ポールはなぜビートルズを解散に追いやったのか 3 [sc](★0)
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- 2016/05/26(木) 07:07:38.77
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987 :ホワイトアルバムさん:2016/05/24(火) 20:21:54.31 ID:???0.net
憎悪厨さん次スレ立てるの?
・なぜポール・マッカートニーは解散後、良い曲を書けなくなってしまったのか 3
・ポールはなぜビートルズを解散に追いやったのか
・復活■◆衝撃!イエスタディはナポリ民謡だった◆■
・最悪ポールがいなくても成立してたよな
・ポールはシーシェパードへの支援をやめるべき
・ポールが秀才だったのはビートルズ後期ソロ期は低評価2
・ポールはなぜ嫌われるのか 42
・ポールのアホ面について考察するスレ
・ポール・マッカートニー死亡説kk
・【 ポールってアレンジでごまかしてるよね? 】
これだけ似たようなスレがあるのだから
(しかもスレタイに沿った話題が展開されている様子もないし)
いいかげんサーバーの無駄づかいだと思うんだがね。
あんたのキャンペーンを続けようという意欲は止まらないのか。
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- 2016/05/26(木) 07:43:53.24
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解散は不可避
誰のせいでもない
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- 2016/05/26(木) 08:22:24.77
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ナポリ=憎悪厨だぜ
決定的証拠を出してやるぜ
どうだまいったか
【盗作厨ポール 】
・夢の旅人 =幸せはあるいて行こう
出だしのメロディそっくり
・Paper back writer=石焼き芋
出だしのメロディそっくり
・FROM ME TO TOU=屋台ラーメンのチャルメラの音
出だしのメロディそっくり
・オールマイラビング = 冷たくしないで
ALL MY LOVING I WILL SEND TO YOU
↓
DON’T BE CRUEL TRUE A HEART IT’S TRUEのキーをあげただけ
・レットイットビー = ケセラセラ
LET IT BE LET IT BE
↓そっくり
ケセラセラ WHATEVER WILL BE
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- 2016/05/26(木) 09:00:14.92
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http://news.infoseek.co.jp/article/sponichin_20160526_0069
ポール ビートルズ解散後、うつ状態に「仲間とバラバラになって…」
元ビートルズのポール・マッカートニー(73)が24日、英BBC放送「マスターテープス」に出演し、
ビートルズ解散後うつ状態になり、音楽をやめようと考えていたと告白した。
ビートルズは1970年に解散。ポールは「解散後は何をすればいいのか理解するのが難しかった」
と苦しみを吐露。
故ジョン・レノンらメンバーとの別れもあり「ずっと一緒だった仲間とバラバラになって、落ち込んでいた」と、
酒に溺れていったことも明かした。
解散時にぎくしゃくしたレノンとの関係は修復できていたといい
「彼が死ぬ前に仲直りできて本当に感謝している。でなければ彼の死に向き合えなかった」と話した。
番組はファンらを招いた公開収録で、スタジオには米俳優ブラッド・ピット(52)や
元オアシスのノエル・ギャラガー(48)の姿もあった。
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- 2016/05/26(木) 17:36:49.53
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なんでブラピが?
それより誰かポールの告白ってのは読んだ?
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- 2016/05/26(木) 20:28:49.32
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ポール「ナーンチャッテ!!」
https://i.imgur.com/kug7jGe.png
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- 2016/05/26(木) 20:44:49.41
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あとだし じゃんけんw
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- 2016/05/29(日) 01:08:58.66
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糸冬
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- 2016/05/30(月) 21:49:40.56
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解散に追いやるしかなかったから。
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- 2016/06/02(木) 00:09:15.96
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あほくさ
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- 2016/06/02(木) 02:11:12.30
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マイケル・リンゼイ・ホッグは特にポールを好きなようでした。
だからあれはポールの映画になってしまったのです。実際に。
それぞれ25%ずつだと思っていたのに僕はたった2ショットだけ。
いろんなことをやったのにぜんぶカットされていましたよ。
そしてあの時に、ジョージがやめなければならなくなったのです。
ジョージはすべてポールの意のままにされてしまうと思ったからです。
リンゴ・スター
(1972年 映画「レット・イット・ビー」について ミュージックライフ2月号より)
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- 2016/06/02(木) 02:11:47.85
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ラムは発売当初、評論家からボロカスの糞アルバムだった。
近年になって日本の馬鹿評論家1人が再評価と言っただけで、
それを真に受けているのが、この板の低能ポールヲタ達だw
フラワーズ:J−POPのような安っぽい軽音楽集。
J−POPオタの洋楽入門として最適なアルバム。
D・レイン :低能ポールヲタに致命的打撃を与えて脳死状態にした
記念碑的糞曲集アルバム。リリースされたこと自体が奇跡。
ケイオス : ソロポールばかり聴きすぎて脳死状態になっている低能ポールヲタの
暇つぶしには最適な一枚。
ラム : こねくり回した糞曲をさらにアレンジでこねくり回した
こってり糞とんこつラーメンのような超クドいアルバム。
自作のジャケットやリンダのヤンキー娘コーラスが糞トッピング。
バンドオンザラン:盗作集であるが故にソロ期最高の評価を得たアルバム。
RS誌の投票ではジョンの評価には遥かに及ばない418位だったが、
ポールにしては最大の快挙であり、それもデニーの功績が大である。
ワイルドライフ: ジャケット・曲・アレンジを全て「ジョンの魂」を真似て作ったが
才能不足を露呈してしまったアルバム。
特にディアフレンドで「僕達はもう本当にダメなの?」と
フラれたジョンに呼びかけている部分が涙を誘う。
ポールのアルバムにはガッカリしました。
「ラム」を聴いても、なにかこう「曲調」というものが感じられないな。
マヤカシとしか思えない。時間の浪費だと思う。
あくまでもこれは僕だけの感じ方ですがね。
そして段々風変わりな男になりかけてるな。
ほかのイメージを求めているために現在の自分を恥じている、
という感じもありますが……。
イメージの選択は勝手です。でも、僕は失望しました。
リンゴ・スター
(1972年 ミュージックライフ2月号より)
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- 2016/06/02(木) 02:13:11.44
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「出だしから問題は多かった。アルバムレットイットビーのリハーサル風景の撮影で、
ポールの張り切った発言に対して、他のメンバーは不快に感じていた。
ポールは全員に、弾く音符からテンポまでいちいち指示を出し、
しまいには映像監督にまで撮影の指示を出すという、
毎度お馴染みの ”ポール劇場 ”と化していたのである。
『 ポールは自分が仕事の虫だからって、俺たちを四六時中働かせようとした 』と
リンゴは言う。
ジョージが苛つきながら
『 ポールの望む通りに何でも弾く。たとえそれが ”何も弾かない ”ということでも 』
と、ポールに言う有名なシーンがある。
このシーンこそ、問題の核心を象徴していると言われてきた。
つまり、ポールが出しゃばりすぎることに絶えられなくなったのだ。」
(ザ・ビートルズ徹底検証「解散40年目の真実」
ローリングストーン日本版2009/11号より)
78 :ホワイトアルバムさん:2009/11/19(木) 22:16:50 ID:sVOva0Qz0
>77
>映像監督にまで撮影の指示を出すという、
ポールは映像監督を買収して
自分だけ多く写るようにしていたという話もあるくらいだから
本人にしてみれば指示を出すのは当然だと思っているだろうなw
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- 2016/06/02(木) 02:13:50.45
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〜ジョージ・ハリソンはポール・マッカートニーに命令されるのを嫌悪していた〜
☆ザ・ビートルズのラスト・アルバム『Let It Be』をプロデュースしたGlyn Johnsは、
ハリスンが「あのアルバムのレコーディング中に威圧的なマッカートニーと激しい口論になり、すぐにでもバンドを脱退したがっていた」ことを明かし、
こんな風に付け加えている。
↓
「あの現場を目の当たりにするのは居心地が悪かった。
バンドの崩壊の始まりを見て、崩壊後の余波の現場にまで居合わせるというのは非常に不快な体験でしたよ」。
☆ハリスンの前妻パティ・ボイドも「ハリスンとマッカートニーの"微妙”な関係性」についてこんなコメントをしている。
↓
「普段はお互いを大目に見て友好的に振舞っていたけど、ジョージは基本的にポールの性格が嫌いだったんだと思う。
あの2人はお互いをあまり好きじゃなかったのよ」。
http://ro69.jp/blog/kojima/90089
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- 2016/06/02(木) 15:50:28.79
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なにもポールだけが原因で空気が悪くなったわけでは決してない
ヨーコの存在には他のメンバーはかなりピリピリしていた
以下「ビートルズ解散の真実」より引用
彼(ジョージ)は昼食中にレノンと激しく言い争い
――殴り合いになったとも伝えられている――
その後、「グループを抜ける」と彼に告げた。
「いつ?」とレノンが訊くと、「今だ」とハリスンは答えた。
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- 2016/06/02(木) 21:12:57.41
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ジェフ・エメリック
アルバム「THE BEATLES」に興味をなくしちゃったんだ。
彼らは口論ばかりして、お互いに罵り合ってた。
口汚い言葉が飛び交っていたよ。 例えば、僕が辞める直前、
「Ob-La-Di, Ob-La-Da」の何度目かのレコーディングで、
ポールがボーカルを録る直したとき(おそらく7月15日)も、
ジョージ・マーティンがハーフ・ビートの使い方かなにかについてちょっと意見したら、
ポールは無礼な態度で、『 じゃあこっちに来て歌ってみろよ 』みたいなことを言ったのさ。
僕はジョージ(マーティン)に、『ああ、もうたくさんだ。僕は辞めるよ。こんなのもういやだ』って言った。
ジョージは『週末まで待て』・・・たぶんその日は月曜か火曜だった、
と言ったけど『待てないよ、今すぐ辞める』って出てきちゃったんだ。
スタジオへ降りてそれをグループに説明したら、 ジョンが言ったよ。
『僕等はなにも君に文句を言ってるわけじゃないし、君に不満があるわけでもない。
ただEMIが気に食わないんだ。
この第2スタジオを見ろよ。来る日も来る日もオンボロの煉瓦とにらめっこだ。
奴らはなんでここを改装しない?』。
彼の言う通り、スタジオには改修工事が必要だった。
でも本当の問題はそんなことじゃなく、もっと根本的なことだったんだ。
彼らはバラバラになりつつあった。
(ビートルズ・レコーディング・セッション)
こんな調子でマーティンは傲慢なポールにねじ付されて、
イエスタデイもポール単独作という事にされのだろう。
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- 2016/06/02(木) 22:04:33.89
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>こんな調子で 〜 だろう。
おまいのお粗末な空想などチラシの裏に書くがよかろう
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- 2016/06/03(金) 01:24:03.35
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ジョンはポールを殴ったこと無かったのに、ジョージは殴ったんか
ポールはさぞかしジョージが羨ましかったやろな
殴られたのに、その後プラスティック・オノ・バンドのライヴに参加したり、
シングルやアルバムのレコーディングにも参加するジョージはどんだけマゾやねんw
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- 2016/06/03(金) 02:32:35.72
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>>19
ジョージにとってジョンは憧れの存在。
だから、
ライブでインマイライフを歌ったり、
壁&橋を聴いて感動して「一緒にバンドをやろうよ」とジョンに言った。
しかしジョンに一笑され、
逆恨みして伝記で復讐することになる。
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- 2016/06/03(金) 09:44:59.36
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>>12-15
苦し紛れの深夜のコピペ4連投w
みっともないw
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- 2016/06/03(金) 11:37:15.62
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>>20
壁橋?
リンゴのアイム・ザ・グレーテストのレコーディング時にも
ジョージはジョンに新バンド結成を懇願して断られてるのに懲りないねぇ
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- 2016/06/03(金) 12:49:22.36
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ジョンは人誑し
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- 2016/06/03(金) 13:50:09.92
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ジョンにとっては、ジョージとやるくらいだったらエルトンとやった方が100倍マシだろう
解散以降、心のどこかで自分を刺激する対等の才能を求めていた
ポールもそうだったようにね
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- 2016/06/03(金) 15:17:27.65
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妄想が激しい
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- 2016/06/03(金) 18:01:34.32
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>>24
その通り。
それで、エルトンにオファーを出したら、ジョンを相手にポール役を
やってみたかったエルトンは快諾。ライヴではI Saw Her Standing There
までプレイした。「真夜中を突っ走れ」は1位になったし。
ハリー・ニルソンも同様。ジョンを相手にポール役をやりたかったんだ
結局、『心の壁 愛の橋』は1位になった。トップ10シングル2曲も出して。
だから『心の壁 愛の橋』はビートリーなアルバムだよ。
しかし、『心の壁 愛の橋』が出た1974年、ポール(&ウイングス)のほうは『バンド・オン・ザ・ラン』を
出すのさ。こちらはジョンの上を行く大ヒットでグラミー賞だよ。
負けじとジョンは、初期のビートルズを意識して『ロックンロール』を
作ったら、『ルーツ』の件で揉めるわ、スペクターは狂ってしまうw
「俺こそがザ・ビートルズ」なのにって悔しいジョン。
それを尻目にウイングスは『ヴィーナス&マース』を出したら、また1位だよ。
シングルの「あの娘におせっかい」も1位さ。
悔しくて眠れないジョンは、ソロ集大成の『シェイブド・フィッシュ』でウイングス
に対抗しようとしたら、ウイングスは『バンド・オン・ザ・ラン』と『ヴィーナス&マース』という
2枚の大ヒット・アルバムを引っ提げて大規模なツアーだよ。
しかもツアー中に『スピード・オブ・サウンド』が出て、これも1位
シングル「心のラヴソング」も1位 「幸せのノック」も3位
打ちひしがれたジョンは、ヨーコとウイングスのNYマジソン・スクエア・ガーデンの
ステージを観に行ったら、ステージでは笑顔で「レディ・マドンナ」や
「夢の人」を歌うポールがいた。とどめは「イエスタデイ」への大歓声。
おまけにジョンは、楽屋にも入れてもらえなかったんだよ。
そりゃあ引退するよ。ハウス・ハズバンドとしてなら負けないって。
ポールは、ハウス・ハズバンドをやることに興味ないもん。
ロックンローラーだし。
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