http://www.asahi.com/sp/articles/ASK883FDKK88UTIL00F.html
太平洋戦争末期、飛行機だけでなく船による「特攻」が行われた。爆雷を積んだベニヤ板製の簡易なボート。訓練を重ね、死を覚悟していた若者たちは揺らいだ。「お国のため」に捧げる命とは何なのか、と。(岡本玄)
瀬戸内海に浮かぶ江田島(広島県江田島市)。海軍の兵学校があったことで知られるこの島は、かつて陸軍の「水上特攻隊」の秘密基地でもあった。島の最北端にいま、その歴史を伝える石碑が立つ。
《祖国の為(ため)とは言え 春秋に富む身を国に殉ぜし多数の若者の運命を想(おも)う時 誠に痛惜の念に堪えず》
米軍による本土侵攻に備え、この島で極秘の訓練を重ねた多くの若者たちが、沖縄やフィリピン、台湾へ送り込まれていった。
使われたボートの秘匿上の通称は「連絡艇」。頭文字から「マルレ」と呼ばれた。資材不足の中、速度を出すため、薄いベニヤ板と自動車のエンジンでつくり、船尾には250キロの爆雷を積んだ。
捨て身で敵艦に夜襲する作戦。元隊員たちがまとめた「マルレの戦史」によると、前線へ赴いた計30戦隊3125人のうち6割近い1793人が亡くなった。
「死へのパスポートのようでし…
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20170811001999_comm.jpg
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20170811002006_comm.jpg
★1:2017/08/14(月) 03:00:59.40
前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1502665231/
元朝日新聞記者だった
近衛内閣書記官長 風見 章(かざみ あきら)は
国際共産主義者ネットワーク(コミンテルン)から敗戦革命の密命を受けた工作員であった。
1909年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、国際通信、朝日新聞記者,信濃毎日新聞主筆
1937年6月4日第一次近衛内閣が成立。、
首相となった近衛文麿は当時全く面識の無かった風見を内閣書記官長に抜擢する。
風見も以前からの親友である、元朝日新聞記者 尾崎秀実(ゾルゲ事件)を内閣の嘱託に抜擢した。
1937年7月7日に盧溝橋事件が勃発
当時の参謀総長は皇族の閑院宮載仁親王であり、
参謀次長今井清と支那駐屯軍司令官田代皖一郎は揃って病床にあったため、
陸軍が組織の機能不全の為に戦線拡大に消極的であった。
当初近衛内閣は不拡大を唱え7月11日には現地で和平が成立するが、
この日の閣議後に風見は朝日新聞、読売新聞ら報道陣の代表者と政財界各方面の有力者を官邸に招く。
ここで近衛は内地三個師団を派兵する北支派兵声明を発表、和平交渉を破壊した。
この後も近衛内閣は、7月17日には1,000万円余の予備費支出を閣議決定。
7月26日には、陸軍が要求していない9,700万円余の第一次北支事変費予算案を閣議決定し、
さらに7月31日には4億円超の第二次北支事変費予算を追加するなど、
陸軍を事変拡大の方向へと圧迫していた。
1941年10月ゾルゲ事件の後、風見自身も証人として検察当局の尋問を受けるも訴追を免れる。
戦後1955年1月に左派社会党に入党、10月の左右社会党統一時に党顧問となった。
日ソ協会副会長、日中国交回復国民会議理事長
1957年には訪中して周恩来と会談した。
また、岸信介内閣の台湾政権支持、長崎国旗事件に反発し、
1958年7月14日、中島健蔵、細川嘉六、伊藤武雄と連名で
中国への「侵略」に対する「反省声明」を発表した。
>>679
昭和天皇が無理矢理命令して国民を戦地に生かせ死なせたと国民が思っているなら
戦後、
天皇が国民を励ます為に全国を回ると言い出した時に米軍将校が日本国民に殺されると
思ってたとおりになるはずなんだが、結果はどこに言っても多くの国民が集り熱烈な大歓迎を受けていた
このことからも国民は天皇の命により戦争を始めたとはまったく考えていなかった事がうかがえる
あの当時は日本空軍なかったかw
海軍省と陸軍省で予算ぶんどり合戦だったんだろ
やはり山本五十六が何か握ってるな()
S天皇「みんなが突然に可笑しくなったんだ!」
ネラーぐらいのメンタルが無いとどうしょもないな
だから、どうした?というニュースだな。
そもそもこれはニュースなのか?
>>679
戦争責任なんて言うから「誰が悪いのか?」という犯人探しになる。
>>686
に書いたけど戦争を煽った朝日も悪いし、バカなマスコミに煽られた当時の日本人は愚かだった
またそういう連中に乗せられて大陸に侵攻した軍部(官僚)も愚かだった。
なんでこういう判断になったかというとアメリカを巻き込んだ戦争が「局地戦」ではなく「世界大戦」
に発展する、という認識を誰も持っていなかったからだろう。
世界大戦=負けたら人種そのものが根絶やしにされる。
早期講和を模索しつつ局地戦に突入した日本が勝てるわけがない。
>>701
牟田口廉也と富永恭次は日本軍の中でも最凶最悪クラスだからな
>>694
ソ連が対日参戦を検討し始めたのは日ソ中立条約締結後に関東軍が満州で関特演を行った頃からだと言われてるよ(´・ω・`)
当時のソ連は独ソ戦が始まったばかりでめっちゃピリピリしてたのに満州で日本軍が対ソ連戦を意識した演習を行ったので激怒し
日本側に「日ソ中立条約を守らないのか?」と聞いたら日本側が「日ソ中立条約より日独伊三国同盟の方が大事だから」と返答
「関特演で極東軍の動きを釘付けにしようとした=ドイツに対する利敵行為」と捉えたソ連はこの頃には対日戦を想定し始めていた
軍人は死ぬのがわかっていても命令に従い作戦を遂行するのが仕事で
軍としてはできるだけ死なないように作戦を立てるのは当然だが
戦争である以上、多かれ少なかれ死ぬ可能性は存在する
それで死ぬのが嫌だから命令に従わないなどと軍人が言ってたらそんな軍隊は軍隊の体を成してないし
そんな軍人だらけになって得をするのは「敵国」しかないし、その「敵国」はちゃっかり国のために死ぬ軍人を育てている
命令に従って死んだ軍人をこんなふうに正義面して綺麗事で貶めるのはそういうことでしかない
>>679
明確に敗戦が決まりかけていた昭和20年2月
近衛文麿の終戦への上奏を否定し、ただただ皇室継続のため
少しでも有利にと最後の一撃にこだわるあまり、終戦を遅らせた昭和天皇
その直後の東京大空襲をはじめ全国各地への空襲
県民の5分の1もが亡くなった沖縄地上戦
神風特攻や人体実験のため2種類の原爆投下など
戦争末期の悲惨な無駄死にを国民に強いた昭和天皇
現人神(あらひとがみ)と宣言し開戦命令したはずだったのに、敗戦後は いち早くマッカーサーに命乞いして記念撮影と人間宣言
国民が飢えで苦しむときに、皇室が敵国に利用されたのは常識
占領軍に庇護された皇室が親米派になったのは言うまでもない
全国慰霊と言いながら10万人もの県民が死んだ 激戦の地の 沖縄には生涯一度も足を踏み入れず
死ぬまで自己の戦争責任には知らん顔し
全ては自分の将校に責任を押し付け A級戦犯合祀後には二度と靖国参拝しなかった昭和天皇
その子孫は一度たりとも参拝しない皇室
靖国で会おうと散っていった英霊はいかに思うか
自らの敗戦決断の遅れが招いた原爆投下を
「やむを得なかった」と公式見解を述べた無責任な昭和天皇
リアルタイムに当時を経験してたら天皇が一人で命じて戦争突入したなんて思わないよな
専制国家じゃないんだから
日本は島国になってて、多民族国家じゃないからな・・・。
みんな、それなりに、皇国の素質があるので・・・
>>692
完全な無駄死なのによく美化できるね
つーかアメリカにとっちゃジャップなんておまけ、本命はナチなのに、まるで日本が主役みたいに考えるネトウヨの多い事ったらないな
上西小百合がこれに乗って死ねばよかったのに
マッカサーと仲良く2ショットで記念写真撮ってるだろw 世界中びっくりですよ
昭和帝な()
/ヽ,,)ii(,,ノ\
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/:::::⌒(__人__)⌒:::::\ ネトウヨ!ネトウヨ!ジャップ!ジャップ!
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特攻はバカバカしいと思うよ。
でも、特攻で死んでいった若者を非難する気にはならない。
英霊として祀ってあげないと、申し訳がない。
>>714
戦後すぐに昭和天皇は軍部に操られた説をわざと流布した結果でしょ
>>727
無駄死にという観点も一部あってもいいと思うが
国のために死んだ人をないがしろにしたら誰も国のために真摯に働かなくなるよ
それは国の根幹に関わるから、どの国でも戦死した将兵は丁重に扱う
昭和戦争時代があるから戦後の工業国化が進んだわけでね
あれがないと今頃お前らは出稼ぎ労働者
>>697
所詮、朝日新聞ごときは「国家のため、国民のため」に記事を書いていないということでしょ。
今もそうだが面白おかしく記事が売れることを目的にしているのだから大事なことは確認する
必要があるってことでしょうね。
当時はネットもないしそういう意味では朝日のやりたい放題だったと言える。
東条は仏教を信仰しとったのに神社で祀られてやんのな
しかもこのハゲのせいで靖国参拝問題まで引き起こしとるし
このハゲは日本の疫病神なんとちがう?
>>735
元々権限なんてほとんど無かったんだよ。
今と大して変わらん。
>>725
当時の軍のトップは天皇だったんだが?
そして当時の日本は軍部が政権を握ってる状態、後は分かるな?
【朝日新聞のゾルゲ事件報道に見る朝日の狂気】
ゾルゲ事件を調査した検察当局は、日本共産党員河上肇の愛弟子近衛文麿と朝日新聞出身
のソ連のスパイ尾崎秀実が密接不可分の関係にあることを察知したものの、国政に大混乱が生じることを恐れ、
捜査の限界をゾルゲ機関の諜報活動に限定し、彼らの謀略活動を深く追及しなかったが、
尾崎秀実著作集に収録された尾崎の戦時論文は、これを読む者に、ゾルゲ機関の謀略活動の全貌を教えてくれる。
ところが、尾崎に情報を提供した朝日新聞の田中慎次郎は、
尾崎秀実著作集第2巻月報に「開戦前の一夜」という手記を寄せ、
「共産主義者としての尾崎君の実践は、周知のように、
諜報活動に限られていた。」と書いているのだ。
この尾崎秀実著作集2巻には、中央公論や改造に掲載された、
支那事変の拡大長期化を煽動し汪兆銘政権樹立工作を推進する尾崎の諸論文と、
ゾルゲと結びつき近衛内閣にブレーンとして食い込んだ尾崎の
「世界革命の一環としての東亜新秩序構想」に言及する
野村浩一の解説が収録されているというのに!
統帥大権だのなんだの言うが、実際はただ上奏してきたのを認可するだけの簡単なお仕事
天皇自身がそうでなければならぬ、それが立憲君主だと言っていた
特攻で死んでいった若者のほとんどは士官候補の優秀な人達だったんだよな
臆病で弱い者が生き残り、優秀な自己犠牲の精神を持った若者ほど死んだ
遺伝子的な損失は計り知れない
ソ連、中国、カンボジア。失敗した共産主義体制のために拷問の上虫けらのように殺された
数千万の命とは。
朝日さんどう。
風船爆弾も作ってたし
ボート特攻に布団爆弾で自爆攻撃と似てるなw
>>723
軍人は戦うのが仕事で死ぬのが仕事ではない。戦った結果死ぬのはあるが、戦いの手段が死なのは嫌に決まってんだろ。
【朝日新聞のゾルゲ事件報道に見る朝日の狂気】
さらに
蒋介石政権は中国共産党の人民戦線戦術に強要されて北支から上海に戦線を拡大したとはいえ、
昭和12年12月に入り、日本に和平を求め、多田駿参謀次長以下我が参謀本部は、早期和平の実現を訴えたのに、
近衛内閣はトラウトマン工作を打ち切り、近衛は爾後国民政府を対手とせず抹殺すると宣言してしまったのである。
支那事変の拡大長期化は、軍国主義(軍人による政治支配)の産物ではなく、我が国の文民政治家による独断暴走である。
しかし朝日の左翼幹部は、「ウソも百回言えば真実となる」と言い放ったゲッベルスよろしく約半世紀に亘り執拗かつ偏執的に、
我が国の戦争原因あるいは我が国の戦時体制を「軍国主義」と言い続けて国民を洗脳し、
国民が行う戦争責任の追及の矛先を軍部に向けさせようと今なお画策している。
何故なら国民が近衛を追及していくと、必然的に近衛のブレーントラスト「昭和研究会」「朝飯会」にいた尾崎秀実、
西園寺公一、勝間田清一、笠信太郎ら転向左翼と革新官僚の言動、暗躍にたどり着き、大東亜戦争を引き起こした元凶は、
我が国の政府軍部そして朝日新聞に巣くっていた彼等共産主義者であり、彼等を背後で操っていたソ連のスターリン指揮するコミンテルンであり、
マルクス・レーニン教であることが白日の下に晒され、当然の帰結として、我が国の為すべき過去の反省とは「反共の徹底」になり、
朝日以下反日左翼勢力は日本に存在できなくなるからである。
>>749
朝日「ポル・ポトは優しいおじさん(キリ」
>>739
東條が悪いって言っている間は本質が見えてこない。
東條は当時の国民から「すぐに米英を叩き潰せ」「中国を許すな」って投書を大量に受け取って
仕方なく戦争を継続した。
戦争をやめろって発言する人間が皆無の環境下でどうやって戦争をやめるのかね?
戦線が悪化して誰の目にも「負けるかも」という状況にならなければやめられないだろ。
>>737
アジアの中でいち早く先進国になったからな。
ここぞという時機を見計らって、意地を見せる=戦争することは必要だと思う。
有事になれば亀のように甲羅に身を隠せばよいと思っている平和主義(藁のバカには理解できないと思うけど。
>>746
その通り
特攻に限らず太平洋戦争では有能な若者ほど多く死んでるもんな
代わりに朝鮮人が日本に流入して帰化しとるが、日本人の遺伝子劣化の大きな原因だわ
さっき読んだ記事だが、
戦争は売ってはならない。仕掛けられた戦争は決して負けてはならない。
だったかな。
戦争に負けると『悲惨』だ、という話だったと思う、ニダ。
>>756
アメリカと戦争しても負けるって国民に言えばよかったんじゃないの?