facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

  • 179
  •  
  • 2016/11/30(水) 22:22:57.09
>>174の続き

17世紀に満州の地に興った満州族の国家である大清が、「漢民族」の国家である明を破り、
漢民族を支配した。
そして自分たちの出身地である満州を封禁策により漢民族の移住を禁止した※1。
これは将来、漢民族の抵抗に遭い支配する事が困難になった時に備えての事だろう。
その時は父祖の地である満州に帰ろうと・・・

そして実際、20世紀に入って辛亥革命が起こり、それを議論する機会が訪れた。

-------------------------------------
支那に於ける革命が漸く危険視されるに至った時、
満州に退く事の可能性は決して満人朝廷によって看過されていたわけでは無かった。
否それは真剣に論議され、支那及び満州に於ける王室中心主義者達は
それが現在採る可き最善の道であることを説いたのであった。
しかし摂政及び王族の大半をして北京に留まることを最後的に決定さしたものは、
袁世凱から与えられた恩恵条約の条項の素晴らしさに対する愚なとは謂へ正直な信頼であった。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion06.htm

ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード