>>775
我が国の戦後社会では「ハル・ノートを受け入れても開戦すべきではなかった」という人たちがいる。
そうしていたら300万人の犠牲も、全土を焦土とすることもなく済んだ、というのである。
当時の世界の経済機構はブロック経済である。各国の経済活動は自らが支配する経済圏を基盤になされていた。
もし我が国がハル・ノートを受け入れてたら、どうなっていたであろうか。
資源もない日本で、原料輸入にも製品輸出にも、食料輸入すらにも不自由するブロック経済機構を背景にくらさねばならないのである。
腰をかがめて貧しい生活に耐えていくか、不満分子が暴発するか、暴力革命でも起こってソ連の手下になったか、
いずれにしても社会的混乱は避けられなかったであろう。
社会主義国にでもなっていたら、その過程で幾百万の生命が絶たれ、幾千万が収容所に送られたか想像もつかない。
大東亜戦争の結果、アジア植民地の19世紀的構造は破壊された。それは欧州のブロック経済機構の崩壊を意味する。
勝利した連合国すら世界経済機構へ進まざるを得なくなったのである。
我が国は、食料輸入も原材料輸入も、そして製品輸出も可能になった。
我が国の世界第二の経済大国への道は、その世界経済機構を基盤に開けた。
300万人の犠牲も、全土を焦土にしたことも、決して無駄のみとは切り捨てられないのである。
「戦争に負けてよかった。そのために現在の世界第ニの経済大国ができた」などという者がいる。
思わざるも甚だしい。負けたから経済大国が出現したのではない。
経済大国が出来たのは、陸軍を主体とした南方作戦に勝ったからである。
それがブロック経済機構を破壊して、世界経済機構に移行せしめたからである。
『帝国海軍「失敗」の研究』 佐藤晃