王はいわば全国民の人格化、あるいは頭文字であり、王において国民は個性をもつようにな
るのだ。この意味で王は「国家、それはわたしである」と言って当然なのである。だからこそシェーク
スピアの歴史劇においても、イギリス王とフランス王はたがいにたんに「フランス」あるいは「イギリ
ス」と呼びかけ、(『ジョン王』第三幕・第一場では)オーストリア公に「オーストリア」の一語で話し
かけているのが見られるのであって、いわばたがいに自分をその国民性の権化と見ているのである。
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明仁こそ日本そのものであり、そして平成日本はこのざまだ。