大清の版図を承継した事になった。
つまり中華民国政府は満州族達から「満州の地を治めてもいいよ」と許可を与えられた。
で、この協定はどうなったと思います?
分かりますよね
その通り!あっさりと破られました。
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