シベールの日曜日のDVD化を願う! [sc](★0)
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- 2011/10/12(水) 20:56:23.51
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63年の映画初公開時のシナリオから。
マドレーヌ「私、きれいにしたいわ、あんたのためにね。ベルナールが妬くわよ。
初めは、彼は私に天井こと言ったのよ、勿論、友だちとしてだけど。私が望さえ
すれば…病院で彼を拒むような女はそうはいなかった」
カルロス「彼でなくて、誰がこんな事をするものか。隣りにいた男の目を木で突
きそうだったんだ。いや、ぼくが困ってるのは、甥たちのためなんだ。それに、こ
のドアもだ。こんなに壊すまでもなかったのに!」
警官「奇跡でしたよ、2秒おそかったら手遅れでした」「匕首を手にかざして、眠っ
ている娘に迫っていました」
こうしてみると、カットあり派の主張する「カットされたシーン」なるものが、ほぼ
登場人物の別のシーンの台詞と重なることがよくわかる。これは何を意味するの
だろうか?
ブールギニョンはわざわざ二重の説明的なシーンを本作に挿入していて、後から
冗長な部分だけカットしたのだろうか? そんな無能な監督だったとは思えない。
回答は、やはり次の記憶に関する論述にあると考えられる。
「自分の持っている情報をどこから入手したかを把握するソースモニタ リングは
混乱しがちであり、それによって見たものを実際とは違うものと して思い出したり、
実際には見ていないはずのものを見たつもりになって 思い出したりしてしまうのだ」
(榎本博明「記憶はウソをつく」要約)
つまりは、台詞から想像した映像を、スクリーンないしテレビ画面で見た映像と混同
して記憶しているということだ。
そうではないと断言できる方は、いらっしゃいますかな? ただ、言いっ放しは勘弁し
てください。このスレはそういう連中ばかりだから、馬鹿の相手はもうこりごりw
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